魔王様は攻略中! ~ヒロインに抜擢されましたが、戦闘力と恋愛力は別のようです

枢 呂紅

文字の大きさ
15 / 39

【閑話】メリフェトスの秘密の苦難

しおりを挟む

 王都アルデールにある聖教会の総本山、ローナ聖堂。日々、王都のあらゆる身分の人々が礼拝に訪れるその地は、同時に、聖職者たちが住まう場所でもある。

 その一角、エルノア国の歴史や神話などが記された書物が多数納まる書庫にて。魔王アリギュラの腹心の部下――もとい、一級神官メリフェトスは、古びた書物のページをひとりめくっていた。

 神官の印である白い装束を身に纏い、広い書庫の中央にある閲覧スペースに腰かけるメリフェトス。青紫色の瞳で真剣に文字を追い、時折、さらりと零れる髪を耳にかけなおす姿は、妙に色っぽい。

そんな彼の姿に、居合わせた二人組の若い巫女が、書棚の影で頬を染めた。

「メリフェトス様、今日も麗しいわ……っ」

「何をお調べになっているのかしら。真剣な表情も、すごく素敵ね」

 女神が世界を書き換えたことにより、メリフェトスは周囲の人間から、以前よりこのローナ聖堂に務めていた神官として認識されている。そのため、突然現れて聖女のお世話係という大役を与えられているメリフェトスのことを、疑問に思う者は誰もいない。

 それどころか、攻略対象者として申し分のない完璧な美形としてこの世界に加えられた彼には、女性たちから熱烈な視線が向けられていた。

「…………はぁ」

 その時、メリフェトスが溜息を漏らした。モノクルの奥で一度視線を落とした彼は、物思いにふけるように窓の外に顔を向けた。

先ほどまでの、どこか近寄りがたい、気品に満ちたオーラとは異なる。どこか物憂げで、隙を感じさせる仕草に、見ていた巫女たちはズキュンと胸を打たれた。

「な、なななな、どうしたのかしら、メリフェトス様ってば」

「悩みがあるなら、私たちに相談してくださればいいのに……っ」

 憧れの上級神官の艶っぽい姿にもじもじとしつつ、といって声を掛ける勇気は出せない新米見習い巫女ふたり。

 ――そんな彼女らをよそに、メリフェトスはぼんやりと椅子に背を預ける。

(…………何も、頭にはいってこないな)

 窓の外をなんとなしに眺めつつ、メリフェトスは内心で鬱々とぼやく。

この世界についてより深く知るために書庫に来たが、すっかり時間を無駄にしてしまった。さっきから、ページをめくっては戻り、ページをめくっては戻りを繰り返している。こんなことでは、魔王軍一の知将の名が廃れてしまう。

 けれども、仕方がない。なぜならメリフェトスは今、強大な悩みを抱えている。

(ああ、くそっ!)

 がばりと頭を抱え、メリフェトスは背中を丸める。そして、煩悩を断ち切ろうとするかのように、ぐしゃぐしゃと己の髪をかきむしった。

(なんだって、我が君はあんなに可愛いんだ――――っ)

 ……それこそが、軍師メリフェトスを惑わせる悩みであった。





 我が君アリギュラ様が可愛すぎる。

 その想いに、メリフェトスはここ数日の間で急速に悩まされるようになったのである。

(いや、だって。我が君があんな反応をなさるなんて、さすがに反則すぎるだろう)

 誰に向けるでもない言い訳を並べながら、メリフェトスはこほんと咳ばらいをし、廊下を歩く。あのまま調べものをしても効率が悪いため、諦めてアリギュラのもとに戻ることにしたのだ。

 さて。メリフェトスが言うところの、アリギュラの『あんな反応』とは。

 言うまでもなくそれは、聖女の力を貸し与えるための儀式、――口付けの際の反応である。
 
 実のところ、「アリギュラ様はこっそり可愛い」と、以前から四天王の間では話題だった。

 『覇王の鉄槌』を落としておきながら、自分で音と光にびっくりしてみたり。子猫に好かれるために、部下たちに隠れてこっそり猫の鳴きまねを練習してみたり。酒に酔った夢魔たちがを話しだした途端、適当な理由をつけてそそくさと逃げ出してしまったり。

 戦場における、凛々しく、覇者としての風格漂う姿とはあまりに違う。側近たちしか知らない、ギャップ萌エピソードが盛りだくさんな魔王。それがアリギュラである。

 アリギュラが初心であることも、十分理解していたつもりだった。だからこそメリフェトスは、見ず知らずの、それも人間どもに彼女を触れさせるよりはと、自分が聖女のパートナーとなるようアリギュラを誘導したのだが。

(まさかキスひとつで、あそこまで初々しい反応をなさるとはな……)

 瞼の裏に蘇った姿に、メリフェトスは思わず足を止め、くっと声を漏らした。

聖女のキスを交わすたび、アリギュラは顔を真っ赤にし、子猫のように毛を逆立てる。昨日になんかは、羞恥に潤んだ瞳を逸らしつつ「はやく、済ませてくれ……」などと呟くものだから、思わず真顔になった。あんな恥じ入り方は、完全に逆効果だ。男のハートに、これ以上火をつけてどうする。

その時のことを思い出し、メリフェトスはつい頬が緩んでしまいそうになる。そんな自分を戒めるため、メリフェトスは精一杯しかめ面を作った。

 さすがにキスくらいは経験があるだろう。そんな風に楽観的に考えていたのは、自分の落ち度だ。加えて、いちいち初々しい反応を返す主に翻弄される今の状況。

(アンデッド狩りがアンデッドになるどころの騒ぎじゃないぞ、この馬鹿メリフェトスが!!)

 内心叫びながら、メリフェトスは頭を抱えて天を仰いだ。

 奥手なアリギュラを怯えさせないため、そして「聖女の役目のため、致し方ない感」を出すために、なるべくキスは淡々と、機械的にするように心掛けている。けれども、そんな化けの皮が剥がされてしまうのも時間の問題だ。

 正直、めちゃくちゃ可愛い。可愛くて、もっともっと困らせたくなる。

 一瞬、頭に浮かんでしまった考えに、メリフェトスはかっと目を開く。直後、喝をいれるべく、メリフェトスは躊躇なく自分の頬を張った。

「!?!?」

 すれ違った別の神官が、ぎょっとした顔でメリフェトスを見る。そそくさと神官たちが逃げていくのをよそに、メリフェトスは壁に拳を突き立てて寄りかかった。

(落ち着け、落ち着くんだメリフェトス。相手は我が君だぞ。わが生涯を追捧げすると誓った、敬愛するアリギュラ様だぞ。それを俺は、いったい何を考えて……)

 眉間に皺をよせ、メリフェトスは衝撃でずれたモノクルの位置を直した。

 ……まあ、調子が狂うのも無理はない。アリギュラは現在、人間の娘に姿が変わっている。その姿形は魔王として君臨していたときというより、メリフェトスと出会って当初の幼い魔物だったきに近しい。その分、愛らしさが増し増しになっているのだ。

 だからといって、己の分をわきまえなければならないことに変わりはない。メリフェトスが攻略対象者としてアリギュラのパートナーに収まったのは、あくまで主をほかの攻略対象者から守るため。言うなれば、男避けのための仮初のパートナーである。

(……そうだぞ、メリフェトス。先の戦闘で、我が君の輝かしい勇姿を見たせいだろう。すでに何人かの攻略対象者が、アリギュラ様に関心を抱いている。我が君をお守りするために、俺が腑抜けていてどうする!)

 はあーっと。先ほどよりも大きく、メリフェトスは溜息を吐く。それから、まるで呪いをかけるときのようにぶつぶつと低い声で繰り返した。

「俺は仮初のパートナー。俺は仮初のパートナー。いいか。俺は仮初のぱーと……」

「あ、あのメリフェトス様?」

 その時、背後から別の神官に声を掛けられる。聖女に関する報せを運んでくる、伝令役の三級神官だ。仕方なく呟くのをやめて、メリフェトスは振り返る。

「……なー。俺は仮初の……なんだ?」

「あ、あの。夕刻の祈りの時間でして、その」

「ああ。そういうことか」

 眉をしかめて、メリフェトスは外に視線をやった。ローナ聖堂では朝と夕に一度ずつ、礼拝者のためのミサを開いている。そのミサに合わせて、聖女の力による癒しを求め、病める人々が大勢集まるのだ。

(また、聖女の力を借り受けするしかあるまいな)

 先ほどまで頭の大半を占めていた煩悩を瞬時に追い払い、メリフェトスは胸に手を当て頷いた。

「聖女様をお連れし、私もすぐにそちらに向かう。ミサが終わり次第、皆に聖女様の祝福を与えよう。そのつもりで、いつも通り場を整えておくように」

「かしこました!」

 頷き、伝令役は駆けていく。その背中を見送ってから、くるりとメリフェトスは踵を返した。

 ……キスを求めたら、今日はどんなお顔を見せてくださるだろうか。追い払ったはずの煩悩が再び忍び寄ってきて、メリフェトスは慌てて首を振った。

 これはもしかすると、試練の時かもしれないなと。

 メリフェトスはぼんやりと、そんなことを考えたのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

聖女なんかじゃありません!~異世界で介護始めたらなぜか伯爵様に愛でられてます~

トモモト ヨシユキ
ファンタジー
川で溺れていた猫を助けようとして飛び込屋敷に連れていかれる。それから私は、魔物と戦い手足を失った寝たきりの伯爵様の世話人になることに。気難しい伯爵様に手を焼きつつもQOLを上げるために努力する私。 そんな私に伯爵様の主治医がプロポーズしてきたりと、突然のモテ期が到来? エブリスタ、小説家になろうにも掲載しています。

お兄様、冷血貴公子じゃなかったんですか?~7歳から始める第二の聖女人生~

みつまめ つぼみ
ファンタジー
 17歳で偽りの聖女として処刑された記憶を持つ7歳の女の子が、今度こそ世界を救うためにエルメーテ公爵家に引き取られて人生をやり直します。  記憶では冷血貴公子と呼ばれていた公爵令息は、義妹である主人公一筋。  そんな義兄に戸惑いながらも甘える日々。 「お兄様? シスコンもほどほどにしてくださいね?」  恋愛ポンコツと冷血貴公子の、コミカルでシリアスな救世物語開幕!

転生してモブだったから安心してたら最恐王太子に溺愛されました。

琥珀
恋愛
ある日突然小説の世界に転生した事に気づいた主人公、スレイ。 ただのモブだと安心しきって人生を満喫しようとしたら…最恐の王太子が離してくれません!! スレイの兄は重度のシスコンで、スレイに執着するルルドは兄の友人でもあり、王太子でもある。 ヒロインを取り合う筈の物語が何故かモブの私がヒロインポジに!? 氷の様に無表情で周囲に怖がられている王太子ルルドと親しくなってきた時、小説の物語の中である事件が起こる事を思い出す。ルルドの為に必死にフラグを折りに行く主人公スレイ。 このお話は目立ちたくないモブがヒロインになるまでの物語ーーーー。

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

異世界に落ちたら若返りました。

アマネ
ファンタジー
榊原 チヨ、87歳。 夫との2人暮らし。 何の変化もないけど、ゆっくりとした心安らぐ時間。 そんな普通の幸せが側にあるような生活を送ってきたのにーーー 気がついたら知らない場所!? しかもなんかやたらと若返ってない!? なんで!? そんなおばあちゃんのお話です。 更新は出来れば毎日したいのですが、物語の時間は割とゆっくり進むかもしれません。

中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています

浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】 ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!? 激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。 目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。 もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。 セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。 戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。 けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。 「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの? これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、 ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。 ※小説家になろうにも掲載中です。

転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。

ラム猫
恋愛
 異世界に転生した|天音《あまね》ことアメリーは、ある日、この世界が前世で熱狂的に遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気が付く。  『煌めく騎士と甘い夜』の攻略対象の一人、騎士団長シオン・アルカス。アメリーは、彼の大ファンだった。彼女は喜びで飛び上がり、推し活と称してこっそりと彼に贈り物をするようになる。  しかしその行為は推しの目につき、彼に興味と執着を抱かれるようになったのだった。正体がばれてからは、あろうことか美しい彼の側でお世話係のような役割を担うことになる。  彼女は推しのためならばと奮闘するが、なぜか彼は彼女に甘い言葉を囁いてくるようになり……。 ※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

処理中です...