狐姫の弔い婚〜皇帝には愛されませんが呪いは祓わせていただきます

枢 呂紅

文字の大きさ
18 / 93
1章 呪われた皇帝

18.

しおりを挟む

 前皇帝・流焔がごく少数の見送りのもとに都を立ってから、いく日かたった。

 天宮城はすでに落ち着きを取り戻しており、皇帝が死にかけて右往左往した名残はない。

 政務官たちは巻物を手に議論し、武官たちは青空の下で鍛錬を重ね、侍女たちは洗濯に掃除とテキパキと動き回る。当たり前で代わり映えのない、平穏な日々。

 そんな晴れた昼下がりのこと。皇帝・紅焔とその妃・藍玉は、王宮の外れにある竹藪へと足を運んでいた。

 柔らかな風が笹の葉を揺らす下、若く美しい皇帝は乾いた地面に膝をつき、手を握り合わせて瞼を閉じている。彼の前には、腰の高さほどの小さな石塚がある。

 そこに名は刻まれておらず、造りもごくシンプルだ。だが絡みつく蔦もなく、周囲も小綺麗に整えられている。

 永倫か、ほかの誰かか。記録にも乗らないこの場所を訪れてくれる誰かがいることを、紅焔は嬉しく思う。

 しばらく手を合わせたあと、紅焔は切れ長の目を開いて立ち上がった。

「もっと早く、この場所にくるべきだった」

 憑き物が落ちたように、自然とそんなセリフが口から転がり出る。自分でも驚いていると、風に流れる黒髪を耳にかけながら、藍玉が小さく首を振った。

「死者の供養は、半分は残された者のためにあります。故人への想いを整理し、亡き人がいない世界をまた歩き出すための区切りの儀式。遅くなってしまいましたが、今日がそのタイミングだった。それでいいんじゃないですか」

「……やはり君は妙だな。俺より若いのに、俺よりよほど達観したことを言い出す」

「よく言われます。そういう嫁なのだと諦めてください」

 真面目な顔でのたまう藍玉に、紅焔はかすかに笑みを返す。つくづく面白い娘だ。飄々としてつかみどころがない。そんなことを思いながら、紅焔は表情を引き締める。

「本当に、君には感謝している。ありがとう」

 皇帝としてではなくひとりの男として、紅焔は藍玉に頭を下げた。藍玉もそれを静かに受け止めている。ひと呼吸置いてから、紅焔は真摯に言い募った。

「君は命の恩人以上に、俺を救ってくれた。その恩に報いたい。言ってくれ。俺に、何か望むものはないか?」

「以前お伝えした通りです。私を城においてくださること。呪いや怨霊の噂があれば、私に教えてくださること。それで十分です」

「それは俺が君を、仮初の妃として扱う場合の条件だろう。……その発言も、今となっては謝罪しかないんだが。とにかく、君はもっと多くを望む権利がある。金でも宝石でも、日々の待遇でも。君が欲しいものを与えよう」

「金よりも、宝石よりも、日々の待遇よりも。あなたが思っている以上に、先の二つの約束を守っていただくことは、私にとって価値があるのです」

 柔らかな声で答えて、藍玉は髪をなびかせて背を向ける。そのまま歩き去る背中に、紅焔は慌てて手を伸ばす。

「待て。どこに行く?」

「春陽宮に戻ります。玉と宗がお茶の用意をして待っていますから」

「近くまで送らせてくれ。話もまだ終わっていないし……」

「話なら終わりましたよ。どうぞお気遣いなく」

 竹林の木漏れ日の中。衣を風に舞わせて振り返った藍玉は、水晶のように美しい目を細めて微笑んだ。

「またお会いしましょう、旦那さま。新たな呪いが、この世に芽吹いた日に」

 柔らかな光を背負い、藍玉は流れるように優雅な仕草で、美しく礼をする。それは、さながら舞を終えた天女が頭を垂れたようで、紅焔は思わず目を奪われてしまう。彼がはっと我に返った時には、藍玉は今度こそ竹林を歩き去ってしまっていた。

 完全に出遅れた紅焔は、がしがしと頭を掻いた。

「また、あいつのペースに呑まれちまった!」

 どうにも、藍玉といると調子が狂う。マイペースというか、なんというか。彼女は皇帝である紅焔にも少しも臆することなく、飄々としている。その独特な雰囲気に、紅焔のほうがむしろ呑まれてしまうのだ。

 まあ、しかし。

「新たな呪いが芽吹く日か」

 長い指を口元に添えて、紅焔はひとり呟く。

 恨み、妬み、無念、悲しみ。そうした人間の負の感情が陰の気として寄り固まり、怨霊や呪いを生み出す。藍玉が言う通りであるなら、ひとの世がある限り、この地から怨霊や呪いが消えることはない。

 今より千年の昔、太古の大妖狐が、この地をそう呪いをかけた定めたのだから。

(……あるいは、妖狐の呪いがなくとも、か)

 ザッと吹き抜ける風が竹を揺らす。前髪が目に入らないよう押さえて風が落ち着くのを待ってから、紅焔もまた、自らが来た路に足を向けた。

 ――この世は、呪いに満ちている。
 で、あるからして。

「彼女とまた会う日も、そう遠くはないだろうさ」

 ふっと微笑んだ紅焔は、共に歩く誰かの気配を確かに感じながら、変わらない日常へと戻っていったのだった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』

夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」 教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。 ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。 王命による“形式結婚”。 夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。 だから、はい、離婚。勝手に。 白い結婚だったので、勝手に離婚しました。 何か問題あります?

彼女にも愛する人がいた

まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。 「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」 そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。 餓死だと? この王宮で?  彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。 俺の背中を嫌な汗が流れた。 では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…? そんな馬鹿な…。信じられなかった。 だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。 「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。 彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。 俺はその報告に愕然とした。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

愛する夫が目の前で別の女性と恋に落ちました。

ましゅぺちーの
恋愛
伯爵令嬢のアンジェは公爵家の嫡男であるアランに嫁いだ。 子はなかなかできなかったが、それでも仲の良い夫婦だった。 ――彼女が現れるまでは。 二人が結婚して五年を迎えた記念パーティーでアランは若く美しい令嬢と恋に落ちてしまう。 それからアランは変わり、何かと彼女のことを優先するようになり……

寡黙な貴方は今も彼女を想う

MOMO-tank
恋愛
婚約者以外の女性に夢中になり、婚約者を蔑ろにしたうえ婚約破棄した。 ーーそんな過去を持つ私の旦那様は、今もなお後悔し続け、元婚約者を想っている。 シドニーは王宮で側妃付きの侍女として働く18歳の子爵令嬢。見た目が色っぽいシドニーは文官にしつこくされているところを眼光鋭い年上の騎士に助けられる。その男性とは辺境で騎士として12年、数々の武勲をあげ一代限りの男爵位を授かったクライブ・ノックスだった。二人はこの時を境に会えば挨拶を交わすようになり、いつしか婚約話が持ち上がり結婚する。 言葉少ないながらも彼の優しさに幸せを感じていたある日、クライブの元婚約者で現在は未亡人となった美しく儚げなステラ・コンウォール前伯爵夫人と夜会で再会する。 ※設定はゆるいです。 ※溺愛タグ追加しました。

旦那様、離婚しましょう ~私は冒険者になるのでご心配なくっ~

榎夜
恋愛
私と旦那様は白い結婚だ。体の関係どころか手を繋ぐ事もしたことがない。 ある日突然、旦那の子供を身籠ったという女性に離婚を要求された。 別に構いませんが......じゃあ、冒険者にでもなろうかしら? ー全50話ー

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

処理中です...