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第二章
第九話
しおりを挟むその後、穂積が現れることはなかった。特別なことはなにもなく、いつも通りに授業が終わった。
割れた窓も、不幸なことにその瞬間を見ていた人がいなかったために、曖昧に片付けられてしまった。
そしてそのまま、次の朝を迎える──。
翌日、早朝。
「やあ一希君」
「あ……。おはようございます」
フォーエバーこと十羽さんがしゃもじとフライパンを手に現れた。
いやそれはおかしくないか? 今までなに作ってたんだろ。
「あのねー……。君に頼みたいことがあるんだ……」
居候させてもらっている身としては、なにを頼まれたとしても断るわけにもいかない。結構沈んでいるのが気がかりだ。
「あのね、朝ご飯作るの手伝ってくれない? 僕、寝坊しちゃった……」
「は、はあ……」
意外とありがちなことに拍子抜けしてしまった。なぜこの人はこんなに落ち込んでいるのだろうか……。
承諾の意を伝えると、彼の顔が輝いた。
「ねえねえ。今枝君て、主夫でも目指してるの?」
登校中、咲姫がそんなことを聞いてきた。
「別に目指してるわけじゃないけど……。それがどうした?」
「いやぁ……。料理のスペック高いなあって……」
「ああ、それね」
そりゃ母親いないわ、父親はすぐいなくなるわだったら、嫌でもスペック高くなるよ。おかげで、家庭科の成績はいつも最高評価だけど。
「調理実習そろそろやるよね? 今枝君と同じ班にならないかなぁ。楽できるし。私、料理とか全然できないの」
「そりゃどうも……」
楽かもしれないけど、咲姫の成績もスペックも上がらないんじゃないのか?
「……教えてあげるけど」
「むむ……。男の子にそんなこと言われるのなんか屈辱」
* * *
この日は何事もなく、あっけなく終わった。
窓が割れたみたいな大事どころか、昨日の朝みたいないたずらもなし。ポルターガイストなんてもってのほか。
平和なのはいいけど、少し怖い。嵐の前の静けさみたいなやつじゃないといいけど……。
「えー、来週からの中間テストですが──」
担任の長ったらしい話を聞き流す。テストと聞いて思い出すのはやはり穂積のことだ。成績が結構近かったから、よく競いあったっけ。まあ、そんなに褒められた出来ではなかったけど……。
そう思うと、急に懐かしさと寂しさが襲ってきた。
まさか三週間前まで当たり前だったことを懐かしく思うなんて。失って初めて気づくとはこのことか。
緩みそうになった涙腺を隠すために顔を伏せた。
「おーい、一希! 部活行かね? てか入部しようぜ!」
話しかけてきたのは神木だった。気持ち悪いほどにこにこしている。
「行かないし入部もしない。だから俺、そんなに運動できないって」
そう言っても神木は食い下がる。
「そうか? そうは見えなかったけど」
そりゃあ昨日は見ていただけで大したことはしてないからな。それだけでもこっちはかなり疲れたんですよ。
「……ごめん。今日は帰る」
神木が残念そうに「えー……」と言っているのを聞きながら席を立った。
まさにその瞬間だった。
「今枝君後ろっ……!」
咲姫の鋭い声が響く。
驚いて振り返ると、黒い影をまとった人影が目の前に迫っていた。目前で起きていることに理解が追い付かず、咄嗟に動くことができない。
そんな隙を、彼は逃さなかった。
本当に、あっという間の出来事だった。
その瞬間、そこにいたはずの俺はいなくなっていた。
* * *
「ねえ、おれ達って、死んだらどうなるの?」
子どもの声が頭に響く。
「死んだら? そうだなあ……」
その声は、予想だにしないことを言う。
──皆を、傷つけるんだよ。
やけに生々しい声だった。
* * *
「なにあれ!? どうしたの?」
今枝君が消えて、教室が一気に騒がしくなった。帰り際で人がいないはずなのに、何十人もここにいるような騒ぎようだ。
パニックになっている友達をなだめながら私は考えた。
──あれは誰だったの? 今枝君の知り合い?
「怨霊」という単語が頭に浮かんでいる。
そうだ。昨日の会話──。
「……『ホヅミ』って人だ」
幸い、友達は落ち着きを取り戻しつつある。彼女を他の子に託した。
「ちょっと咲姫。どうしたの?」
彼女は青ざめた顔で言う。
「うん? 大丈夫だよ、危ないことはしないから」
私はそのまま教室を出た。
* * *
黒い影が見える。恨みをはらんだ、黒い影が。
「なあ……。お前、俺のことそんなに嫌いだった?」
その影──若山穂積の亡霊はなにも言わない。ただ、ひとりでにゆらゆらと揺れている。
こいつはなにもしないし、俺もなにもできない。
「お前は、なにがしたかった?」
問いかけたところで、影は答えるどころか、動くこともしなかった──。
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