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第四話 奥方と色小姓、過ち、契りて
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菖蒲からの呼び出しは、三日後の夜だった。
侍女頭の瀬戸が、誰に聞かせるともなく低い声で「今宵、月の見える離れの茶室にて、奥方様がお待ちにございます」とだけ告げ、闇に消えた。
──あの茶室は、この屋敷が建てられてから、一度ばかり使われただけで、そのままになっている。
そんな密室への、主君の奥方からの、密やかな呼び出し。それが何を意味するのかがわからないほど、鶴丸は愚鈍ではなかった。だが、頭で理解するのと、心が信じるのは、全く別の話だった。
あの日の、指先に残る感触。耳にこびりつく甘い囁き。そして、自分を見る思い詰めるような瞳。
鶴丸は、恐怖と、それに勝る抗いがたい好奇心に突き動かされ、月明かりだけを頼りに、離れの茶室へと足を向けた。
茶室は、庭の池に張り出すようにして建てられていた。障子は開け放たれ、水面に映る満月が、部屋の中を幻想的な光で満たしている。菖蒲は一人、そこで待っていた。
昼間の豪奢な着物ではない。夜着である薄絹の寝間着は、彼女のしなやかな身体の線を、月の光に朧げに浮かび上がらせていた。
いつもは丁寧に後ろに下げられている豊かな髪も、そのうち数本ばかり黒い線となって、真珠のような白い首筋にかかっている。
その姿は、高貴な正室というより、恋人を待つ若い娘のように無防備で、危ういほどに艶やかだった。
「……来てくれましたのね、鶴丸」
彼女の声は、琴の音のように静かに響いた。
「は……はい。お召しにより」
「堅苦しい挨拶は構いません。こちらへ参りなさい。月見の酒を用意させております」
彼女は、隣に置かれた朱塗りの盆を示した。小さな盃が二つ、銀の銚子と共に置かれている。鶴丸が恐る恐る膝をつくと、菖蒲は「これ、そこではありません」と、自分の隣を手で示した。座を移ると、菖蒲は自ら銚子を取り、彼の盃に透き通った酒を注いだ。
「すまぬことをいたしました。急に無理を言うて」
「いえ、滅相も……」
「お前は、優しい男です。わたくしのような、籠の鳥の話し相手になってくれますので」
菖蒲は、ふっと瞳を潤ませた。月光を浴びたその大きな瞳から、一筋、涙がこぼれ落ちる。
「……わたくしは、あまりに寂しい。この屋敷は広く、人は多いが、わたくしの心の内をわかってくれる者など、誰一人おりませぬ。……今宵一夜ばかり、誰かの情けを求めたいと思うています。わかってもらえますか?」
その言葉と共に、彼女は震える手で、鶴丸の袖に縋りついた。
美しい奥方の、涙。そして、女の弱さ。その二つを前にして、鶴丸の若い理性など、何の役にも立たなかった。彼は、彼女をこの孤独から救い出したい一心で、気づけばその華奢な身体を、抱きしめていた。
唇を重ねる。酒の香りと、彼女の甘い吐息が混じり合い、彼の思考を消していく。
菖蒲は、鶴丸と抱き合ったまま、狭い茶室の中で横たわった。
自分の下で、熱い息を吐く菖蒲。その姿に、鶴丸は夢中で彼女の寝間着の帯を解いた。白い肌が、月明かりの下に晒される。
もう耐えられるはずがない。鶴丸も帯を解いて、自らの足を出した。もちろんそこに動いているのは、足ばかりではなく、男の肉体が菖蒲に向かって力強く形を作っていた。菖蒲は、目を逸らして、片膝を立てて、腰を揺らした。催促である。
だが、彼はそれを彼女の優しい太ももに当てたところで、にわかながら途方に暮れた。彼が知る身体の交わりは、殿とのそれだけしか知らない。女人の身体の器官など、考えたことすらなかった。
さりとて最早、引き返すことなどありえない。彼は、殿にされてきたことを、当然の閨の作法と思って、菖蒲のしなやかな脚の間に割り込むと、その奥にある、秘された場所に己を向けてしまった。
菖蒲の身体が、弓のようにしなった。
予期せぬ場所への、鈍く、引き裂くような圧迫と、鋭い痛み。彼女は、思わず悲鳴を上げそうになり、己の唇を強く噛んだ。
──違う。そこではない、この愚か者。
そう突き放そうとした瞬間、菖蒲の脳裏に、電光のような思いが突き抜けた。
──ああ、そうか。これか。これこそが、あの男が、この雛鳥に教えてきた閨の作法なのだ。
復讐の相手に、夫と同じ行為をされている。このねじれた、屈辱的な事実。そのあまりの皮肉に、菖蒲の心は憎悪で満たされると同時に、背徳的な、暗い興奮が背筋を駆け上がった。
これは、好都合。この過ちこそ、この小姓を、私の意のままにする、何よりの楔となろう。
菖蒲の苦痛の表情に、恍惚の表情が混ざっていく。事実、それは彼女に体験したことのない恐怖と強い快感を押し込んでいた。
鶴丸の耳元で、わざと甘く、喘ぐように囁く。
「……ああ……っ、鶴丸……。お前は、そのようなことを……知っておるのか……。大胆な……男……」
その声に、鶴丸は、自分が彼女を喜ばせているのだと、完全に信じ込んだ。彼は、己の無知がもたらした過ちに気づかぬまま、夢中で身体を動かし始める。
菖蒲は、痛みと、夫への憎悪と、そしてこの哀れな少年を騙しているという罪悪感が入り混じった、生まれて初めての官能に、ただ身を震わせていた。
やがて鶴丸は「奥方様! 浄土です、浄土がきます!」と腰を強く打ち付けて、彼女の体内に不忠の精を思うさま放った。
菖蒲の身体は、鶴丸の熱を受け、震える声を発しながら、痙攣した。いつも異なる奥深くへと、何度も放たれていく夥しい精の量に、決して夫からは得ることのできない背徳の悦びが渦巻いた。
鶴丸は、自分が美しい奥方の秘密の扉を開いたのだと信じ、誇らしい気持ちでいた。
月光の下、菖蒲は息を切らしながら、純粋な少年を、この身体へと、そして地獄へと引きずり込む、最初の罠が成功したことを、痛みの中で静かに確信していた。
侍女頭の瀬戸が、誰に聞かせるともなく低い声で「今宵、月の見える離れの茶室にて、奥方様がお待ちにございます」とだけ告げ、闇に消えた。
──あの茶室は、この屋敷が建てられてから、一度ばかり使われただけで、そのままになっている。
そんな密室への、主君の奥方からの、密やかな呼び出し。それが何を意味するのかがわからないほど、鶴丸は愚鈍ではなかった。だが、頭で理解するのと、心が信じるのは、全く別の話だった。
あの日の、指先に残る感触。耳にこびりつく甘い囁き。そして、自分を見る思い詰めるような瞳。
鶴丸は、恐怖と、それに勝る抗いがたい好奇心に突き動かされ、月明かりだけを頼りに、離れの茶室へと足を向けた。
茶室は、庭の池に張り出すようにして建てられていた。障子は開け放たれ、水面に映る満月が、部屋の中を幻想的な光で満たしている。菖蒲は一人、そこで待っていた。
昼間の豪奢な着物ではない。夜着である薄絹の寝間着は、彼女のしなやかな身体の線を、月の光に朧げに浮かび上がらせていた。
いつもは丁寧に後ろに下げられている豊かな髪も、そのうち数本ばかり黒い線となって、真珠のような白い首筋にかかっている。
その姿は、高貴な正室というより、恋人を待つ若い娘のように無防備で、危ういほどに艶やかだった。
「……来てくれましたのね、鶴丸」
彼女の声は、琴の音のように静かに響いた。
「は……はい。お召しにより」
「堅苦しい挨拶は構いません。こちらへ参りなさい。月見の酒を用意させております」
彼女は、隣に置かれた朱塗りの盆を示した。小さな盃が二つ、銀の銚子と共に置かれている。鶴丸が恐る恐る膝をつくと、菖蒲は「これ、そこではありません」と、自分の隣を手で示した。座を移ると、菖蒲は自ら銚子を取り、彼の盃に透き通った酒を注いだ。
「すまぬことをいたしました。急に無理を言うて」
「いえ、滅相も……」
「お前は、優しい男です。わたくしのような、籠の鳥の話し相手になってくれますので」
菖蒲は、ふっと瞳を潤ませた。月光を浴びたその大きな瞳から、一筋、涙がこぼれ落ちる。
「……わたくしは、あまりに寂しい。この屋敷は広く、人は多いが、わたくしの心の内をわかってくれる者など、誰一人おりませぬ。……今宵一夜ばかり、誰かの情けを求めたいと思うています。わかってもらえますか?」
その言葉と共に、彼女は震える手で、鶴丸の袖に縋りついた。
美しい奥方の、涙。そして、女の弱さ。その二つを前にして、鶴丸の若い理性など、何の役にも立たなかった。彼は、彼女をこの孤独から救い出したい一心で、気づけばその華奢な身体を、抱きしめていた。
唇を重ねる。酒の香りと、彼女の甘い吐息が混じり合い、彼の思考を消していく。
菖蒲は、鶴丸と抱き合ったまま、狭い茶室の中で横たわった。
自分の下で、熱い息を吐く菖蒲。その姿に、鶴丸は夢中で彼女の寝間着の帯を解いた。白い肌が、月明かりの下に晒される。
もう耐えられるはずがない。鶴丸も帯を解いて、自らの足を出した。もちろんそこに動いているのは、足ばかりではなく、男の肉体が菖蒲に向かって力強く形を作っていた。菖蒲は、目を逸らして、片膝を立てて、腰を揺らした。催促である。
だが、彼はそれを彼女の優しい太ももに当てたところで、にわかながら途方に暮れた。彼が知る身体の交わりは、殿とのそれだけしか知らない。女人の身体の器官など、考えたことすらなかった。
さりとて最早、引き返すことなどありえない。彼は、殿にされてきたことを、当然の閨の作法と思って、菖蒲のしなやかな脚の間に割り込むと、その奥にある、秘された場所に己を向けてしまった。
菖蒲の身体が、弓のようにしなった。
予期せぬ場所への、鈍く、引き裂くような圧迫と、鋭い痛み。彼女は、思わず悲鳴を上げそうになり、己の唇を強く噛んだ。
──違う。そこではない、この愚か者。
そう突き放そうとした瞬間、菖蒲の脳裏に、電光のような思いが突き抜けた。
──ああ、そうか。これか。これこそが、あの男が、この雛鳥に教えてきた閨の作法なのだ。
復讐の相手に、夫と同じ行為をされている。このねじれた、屈辱的な事実。そのあまりの皮肉に、菖蒲の心は憎悪で満たされると同時に、背徳的な、暗い興奮が背筋を駆け上がった。
これは、好都合。この過ちこそ、この小姓を、私の意のままにする、何よりの楔となろう。
菖蒲の苦痛の表情に、恍惚の表情が混ざっていく。事実、それは彼女に体験したことのない恐怖と強い快感を押し込んでいた。
鶴丸の耳元で、わざと甘く、喘ぐように囁く。
「……ああ……っ、鶴丸……。お前は、そのようなことを……知っておるのか……。大胆な……男……」
その声に、鶴丸は、自分が彼女を喜ばせているのだと、完全に信じ込んだ。彼は、己の無知がもたらした過ちに気づかぬまま、夢中で身体を動かし始める。
菖蒲は、痛みと、夫への憎悪と、そしてこの哀れな少年を騙しているという罪悪感が入り混じった、生まれて初めての官能に、ただ身を震わせていた。
やがて鶴丸は「奥方様! 浄土です、浄土がきます!」と腰を強く打ち付けて、彼女の体内に不忠の精を思うさま放った。
菖蒲の身体は、鶴丸の熱を受け、震える声を発しながら、痙攣した。いつも異なる奥深くへと、何度も放たれていく夥しい精の量に、決して夫からは得ることのできない背徳の悦びが渦巻いた。
鶴丸は、自分が美しい奥方の秘密の扉を開いたのだと信じ、誇らしい気持ちでいた。
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