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3章 ひとつ目の狐
15.
しおりを挟む紅焔の言いつけ通り、藍玉は鬼通院に謝った。
――正確には、詰所の正面でむすりと頬杖をついて待つ嘉仁の元へ行って「陛下のお調べが終わったのでもう大丈夫です」と伝え、ついでに頭も下げた。
後ろで紅焔が見守っていたこともあり、嘉仁も「ああ、そうかい」とだけ答えて、出ていった時と同じくドスドスと足音を立てて小屋へ向かっていった。
鬼通院とのゴタゴタはこれにて終わり。……と、思いたい紅焔である。
「ほいよ、男前の兄さん。まんじゅうふたつだ」
「ああ、ありがとう」
「まいどあり!」
店主に銭を渡して、かわりに蒸したまんじゅうが二つ乗った皿を受け取る。紅焔はそれを持って、藍玉の向かいにどさりと座った。
「お待たせ。ちょうど蒸したてがあったから、これにした。夜に備えて君も食べておきなさい」
二人がいるのは大通りにある大衆食堂だ。麺などのほかにまんじゅうや甘い団子なんかも売ってくれる店で、昔、安陽に登ってすぐの頃に永倫とたまに食べにきていた。
紅焔が買ってきたまんじゅうは、その頃の思い出の味だ。ふんわりとした生地の中に、刻んだ野菜と豚の肉をよく捏ねた餡がぎっしり閉じ込められており、かぶりつくと中からじゅわりと甘い肉汁が溢れ出す。
香家のお嬢様の藍玉には庶民的すぎる味かもしれないが、長い夜に備えてしっかり栄養をつける必要がある。なにより美味い。この店で一番美味いのはこれだと確信しているからこそ、紅焔は二人分を買ってきたのだ。
(城下に来たからには、これを食べなきゃだよなあ)
顔には出さず、紅焔はホクホクとまんじゅうにかぶりつこうとする。けれどもその時、藍玉が珍しく頭を下げた。
「すみません、旦那さま。私、ご迷惑をかけちゃいました」
「迷惑? ああ、嘉仁のことか」
まんじゅうを持つ手を一度おろし、紅焔は向かいの藍玉を見た。彼女はいつになくしおらしく、しょんぼりしている。いつも飄々とこちらを振り回してくる姿と大違いである。
(こいつにも落ち込むことがあるんだな)
若干失礼なことを考えながら、紅焔は苦笑した。
「いままでの突拍子のなさに比べたら、こんなの迷惑には入らんさ。驚きはしたがな。君は何か個人的な恨みでもあるのか?」
「え?」
「やたら突っかかるだろう。鬼通院にも、嘉仁にも」
自覚はなかったのか、藍玉はぱちくりと瞬きした。しばらくして、藍玉は考えるように目を伏せた。
「恨み……とまでは行きませんが、鬼通院が気に入らないのは確かです」
「なぜ? 俺が彼らにひとつ目の狐を祓うよう依頼したからか?」
「それもありますが、もっと前からです。――旦那さまは、死者にとって最も残酷なことが何か想像がつきますか?」
「いや……、問答無用に祓われることとか?」
「現世に留まり続けることです」
藍玉の返答に、紅焔は眉根をかすかに寄せた。それのどこが、残酷なのだろう。
しかし疑問に思う紅焔に、藍玉はゆっくりと瞬きして続けた。
「抱くのが明るい願いであれ、誰かへの憎しみであれ、霊として現世に残るというのは満たされない思いを抱き続けるということです。はじめは純粋な思いであっても、時が経つほど願いは歪み、澱んでくる。ついには何を願ったのかすら忘れ、世を呪うだけの装置と成り果てるのです。その最たる例が、まさに阿美妃ですよ」
“……ただ、今回は。旦那さまのおかげで、あの侍女の魂を早く、未練から解放してやることができました”
梨茗の霊を祓ったあとの、藍玉の言葉が耳に蘇る。あの時「解放」という言葉を選んだのは、そういう意味だったのか。
(満たされず、叶いもせず。そんな願いに囚われることは、確かに一種の呪いかもしれないな)
押し黙る紅焔に、藍玉はなおも続ける。
「阿美妃は強力すぎる怨霊ゆえに、祓うこと敵わず封印したのでしょう。しかし鬼通院には、他にも死者を現世に縛ることを是とする術――式神隷従の術があります。その末路がいかに悲惨か知りながら邪道を受け継いできた鬼通院が、私は好きになれません」
「なるほどな……」
硬い表情を浮かべる藍玉を見て、確信したことがある。彼女の不思議な力は鬼通院のソレとは関係ない。例えるならば流派が異なるのだろう。加えて、おそらく二つの流派は、死者の霊魂をどう扱うかが根本的に異なるのだ。
「まあ、しかし。次に彼らと遭遇しても、さっきみたいに噛みつくのはやめてくれよ。せっかく男装までさせて君を目立たないようにしてるのに、わざわざ食ってかかったら意味ないだろう」
「あれは……! さっきの人は別枠というか、個人的に腹が立ったといいますか」
「腹が立った? 尹嘉仁に?」
「だってあの人、ものすごく失礼でしたよね? 鬼通院の名誉だかメンツのためだが知りませんが、何様かってくらい偉っそうに。一国の皇帝を邪魔者扱いとか、完全に舐めてますよ」
「は……?」
プリプリと怒る藍玉を、紅焔はぽかんと見つめた。
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