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第十一章
第五十四話
しおりを挟む宙に浮かぶ魂には、誰かに危害を与える雰囲気はなかった。持ち主らしき体はすぐ側にあるし、その身体は自分の意思で動いている。魂は行き場を失って、自分の身体に体当たりを続けていた。
たまに野良の奴は見るけど、一度にこんなにも見かけたのは初めてだった。
うごうごと漂う魂。その異常さに吐き気がしてその場を離れた。
* * *
「……ってことがあったんですけど……」
相談先は十羽さんだった。
「うーん。そうか……。それだけの数がいると、君一人じゃ対処できないしね~。仕方ない、大丈夫」
とご本人はかなり楽観的に捉えている。みかんを差し出されたが、そんな気分になれずに断った。
「これも、彼の仕業だと思うかい?」
彼とは久世さんのことだろう。この流れで、違う人の名前が出ることはまずない。
「多分、そうだと思います」
「そうだろうねぇ~」
十羽さんはみかんの房をひとつ、口の中に放った。
「彼については情報不足だから、なんとも言えないね。水原ではどんな人だったんだい?」
「えっと……」
あの人とは年もそこそこ離れているし、なにしろ得意な性格じゃなかったし。嫌な思い出ばかり浮かんできて、本質的なものには辿り着けない。
「すいません。あの人のことはよく知らなくて」
そう言うしかなかった。
「そうだろうね~。君、嫌いな人のことはとことん嫌うタイプだろ?」
十羽さんは二つ目のみかんを向きながら言う。十羽さんにもわかるくらいあからさまだったのか、と今更思い知らされて恥ずかしくなった。
「僕の方は彼の素性すら知らないからね。さーてどうしたものか……」
真面目に考えているのかいないのかわからない態度で言う。
「君のお父さんを見る限りだと、水原では結構伝統? とか大切にしてたんだろ? なら、彼も親とか周りの人に色々言われて育ったのかもね……」
そこで初めて、十羽さんの手が止まった。
「どちらにせよ、彼をどうにかしないと終わらない」
わかってる。それは、わかってる。
自分の命が脅かされていると理解していても、彼をどうこうする気にはなれなかった。
「今枝君! あれ見た!?」
友達との勉強会を終えて帰ってきた咲姫の第一声だった。
「……姉ちゃんうるさい」
「ご、ごめん」
宿題をやっていた桐に言われて咲姫は肩をすくめた。姉のことが鬱陶しくなったのか、桐は自分の部屋へ戻る。もしかしたら、また犬か猫を匿っているかもしれない。
「それで、あれって……」
そう話を促すと、咲姫は壊れた機械のように話し始める。
「もうびっくりしたよ! 朝はなにもなかったはずなのにさ? 道にいっぱい魂いて! 私なにもできないからそのままにしちゃったけど……。でも、あの数は今枝君にもどうにもできないよね……」
こちらが口を開く間もなく、咲姫は捲し立てる。
「なんて言ったらいいんだろう? 身体から離れては戻って……って感じがする。でもさ、とにかく変なんだよ! だって持ち主っぽい身体の人、なんの異常もないんだもん」
咲姫が言うなら間違いないんだろう。やっぱり、朝のあれは放っておくべきじゃなかったのか?
「放っておいても危害はないかもしれないけど、自然発生にしては数が多すぎる」
咲姫ですら首を捻っている。
これは線引きが曖昧なのだ。そもそも身体から魂を引き剥がすのは誰もがなせる技ではないし。ある程度の事情を知っている人にしか想像できないのだ。
「野良の魂は確かに自分の身体を探すこともあるけど、そういうことでもなさそうだな」
これはたっぷり一年間、最前列で魂の行動パターンを見た結論だ。
「死んじゃった後だもんね。元の身体は別の場所に移ってるか、そもそも帰り道を見失っただけで彷徨ってるだけの魂も多いし」
「…………」
白状するべきだ。そう思った。
「……俺も朝に見たよ。けど、一人じゃどうしようもないから見ないふりしてた。こんなことなら、すぐに対処すればよかった」
「確かにそうかもしれないけど、君一人で対処できる量じゃないでしょ」
「…………」
そこで口を挟んだのは十羽さんだった。
「おいおい君達~。君達の本業は学生だよ~。そっちを疎かにしてどうするんだい?」
二人揃って黙りこんでしまった。
彼の言う通りなのだ。俺達はあくまで学生で、そんな大層なことをする人じゃない。
「平日にどうにかするのは無理だろうね。せめて時間がある日じゃないと」
そう言って十羽さんは俺の肩をポンと叩く。
「じゃあ一希君、頼んだ」
「はあ……」
心境としては「まあ、そうなりますよね」だった。
「普段は今すぐ怨霊化しそうな魂だけ対処して、あとは別の日にしよう。今週の土曜日、いけるかい?」
無言で頷く。
咲姫みたいな例外を除いて、呪術士と封術士は相反する関係にある。呪術士が起こした変化を元に戻すのが俺達の役目。だからこれは、俺にしかできない仕事だ。
「ところで咲姫」
「えっ」
十羽さんが突然咲姫の方を向いた。
「お前は首を突っ込まないように」
うわ……。十羽さんのこんな笑顔、初めて見た。
「兄ちゃん、この間の模試悪かったの知ってるからな」
「……はい」
十羽さんに怒られている咲姫が、少し面白く見えた。
* * *
「……結構な数ですね」
「そうだねぇ。なんとかなるといいけど」
翌々日の土曜日。町の中でも魂が大量に蔓延る場所へ来た。咲姫が「今枝君一人じゃ心配だ」と言うので、十羽さんと一緒に。
信用されていないみたいでかなり悲しかった。
「いけそうかい?」
「……頑張ってみます」
断定するほどの自信はなかった。
ここにいる魂のほとんどは、俺に敵意を持っているわけじゃないようで、前に咲姫の友達に襲われたときほど大変ではなさそうだ。
「いやぁ……。本当、君は凄いねぇ……」
十羽さんの感心したような声がする。
「たった一年で、ここまで来るもんなぁ……」
気付いたら、その場に浮いていた魂は全ていなくなっていた。
「これ、結構きついですね……」
「一希君おつかれ~。それじゃあ戻って受験勉強しようか~」
十羽さんが笑顔でそんなことを言う。スパルタか。
十羽さんは魂が見えないはずなのに、野生の勘みたいなやつで、魂の居場所がなんとなくわかるらしい。このまま魂の頻出地を探してくれるそうだ。
「次はいつにしようか?」
十羽さんは悪魔的笑みを浮かべる。ようしゃない。
「そんな必要はねぇぞ、一希」
突然後ろから、肩をぽんと叩かれた。
前にいる十羽さんの顔に疑問符が浮かぶ。後ろの人物と彼には面識がないのだ。
「……久世さん?」
恐る恐る名前を呼んでみる。笑い声が返ってくる。
「いやぁ、派手にやられちまったな」
敵意のないその笑顔には、薄ら寒ささえ感じた。
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