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34話
しおりを挟むきっかけはもちろん、あの日差し出されたオレンジジュースだった。その姿がいつかのナオキと重なって胸が締めつけられ、美琴はカナタにとって、忘れられない存在になった。
でもこんなに、閉じ込めたいと思うほどに好きになってしまったのは、そのあとだ。
出会いから数日後、会社帰りに、たまたま駅で美琴を見かけた。学校帰りだろうか、ふんわりした涼しげなワンピースを来て、人混みの中を漂うように歩いていく。あの時の子だ、と思ったら自制がきかなくなり、ついその背中を追いかけてしまった。追いかけてどうこうしたいなどという邪な思いはそのとき微塵もなかった。
家へ帰るのだろうか、それともバイトにでも行くのだろうか、などと考えながら、影のように音もなくあとをつけていく。夏は暑いのでいつもならまっすぐ帰宅したいところだが、その日はそんなことを思いもしなかった。
やがて駅を出て、カナタと美琴は人気のない町外れの通りまで来た。住宅街からも少し離れているが、こっちに若い女の子が住むような建物なんてあったか? と疑問に思う。そうでないのなら、こんなに暗くて人通りの少ない道をわざわざ歩くのはやめてほしかった。バレないようについていくのが大変だし、なにより彼女のことが心配だ。闇に紛れて、不審者に目をつけられるかもしれない。
……ああ、不審者って俺のことか。
いまのいままで自覚していなかったことに気がついて、カナタは苦笑した。この状況で不審者と言ったら、まさに俺自身のことだ。心配するまでもなく、彼女はすでに目をつけられているのだった。この細い路地に来てからではなくて、駅からもうずっと。
その路地も抜けると、少し開けた道に出た。存在すら知らなかった古びた小さな公園がある。公園の奥は柵になっていてここからは見えないものの、その先には河川敷があり、川が流れているのだ。それが町でいちばん大きな川だ。
さすがにこれ以上近づくと気づかれてしまうので、離れたところから様子を伺う。てっきり川のそばに向かうのかと思ったがどうやら違ったらしい。彼女はちっぽけな公園の中に入っていった。カナタは離れた電柱の影からその様子を窺う。
公園の中心には大きな木があった。夏なのでいまの時期は葉が青々としげっていて、うるさいくらいセミの声が響いている。蚊に刺されるのを憂鬱に思いながら、電柱の陰から息を殺して彼女の姿を見つめた。
暗闇の中、ほのかな外灯に照らし出される美琴の肌や、ワンピースの抜けるような白さが美しく、この世のものとはまるで思えなくて、カナタは息を飲んだ。
人形のような顔をして彼女は木の下に座ると、身じろぎもせず、しばらくそうしていた。この世界には木と彼女と自分しかいないんじゃないかと思えるほど、静かな時間が流れた。
そのときふと思った。あの女の子はひょっとしたら、なにかと一体になろうとしているのではないか。なにかの幻影を求めて、あそこに座り込んでいるのではないか。
もちろんそんなのはただの憶測だ。でもその日、めでたく不審者になったカナタは、不審者らしい勝手な思考回路で、そう思った。
じっとしていても汗ばんでくるような夏の夜、人気のない公園で草の上に腰を下ろす、正気をなくした顔の美琴。その姿は異様で、不気味で、綺麗だった。目に見えないところにある彼女の傷に、触れてみたいと思った。そんなもの本当にあるかどうかもわからないのに、この世界で自分ひとりだけが、あの子のことを理解しているという気になった。
犯罪者の思考回路だ。完全に。
そのときはまだ、そう自覚するだけの冷静さはあった。だからもう後をつけた挙句に物陰から見つめるなんて気持ち悪いことはやめようと思ったし、現に、彼女が立ち上がるより先に立ち去ろうとも考えた。
でも帰り道、また彼女があの暗い路地をひとりで歩くことを思うとやはり心配で、カナタは待つことにした。
待って、安全な場所まで物陰から護衛し、見送ってやらなくてはならない。
◆
あの日はあそこで美琴がなにをしていたのか、まったくわからなかった。直接尋ねたことはないので、今も当然知らない。
ただひとつだけ思っていることは、あの公園が美琴の「お姉ちゃん」に関わる場所なのではないか、ということだ。いつかの夜、泣きながらそう呟いていたのを思い出す。それがあの夜にカナタが想像した、彼女の見えない傷なのではないだろうか。
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