23 / 47
エル
2
しおりを挟むビングリー家は大通りを逸れた景観のいい地区にあった。邸には父娘と家庭教師のミス・クローバーが暮らす。住み込みの使用人がいて優雅で快適な住まいだった。
『ハーパー・スクール』を紹介する話が実現し、面談を終えたその帰りだった。エルは娘のブーケとリゼを連れ帰り招き入れると、自身は仕事のために出かけて行った。
卒業生で主宰と昵懇のリゼの紹介であり、ブーケの入学はその場で決まった。教師の質も校内の雰囲気もビングリー父娘には十分合格点だったようだ。学費について説明があり、その額にエルは驚いてリゼを見た。『アナベル学院』の高額な費用に比べてかなり常識的な額であり、肩透かしだったからだろう。
ブーケは小さな女主人よろしくお茶の準備をメイドに命じた。テーブルには二人分の用意がされる。
「ミス・クローバーはいらっしゃらないの?」
「今日は午後からわたしたちが留守だから、お出かけすると言っていたわ。そろそろ帰るのではない?」
ブーケは焼き菓子を頬張ってから、頬杖をついた。新しく始まる学校に興奮しているようだ。昨今の令嬢向けのフィニッシングスクールは入学も家庭によりまちまちだ。ブーケより幼い者もいれば、すっかり大人びてから入って来る者もある。その家庭と本人の求めるものによって学ぶ期間も異なってくるからだ。
「またドレスを作らなくっちゃ。お父様にお願いしないと。在校生に侮られたくないもの」
ブーケの年頃なら、来年には同じ衣装が着られないことも多い。なるべくあるものを手直して着回すのが普通だが、娘に甘いエルならばおそらく疑問も持たずに買い与えるのだろう。
リゼが通っていた頃にもおしゃれな少女がいて目立っていた。のち社交界の華になっていい縁談に恵まれたと聞く。注目も自信も育むには材料が要る。ある程度の美貌だけでは寂しくて、それを磨く資金があって初めて輝くのかもしれない。
その二つもしっかり手に入れて育つブーケは幸せな少女だと思った。そして、エルの甘やかしには母親不在の隙間を埋める意味も強いだろう。
『ハーパー・スクール』の面談の際、期せずして父子家庭の事情をリゼももれ聞くことになった。
「母親はブーケを産んで間もなく亡くなりました。以後、僕の元で育てています」。淡々と告げたエルには何の影も見えなかった。伝えられた主宰が同情を寄せて、喪失があっても明るいブーケの利発さを褒め、その教育のお手伝いをさせていただきたいと熱く答えた。
「良かったわ、あなたにもお父様にもスクールを気に入ってもらえて」
「主宰のおっしゃっていた奉仕の勉強ってなあに? 難しいの?」
「寄付の衣服を縫ったり、お菓子を用意して慰問に行ったりするのよ。割とあるから頑張ったらいい点がもらえるわ」
「どうしよう。お裁縫は全然だめ」
いやいやと言うように首を振る。こんな仕草は子供らしい。
リゼはその不安に応えてやり励ました。裁縫はどのフィニッシングスクールでも必須の教養で、逃れられない。こればかりはエルが甘やかしてもどうにもならない。リゼだってべそをかきながら課題のシャツを仕上げたことがある。
「みんなでわいわい言いながら作業するの。楽しかったわ」
いいも思い出を教えるとブーケの表情は晴れた。仲間と共通の目的を持って何かをやり遂げるのは充実した時間だ。
(工房の仕込みと同じだわ)
『ハーパー・スクール』以降変わらず同じことをしていると思う。
ミス・クローバーの帰宅を待ってリゼはビングリー家を辞した。真っ直ぐに工房へ向かい、秘書のネロリから報告を聞いた。必要な手紙を書き配達を頼んだ。
工房を出たのはとっぷり暮れた頃だ。新作のお菓子を手に家路についた。階上のミス・ショパンにお裾分けをしようと思いつく。
早め夕食を終えて寛いでいた婦人は、リゼの来訪を喜んでくれた。彼女も夕食を控えているからすぐに失礼しようとするが、椅子を勧められた。ほんのちょっとのつもりで言葉に従う。
「これは楽しみにして明日いただくわ。ねえ、その後どう?」
促されてリゼははっとなる。婦人はエルとは親しい。その娘に学校を紹介することを伝えていなかった。頭越しになって失礼だったかとも思う。
「お知らせが遅れてごめんなさい。ブーケちゃんの学校をお世話することになったのをお伝えしそびれていて……」
「あら、そんなこと…」
婦人はふふっと笑った。別の何かを意図していたようだ。
「あの子達が面倒をかけて悪かったわ。でも、確かブーケは『アナベル学院』に行くのだって言っていたと思うのだけれど」
リゼは事情を話すと婦人は頷いて、
「あそこは寄付金がものすごいでしょう。実際的なエルは好かないはずよ。だからわたしは勧めないでいたの。でもどうせブーケにせがまれて折れるのだろうと思っていたわ」
「お嬢さんにお優しいもの」
「大甘よ。母親のいない負い目もあるから、しょうがないのかもしれないわ」
初めて婦人からエルの家庭の話が出た。父娘と親交ができたリゼだからこそ打ち明けるのだろうと感じた。妻を亡くした事実はむやみに吹聴すべきではない。
「ちゃんとした家庭教師も付いているわ。そもそもブーケは母親を知らないのだから勝手に不憫がるのもどうかと思うの」
「……奥様を亡くされたのは、まだブーケちゃんが産まれて間もない頃だとうかがったわ。お辛かったでしょうね。そんなエルのお気持ちが娘さんに向かうのかも」
そこで婦人はまじまじとリゼを見た。長く見つめるから、身内の事情に不用意なことを言ったのかと彼女はやや不安になる。
「あの……、わたし何か、失礼なこと…」
「違うわ。そうじゃないの。母親は死んでなどいませんよ。まだ赤ん坊のブーケを置いて出て行ったの。それに、実のところ父親もエルではないわ」
婦人の口調は苦々しいものだった。リゼの元夫キッドのことに触れる時もこうだった、と場違いに思い出した。そして、のまれたように口も開けないでいた。
「ブーケの実父はエルの兄のフィルなの。可哀そうに船の事故でね、まだ二十八だった。両親であるわたしの兄夫妻が残った母子ごと引き取って暮らすことになったの。なのに、一月も経たないうちに母親は家を出てしまったわ」
「それは、どうして?」
「街暮らしを夫婦だけで気楽に楽しんでいた人よ。義両親の保護下で窮屈な一生を過ごすのは耐えられなかったのでしょうね。兄夫妻は引退して田舎に居を移してしまったから、なおのことね。兄達に「やり直したい」と直談判したそうよ。ブーケを渡す代わりに言い値を支払って欲しいと。義姉が言うには随分な額を渡したらしいわ。「添い遂げられなかったのはフィルのせいだから」って」
婦人はため息を一つ、その後をつないだ。
「その頃エルは遠方の大学の寮に入っていたの。自分からブーケの父親になると言ったわ。両親そろって失くすのは残酷過ぎるからと。卒業するまで兄達が面倒を見て、エルは長期休暇で帰省のたびに相手をしていたわ。その後、フィルが継いでいた事業をあの子が引き継いで、ブーケも引き取って今の暮らしになったのよ」
「ブーケちゃんはそのことは?」
「知らないわ。実の父親だと信じている。母親はお産の不幸で亡くなったということにして、周囲もそのように振る舞ってきたの」
「わたしは決してもらしたりしませんから」
リゼが強く首を振ると婦人は小さく笑った。
「今回、ブーケの学校であなたの紹介を頼んだでしょう。エルがブーケのことで他人を頼るのは珍しいと思ったの。特に女性をね。きっとあなたを信用しているのよ。もしかしたら今後、リゼの助言が必要なことがあるかもしれない。男親には女の子の難しい時期は手に負えないかもしれないじゃない。ぜひ親身になってあげてほしいのよ」
婦人の言葉はリゼが父子家庭を経験しているからだと思われた。ブーケもじき思春期を迎える。父親には放っておいて欲しい反面、甘えた気持ちはそっくり残る当人にも焦ったいような季節だ。リゼにも過ぎたそんな思い出はある。
「エルがドレスを買ってやれば解決することばかりじゃないでしょうからね」
「わたしでよければ」
そんなことがもしあれば、という軽い気持ちで頷いた。彼らは二人で完結した家族を作っている。足りないように見えても二人で完成している、とリゼは思う。母を亡くした後の自分たち父娘がそうであったように。
「ねえ、ところで男爵との進展はないの? お似合いのあなた達のそれを聞けると思って楽しみにしていたのに」
「嫌だ、おばさま。ないわ」
リゼははにかんで答えた。そのまま席を立ち辞去を告げた。
階下へ降りながら、婦人の話を振り返る。いつかエル自身が「僕も兄を亡くした時に……」と口にしていたこととつながる。リゼが過去のショックで具合を悪くした時に彼が気遣ってくれた時のものだ。
(お兄様を亡くされた時、とても辛かったのだわ。身体が苦しむほど……)
その想像にリゼ自身の痛みも蘇るようで急いで目をつむり頭を振った。
婦人の表情にも言葉にも、身勝手な母親に対する往時の心情がにじんでいた。ブーケの身内が母親を良くは思えないのは自然だ。父を亡くしたばかりの娘を今度が母が置いて去ってしまった。家族が裏切られたように感じるのはよくわかる。
しかし、環境ががらりと変化し、若い母親も戸惑い混乱したのは違いない。望んでいた道とは違う道を強引に選ばされる。一生それが続く……。愛する夫も消え絶望した思いを味わったのかもしれない。逃げ出したくなる衝動は強く責められない気もした。確かに無責任ではあるが。
夕食を済ませ、キッチンで後片付けをする。ふとのぞいた窓から、木々と道を隔てたテリアのバルコニーが見えた。彼がよくそこでぶらりとタバコを吸っている。この日は無人でちょっと肩透かしな気分だった。
ふと、婦人の興味津々な声音も耳に蘇る。
(わたしが男爵夫人? まさか……、ないわ)
心で否定しつつも頰のあたりがくすぐったい。
40
あなたにおすすめの小説
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!
古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。
その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。
『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』
昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。
領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。
一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――
ブスすぎて嫁の貰い手がないから閨勤侍女になれと言われたので縁を切ります、完全に!完全縁切りの先にあったのは孤独ではなくて…
ハートリオ
恋愛
ルフスは結婚が決まった従姉の閨勤侍女になるよう父親に命令されたのをきっかけに父に無視され冷遇されて来た日々を終わらせようとブラコン父と完全に縁を切る決意する。
一方、従姉の結婚相手はアルゲンテウス辺境伯とのことだが、実は手違いがあって辺境伯が結婚したいのはルフス。
そんなこんなの異世界ファンタジーラブです。
読んでいただけると嬉しいです。
2/26 番外編を投稿しました。
読んでいただけると嬉しいです。
思っていたよりずっとたくさん読んでいただいていてとても嬉しいです。
とてもとてもありがとうございます!!
転生悪役令嬢に仕立て上げられた幸運の女神様は家門から勘当されたので、自由に生きるため、もう、ほっといてください。今更戻ってこいは遅いです
青の雀
ファンタジー
公爵令嬢ステファニー・エストロゲンは、学園の卒業パーティで第2王子のマリオットから突然、婚約破棄を告げられる
それも事実ではない男爵令嬢のリリアーヌ嬢を苛めたという冤罪を掛けられ、問答無用でマリオットから殴り飛ばされ意識を失ってしまう
そのショックで、ステファニーは前世社畜OL だった記憶を思い出し、日本料理を提供するファミリーレストランを開業することを思いつく
公爵令嬢として、持ち出せる宝石をなぜか物心ついたときには、すでに貯めていて、それを原資として開業するつもりでいる
この国では婚約破棄された令嬢は、キズモノとして扱われることから、なんとか自立しようと修道院回避のために幼いときから貯金していたみたいだった
足取り重く公爵邸に帰ったステファニーに待ち構えていたのが、父からの勘当宣告で……
エストロゲン家では、昔から異能をもって生まれてくるということを当然としている家柄で、異能を持たないステファニーは、前から肩身の狭い思いをしていた
修道院へ行くか、勘当を甘んじて受け入れるか、二者択一を迫られたステファニーは翌早朝にこっそり、家を出た
ステファニー自身は忘れているが、実は女神の化身で何代前の過去に人間との恋でいさかいがあり、無念が残っていたので、神界に帰らず、人間界の中で転生を繰り返すうちに、自分自身が女神であるということを忘れている
エストロゲン家の人々は、ステファニーの恩恵を受け異能を覚醒したということを知らない
ステファニーを追い出したことにより、次々に異能が消えていく……
4/20ようやく誤字チェックが完了しました
もしまだ、何かお気づきの点がありましたら、ご報告お待ち申し上げておりますm(_)m
いったん終了します
思いがけずに長くなってしまいましたので、各単元ごとはショートショートなのですが(笑)
平民女性に転生して、下剋上をするという話も面白いかなぁと
気が向いたら書きますね
【大賞・完結】地味スキル《お片付け》は最強です!社畜OL、異世界でうっかり国を改革しちゃったら、騎士団長と皇帝陛下に溺愛されてるんですが!?
旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞で大賞をいただきました】→【規約変更で書籍化&コミカライズ「確約」は取り消しになりました。】
佐藤美佳子(サトウ・ミカコ)、享年28歳。死因は、過労。連日の徹夜と休日出勤の果てに、ブラック企業のオフィスで静かに息を引き取った彼女が次に目覚めたのは、剣と魔法のファンタジー世界だった。
新たな生を受けたのは、田舎のしがない貧乏貴族の娘、ミカ・アシュフィールド、16歳。神様がくれた転生特典は、なんと《完璧なる整理整頓》という、とんでもなく地味なスキルだった。
「せめて回復魔法とかが良かった……」
戦闘にも生産にも役立たないスキルに落胆し、今度こそは静かに、穏やかに生きたいと願うミカ。しかし、そんな彼女のささやかな望みは、王家からの突然の徴収命令によって打ち砕かれる。
「特殊技能持ちは、王宮へ出仕せよ」
家族を守るため、どうせ役立たずと追い返されるだろうと高をくくって王都へ向かったミカに与えられた任務は、あまりにも無謀なものだった。
「この『開かずの倉庫』を、整理せよ」
そこは、数百年分の備品や資材が山と積まれ、あまりの混沌ぶりに探検隊が遭難したとまで噂される、王家最大の禁足地。
絶望的な光景を前に、ミカが覚悟を決めてスキルを発動した瞬間――世界は、彼女の「お片付け」が持つ真の力に震撼することになる。
これは、地味スキルでうっかり国のすべてを最適化してしまった元社畜令嬢が、カタブツな騎士団長や有能すぎる皇帝陛下にその価値を見出され、なぜか過保護に甘やかされてしまう、お仕事改革ファンタジー。
処刑台の皇妃、回帰して復讐を誓う ~冷酷公爵と偽りの婚約者~ おまえたちは許さない!
秦江湖
ファンタジー
皇妃エリアーナは、夫である皇帝アランと、たった一人の親友イザベラの策略により、無実の罪で処刑される。
民衆に罵られ、アランの冷酷な目とイザベラの嘲笑を「始まりの景色」として目に焼き付けながら絶命した彼女は、しかし、処刑の記憶を持ったまま三年前の過去に回帰する。
「おまえたちは許さない」
二度目の人生。
エリアーナの目的はただ一つ、自分を陥れた二人への完璧な復讐。
彼女はまず、アラン(皇太子)からの婚約内示を拒絶。そして、アラン最大の政敵である「北の冷血公爵」ルシアン・ヴァレリウスに接触する。
1周目で得た「未来の知識」を対価に、エリアーナはルシアンに持ちかける。
「貴方様には帝国の覇権を。わたくしには復讐の舞台を。そのための『契約婚約』を――」
憎悪を糧に生きる皇妃と、氷の瞳を持つ公爵。
二人の偽りの婚約の行く末は……
婚約破棄された公爵令嬢ですが、戻らなかっただけです
鷹 綾
恋愛
王太子カイル殿下から、社交界の場で婚約破棄を言い渡された公爵令嬢リュシエンヌ。
理由は――
「王太子妃には華が必要だから」。
新たに選ばれたのは、愛らしく無邪気な義妹セシリア。
誰もが思った。
傷ついた令嬢は泣き、縋り、やがて戻るのだと。
けれどリュシエンヌは、ただ一言だけ告げる。
「戻りません」
彼女は怒らない。
争わない。
復讐もしない。
ただ――王家を支えるのをやめただけ。
流通は滞り、商会は様子を見始め、焦った王太子は失点を重ねる。
さらに義妹の軽率な一言が決定打となり、王太子妃候補の座は静かに消えた。
強いざまあとは、叫ぶことではない。
自らの選択で、自らの立場を削らせること。
そして彼女は最後まで戻らない。
支えない。
奪わない。
――選ばれなかったのではない。
彼女が、選ばなかったのだ。
これは、沈黙で勝つ公爵令嬢の物語。
ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように
柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」
笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。
夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。
幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。
王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる