狐姫の弔い婚〜皇帝には愛されませんが呪いは祓わせていただきます

枢 呂紅

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1章 呪われた皇帝

7.

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「考えてみろ。この国は千年もの間、分断され、争いを続けてきた。再び統一できたのは、英雄豪傑たちを口説き落とした父上の手腕があってこそ。そこが厄介なんだ」

 紅焔の実の父にして、瑞国統一を成し遂げた初代皇帝、李流焔。彼に政治の才はなかったが、他者を惹きつける才は豊かだった。皇帝の座を退いた今でも、流焔を慕う者が瑞国の中枢に少なからず存在する。

 だからこそ紅焔は、父から玉座を奪ってすべての権限を削いで都から追放した時にも、表向きは譲位となるよう手順を踏んだ。

 だけどそれだけでは、完璧とは言えない。

「いずれ父の存在は、新たな火種に必ずなる。私に不満を持つ者か、野心を抱く者か。父が望まずとも、誰かが父を担ぎ上げ、再びこの地を戦火にくべるだろう」

 そんなことは許されない。そんな未来を、見過ごすことはできない。だからこそ、理由が必要だ。今なお慕われる先代皇帝を法の下に裁き、処刑する正当な理由が。

「これは戦だ。この国の未来のため、父上には正しく・・・死んでもらわねばならない」

 永倫はしばし、口にすべき言葉を無くしてしまったように、視線を揺らした。ややあって、彼はなぜか泣きそうな顔をした。

「紅焔様はまた、血をかぶるおつもりなのですね」

「私は血染めの夜叉王だぞ。必要なら、いくらでも血を浴びるさ」

「そんなことを続けていたら、本物の夜叉となってしまいます」

「覚悟はできている」

 蝋燭の灯りと夜の闇の間に立ち、紅焔はゆるぎない眼差しで永倫を見据えて告げた。

「どれほど恨まれようが、いずれ地獄に堕ちようが、私はいまの平和を守り抜く。それが、私の選ぶ皇道だ」

 そう。たとえ、誰に・・呪われる・・・・としても。

 ――心の中でそう唱えた時、灯りがすべて消えた。

(敵襲か!?)

 とっさに紅焔は身構えた。だが、少しでも殺気があれば、手練れの永倫が見逃すはずがない。飄々として見えて、永倫は強いのだ。

 周囲を警戒しつつ、紅焔は壁に飾る剣に手を伸ばそうとする。――だが、剣に指先が触れる前に、紅焔は室内の異変に気付いた。

 ペタリ、と。湿り気を帯びた音が、出入り口のあたりに響く。目を凝らしても、音の主は見えない。なのに、なぜか紅焔はその音を、血塗れの手が床を打つ音だと、瞬時に理解した。

 ペタリ、ペタリと、ねばつくような粘着質を帯びた音が二、三続く。音は確実に、紅焔に近いてきている。このままではまずい。本能的な恐怖に心が悲鳴を上げるのに、まるで金縛りにあったように紅焔は動けない。

 汗が背中を伝い、喉がからからに乾く。硬直する紅焰にむけて、次の瞬間、ソレはペタペタベタベタッ!!と、ものすごい勢いで肉薄してきた。

「わ………うわああ!」

 たまらず、紅焔は顔を背けて悲鳴をあげる。目を閉じる刹那、赤黒い手が二つ、自分を絞め殺そうとするように飛び掛かってくるのが見えた。

 衝撃の代わりに、大きな静電気のような乾いた音が走り、チカチカと瞼の裏で紫電が走った。それを不思議に思った次の瞬間、ぱっと辺りに灯りが戻った。

「……陛下! 聞こえますか、コウ・・様!」

「永倫、か……?」

 幼い頃からの愛称で呼ばれて初めて、紅焔は幼馴染に肩を掴まれていることに気づいた。

 どっと汗が吹き出し、今更のように足が震え出す。息が上がって、まるで全速力で走ったあとのようだ。よろめく紅焔を支えて、永倫は気遣わしげな顔をした。

「どうしたんだよ、急に。亡霊を見たような顔をしたと思ったら、悲鳴なんかあげて。顔も真っ青だ」

「何って……。お前は、アレが聞こえなかったのか?」

「あれって? なんのこと?」

「灯りが消えただろう! 部屋が真っ暗になって、それで……」

 途中で、紅焔は口をつぐんだ。永倫の戸惑う表情を見れば、これ以上は無駄であることが歴然だった。

(部屋が暗くなったのも、あの音が聞こえたのも、俺の気のせいだというのか?)

 だが、そんなことはありえない。だって、まだこんなにも手も足も震えている。迫り来る重くるしい気配も、近づいてきたときに鼻を掠めた錆びた鉄のような匂いも、ただの妄想だなんてとても納得できない。

(俺は……気が触れてしまったのか?)

 無意識に紅焔は、右手で口元を撫でた。心配そうにそれを見ていた永倫が、ハッとしたように目を瞠った。

「待って。その手どうしたの?」

「は?」

 ――この時、紅焔は見ることができなかったが、彼の指が触れた頬や口元には、真っ赤な血がベットリとついていた。それもそのはず。紅焔の両手は、今まさに人を殺めてきた直後のように、鮮血に濡れていた。

 ああ。兄の首を拾った時も、こんな手だったな。

 両手を見下ろしながら、ぼんやりとそんなことを思ったのを最後、紅焔の視界はぐりんと回った。

「コウ様!」

 遠くで永倫が叫ぶのが聞こえる。その声に答えてやることもできずに、紅焔の身体はその場に崩れ落ちた。
 
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