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Case.3 牛鬼
第十二話
しおりを挟む「……ごめんなさい」
不意に、凛津が名津の学ランを掴んだ。
「何? さっきのこと?」
凛津は頷く。
「別にオレは大丈夫だよ。それより澪が──」
「『違う』。あなたの心配をしているの」
彼女の〈言霊〉は、彼女の感情一つで外に出てしまう。それは名津にも、負担になってしまうことだった。
チクリとしたその痛みに、名津は少し顔をしかめた。
「……凛津ってさ、ほんとに澪のこと嫌いだよな」
凛津は首を横に振った。
「違うの?」
凛津は微かに頷く。だが、その理由を言ってはくれない。
「だからさ、言ってくれないとわからないんだって。凛津が十年前のことを気にしてるのは知ってるけど。だけど……」
凛津はうつ向いていて、どんな顔をしているのかわからない。
「やっと元に戻してもらえたのに、こんなんじゃ嫌だよ」
彼等は事故の後、別々の場所で暮らしていた。その理由は、暴発する可能性のある凛津の〈言霊〉から、なんの力も持たない名津を遠ざけるためだった。中学二年生の秋、名津はようやく実家に帰ることができたのだ。
しかし、その頃にはもう、名津が知っている明るい凛津はいなかった。無駄に言葉を発することを避ける、寡黙な人になっていた。
「私、は……」
感情の高ぶりを抑えたような声が聞こえる。途切れ途切れの、不器用な言葉が聞こえる。
「私、だって嫌だ。でも、これ以外に方法はないの。十年、経っても駄目だった。だから、もう『駄目』なの!」
その言葉が、刃物となって名津に向かっていく。
「あ……ごめっ……」
青ざめた顔をしている凛津とは対照的に、名津は笑っていた。
「大丈夫。見えるから、避けられる。流石に全部は無理だけど」
本来〈言霊〉とは、目に見えないものである。だが、事故を防ぐため、術者の技量次第で可視化ができるよるになる。
それだけ凛津が努力を重ねてきたということだ。
「桃田澪は、嫌いじゃない。でも、わからない」
名津は、不思議そうな顔をしている。
「最初は好きじゃなかった。なにも知らない〈退鬼師〉が、どうしてこんなところにいるのか、わからなかった。でも、あいつは違う。多分、〈退鬼師〉でもない。全く別のもの。私の〈言霊〉が、全く効かなかったから」
状況にもよるが、〈言霊〉を当てられると、必ず作用は生じる。前に、凛津は澪に、『関わらないで』と言った。しかし、それは──。
「効かなかった?」
凛津は頷いた。
「そんなことあるのか? 凛津くらいの術者の〈言霊〉なのに?」
名津は驚いて、目を見開いている。
「だけど、それはつまり、『可能性』があるってこと」
名津が家に戻してもらってから、初めて聞いたような、はっきりとした声だった。
「澪が私の〈言霊〉の暴走を防いでくれる。そういう可能性」
* * *
「案外、冷静なんだな」
有馬先輩にそう言われたのは、校長先生のところに直談判しに行った翌日のことだった。
私が〈半鬼〉だということは、その日のうちに他の人達に伝えていた。だからといって、何かが変わるわけではないけど、伝えないのも違うような気がした。
「……そう見えますか?」
それは、口答えともとれる言葉だった。だが、有馬先輩は、そこには言及しなかった。
「もっとぎゃーぎゃー言うものだと思ってた」
「有馬先輩、私のことどう思ってるんです……?」
有馬先輩は表情一つ変えなかった。
「……面白い奴?」
疑問形なのが気になるけど、それは誉め言葉として受け取っていいのかな。
「そりゃあびっくりはしましたよ。だって急に、『あなたは人間じゃない』って言われたんですから」
それを聞いた有馬先輩は、少し躊躇いながら口を開いた。
「……俺が〈退鬼師〉だってわかったときは、結構酷かったから、ちょっと心配になっただけだよ。親の反応とか、他にも色々」
凛津さんや会長さんと違って、有馬先輩の家は、〈退鬼師〉を排出してきた家じゃない。だから家族に否定されたって、おかしい話じゃない。むしろ当然の反応だ。
「私は大丈夫です。どうせ両親も、私のことなんか興味ないですから」
「冷めてんな」
「それは……」
言い訳をしようとしたところで、有馬先輩が私の言葉を遮った。
「言ったろ? こういう世界には首を突っ込みすぎるなって」
それは、入学してすぐの頃、有馬先輩が私に向かって言ったことだった。
「両親とは、あまり仲がよくないんです。〈専部〉のことも、全く話していないし……」
有馬先輩は口を挟まなかった。
「多分、中三のときに喧嘩してそのままなんだと思います」
「多分……?」
「中三の一年間、記憶が曖昧なんですよ。なにも思い出せなくて。どこかへ行った記憶はあるんですけど──」
それを途切れさせたのは、田沼先生の言葉だった。
「ちょっと大変なことになってる」
この場にいたのは、私と有馬先輩。そして、凛津さんと名津君だった。
「今、中等部のあたりで〈牛鬼〉が二匹暴れているらしい。中等部の専部の奴等じゃ、対処しきれないみたいなんだ」
牛鬼。非常に残忍・獰猛な性格で、人を食い殺すことができる鬼。その名前の通り、頭は牛、体は鬼の形をしている。
「だから、お前等四人で、加勢に──」
そこまで言って、田沼先生は言葉をやめた。凛津さんと名津君の不調を知っていたからだ。名津君も、微妙な顔をしている。
そんな空気を変えたのは、凛津さんだった。
「大丈夫。私達も行ける」
名津君が、驚いて凛津さんの顔を見た。
「オレ達もって……。また取り逃がしたらどうするんだよ!? 〈天邪鬼〉とはわけが違うんだぞ!?」
「『わかってる』」
その〈言霊〉は、意図して使われたものだ。ただの直感だけど、そう感じた。
「わかってるから、大丈夫」
そう言った凛津さんの口には、笑みが浮かんでいた。私が初めて見た──そして、名津君が久々に見たであろう顔。
それを見た田沼先生は、安心したかのように、笑って言った。
「じゃあ、頼んだ」
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