薔薇姫の氷が溶けたなら

あんず

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皇太子side

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彼女を初めて見たのは、皇太子教育の授業が終わってから剣術訓練が始まるまでの僅かな空き時間にたまたま薔薇園を臨む回廊を通った時だった。
初めて父親に連れられて登城したであろう彼女は、案内された薔薇園の美しさに眩しい程の笑顔で称賛を送っていた。

その笑顔に一瞬で目を奪われた。

それ以降彼女を見る機会はなかったが、シトラス公爵家の令嬢だという事は分かった。そのため、父に婚約者は誰が良いか問われた時、迷わずシトラス公爵令嬢が良いと返答した。
父の思惑とも一致したのだろう。シトラス公爵は辞退しようとしていた様だが、勅令により婚約を交わす事になった。
婚約から三ヶ月後、皇太子妃教育のために彼女を招聘すると言う。あくまで教育のためなので僅かな時間だが、婚約者同士の親睦を深めるために茶会など会う機会が設けられる。久しぶりに彼女をこの目で見られるのだ。楽しみで仕方なかった。

皇太子妃教育のために一人で登城した彼女は、「初めまして」と微笑むとともに美しいカーテシーで挨拶をしてくれた。
やはり彼女は誰よりも美しい。久しぶりに見る彼女の笑顔に気分も良くなる。
彼女が登城してから数日、本当によく笑う少女だった。最初は彼女の笑顔を見れる事が嬉しかった。だが、次第に彼女が他の者に笑顔を見せるたび、苛立ちを抑えられなくなった。
彼女の笑顔を見ていいのは私だけだ。あまりに強い独占欲と嫉妬に、胸が焼かれる様だった。

彼女を自分だけのものにしたい。

勅令による婚約を交わしたのだ。いずれは結婚し、自分のものになるのは分かっている。分かってはいるが、独占したい気持ちを抑えることが出来ない。
遂には自分との親睦を深めるための茶会で、案内した護衛騎士に礼を言い微笑む彼女を見て、「他の者に笑顔を見せるな」と言ってしまった。
その言葉を利用し、母が彼女を精神的に追い詰め始めた。「皇太子の言葉に反したから」として、彼女が笑い掛けた者を解雇していったのだ。
笑顔でなくとも感情が表情に表れた瞬間を目撃した者すら解雇した。私の言葉を利用して行き過ぎた振る舞いをする母に苛立った。
だが、彼女が私の言う事を従順に守るようになったので何も言わなかった。
そうだ。彼女は私のものだ。他の者にあの美しい笑顔を見せてなどやるものか。
結果として彼女は一切の感情を表情に表さなくなった。そのため私も笑顔を見れなくなったが、それも彼女が私のものになるまでだ。
結婚するまでの間に学園に通う期間もある。そこで他の男共に彼女の一番美しい姿を見せるくらいなら、このままで構わない。結婚してから、私だけに笑顔を見せる様にさせれば良いのだ。彼女は私の言う事を従順に守るのだから。

彼女は皇太子妃教育が終わってからも私の言う事を守り続け、いつしか『氷の薔薇姫』と呼ばれるようになった。
笑顔を見せないとは言え、元々彼女は誰よりも美しいのだから薔薇の様だと褒め称えられるのは仕方ない。だが、凍っていない薔薇姫を見るのは私だけでいい。
彼女につけた家庭教師からは皇太子妃教育もほぼ終わったと聞く。月一回のお茶会もずっと続けているし、彼女の周りに余計な男共もいないと影からの報告もあった。
私は学園を卒業し、父の政務の一部を引き継いでいる。忙しくはあるが、彼女が学園を卒業すれば直ぐに結婚出来るよう、準備も進めている。
婚約しているのだから既に彼女は私のものだ。だが漸く、彼女が学園を卒業すれば本当の意味で私のものにすることが出来る。

そう安心していたのも束の間、北の隣国が国境周辺で小競り合いを仕掛けてきた。そのため騎士達を率いて隣国軍を退けて来なければいけなくなった。
皇都は国土の南寄りに位置するため、小競り合いが起きている国境周辺まで早くても五日以上かかる。往復十日に隣国軍の制圧。少なくとも一ヶ月は皇都を離れなければならない。
彼女との時間が削られるのは気に入らないが、皇太子としての責務を放棄する訳にはいかない。彼女を手に入れるためには、この座を失う失態は犯せない。
仕方がないのだ、必要な事なのだと様々な理由を並べ立てて、彼女を置いて皇都を離れる事を自分に納得させた。
この時、私は忘れていたのだ。置いていくのは彼女だけでなく、人を苛立たせることしかしない母も一緒だという事を。


隣国軍を退けるのに時間がかかり、予定より半月遅れたものの、目立った負傷者も死者もなく皇都に戻る事が出来た。
一ヶ月半ぶりに見る彼女の姿。いつものやり取りを終えて、彼女が顔を上げる。漸く彼女の元に戻って来れたと安堵した次の瞬間、彼女は私以外の者に向かって笑顔を見せた。しかも、多くの者の目の前で。
彼女の美しいカーテシーに見惚れていた者が皆、息を飲むのが分かった。騎士達の目も彼女に釘付けだ。
一瞬、何が起きているのか分からなかった。頭が働かないまま、慌てて彼女を連れ帰るシトラス公爵家の者達の背中を見つめる事しか出来なかった。
私が皇都を離れている間、彼女に何があった?余程の事がない限り、彼女が私の言う事に反するなどあり得ない。
調べるまでもなく、母の仕業だと分かっていた。だが、急いで城へ戻り、この一ヶ月半の出来事を一つ残らず報告させた。

彼女は、母が開いた茶会で毒殺されかけていた。幸い一命をとりとめたものの、私との婚約に関わる全ての事を忘れていた。
皇妃主催の茶会で起きた毒殺未遂。皇室に責任がある事は明らかだ。毒を盛られたことで、身体への影響を考えて皇太子妃の座を辞退すると申し出られたら、皇室に責がある以上、受け入れざるを得なくなる。
案の定、シトラス公爵家から婚約者辞退の申し入れがあった。同じ理由で次代を継なぐ事が難しいとして、爵位返還も願い出たと言う。
そんな心配は無用だと、辞退する必要などないと引き留めたが、最終的には受け入れるしかなかった。

あと少しで彼女を私だけのものに出来たのに。二度と手にする事が出来なくなった。
母が余計なことをしなければ、全て上手くいっていたものを!
皇妃の座を利用し、権力を振り翳し、贅沢をするだけで全く責務を果たさない無能が私の邪魔をした。怒りのあまり、視界が真っ赤に染まる。
皇妃が彼女に毒を盛った証拠は押さえてある。無くても証拠を捏造して皇妃の罪を告発し、処罰する事くらい直ぐに出来る。
だが、簡単に処刑するだけでは気が済まない。あの女にも、幸せの絶頂からどん底に叩き付けて絶望を味わって貰わねば。

皇妃にとっては、彼女を廃するだけでなくシトラス公爵家も廃する事が出来、望んだ以上の結果と喜んでいるだろう。
マンデリン公爵家がシトラス公爵家の商会を引き継ぎ、帝国の主だった他国との取引を行える。そう思っている今が、幸せの絶頂だろう。誰も逆らえる者はおらず、更に私腹を肥やし贅沢が出来ると思っているのだから。
これから現実を知り、思い通りにいかず苛立つだろう。じわじわと苦しめ、徹底的に潰してやる!

現在の帝国は、穀物の大半を西の隣国からの輸入に頼っている。これも西の隣国の公爵令嬢を妻に持つシトラス公爵家だからこそ、安価で穀物を輸入出来ていたからだ。どの様な契約になっているのかは知らないが、マンデリン公爵家が同じ様には出来ないだろう。
他国との取引についてもそうだ。他国への輸出に関しては、大半をシトラス公爵家が執り仕切っていた。シトラス公爵家との契約が有効なうちはいいだろうが、マンデリン公爵家が契約更新出来るだろうか。十中八九、マンデリン公爵家の力量では無理だろうな。
穀物は値上がり、他国へ物を売れなくなる。その影響を強く受けるのが国民だ。
マンデリン公爵家により穀物は値上げされ、他国との取引も失敗して収入がなくなったと国民は思うだろう。
最初のうちは不満を抱える程度だろうが、その負の感情は不遇な状況が長引くほど大きく膨れ上がり、マンデリン公爵家へと向かう。
マンデリン公爵家は皇妃の権力を傘にきて、他の貴族や国民に対して傲慢な態度で接しており、元々印象は最悪だ。そんな公爵家による食糧の値上がりと収入の減少。それによる負の感情を無数に浴び続ける恐怖は相当なものだろう。
そんな中で、事の発端となったシトラス公爵令嬢の毒殺未遂事件の犯人が皇妃だと分かったらどうなる?
国民だけでなく、他の貴族全てから皇妃へ非難が殺到するだろう。
シトラス公爵令嬢は令嬢達の憧れの的であったし、シトラス公爵家は清廉潔白で領民思いと評判だった。その領地経営と商会運営の手腕を尊敬し、慕う貴族も多かった。
そんな令嬢を毒殺しようと企み、シトラス公爵家を廃し、帝国を財政難に陥らせたのが皇妃だったと分かれば、毒殺未遂の罪で裁かれるのはもちろん、全ての怒りの矛先が皇妃に向けられる。
罪人なのだから当然とは言え、その扱いはより酷く悲惨なものになるだろう。いっそ一思いに殺してくれと願う程に。


マンデリン公爵家はほぼ予想通りの結果となったが、状況は思ったより大分早く、急激に悪化した。僅か一年で小麦の値段は数倍に跳ね上がり、失業率は過去最高を更新し続けている。
東の隣国から小麦を輸入する契約を締結したが、焼石に水な状態。帝国内での収穫量を上げるべく畑を増やし、失業した者を農作業員として雇用しているが、状況を改善させるにはまだまだ時間がかかる。
もう少しゆっくり、じわじわと苦しめてやりたかったが、そうも言っていられない。早急に皇妃の罪を、毒殺未遂の犯人である事を告発した。
すると予想以上の非難が皇妃へと向けられ、満場一致で皇妃の有罪が確定した。しかも帝国を財政難に陥らせた根本原因であり、悪化させた罪は国家転覆罪にあたるとして貴族籍を没収、平民として処刑することが決まった。
貴族であれば毒杯を賜るか斬首刑となり、比較的楽に死ねるが、平民となるとそうはいかない。広場での公開による絞首刑となり、刑執行前後に縛られた状態で広場に晒される上、その期間が罪の重さによって長くなる。
元皇妃は、皇太子妃となる予定だった令嬢の殺害を企てたとして皇族殺害の罪と同等とされ、刑執行前に広場で晒される期間が、法で許す限り最長の日数となった。
刑執行前の広場では、多くの民衆が集まり、罵詈雑言を浴びせ、泥水を掛けたり石を投げる者もいた。直ぐに殺してしまう事のない様に、長く苦しめる様に。
その最期は、皇妃として傲慢な振る舞いをしていた女にとって屈辱的で悲惨なものだっただろう。

私から彼女を奪った女は居なくなったが、何の感情も湧いてこなかった。望んだ通りの結果となったのに。
もう何をしても彼女が私の元に戻ってくる事はないのだ。私の世界は、このままずっとモノクロのまま色づく事はないのだろう。
ずっと焦がれ続けるのだ。最後に見た、私ではない者に向けられた笑顔に…
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