御伽噺のその先へ

雪華

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第一章 あるいは運命だったのかもしれない

第7話  耳が音を認識するより前に

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 翌週の土曜日、紗良はライブ会場へ向かうため、渋谷の街を七海と浮かれながら歩いていた。

 苦手な英語の小テストも、黒木と学校で顔を合わせる気まずさも、この日を想えば耐える事ができた。
 そんな待ちに待った特別な日がやっと来たのだ。二人とも可笑しなテンションになり、何でもない事にゲラゲラと声を上げて笑う。「箸が転んでもおかしい年頃」とはよく言ったものだ。

 会場はライブハウスとしては大きめで、スタンディングで千人ほどが収容できた。座席はないがチケットには整理番号が書かれていて、ブロックごとに区切られている。紗良と七海のチケットには「A13」「A14」と記されていた。
 整理番号ごとに順次入場を促され、早々に番号を呼ばれた紗良と七海が緊張しながら会場に入る。
 他の客は慣れた様子でコインロッカーに手荷物を預けていたが、お揃いの小さなショルダーバックしか持っていない二人は、ロッカーを素通りしてライブフロアの扉を開けた。 

 コンクリートの埃っぽい匂いと、赤い照明。
 ステージには誰もいないけれど、既にドラムや音響のセッティングは済まされていて、あとはメンバーがここに立つのを待つばかりだった。

「Bブロックだったら、ユズの目の前だったのにね」

 ステージ右手の最前列を陣取った七海がクスクスと笑う。

「真ん前じゃ緊張しちゃうから、このくらいがいいよ。ってか、神席過ぎない? 七海の引きの強さ凄すぎ」
「だよね、私もビックリ。チケット当選だけでも凄いのに、こんなに前の席だなんて」

 観客の入場はスムーズに進んでいるようで、徐々に客席が埋まっていき会場が熱気を帯びていった。

 プレゼントを開ける前のような、高揚感。
 早く中を見たい。けれど、開けてしまったらその瞬間から「特別」が漏れ出して、また日常にゆっくりと戻ってしまう、あの喪失感。  
 早く始まって欲しいけれど、終わって欲しくはないというジレンマに揺れる。今か今かと百鬼夜行の登場を待ちわびながら、紗良は胸に手を当てた。今この場に居てもなお、「これは夢なんじゃないか」とまだどこか実感出来ずにいる。

 誰もいないステージを照らし続けていた赤いライトの灯が落ちると同時に、和楽器が奏でるサウンドエフェクトが鳴りだした。会場内を揺らすほどの悲鳴が轟く。やがて和楽器の旋律にドラムとベースの低音が混ざり、リズムを刻み始めた。

 会場を埋め尽くす千人の歓声は、紗良が精一杯張り上げた声をかき消してしまう。百鬼夜行たった三人でこの膨大なエネルギーの塊に太刀打ちできるのだろうか。そんな事を考えた瞬間、眩い閃光と共に三人がステージ上に現れた。激しく打ち鳴らすドラムとベースの重低音。ギターで主旋律を奏でながら、ユズが歌い出す。

 それは圧倒的な存在感だった。

 千人どころか例え何万人の観客を前にしても、恐らく損なわれることはない輝き。歓声に飲まれるなど、なんて馬鹿な心配をしたんだろう。紗良はその三人が放つ光に焼き殺されるのではないかと恐怖に似た感情を抱きながら、それでもステージに向かって手を伸ばした。

 一瞬も逃さず、この景色を目に焼き付けておきたい。
 耳が音を認識するより先に、直接心臓が揺れた。
 震える心臓から送り出された血液が体中を巡るから、いつまでも熱は冷めない。

 曲と曲の間にトークなどは一切挟まない百鬼夜行のライブは、息つく暇もなく一時間半を駆け抜けた。

 アンコールを終えて舞台裏に百鬼夜行が下がった後も、紗良と七海は呆けたようにステージを見つめていた。退場を促すアナウンスが流れたが、余韻の欠片を手放すのが惜しくて足が動かない。

 この場を立ち去ってしまったら夢から覚めてしまう。
 会場の後方にいた観客たちの退場が済み、その場にとどまり続けることも難しくなった紗良と七海は、渋々と出口に続く人の列に混ざった。
 誰もが名残惜しそうに何度もステージを振り返る。
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