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36.魔王、セカイに挑む
しおりを挟む「やったか!?」
はっと我に返って、アリギュラは慌てて周囲を見渡した。
あまりに激しい光の洪水のせいで、しばし立ったまま気を失っていたらしい。
先程まで死闘を繰り広げていたはずのカイバーンの姿は、どこにもない。光の剣も元の淡い輝きに戻って、切先を地面につけている。
きょろきょろとあたりを見渡していると、同じく放心していたらしいメリフェトスが、軽く首を振りながら答えた。
「そのようですね。奴の魔力も、奴が吸収した魔王サタンの魔力も、どちらも気配がありません。仮に生き延びていたとしても、もう二度とこんな大暴れはできないでしょうね」
「……と、いうことは?」
はたと気づいて、アリギュラは目を見開く。
『まほキス』の攻略条件は、攻略対象者とともにエルノア国を救うこと。魔王サタンは消えたし、一緒に戦ったメリフェトスは攻略対象だ。魔王がいなくなったことで、魔獣たちによるエルノア国進撃も終わるだろう。
つまり。
「やった! やったぞ、メリフェトス!」
ぱんぱかぱーん!と。頭の中で、盛大にラッパ音が響く。ぱぁぁぁと顔を輝かせたアリギュラは、ぴょんぴょん小躍りしながらメリフェトスの手を取った。
「ゲームクリアじゃな! 晴れて我らは、この世界の一員じゃ!」
「わ、ちょっと! こちとら満身創痍なんですからね? 引っ張るな、こら!」
「よいではないかー、よいではないかー! はは! ようやく我ら、自由の身ぞ! フリーダムぞ!」
「あー、もう。はしゃぐ気持ちはわかりますが……、あっ」
「うわっ!?」
苦笑をしたメリフェトスが、ふいに足をもつれさせる。そのまま彼は、アリギュラを巻き込んでびたーんとひっくり返った。
「い、てててて……」
しこたま腰を打ちつけたアリギュラは、顔を顰めて起きあがろうとする。けれども上半身を起こした彼女は、自分の膝の上にメリフェトスがうつ伏せになって倒れているのを見つけた。
こやつ、わらわをクッションにしやがったな。そのように頬を膨らませ、アリギュラは動かないメリフェトスの頭をぺしぺしと叩いた。
「おい。どくんじゃ、メリフェトス。わらわのか弱い体をクッションにしようとは、おぬしも良い度胸じゃな」
「…………ふふっ」
「おーい。何を笑っている? わらわはどけと言ったのだぞ? 聞いているのかー?」
アリギュラの膝に顔を埋めたまま、なぜだかメリフェトスはくすくすと笑う。だんだんと恥ずかしくなってきたアリギュラは、頬を赤くしながら、ゆさゆさと部下を揺すぶった。
「わらわの膝で笑うな! 息があたってくすぐったくて敵わんぞ!」
「申し訳ありません、我が君。我ながら、悪くない最期だと思いまして」
「……は?」
動きを止めて、アリギュラはまじまじと膝の上のヘーゼルナッツ色を見下ろした。
目を瞬かせるアリギュラの視線の先で、メリフェトスが寝返りを打つ。その動きは、こころなしか緩慢だ。にもかかわらず、こちらを見上げたメリフェトスの表情は、何かに満足したように穏やかだ。
深い海のような青紫色の美しい目を細めて、メリフェトスは静かに告げる。
「申し訳ありません、アリギュラ様。お別れの時間のようです」
お別れの時間です。
その言葉は、はっきりとアリギュラの耳に届いた。
にもかかわらず、アリギュラはその意味をうまく呑み込めずにいた。
「な、んの冗談じゃ?」
笑い飛ばそうとして失敗した。それでもアリギュラは、メリフェトスが応えて肩を竦めてくれることを期待した。
アリギュラがいっぱいいっぱいになったり、癇癪を起して暴れているとき。彼はいつも、そうやってアリギュラを宥めてくれた。仕方ないなとため息を吐き、手がかかる主だと苦笑を浮かべ、落ち着くまでそばで待っていてくれる。
けれどもメリフェトスは、そうしなかった。ただただ静かに、まっすぐにアリギュラを見上げる。そして、微かに緊張を滲ませて口を開いた。
「我が君に、ずっと黙っていたことがあります」
「……いやじゃ」
「私がこの世界の女神の前に飛ばされた際。私は女神と、ひとつ取引をしました」
「いやじゃ! 聞きたくない!」
「我が君」
両手で耳を塞ぎ、目をぎゅっと閉じる。
そんなアリギュラの頬に、そっと温かな指先が触れた。
仕方なくそろりと目を開けば、困ったような顔でメリフェトスが見上げていた。
「お願いです。あなたに隠し事をしたまま、逝きたくはない」
「っ!」
息を呑み、アリギュラは抗議しようと口を開きかけた。けれども、真摯に見つめる青紫色の瞳に、文句は溶けて消えていってしまう。
最終的に彼女は、小さく頷いた。ほっと吐息を漏らした彼は、続きを話し始める。
「――前にもお話ししたように、私は直接この世界に飛ばされたわけではありません。一度、この世界の創造主である女神クレイトスのもとへ飛ばされ、今の体を得ました。その理由が想像つきますか?」
「いや……」
「私が、女神にとってイレギュラーな存在だったからです」
彼の中では、とっくに整理がついている話なのだろう。そう思わせるほどに、メリフェトスの声は普段と変わらない。
「女神の用意したシナリオにのっとり、聖教会は召喚魔術を発動させました。けれどもそれは、あくまで『聖女』を召喚するためのもの。魔術は成功し、無事あなたが召喚された。けれども女神にとって想定外だったのは、一緒にいた私まで召喚されてしまったことです」
メリフェトスが女神の前で目を覚ましたとき、女神はひどく慌てていた。こんなおまけがくっついてくるなんて、完全に予想外だ。アーク・ゴルドに送り返そうにも、あちらの体はすでに使い物にならない。いったいこのお荷物を、どうしてくれよう。
「女神は最初、私に魔王サタンの体を与えようとしました。封印が思ったより強力で、サタンが弱体化してしまった。だからサタンと融合する形でなら、体を与えてやると」
けれども、メリフェトスは断った。この時、彼はすでに『まほキス』について色々と詳しくなっていた。例え異界であれ、大事な主君であり相棒であるアリギュラに刃を向けるなど、四天王としての矜持が許せなかったのだ。
代わりに彼は、女神に提案をした。自分を攻略対象者の一人として、アリギュラの傍に送り込めないかと。
「クレイトスは相当渋りましたよ……。なにせ、急遽架空の人間を生み出し、本来そこに収まるはずだった別の人間と置き換えるのですから」
だから彼女は条件を出してきたのだと。メリフェトスはゆっくり瞬きをした。
「私がこの世界に留まれるのは、魔王サタンを倒すときまで。それを見届けたら、大人しくこの世界から消え、もともとこの役目を負うはずだった人間に立場を返すように、と」
「そんな……っ」
前にメリフェトスが言っていたことを、アリギュラは思い出した。聖教会所属の攻略対象者。本来それは、別の男の役割だった。その男もちゃんと、この世界に存在しているのだと。
無事エンディングを迎えた暁には、再び女神が世界を書き換える。そして、これまでメリフェトスがしたことをすべて、その男がしたことにする。それが条件ということか。
そこまで考えたところで、アリギュラははっと気づいた。
「おぬしはどうなる!? 攻略対象者から外れても、この世界に留まるんだろうな!?」
「言ったでしょう。この世界から消える。それが条件ですよ」
眉尻を下げて、メリフェトスは首を振った。
「私はイレギュラーです。本来、この世界には存在しないはずの者なんです。だから、あるべき世界の形に戻す。少しもおかしな話ではないでしょう」
「ぜんぶがぜんぶおかしいわ、この阿呆が!!」
たまらず、アリギュラは叫んだ。驚いたように目を瞠るメリフェトスを、涙で滲んだ瞳で睨む。
最初に言っていたではないか。この世界から弾き出されてしまったら、世界のハザマで魂が消滅してしまうのだと。
だから聖女の役目を果たせとアリギュラには言ったくせに、どうして自分のことにはそんなに無頓着なのだ。
腹立たしさと、やるせなさと。感情がぐちゃぐちゃになりながら、アリギュラは目の前の男をなじった。
「どうして、そんな条件を呑んだ!? どうして、わらわに早く言わなかった!!」
「アリギュラ様……」
「……いや。今からでも遅くはない。そんなめちゃくちゃな要求がのめるか! 女神とやらに会うにはどうすればいい? 魔王狩りの次は、女神狩りじゃ! ふざけたことをぬかす女神を、わらわがけちょんけちょんのメタンメタンに……!」
「アリギュラ様」
静かな声が、その名前を呼ぶ。その優しい響きに、アリギュラはますます泣きたくなった。
アリギュラの小さな手を、大きなの手がそっと包み込む。そうやって彼は、満足げに吐息を漏らした。
「……召喚に応じる条件は、元の世界での死です。私はアーク・ゴルドでの最終決戦で、あなたをお守りできずに死んでしまった。本来ならば、私はあそこで終わりだったんです」
でも、そうはならなかった、と。澄んだ瞳で天井を見上げ、メリフェトスは瞬きをした。
「人間の体、というのはいただけませんが、再びこの世界でアリギュラ様にお会いできました。お仕えし、お支えし、……これまで自分でも気づけなかった感情を、知ることも出来ました。そんな私に、何を悔いることがありましょうか」
「メリフェトス、じゃが……!」
「しかも、最期はあなたが見守ってくださる」
その声の響きに、アリギュラは息を呑んだ。
ぽたり、と。大粒の涙が零れ落ちる。それを優しく指で拭ってから、メリフェトスは心から幸せそうに微笑んだ。
「幸せです、アリギュラ様」
――彼は想う。
王であり、友であり。肉親のようでもあり、半身のようでもあり。自分が彼女に抱く感情を、言い表せる言葉は存在しない。そう思っていた。けれども、この感情の名を、この世界に来て初めて知ることが出来た。四天王西の天、一生の不覚だ。
ああ、そうだ。彼女はメリフェトスのすべてだった。
「幸せだったんです、あなたと出会えて」
視界が霞んできた。それをひどく残念に、彼は思う。最期に彼女の、笑顔を焼き付けてから逝きたかった。
彼女の自信に満ちた笑みが大好きだった。どんな時も太陽のように輝く無邪気な表情が、たまらなく愛おしかった。
けれどもそれは、過ぎた望みだろう。こうして別れの挨拶ができただけでも、奇跡に近しいことなのだから。
「ありが、とう」
長いまつ毛に縁どられた目が、ゆっくりと閉じる。
ぱたり、と。軽い音を立てて、メリフェトスの手が彼の胸に落ちる。
彼は、メリフェトスは、永遠の眠りについた――
――の、だが。
「…………許さぬ」
ぽつりと、声が零れ落ちる。次の瞬間、アリギュラはガッと、メリフェトスの胸倉を両手で掴んでいた。
カイバーンとの最終決戦で、無我夢中で飛び込んできたメリフェトスの姿が、まるで昨日のことのように思い出される。
それだけじゃない。
初めて会った日の情けない姿も。手下になれと告げたときの呆けた顔も。
魔王城を建てたときの誇らしげな顔も。四天王たちと飲み騒いで潰れた姿も。
あれも、これも。どれも、それも。かけがえのない思い出たちが、走馬灯のように駆けていく。
ぎりりと歯を食いしばる。そうやって、溢れる涙を呑みこんだ。
泣き言をこぼす代わりに、アリギュラは燃える瞳で彼を射抜いた。
「……勝手に飛び込んできて、勝手についてきて。勝手に口付けを奪っておいて、勝手に満足して。あげくわらわを残し、勝手にひとりで逝くつもりだと?」
はっと乾いた笑いを吐き出す。そうやって、彼女は勢いよく叫んだ。
「許さぬ! 誰が許しても、わらわは許さぬぞ、こんな結末は!」
ぐいと身を乗り出す。そうしてアリギュラは、覆いかぶさるようにしてメリフェトスを見下ろした。
滑らかな頬にはところどころ掠り傷が走り、艶やかなヘーゼルナッツ色の髪にも砂埃がついてしまっている。それでも、美しく整ったメリフェトスの表情は、眠っているかのように穏やかだ。そんな彼の頬に、アリギュラはそっと手を添えた。
「『セカイを救う魔法のkiss』。げえむは確か、そんな名前だったな」
さらりと、指先で彼の唇をなぞる。当然、彼からの反応は何もない。だからこそ彼女は、獲物に狙いを定めるハンターのように、すっと赤い瞳を細める。
そうして彼女は、眠るメリフェトスの唇をめがけ、静かに身を屈めた。
「――お前の世界をわらわが救ってやる」
二人の唇が、ゆっくり重なる。
――何か、温かなものが、アリギュラの胸の中ではじけた。
構わず、アリギュラは溢れる魔力を彼に注ぎ続ける。
そうやって、清らかであたたかな光がふわりと二人を包み込んだ――。
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