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八、ある母親の願い
第三十六話
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夢から覚めたとき、あまねは泣いていた。夢の中を知らない先代が、心配して覗きこんでいる。
「どうしたのよ……。あまね、なにがあったの?」
あまねは乱暴に涙をぬぐった。
「お母さんが、いた」
「はぁ?」
先代がすっとんきょうな声で叫んだ。あまねの説明だけじゃ信用できなかったらしく、そのまま俺の方を振り向く。
「正確には、似た過程で娘を失ったって人だけど……。はぐれた日にちも娘の年齢も一致するから、あまねの母親と考えていいと思う」
先代はあっけにとられていた。まさかあまねの母親が見つかるとは思わなかったのだろう。
「まさか本当に見つかるとはね……」
あまねは小さくうなずいた。少しして落ち着いてからぽつりと言う。
「これは、私の夢でもある。だから、ちゃんと食べなきゃ」
そしてきっぱりと言い放つ
「今日、もう一度玉里さんの夢に入る。私の話をするって約束もしたし。現実で会う約束もする。お母さんに、会いたい」
先代が言った。
「現実で会うって言っても、向こうには記憶残らないでしょ」
「記憶に残ってなくても、一方的に会いに行くことはできるだろ。玉里さんがいる場所はわかってるし。最悪それでいいんじゃない?」
俺の一言で先代はしぶしぶ「あっそ」と突き放す。俺に言われたのが相当不服らしい。それを見ていたあまねが、少しだけ笑った。
「とにかく、今日もう一回行く。優吾もお願い」
「はいはい」
そう頼まれるのは、苦じゃなかった。
「じゃあ大学行こっか」
あまねはとてつもない速さで切り替えて、鞄に教科書を詰めていた。こんなときまで真面目だな、と呆れ半分で思った。
「優吾は間に合いそう?」
そう言われて、スマートフォンを手にとった。
「うん。なんとか間に合うよ」
「そっか。じゃあ、また後で」
また後で会う約束をして彼女のアパートを出た。
* * *
今日玉里さんの夢に入ったとき、彼女は乳児のおもちゃをじっと見つめていた。こちらが先に声をかけるまで、俺達に気づかなかった。
「玉里さん。約束を果たしに来たよ」
あまねのその一言で、玉里さんはようやく顔を上げた。
「そう……。申し訳ないわね。お茶も用意できないで」
夢の中でそんな気遣いをされたことがないあまねはきょとんとする。
「ここは夢の中だから、喉はかわかない」
「それもそうね」
玉里さんはそう言って微笑んだ。
あまねは玉里さんの隣に座った。なぜか俺も一緒に座らされる。可愛らしい子ども部屋に、大学生二人と大人一人がぽつんと座っているという少々異様な光景だが、外から見ている人は誰もいない。
「玉里さん、私の名前覚えてる?」
「あまねさん、よね。苗字は覚えてないけど……。私の娘と同じで、最初に聞いたときは驚いたわ」
あまねは頷いた。
「苗字は後からつけてもらったものだから好きじゃない。優吾にも、名前で呼んでもらってる」
「呼んでもらってるっていうか、ほぼ強制だったんだけど」
皮肉っぽくそう言うと、「うるさい」と返された。
玉里さんは、そんな俺達のやり取りを気にしていなかった。
「後からつけてもらったって、どういうこと……?」
血の気の引いた顔でそう呟いた。
ふくれていたあまねの顔が引き締まった。
「……私は、親の顔を知らない。物心ついたときには、私は児童養護施設にいた。親からもらったのは、『あまね』という名前だけ。十八年前の地震で、はぐれたこともわかってる。
後から施設の人に聞いた話だけど、私が見つかったときは周りに人はいなくて、歩き始めたばかりの子どもが雨に濡れてうずくまっていたそうです。服に、ひらがなで『あまね』って書かれてはいたけど、苗字はわからなかった。私が誰なのかわからないから、まともな調査もしてもらえなかった」
玉里さんが、鋭く息を吸った。
「子ども一人にできることなんて限られているから、どうすることもできなかった。だから私は、〈獏〉の能力を使って、星の数ほどある夢の中から、両親を探していたんです」
「それが、私だと……?」
玉里さんは半信半疑で呟く。
あまねは首を振った。
「すぐに信じられる話じゃないのは、わかってる。私も、確信が持てたわけじゃないから。でも、間違いないと思う。同じ境遇を持つ人が、他にいるとは思えない。盲目的だと思う?」
玉里さんは、あまねのブラックオニキスのような瞳を見つめて、じっとしていた。
二人がはぐれたのは十八年前。一歳だったあまねが親の顔を覚えているはずはないし、玉里さんの記憶の「雨音」と今のあまねを結びつけるのは難しいだろう。あまねの白い髪も、元々は黒かったという。あてにならない。
玉里さんよりも先に、あまねの口が動いた。
「玉里さん。私と会ってください。もちろん、現実で」
玉里さんは呆気にとられて言った。
「それはいいけど、あなた、私がどこにいるのか知ってるの?」
それで諦めるわけにはいかなかった。
「わかってます。私達、玉里さんにはもう会ってるんです。玉里さん、玉響大学の食堂で働いているでしょ? 私達、そこの学生だから」
玉里さんは目を見張った。
「まさか、そんなこと……」
「ある、みたいです。優吾が食堂で会った玉里さんのことを思い出してくれなかったら、わからなかったけど」
そう言ってから、俺の方を見て笑った。
玉里さんが詰めていた息を吐いて、「信じられない……」と呟いている。
「この夢の記憶は、現実の玉里さんには残らない。だから、仕事中に押しかけることになるけど……」
玉里さんは顔をほころばせた。
「それくらい大丈夫。職場では、ある程度信頼されているから。多少のわがままは聞いてくれるはずよ」
あまねの顔を少し見つめた後で、なにかを思い出したかのように言った。
「『雨音』って名前はね、私が考えたの。あなたが生まれた日に雨が降っていたっていうのもあるけど、他にも理由がある。……それは、あなたと現実で会ったときに残しておきま しょうか」
あまねは笑みを浮かべてうなずいた。
玉里さんは、ふとある物に気がついた。それは、彼女が手に持っていた、乳児用のおもちゃ。使われた痕跡はほとんどなく、色も鮮明だ。
玉里さんは、哀しげな目でそれを見つめていた。
「玉里さん。それを壊してください」
その目を見るうちに、勝手に口が動いていた。
「あなたをこの悪夢に閉じこめているのは、そのおもちゃです。それを壊せば、この悪夢は消えます」
あまねも真剣な表情で頷いた。
「……わかったわ」
玉里さんは、名残惜しそうにそのおもちゃを撫でてから、思いっきり床にたたきつけた。
「どうしたのよ……。あまね、なにがあったの?」
あまねは乱暴に涙をぬぐった。
「お母さんが、いた」
「はぁ?」
先代がすっとんきょうな声で叫んだ。あまねの説明だけじゃ信用できなかったらしく、そのまま俺の方を振り向く。
「正確には、似た過程で娘を失ったって人だけど……。はぐれた日にちも娘の年齢も一致するから、あまねの母親と考えていいと思う」
先代はあっけにとられていた。まさかあまねの母親が見つかるとは思わなかったのだろう。
「まさか本当に見つかるとはね……」
あまねは小さくうなずいた。少しして落ち着いてからぽつりと言う。
「これは、私の夢でもある。だから、ちゃんと食べなきゃ」
そしてきっぱりと言い放つ
「今日、もう一度玉里さんの夢に入る。私の話をするって約束もしたし。現実で会う約束もする。お母さんに、会いたい」
先代が言った。
「現実で会うって言っても、向こうには記憶残らないでしょ」
「記憶に残ってなくても、一方的に会いに行くことはできるだろ。玉里さんがいる場所はわかってるし。最悪それでいいんじゃない?」
俺の一言で先代はしぶしぶ「あっそ」と突き放す。俺に言われたのが相当不服らしい。それを見ていたあまねが、少しだけ笑った。
「とにかく、今日もう一回行く。優吾もお願い」
「はいはい」
そう頼まれるのは、苦じゃなかった。
「じゃあ大学行こっか」
あまねはとてつもない速さで切り替えて、鞄に教科書を詰めていた。こんなときまで真面目だな、と呆れ半分で思った。
「優吾は間に合いそう?」
そう言われて、スマートフォンを手にとった。
「うん。なんとか間に合うよ」
「そっか。じゃあ、また後で」
また後で会う約束をして彼女のアパートを出た。
* * *
今日玉里さんの夢に入ったとき、彼女は乳児のおもちゃをじっと見つめていた。こちらが先に声をかけるまで、俺達に気づかなかった。
「玉里さん。約束を果たしに来たよ」
あまねのその一言で、玉里さんはようやく顔を上げた。
「そう……。申し訳ないわね。お茶も用意できないで」
夢の中でそんな気遣いをされたことがないあまねはきょとんとする。
「ここは夢の中だから、喉はかわかない」
「それもそうね」
玉里さんはそう言って微笑んだ。
あまねは玉里さんの隣に座った。なぜか俺も一緒に座らされる。可愛らしい子ども部屋に、大学生二人と大人一人がぽつんと座っているという少々異様な光景だが、外から見ている人は誰もいない。
「玉里さん、私の名前覚えてる?」
「あまねさん、よね。苗字は覚えてないけど……。私の娘と同じで、最初に聞いたときは驚いたわ」
あまねは頷いた。
「苗字は後からつけてもらったものだから好きじゃない。優吾にも、名前で呼んでもらってる」
「呼んでもらってるっていうか、ほぼ強制だったんだけど」
皮肉っぽくそう言うと、「うるさい」と返された。
玉里さんは、そんな俺達のやり取りを気にしていなかった。
「後からつけてもらったって、どういうこと……?」
血の気の引いた顔でそう呟いた。
ふくれていたあまねの顔が引き締まった。
「……私は、親の顔を知らない。物心ついたときには、私は児童養護施設にいた。親からもらったのは、『あまね』という名前だけ。十八年前の地震で、はぐれたこともわかってる。
後から施設の人に聞いた話だけど、私が見つかったときは周りに人はいなくて、歩き始めたばかりの子どもが雨に濡れてうずくまっていたそうです。服に、ひらがなで『あまね』って書かれてはいたけど、苗字はわからなかった。私が誰なのかわからないから、まともな調査もしてもらえなかった」
玉里さんが、鋭く息を吸った。
「子ども一人にできることなんて限られているから、どうすることもできなかった。だから私は、〈獏〉の能力を使って、星の数ほどある夢の中から、両親を探していたんです」
「それが、私だと……?」
玉里さんは半信半疑で呟く。
あまねは首を振った。
「すぐに信じられる話じゃないのは、わかってる。私も、確信が持てたわけじゃないから。でも、間違いないと思う。同じ境遇を持つ人が、他にいるとは思えない。盲目的だと思う?」
玉里さんは、あまねのブラックオニキスのような瞳を見つめて、じっとしていた。
二人がはぐれたのは十八年前。一歳だったあまねが親の顔を覚えているはずはないし、玉里さんの記憶の「雨音」と今のあまねを結びつけるのは難しいだろう。あまねの白い髪も、元々は黒かったという。あてにならない。
玉里さんよりも先に、あまねの口が動いた。
「玉里さん。私と会ってください。もちろん、現実で」
玉里さんは呆気にとられて言った。
「それはいいけど、あなた、私がどこにいるのか知ってるの?」
それで諦めるわけにはいかなかった。
「わかってます。私達、玉里さんにはもう会ってるんです。玉里さん、玉響大学の食堂で働いているでしょ? 私達、そこの学生だから」
玉里さんは目を見張った。
「まさか、そんなこと……」
「ある、みたいです。優吾が食堂で会った玉里さんのことを思い出してくれなかったら、わからなかったけど」
そう言ってから、俺の方を見て笑った。
玉里さんが詰めていた息を吐いて、「信じられない……」と呟いている。
「この夢の記憶は、現実の玉里さんには残らない。だから、仕事中に押しかけることになるけど……」
玉里さんは顔をほころばせた。
「それくらい大丈夫。職場では、ある程度信頼されているから。多少のわがままは聞いてくれるはずよ」
あまねの顔を少し見つめた後で、なにかを思い出したかのように言った。
「『雨音』って名前はね、私が考えたの。あなたが生まれた日に雨が降っていたっていうのもあるけど、他にも理由がある。……それは、あなたと現実で会ったときに残しておきま しょうか」
あまねは笑みを浮かべてうなずいた。
玉里さんは、ふとある物に気がついた。それは、彼女が手に持っていた、乳児用のおもちゃ。使われた痕跡はほとんどなく、色も鮮明だ。
玉里さんは、哀しげな目でそれを見つめていた。
「玉里さん。それを壊してください」
その目を見るうちに、勝手に口が動いていた。
「あなたをこの悪夢に閉じこめているのは、そのおもちゃです。それを壊せば、この悪夢は消えます」
あまねも真剣な表情で頷いた。
「……わかったわ」
玉里さんは、名残惜しそうにそのおもちゃを撫でてから、思いっきり床にたたきつけた。
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