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1章 呪われた皇帝
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しおりを挟む摑んだ腕の細さに、紅焔は口には出さずともぎょっとする。女というのは、ちょっと力を入れたら折れてしまうような、こんなにも細くて儚い生き物なのだろうか。
動揺しつつそんなことを考えていたら、藍玉が振り返って紅焔を見下ろした。
「なにか御用が? まさか、恐くて一人で眠れないとか」
「違うわ! ……いや、冷静に考えればあまり気分はよくないが、君を引き留めたのはそういう理由じゃない!」
ごにょごにょと言い訳すれば、心なしか藍玉が呆れた目をする。だって、仕方ないじゃないか。自分はいい大人だが、こういう理由で死にかけたのは初めてだ。少しは心細くもなるし、恐くもなる。
(って、違う!)
ガシガシと頭をかきむしって、紅焔は首を振る。どうにも自分は藍玉が苦手だ。話していると、いつのまにか彼女のペースに吞まれてしまう。
深呼吸して気持ちを整えてから、紅焔は改めて口を開いた。
「なぜ、俺を助けた?」
「はい?」
「君のおかげなんだろう? 俺がまだ、生きているのは」
まっすぐに見上げて問いかければ、藍玉が虚をつかれたように瞬きした。
春陽宮からの一連の出来事を考えれば、紅焔にも想像がつく。この二、三日死にかけたのは、先日、藍玉が「一時的に追い払った」と説明した怨霊(?)が戻ってきたからだ。倒れる前、血に濡れた手が床や壁を這う音がしたのは、聞き間違えなどではなかったのだ。
紅焔が見つめていると、藍玉は不思議そうに首を傾げた。
「ご不満ですか? まだ生きていることが」
「そういうわけじゃない。ただ、俺は積極的に助けたい相手ではないだろう」
「それは、血染めの夜叉王と呼ばれているからですか」
「それもあるが、俺は君に、ひどい言葉を投げつけた」
「なるほど。自覚はありましたか。……その言葉通り、もっとひどい人間かと最初は思いましたが、たしかに根はまともなようですね」
後半は独り言らしかったが、聞こえてしまった紅焔は地味に凹んだ。罪悪感に紅焔が胸を押さえていると、藍玉は飄々と、まるで天気の話をするかのように続けた。
「ええ、まあ。実家からの期待やこれからの生活への不安に、押しつぶされてしまいそうな怯えを抱いてるであろう若い娘に、あんな言葉を投げつける心無い夫です。正直、少しばかり放っておいてもバチは当たらないんじゃないかと、思ったりもしました」
「……すまなかった」
「とはいえ、ある意味チャンスですから」
「チャンス?」
「夫に名ばかりの妃と軽んじられようと、私には、後宮に居座りたい理由があります。此度の事件は、私が役に立つ人間だと、あなたに証明するいい機会です」
“ひとつは、私が望まない限り、私をこの王宮から追い出さないこと。そしてもうひとつは、この王宮や都に怨霊や呪いの影があれば、すぐに私に教えてください。それらを私が祓ってみせましょう”
春陽宮での藍玉の言葉が、紅焔の耳に蘇る。そういえば彼女は、愛するつもりはないと言い放った紅焔に「かまわない」と返す一方で、後宮にはおいてほしいといった旨のことを話していた。
(香家のメンツの都合かと思ったが、ほかにも理由があるのか?)
考え込む紅焔をよそに、藍玉は艶やかな黒髪を揺らして真面目な顔をする。
「既にお気づきのようですが、旦那さまは悪霊に呪われています。それも、一筋縄ではいかないような、厄介で複雑なものに」
「やはりな。そんな気はしていた」
「旦那さまが無事でいるのは、先日の春陽宮と同じように、私が一時的に怨霊を追い払ったからです。先ほど、この紫霄宮にも結界を張りました。簡易的なものですが、数日を凌ぐくらいなら問題はありません。ですから、まずは体力の回復に努めてください」
「そのあとはどうなる。俺には、まだ死ねない理由がある」
「そう急かさずに。大丈夫、そのために私がいるのですよ」
形の良い唇に人差し指を当て、藍玉は妖しく、艶やかに微笑んだ。
「言ったでしょう。此度の出来事は、私の力を証明するチャンスだと。――あなたに巣食う怨霊を、必ず私が祓ってみせます。安心して、今夜はお眠りください」
思わず見惚れてしまった紅焔にもう一度微笑んでから、藍玉は音もなく退室した。寝室のさらに隣の部屋の襖戸も閉まる音を確かめてから、残された紅焔は寝台に倒れた。
(本当に、不思議な娘だ)
額に手を当て、紅焔はほうと息を吐きだした。彼女と話していたのはそう長くない時間のはずだが、明らかにされた様々な情報に、どっと疲労を感じている。何度か深呼吸をしてから、紅焔は己の手を見つめた。
(俺が呪われている、か)
不思議と恐怖はない。それどころか紅焔は、「ついに、その時が来たか」と、妙にすっきりした心地すらしていた。
紅焔に憑りついている怨霊について、藍玉は「厄介で」「一筋縄ではいかない」と評していた。だが、紅焔にとっては単純明快だ。
兄に、父に、自分はそれだけのことをしてきた。恨まれ、憎まれるだけの悪行を重ねてきた。そんな自分が、呪いを受けるのは当然だ。もしも、紅焔のせいで成仏できずにいる霊がいるのだとしたら、その呪いを受け止めるのが自分の責務だ。
“えらいぞ、紅焔! お前は自慢の弟だ!”
在りし日の兄、焔翔の太陽のような笑みが、瞼の裏に浮かぶ。この国がまだひとつになりきれず、内乱が頻発していた頃、内乱を治めて帰還した紅焔の背をバシバシと叩きながら、焔翔はよくそんな顔で笑っていた。
あの頃はよかった。あの頃は、幸せだった。
あの幸せを壊した自分が、兄を責めることなど――。
「兄さま……」
今更、親しみをこめてそう呼ぶことへ疚しさに、舌先がざらつく心地がする。喉からせりあがる苦々しさに気付かない振りをして、紅焔は無理矢理に眠りについた。
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