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馨の目がまっすぐに凪を捉えていた。
けれど、その視線を受け止める勇気は凪にはなかった。
触れられた手首が熱を帯びているのに、身体の奥は冷えていた。言いたいことも、聞きたいこともたくさんあるはずなのに、喉の奥が詰まって何一つ出てこない。
あの日。
馨にあの言葉を言われた日。胸を裂くような痛みを覚えたあの日の記憶が、まるで昨日のことのように鮮やかによみがえってくる。
平気なふりをしてやり過ごしてきた傷が、ずきずきと疼いていた。
「えっと……俺たち、一旦席外すな」
沈黙を破ったのは、馨の隣に座っていた男だった。
テーブルを囲んでいたキャプテン以外の二人が、気まずそうな空気を察したのか、そそくさと立ち上がり、個室を出て行こうとする。
凪はとっさに口を開いた。
「あの、ちょっと、待ってください!」
思わず声が出た。心のどこかで「逃げないで」と叫んでいたのかもしれない。
けれど、彼らは立ち止まりつつも、困ったような笑みを浮かべた。
「ごめんなさい。無理にこんなことしたくないんすけど、今日だけでも……こいつと、話してあげてもらえませんか?」
低く丁寧に頭を下げられた凪は、戸惑いを隠せなかった。
そこまで頭を下げるほどのことだろうか、と同時に、一体この人たちは馨にとって自分をどういう存在だと認識しているのか、疑問が頭をもたげた。
けれど、凪の反応を見て、男はさらに言葉を重ねた。
「ほんの少しでいいんです。こいつ、最近ずっとおかしくて。……自分から何があったとか言わないくせに、会いたいってばっかで」
「……わかりました。ほんの少しだけ」
凪は小さく頷いた。馨の横顔が視界の端に映る。その表情は、桜といたときのような冷たいものではなく、柔らかいものだった。
個室の扉が開かれ、男たちとキャプテンが馨の肩を軽く叩きながら声をかけた。
「話したいこと、ちゃんと全部話しておけよ」
「余計なこと言うなって」
そんなやりとりのあと、3人は凪に軽く頭を下げ、個室を出て行った。
残されたのは、凪と馨。二人きりの空間。
この距離で二人きりになるのは、いったいどれくらいぶりだろう。そう思うと、胸の奥がきゅうっと締めつけられた。
懐かしいような、でも少し息苦しい静けさが部屋に満ちていた。
「……凪、ごめん」
先に口を開いたのは馨だった。
その声は、どこか力が抜けていて、苦しそうでもあった。凪の方を見ず、ただぽつりと呟くような声だった。
「まさか、本当にあの人たちが……凪を呼んでくると思ってなくて」
「会いたいのは僕じゃなくて、恋人でしょ。僕はこの場には必要ないでしょ。……僕はもう帰るよ」
精一杯の言葉だった。
どうして平気な顔で目の前にいられるのか、どうしてこんなふうに「ごめん」とだけ言えるのか、わからなかった。
だから、立ち上がろうとした。
これ以上ここにいても、また過去の痛みに引き戻されてしまいそうだった。
「帰らないで……お願いだから…」
馨の言葉が、凪の背中を縫い止めた。
小さく震えるようなその声には、明らかに辛さが滲んでいた。
いつもの馨らしくない声音。自信に満ちた姿でも、気だるげな態度でもない。
「……なんで。今さら、会いたいとか言ってくるの。君は僕にひどい言葉をかけたことをちゃんと覚えてる?馨くんは自分から僕を遠ざける選択をとったんだよ。」
凪の声も、自然と掠れていた。
馨は、テーブルの上に両手を置き、しばらく何かを堪えるようにうつむいていた。
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