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1章 呪われた皇帝
9.
しおりを挟む(俺はまだ生きているのか……?)
見慣れた天蓋の裏を眺めて、紅焔は力なく瞬きをした。身体が鉛のように重く、指の先ですら動かすのが億劫だ。何日も眠っていたからか、口の中がねばつき、喉がひどく乾いている。
自分が倒れてから幾日の時が流れたのか、それすらもわからない。覚えているのは、全身が焼けるように熱くて苦しかったことと、夢の中で何度も、幽閉した父と死んだ兄に首を落とされたことだけだ。
(いっそのこと、あれが夢でなければよかったのかもな)
回らない頭で、ぼんやりとそんなことを思った。
多くの者の恨みを買ってきたが、その中でもとりわけ、兄と父には殺されても文句は言えない。それほどのことをしてきた自覚はある。むしろ、二人に殺されるなら本望だ。
そんなことを考えつつ天蓋裏を眺めていたら、寝台の傍で衣擦れの音がした。侍従長か、永倫か。とっさに浮かんだのはその二人だったが、続いて聞こえたのは若い娘の声だった。
「ようやくお目覚めですね、旦那さま」
予想外の声に、びくりと身体がはねる。慌ててそちらに顔を向けようとした紅焔は、ひどい頭痛に顔をしかめた。そんな皇帝に、凪いだ薄水色の美しい瞳をちらりと向けて、後宮の唯一の妃・藍玉はにこりともせず静かに続けた。
「つい半刻ほど前まで、いつ黄泉の国に旅立ってもおかしくない状態だったのです。そう激しく、動かないほうがよろしいかと」
「なぜ、君がここに……」
「旦那さまが緊急事態だと、夜中にたたき起こされたからですよ。睡眠を妨害されて少しばかり腹も立ちましたが、侍従長が都から術師を手配する前でよかったです。いい加減な祈祷でもされて、手遅れになってはかないませんからね」
(彼女を叩き起こした? 一体誰が?)
首を傾げたが、そういえば彼女は自分の唯一の妃であったと、紅焔はすぐに納得をした。形ばかりの夫婦とはいえ、夫が死にかけているのだ。藍玉に知らせがいくのは、当たり前のことだろう。
紅焔がそんなことを考え込んでいる隙に、藍玉は小さな紙の包みを盆から取り上げ、茶碗の白湯に注ぎ入れている。銀の匙でそれをよく溶いてから、藍玉は茶碗を手に立ち上がり、枕元の椅子に腰かける。
「これを飲んでください。かなり、気分が楽になるはずです」
「………………」
「毒ではありませんよ。そんな嫌そうな顔をしないで、さあ、早く」
口元に差し出された匙を、紅焔は恐々眺めた。――できれば口にしたくない。なにせドロッとしているし、澱んだ沼のように緑色で、表面がぽこぽこと泡立っている。
(これを飲めって……正気か?)
ちらりと藍玉を盗み見れば、彼女は至って真面目な顔をしている。それどころか、紅焔が匙に口につけるまで一歩も引く気がないといった様子だ。
藍玉は紅焔より五つも年下の若妻だ。そんな小娘に薬湯を差し出してもらっておきながら飲めないというのも、大人の男として情けない。意を決して、紅焔は怪しい薬湯に口をつけ――すぐに後悔した。
(う、うげえ……)
「お見事です。初めてこの薬を口にする人は大抵大騒ぎして、なんとか飲まずにすむように抵抗するものですが」
「おまっ、なんてもんを飲ませるんだ」
「さっそく、声に張りが戻ってきたじゃないですか。顔色も随分とよくなられましたよ」
涼しい顔で言われ、紅焔ははたと気づいて目を丸くした。形容しがたいまずさのためについ飛び起きてしまったが、先ほどのような頭痛はない。目覚めてすぐの倦怠感が嘘のようだ。
「良薬口に苦しとは、よく言ったものです。ささ。残りのお手伝いは不要でしょう。一気の飲み干してください。こう、ぐいっと」
「うぐ……」
ぐいぐいと茶碗を押し付けられ、紅焔は渋った。一口飲んだあとだからこそ、ますます口にしたくない。だが、すでに効果は証明された。むしろ、拒絶する心とは反対に、身体はこの得体のしれない薬を全力で欲している。
――それからほどなくして、空の茶碗を藍玉に突っ返し、紅焔は寝台に突っ伏していた。あまりのまずさに息も絶え絶えなのに、みるみる体に力が戻ってくるのが憎らしい。
藍玉はしばし、ぜえはあと肩を揺らして息をする紅焔を眺めていたが、やがて気は済んだとばかりに茶碗を手に立ち上がった。
「これで、今晩は大丈夫です。除霊の続きは、もっと体力が戻ってから。今夜は泥のように眠って、明日以降に備えてください」
「待ってくれ」
立ち去りかけた藍玉の腕を、紅焔はとっさに摑んだ。
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