9 / 69
第一章 あるいは運命だったのかもしれない
第7話 耳が音を認識するより前に
しおりを挟む
翌週の土曜日、紗良はライブ会場へ向かうため、渋谷の街を七海と浮かれながら歩いていた。
苦手な英語の小テストも、黒木と学校で顔を合わせる気まずさも、この日を想えば耐える事ができた。
そんな待ちに待った特別な日がやっと来たのだ。二人とも可笑しなテンションになり、何でもない事にゲラゲラと声を上げて笑う。「箸が転んでもおかしい年頃」とはよく言ったものだ。
会場はライブハウスとしては大きめで、スタンディングで千人ほどが収容できた。座席はないがチケットには整理番号が書かれていて、ブロックごとに区切られている。紗良と七海のチケットには「A13」「A14」と記されていた。
整理番号ごとに順次入場を促され、早々に番号を呼ばれた紗良と七海が緊張しながら会場に入る。
他の客は慣れた様子でコインロッカーに手荷物を預けていたが、お揃いの小さなショルダーバックしか持っていない二人は、ロッカーを素通りしてライブフロアの扉を開けた。
コンクリートの埃っぽい匂いと、赤い照明。
ステージには誰もいないけれど、既にドラムや音響のセッティングは済まされていて、あとはメンバーがここに立つのを待つばかりだった。
「Bブロックだったら、ユズの目の前だったのにね」
ステージ右手の最前列を陣取った七海がクスクスと笑う。
「真ん前じゃ緊張しちゃうから、このくらいがいいよ。ってか、神席過ぎない? 七海の引きの強さ凄すぎ」
「だよね、私もビックリ。チケット当選だけでも凄いのに、こんなに前の席だなんて」
観客の入場はスムーズに進んでいるようで、徐々に客席が埋まっていき会場が熱気を帯びていった。
プレゼントを開ける前のような、高揚感。
早く中を見たい。けれど、開けてしまったらその瞬間から「特別」が漏れ出して、また日常にゆっくりと戻ってしまう、あの喪失感。
早く始まって欲しいけれど、終わって欲しくはないというジレンマに揺れる。今か今かと百鬼夜行の登場を待ちわびながら、紗良は胸に手を当てた。今この場に居てもなお、「これは夢なんじゃないか」とまだどこか実感出来ずにいる。
誰もいないステージを照らし続けていた赤いライトの灯が落ちると同時に、和楽器が奏でるサウンドエフェクトが鳴りだした。会場内を揺らすほどの悲鳴が轟く。やがて和楽器の旋律にドラムとベースの低音が混ざり、リズムを刻み始めた。
会場を埋め尽くす千人の歓声は、紗良が精一杯張り上げた声をかき消してしまう。百鬼夜行たった三人でこの膨大なエネルギーの塊に太刀打ちできるのだろうか。そんな事を考えた瞬間、眩い閃光と共に三人がステージ上に現れた。激しく打ち鳴らすドラムとベースの重低音。ギターで主旋律を奏でながら、ユズが歌い出す。
それは圧倒的な存在感だった。
千人どころか例え何万人の観客を前にしても、恐らく損なわれることはない輝き。歓声に飲まれるなど、なんて馬鹿な心配をしたんだろう。紗良はその三人が放つ光に焼き殺されるのではないかと恐怖に似た感情を抱きながら、それでもステージに向かって手を伸ばした。
一瞬も逃さず、この景色を目に焼き付けておきたい。
耳が音を認識するより先に、直接心臓が揺れた。
震える心臓から送り出された血液が体中を巡るから、いつまでも熱は冷めない。
曲と曲の間にトークなどは一切挟まない百鬼夜行のライブは、息つく暇もなく一時間半を駆け抜けた。
アンコールを終えて舞台裏に百鬼夜行が下がった後も、紗良と七海は呆けたようにステージを見つめていた。退場を促すアナウンスが流れたが、余韻の欠片を手放すのが惜しくて足が動かない。
この場を立ち去ってしまったら夢から覚めてしまう。
会場の後方にいた観客たちの退場が済み、その場にとどまり続けることも難しくなった紗良と七海は、渋々と出口に続く人の列に混ざった。
誰もが名残惜しそうに何度もステージを振り返る。
苦手な英語の小テストも、黒木と学校で顔を合わせる気まずさも、この日を想えば耐える事ができた。
そんな待ちに待った特別な日がやっと来たのだ。二人とも可笑しなテンションになり、何でもない事にゲラゲラと声を上げて笑う。「箸が転んでもおかしい年頃」とはよく言ったものだ。
会場はライブハウスとしては大きめで、スタンディングで千人ほどが収容できた。座席はないがチケットには整理番号が書かれていて、ブロックごとに区切られている。紗良と七海のチケットには「A13」「A14」と記されていた。
整理番号ごとに順次入場を促され、早々に番号を呼ばれた紗良と七海が緊張しながら会場に入る。
他の客は慣れた様子でコインロッカーに手荷物を預けていたが、お揃いの小さなショルダーバックしか持っていない二人は、ロッカーを素通りしてライブフロアの扉を開けた。
コンクリートの埃っぽい匂いと、赤い照明。
ステージには誰もいないけれど、既にドラムや音響のセッティングは済まされていて、あとはメンバーがここに立つのを待つばかりだった。
「Bブロックだったら、ユズの目の前だったのにね」
ステージ右手の最前列を陣取った七海がクスクスと笑う。
「真ん前じゃ緊張しちゃうから、このくらいがいいよ。ってか、神席過ぎない? 七海の引きの強さ凄すぎ」
「だよね、私もビックリ。チケット当選だけでも凄いのに、こんなに前の席だなんて」
観客の入場はスムーズに進んでいるようで、徐々に客席が埋まっていき会場が熱気を帯びていった。
プレゼントを開ける前のような、高揚感。
早く中を見たい。けれど、開けてしまったらその瞬間から「特別」が漏れ出して、また日常にゆっくりと戻ってしまう、あの喪失感。
早く始まって欲しいけれど、終わって欲しくはないというジレンマに揺れる。今か今かと百鬼夜行の登場を待ちわびながら、紗良は胸に手を当てた。今この場に居てもなお、「これは夢なんじゃないか」とまだどこか実感出来ずにいる。
誰もいないステージを照らし続けていた赤いライトの灯が落ちると同時に、和楽器が奏でるサウンドエフェクトが鳴りだした。会場内を揺らすほどの悲鳴が轟く。やがて和楽器の旋律にドラムとベースの低音が混ざり、リズムを刻み始めた。
会場を埋め尽くす千人の歓声は、紗良が精一杯張り上げた声をかき消してしまう。百鬼夜行たった三人でこの膨大なエネルギーの塊に太刀打ちできるのだろうか。そんな事を考えた瞬間、眩い閃光と共に三人がステージ上に現れた。激しく打ち鳴らすドラムとベースの重低音。ギターで主旋律を奏でながら、ユズが歌い出す。
それは圧倒的な存在感だった。
千人どころか例え何万人の観客を前にしても、恐らく損なわれることはない輝き。歓声に飲まれるなど、なんて馬鹿な心配をしたんだろう。紗良はその三人が放つ光に焼き殺されるのではないかと恐怖に似た感情を抱きながら、それでもステージに向かって手を伸ばした。
一瞬も逃さず、この景色を目に焼き付けておきたい。
耳が音を認識するより先に、直接心臓が揺れた。
震える心臓から送り出された血液が体中を巡るから、いつまでも熱は冷めない。
曲と曲の間にトークなどは一切挟まない百鬼夜行のライブは、息つく暇もなく一時間半を駆け抜けた。
アンコールを終えて舞台裏に百鬼夜行が下がった後も、紗良と七海は呆けたようにステージを見つめていた。退場を促すアナウンスが流れたが、余韻の欠片を手放すのが惜しくて足が動かない。
この場を立ち去ってしまったら夢から覚めてしまう。
会場の後方にいた観客たちの退場が済み、その場にとどまり続けることも難しくなった紗良と七海は、渋々と出口に続く人の列に混ざった。
誰もが名残惜しそうに何度もステージを振り返る。
10
あなたにおすすめの小説
私の守護霊さん
Masa&G
キャラ文芸
大学生活を送る彩音には、誰にも言えない秘密がある。
彼女のそばには、他人には姿の見えない“守護霊さん”がずっと寄り添っていた。
これは——二人で過ごした最後の一年を描く、かけがえのない物語。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
煙草屋さんと小説家
男鹿七海
キャラ文芸
※プラトニックな関係のBL要素を含む日常ものです。
商店街の片隅にある小さな煙草屋を営む霧弥。日々の暮らしは静かで穏やかだが、幼馴染であり売れっ子作家の龍二が店を訪れるたびに、心の奥はざわめく。幼馴染としてでも、客としてでもない――その存在は、言葉にできないほど特別だ。
ある日、龍二の周囲に仕事仲間の女性が現れ、霧弥は初めて嫉妬を自覚する。自分の感情を否定しようとしても、触れた手の温もりや視線の距離が、心を正直にさせる。日常の中で少しずつ近づく二人の距離は、言葉ではなく、ささやかな仕草や沈黙に宿る。
そして夜――霧弥の小さな煙草屋で、龍二は初めて自分の想いを口にし、霧弥は返事として告白する。互いの手の温もりと目の奥の真剣さが、これまで言葉にできなかった気持ちを伝える瞬間。静かな日常の向こうに、確かな愛が芽吹く。
小さな煙草屋に灯る、柔らかく温かな恋の物語。
あまりさんののっぴきならない事情
菱沼あゆ
キャラ文芸
強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。
充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。
「何故、こんなところに居る? 南条あまり」
「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」
「それ、俺だろ」
そーですね……。
カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。
日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー
黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた!
あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。
さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。
この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。
さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる