【完結】それ以上近づかないでください。

ぽぽ

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沈黙が落ちた。

アイスコーヒーのグラスが汗をかく音さえ聞こえてきそうな静けさのなかで、桜は氷をかき混ぜることもなく、ただ黙っていた。普段ならすぐに言い返してくる彼女が、何も言わない。その様子は、凪にとって初めて見る桜の姿だった。


「……あんた、変わったね」


ようやく口を開いた桜の声は、どこか乾いていた。いつもの棘のある調子でもなければ、見下すようでも笑い飛ばすようでもない。少しだけ、戸惑いを含んだような声だった。

凪はすぐには答えなかった。ただ、まぶたを少しだけ閉じて、静かに深く息を吸い込む。


「変わったっていうより……もともと、こうだったんだと思う。ただ、怖くて言えなかっただけ」


それは、桜に向けてというより、自分自身に向けた言葉だった。過去の自分を許し、今の自分を肯定するための、小さな宣言。誰かのためではなく、自分のために。

桜はその言葉に反応を見せず、グラスに口をつけた。氷がカランとグラスの内側に当たる音だけが、やけに静かに響いた。


「別に、あんたのことなんて興味ないし」


そうつぶやいた桜の声は、ほんの少しだけ掠れていた。


「……もう、行くわ」


桜が立ち上がろうとしたときだった。


「待って」


凪は桜を引き留め、ふと問いかける。


「……馨くんは、君に別れを告げられたとき、どんな反応をしてた?」

「そんなこと聞いてどうするの?」

「なんとなく……気になって」

「……」


しばらくの沈黙ののち、桜は何も言わず、視線すら上げなかった。まるで凪の存在なんて、最初からなかったかのような無言だけが返ってくる。


「言いたくなかったら、別に……」


しばらくの沈黙の後、そう凪が言いかけたとき、桜がふっとため息をついた。


「はあ……ほんと、あんたら鬱陶しい」


桜は投げ捨てるように言葉を吐き、続けた。


「別れるとき、逆に条件を突きつけられたの。『あんたは凪に一生かかわるな』って。もしまた関わろうとしたら、容赦しないって。あいつのあの時の顔、本当にやってやるって顔だった。……ほんと、気分の悪い別れ方。もうあんたにも、馨にも、二度と関わらない」


それは捨て台詞のようでいて、どこか苦々しさの滲んだ言い方だった。


「……もう、あんなことしないから」


その言葉は、桜自身に向けられたようにも聞こえた。

外に出ると、空は青く澄みわたり、陽射しがじりじりと肌を焼くようだった。けれど、吹き抜ける風はどこか心地よく、頬を優しく撫で、額にかいた汗をそっと乾かしてくれる。

凪はポケットからスマートフォンを取り出し、宗介の名前をタップする。


〈これから帰るね〉


すぐに「早く帰ってこい」のメッセージが届いた。

たった一文なのに、その短い言葉が胸の奥にじんわりと沁みる。同時に馨の顔が脳裏に浮かび、必死に気を逸らした。
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