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第4章  王都の決戦

真相

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 ナギの身体が夢幻界に転移し、彼の視界が変わった。
 
 東京ドームの50倍はあろうかという広大極まりない大聖堂。その大聖堂の中心部に女神ケレスがいた。ナギは女神ケレスを一目見て、

(相変わらず、お美しい)
 
 と感嘆した。

 長い黄金の髪。翡翠色の双眸。16歳ほどに見える若々しく清楚な美貌。
 
 司祭のような白を基調とした服が、豊満かつ優美な肢体によく似合っている。

「お久しぶりです、ナギさん」
 
 女神ケレスは丁寧な口調で言った。

「お久しぶりです」
 
 ナギは軽く頭を下げた。

「あら、今日はいつもよりも遠いですね~」
 
 黄金の髪の女神は、のんびりとした口調で言った。

「遠いとは何がでしょうか?」
 
 ナギは心中で小首を傾げた。

「間合いですよ。私とナギさんの距離です。いつものナギさんは、私と会う時、平均してあと13センチほど前に来ます。今日はいつもより少し遠くにいるから寂しいですね~」
 
 女神ケレスはころころと上品に笑った。ナギは静かに目を伏せて、やがて視線を戻す。先手を取られたという思いがナギの胸奥をよぎる。

「……色々ありまして、失礼ながらケレス様を警戒しているのかも知れません……」
 
 ナギはわずかに前に出た。ケレスの指摘した通り、13センチほど前に歩を進める。ナギとケレスの距離が縮まる。

「警戒ですか?」
 
 ケレスが翡翠色の瞳を細める。

「……はい」
 
 ナギは一礼して非礼を詫びる。

「私を警戒する理由は何でしょうか?」
 
 ケレスは穏やかな美声を発した。

「俺は先日、罪劫王バアルという怪物と戦いました。ご存じですか?」

「はい。この夢幻界で見ておりました。見事に退治されましたね。惚れ惚れしましたよ~」

「では、罪劫王バアルが言った戯れ言も知っておられますか?」
 
 ナギが黒瞳を女神に向ける。

「ええ、一字一句逃さず記憶しておりますよ~」
 
 翡翠色の瞳の女神は穏やかな美声で答えた。
 ナギはごくりと唾を飲み、そして、問う。

「……お聞きしたいことがあります」

「どうぞ」
 
 女神は優しい声音を出した。

「罪劫王バアルの言ったことは真実ですか?」

「はい。全て真実です」
 
 女神ケレスは静かに断言した。ナギの黒瞳に驚愕の光がよぎった。

「真実……」
  
 ナギが独語すると、女神ケレスは背筋を伸ばしたまま真っ直ぐにナギを見据えた。

「はい。真実です」
 
 ケレスの声が大聖堂に殷々と響く。まさしく神託としてナギの耳朶をうつ。

「……俺を次元震で故意に殺害したのは?」

「真実です」

「……それは魔神を倒すためにですか?」

「はい。貴方以外に魔神を倒せる存在が、宇宙の何処にも存在しないからです」

「俺の祖父・相葉円心が、かつて異世界の勇者だったからですか?」

「はい。だからこそナギさんは、私と軍神オーディン、二柱の神の力を使用することが出来るのです。貴方が英雄の血を継いでいるからこそ出来ることです」

「……」
 
 ナギは瞳を閉じた。身体の力が抜けていく。だが、奇妙に心は穏やかだった。自分でも奇怪に思うほど冷静だ。

「……次元震で『偶然死ぬ』なんてあるわけがない、か……」

「偶然というには出来すぎですよね~」
  
 女神ケレスが、清楚な微笑を浮かべる。

「ケレス様に言われると釈然としませんがね」

「確かにその通りです。申し訳ありません」
 
 ナギが苦笑して指摘すると、黄金の髪の女神は深々と頭を下げて詫びた。

「……再度尋ねます。俺を殺して異世界に送り込んだのは、魔神を倒すためなんですよね?」

「はい。重ねて説明しますと、魔神を倒せる存在は、この宇宙どころか平行世界にある宇宙の生命体すべてを検索しても、どうしても見つかりませんでした。だから、ナギさんを選びました」
 
 相葉円心という類い希な猛者の孫である相葉ナギ。

 彼を異世界に送り込むしか、総数3億人を超える異世界フォルセンティアの民を救うことは出来ない。

 少を殺して大を救う。その冷酷な方程式を実行して、なんとか異世界を救おうと思った。
 
 相葉ナギを殺害せざるを得なかったのは、一度次元震に巻き込んで霊子レベルにまで分解し、ケレスの神力を注いでから再構築するという過程を経ないと『神力』を与えることが出来なかったからだとケレスはナギに告げた。

「一人を殺して、多数の生命を救う……か。専制国家に限らず民主主義国家でも、それが通常の理念ではありますが、自分が少数側になるとはね」

「私も自身の冷厳さと罪深さは自覚しております。相葉ナギさんを生け贄にした以上、今の私は『悪』と断罪されても否定はできません」
 
 女神ケレスは淡々と述べた。自分は女神でありながら、「相葉ナギ」という一人の少年を殺した。異世界フォルセンティアの民3億人を救うためという大義名分はある。

 だが、それが免罪符になるわけではない。罪はどこまでも罪なのだ。

「ですから私はナギさんに、どのような責め苦を与えられようとも、甘んじて受け入れるつもりです」
  
 女神ケレスが大きな胸に手を当てて真摯な顔で言う。

「具体的には?」
 
ナギが微笑して問う。

「そうですね~。魔神を倒して頂いた後で、ナギさんに殺されても良い位は思っておりますよ?」

「俺にケレス様を殺せる程の力はありませんよ?」

「ええ、確かに今は無理ですね~。でも、ナギさんなら魔神を倒した頃にはレベルアップして、私を殺せる位の力を身につけているんじゃないかな~、と期待しています」

「やりませんよ。そんなことは」
 
 ナギは黒髪を軽く撫でて苦笑した。

「あら? 怒らないのですか?」
 
 ケレスは頬に人差し指を当てて心底不思議そうに問う。

「神剣〈斬華〉で斬りつけられる位は覚悟していたんですけどね~」

「俺も少しは成長しましたから……。ケレス様に対する怒りも恨みもありません」
 
 ナギは肩をすくめた。怒りも恨みもないのは事実だった。

 ケレス様が自我功利的な欲望を満たすために俺を殺したならば、恨むだろうし怒るだろう。

 金や権力を得るために人を殺す。性欲を満たすために強姦する。そのようなことは許されない。
 
 だが、ケレス様の場合は違う。ケレス様の行った行為は冷酷だが、目的は純粋な善性に由来している。それがナギに美を感じさせ、憤怒と怨恨を生じさせなかった。

「だから、俺はこのことでケレス様をどうこうするつもりはありません」

 ナギの黒瞳に澄んだ光が宿った。数秒、ケレスはナギを見つめ、やがて深々と頭を下げた。

「……ありがとうございます」
 
 ケレスは短く、だが心から感謝して頭を下げた。深い感動がケレスの心を満たす。ケレスはほっと安堵の吐息を出すと頭を上げた。

「しかし、本当に怒っていないのですか?」
 
 ケレスが、不思議そうにナギを見た。

 数瞬、ケレスの翡翠の瞳とナギの黒瞳が真正面から向き合った。

 ナギは軽く頬をかいた。

「……俺は異世界に行く前、恥ずかしながらヒキコモリだったんですよ。いえ、ヒキコモリよりも酷かった。生きる意味を失っていたんです」
  
 ナギが静かに語り、ケレスは真摯な顔で聞き入った。

「俺は両親がおらず、産まれた時から爺ちゃんしか家族がいなかった。その爺ちゃんが、八ヶ月前に死んでから世界から色彩が消え失せたような感覚になりました……」
 
 何をしても楽しくない。喜びを感じない。怒りも感じない。常にまとわりつくのは虚無と、例えようもない恐ろしい孤独感。生きていること自体が苦痛だった。
 
 だからこそ、次元震で死んだ時でも、ケレス様に対してあまり憎しみがわかなかった。

「……でも、異世界に行って、俺はセドナに会えました。
 家族を亡くした俺に新しい家族であるセドナが出来たんです。それから世界が変わりました。生きる力が湧いてきて……世界が美しいと思えてきたんです……」
  
 ナギは拳を握りしめた。

「誰かに必要とされる……。そんな単純なことが嬉しくて……。もちろん、苦しいこともありました。怖い思いも沢山しました。……でも、セドナといると俺は確かに生きている。そして、生きて良いんだと心から思える。
 だから、俺は今幸福です。それにセドナだけじゃなくて、レイヴィア様や、エヴァンゼリン達もいる。人との繋がりが出来た。大切だと思える人達ができた……」
 
 ナギは自分の思いを不器用ながらも吐露した。

「だから、俺はケレス様に感謝しています。俺は貴女のおかげでセドナや皆に会えましたから。それにケレス様が私利私欲のためにしたことではないと確信出来ましたし」

「そう言って頂けると私も少しは自分を許せます。重ねて貴方に感謝します。相葉ナギさん。貴方は偉大で高潔な御方です」
 
 女神ケレスは微笑して一礼し、やがて端麗な顔を上げた。

「しかし、何かをさせて頂かないとナギさんに対して申し訳ないですね~」

「何をしてくださる御積もりで?」
 
 ナギが少しばかりからかうように尋ねる。

「あっ、そうだ~。私の身体を差し上げるというのは如何でしょう?」 

 ケレスがポンと手を打って宣言した。それはあまりに軽いノリの発言だったので、ナギは数秒何を言っているのか分からず、やがて理解すると顔を真っ赤にした。

「な、何を言ってるんですか?」

「いや~、ナギさんも17歳というお年頃ですし、私に出来ることはこれくらいかな~、と思いまして~」
 
 黄金の髪の女神が、からかうような微笑を浮かべる。

「め、女神様が何言ってるんですか!」

「なんだか~。そのくらいはして差し上げないと悪いかな~、と」

「しなくて良いですよ!」

「遠慮しなくて良いんですよ~? 生憎私は処女ですし、性的な技術も知りませんから、ご満足頂けるか分かりませんけどね~」
 
 ケレスは腕組みして大きな胸を抱えるようにし、クネクネと身体を動かした。思わずナギはケレスの豊満な胸を見てしまう。

「それに、無限に等しい歳月を生きてきて暇ですしね~。それにナギさんみたいな純朴で誠実な少年を初めての人にするのも楽しそうですし~」
 
 ケレスが清楚な美貌に笑みを浮かべてナギを見やる。ナギは顔を耳まで真っ赤にしながら後退した。

「女神である私の寿命は果てることなく永劫に続きますしね~。千年くらいだったら、ナギさんの性奴隷になって色々と奉仕して差し上げてもよろしいですよ~?」
 
 ケレスが、悪戯っ子のような微笑を浮かべてナギに迫る。

「女の子がそんなこと気軽に言っちゃダメですよ! 俺はもう帰ります!」

「そうですか~? 気が向いたら言って下さいね~?」
 
 ケレスはクスクスと笑いながらゲートを開いた。ナギの身体が純白の光に包まれる。

「変わりません!」
 
 ナギが怒鳴る付けると、純白の光がナギの身体にまとわりく。

「ナギさん」
 
 ふいにケレスが翡翠の瞳に真摯な光を宿した。
 
「なんでしょう?」

「どうか。異世界フォルセンティアを救って下さい」
 
 ケレスが深々と丁寧に頭を下げる。

「出来る限りのことはします」

「そうだ。それともう一つ~」

「まだ何かあるんですか?」
 
 ナギが小首を傾げた。

「貴方を異世界フォルセンティアに行かせたのは、とある方のアドバイスがあったからです~」

「誰からですか?」 
  
 ナギが驚いて問う。

「貴方のお爺さま、相葉円心さんですよ~」

「爺ちゃんが?」
 
 ナギの黒瞳が見開いた。ケレスが慈愛に満ちた微笑をナギにむける。
 
「円心さんが生前言っておりました。『もし、儂が死んでナギがヒキコモリにでもなったら、異世界に転移させてやって下されい。あいつは使命を与えられれば、必ずそれをやり遂げる男です。
 その使命は大きければ大きい程良い。あいつはやれば出来る男です。なんせ儂の孫ですから』、と」
 
 ナギの心が波打った。強い歓喜と誇りが胸に満ちる。

「円心さんは、『あいつは強く、優しく、誇り高い、儂の自慢の孫です』と仰ってましたよ~」
 
 ケレスはそう言うとヒラヒラと手を振った。
 
 やがてナギの身体が夢幻界から消失した。
 

 
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