会いたいが情、見たいが病

雪華

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◆第一幕 一ヵ月だけのクラスメイト◆

公家と武士②

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「陸、いいかげんソイツから離れろ」

 バスが大きく揺れ、それと同時に哲治が陸の手を強く引いた。陸はつんのめるように哲治の胸に顔を埋め、「痛ってぇ」とうめきながら、思い切りぶつけた鼻をさする。

「あーあ。お姫様を取り返されてしもた」

 残念。と言って小さく笑った清虎の首筋に、汗が一滴流れた。陸を抱えていたからか、体温が上がったようで頬が少し紅潮している。ワイシャツの襟を掴んでパタパタ風を送ると、清虎の綺麗な鎖骨が露わになった。
 何だかその光景は、先程の遠藤の色仕掛けより何倍も艶っぽく感じられ、陸は思わず目を逸らす。誤魔化すように窓の外を眺めると、降りるバス停の近くだと気が付いた。

「清虎、このバス停で降りるよ」
「……ん? あぁ」

 陸は清虎の袖をツンと引いて知らせたが、なぜか清虎は一拍遅れて返事をした。少し気になったものの敢えて聞くほどでもないと思い、陸はそのままバスを降りる。アスファルトからむっとするような熱気が靴底に伝わった。

「清虎は劇場に直行するの? 俺の家の方向だから、連れて行ってやるよ。ついでに、歩きながら観光案内してあげる」
「そら助かるわ」
「待って、陸。俺も付いてく」

 清虎の隣に並ぶ陸の肩を哲治が掴む。暑さのせいか、その手は何だかずっしりと重く感じた。

「哲治の家はすぐそこじゃん。わざわざ遠回りしなくてもいいよ。俺一人で平気だって」

 観光客で賑わっている通りの角の、趣ある居酒屋を指さし、そちらに向かって陸は歩き出した。

「あれが哲治の家だよ。焼き鳥が美味しくて有名な居酒屋なんだ。でね、俺が『いつもの!』って注文すると、哲治の親父さんがジンジャエールと唐揚げのセット出してくれるんだよ」
「いやいや、焼き鳥食わんのかい」

 あははと吹き出した清虎に、陸は口を尖らせる。

「焼き鳥が有名だけど、唐揚げも超うまいんだってば!」

 店の前に陸の大声と清虎の笑い声が響くと、飴色の引き戸がそろそろと開いて、年配の女性が顔を覗かせた。

「あらあら。元気な声がすると思ったら、陸君だったのね。哲治もおかえり。そっちの子は見かけない顔だねぇ」
「初めまして。佐久間清虎って言います。今日転校してきました」

 清虎の挨拶を聞いて合点がいったように、女性は「ああ」と手を叩いた。

「もしかして、役者さんの子かい。舞台映えしそうないい顔してるねぇ。店がなけりゃ、毎日お芝居観に行きたいくらいだよ」
「婆ちゃん、もういいから。俺、ちょっとコイツ送ってくる」

 哲治は祖母を店の中へ押し戻してそのまま行こうとしたが、ダメダメと腕を掴んで引き戻された。

「今から酒屋さんが配達に来るの。品物を中に入れるから手伝って頂戴」
「そんなの酒屋に頼めばいいだろ」
「一本や二本じゃないんだよ。いつもの事だからわかるでしょう。酒屋も他に配達があるんだから、時間とらせちゃいけないよ」

 シャキシャキした口ぶりに、上手く言い返せない哲治は不貞腐れたような顔をする。

「何で今日に限って」
「他のもんは仕入れに行ってるし、今は哲治しかいないんだから仕方ないでしょ。陸君、清虎君、ごめんねぇ。また遊んでやってね」

 すまなそうに頭を下げられたので、陸も清虎もつられてお辞儀した。

「哲治、手伝い頑張れよ!」
「うん。また明日迎えに行く」
「いいよ、明日はちゃんと起きるから。バス停で待ってて」

 じゃあねと大きく手を振る陸を、哲治が名残惜しそうな眼差しで見送る。


 地図を片手に辺りを見回す観光客と違い、陸の足取りは迷いがなかった。手あたり次第通行人に声を掛けている人力車の客引きすらも、陸を呼び止めることはしない。人混みをスイスイ歩く陸は、明らかに「地元の人間」という空気を醸し出していた。

「自分の庭って感じやなぁ」

 ぽつりとこぼした清虎の、独り言のような呟きに陸が振り返る。

「うん、まぁ庭かもね。ほら、あれが浅草寺。近道だから、観音様の前通っていこう」

 境内には大きな香炉があり、そこから線香の煙が立ち上っていた。「煙の匂いが付いちゃうから」と急に陸が走り出したので、清虎も一緒に走り出す。

「ねえ、清虎って地元はあるの? ずっと旅をしてて、疲れたりしない? 折角できた友達と離れるときは、やっぱり寂しい?」

 香炉を抜けて走るのをやめた陸が無邪気に問うと、清虎は怖いほどにっこり微笑んだ。

「そうやな。陸は生まれて死ぬまでずーっとこの街におって飽きんの? 閉じ込められて息苦しくならん?」

 全く答えになっていない上、質問の意図がわからず、陸は目をしばたたかせて清虎の顔をじっと見た。相変わらずニコニコしていたが、纏う空気がどことなく刺々しい。  
 陸は自分のしでかしたことに、ようやく気付いて立ち止まる。

「ごめん。俺、きっと凄く嫌なこと聞いちゃったんだね」

 そう言ったきり唇をきつく噛んで黙り込んでしまった陸に、清虎はバツが悪そうに頭を掻いた。

「いや、ごめん。今のは俺の方が意地悪だった。陸は天然ぽいから、嫌味言ったってどうせ気にせず笑い飛ばすかなと思って。そんなに悲しそうな顔するとは思わなかったんだ。ごめんね」

 眉を寄せる清虎に、陸は「俺の方こそ」と首を振りながらも、どこか違和感を覚えた。何だろうと今のやり取りを思い返し、直ぐに気が付く。

「清虎、今の関西弁じゃなくて標準語?」

 明らかにしまったという風に、清虎が顔をしかめる。ため息交じりに低く唸ると、観念したように陸に向き直った。
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