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第九話 遺跡と秘密の部屋

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 山鳥の寂しく鳴く声だけが響く深夜。

 ヒースクリフは家をこっそりと抜け出しそうと目を開けた。

(みんなは寝ているよな……?)

 残りの家族─────母親と二人の兄は農作業などのもたらす労苦の効能でぐっすりと眠っている様子だ。

 ちなみに父は兵役に駆り出されており不在である。

(戦争がとっくに終わっているのに軍から帰ってこない父親……か)

(どこかで女でも作ってるんじゃないかってのは、流石にひどい言いがかりだな……)

 母親が大の字になっていびきをかいている姿も見ながら、彼女に日ごろから聞かされる恨み言の内容を思い出す。

(さてと……)

 忍び足で布団を抜け出し、音を立てないように扉を開く。

 開く度にギーギーうるさい建て付けの悪い扉を無音で開くのは、それ自体試練のようなものだったが、彼はその偉業を難なく成し遂げる。

 家族全員でごろ寝する大部屋から忍び出ることも困難だが、今の彼には造作もないことだった。

 月の光の下に出たところでヒースクリフは、誰に言うでもなく呟いた。

「じゃあ、行くか」

 月光を背に受けて、目的の方向に走り出す。

 彼を目的地に運ぶ脚は今や風のようにしなり、その圧倒的な加速は残像すら残さなかった。

(うーん、予想以上に強化効率がいいな)

(前世で八歳の頃にこの強度で魔力強化を掛ければ、脚が弾け飛んでいた……)

(こんな体に当たるとはやはり運がいいとしか言いようがない)

(神の采配はやはり偉大だ……)

 運命を司ると言われる神に、彼は感謝を捧げた。

 その偉大なる御神の使徒によって、前世の自分が殺害されたに等しいことを彼は知らなかったのだ。

 ヒースクリフの感謝は皮肉なものであったが、イマナ神は何を思ったか。

(っと。ここだな)

 地面に片足をめり込ませ、急ブレーキを掛ける。

 そして、目の前に聳え立つ遺跡を見上げた。

(今日はタイムを二秒更新か。順調だな。この体にも徐々に慣れて来たぞ)

 そんなことを考えながら“光石遺跡”に足を踏み入れる。

 遺跡の中に入ると、どこか寒気がしてくるが、いつものことなので彼は気にしない。

 その名前は村で言い伝えられてきたものらしいが、遺跡について詳しいことを知っているものは誰も居なかった。

 伝えられていたのは、その名称と言い伝えがひとつだけ。

『決して、遺跡には近寄るな。もし足を踏み入れれば、大いなる災いが解き放たれるだろう』

 この辺の子供はこの伝承を畏れ、ここに入ろうとはしない。

 だが、ヒースクリフはただの迷信深い田舎者でも幼いだけの子供でも最早無かった。

 堂々と侵入し、何も起こらないことに拍子抜けしたくらいのものだ。

 更に、近頃は慣れたものでその足取りに躊躇いも無くなってきた。

 他の場所には目もくれず、中央の神殿だったらしい建物の残骸へと足を進める。

 一番広く、人目にもつかない高い壁に囲まれたここは、彼のお気に入りの訓練場である。

(光石遺跡、変な名前だ。光る石なんてどこにもありはしないのに)

(光る石といえば、思いつくのは魔導石かもしくは燐光石、あとは──)

 どうでもいいことを考える余裕すらある。

 それがいけなかったのだろうか。

 何でもない小石にけつまずく。

(おっと……)

 普段の彼であれば躓いた程度、体勢を立て直すことは赤子の手をひねるよりも簡単である。

 だからこそ、あり得ないはずだった。

 更に体勢を崩すなど。

「っ!」

 踏ん張ろうとしたもう片方の足もまた、僅かにあった段差にほぼ同時に引っかかったのが原因である。

 彼は魔力による強化を切っていないし、素の運動能力も半年間重ねた訓練によって飛躍的に高まっている。

 しかし、支点が無ければその力も伝えようがない。

 彼の両足はその瞬間、支えとしての役割を放棄していた。

 このことを強いて表現するとすれば──────

 不運ファンブル

 そうとしか言いようのない出来事だった。

(だが、まあ何も起こらないが)

 勇者であった男が何もないところで、足腰の弱った老人のように無様に倒れこむというだけのことである。

 しかも、彼にはちょっとした幸運が残っていたらしい。

 体を支えるものが無ければ、転んでいたその瞬間。

 顔を上げると、幸運にも手をつける壁が目に入る。

(ふっ、幸運と不運というのはセットであるらしいな)

 壁に手をつく。

 ──────いや、つこうとした。

 ずっと後になってから、ヒースクリフは自伝にて述べている。

 あの時足を取られた不幸の対となる幸運は、壁があったことではない。

 そこに壁が無かったことなのだ、と。

 壁が実は存在しなかったことが、今後の彼の人生のターニングポイントとなる極大の幸運であった。

 未来の自分がそんなことを考えているとは知らないヒースクリフは、自分の目を疑う。

 壁に伸ばした腕は何の手ごたえも伝えずに、そのまま飲み込まれていったのだ。

(っ!?罠か!!)

(幻影魔法だ!ぬかった!)

 体勢を崩した体は“壁に見えた部分”をすり抜けて隣の部屋に倒れこんだ。

 しかし、予想に反してなんの攻撃も飛んでは来ない。

「なんだ!?」

 素早く立ち上がったヒースクリフは、部屋を見渡した。

 その部屋には奥に石造りの門があるだけで他には何も無い。

 何百年も誰も足を踏み入れなかったのではないかと思うほど、塵が積もっている。

 飛び込んだ拍子に巻き上げた埃にむせながらも、トラップに引っかかったわけではなかったことに安堵した。

「罠ではなかったか……」

(それにしても、なんて無様をやったんだ)

 倒れこんだ拍子に、地面につけてしまった手を払う。

(しかし……)

「俺に見抜けないとは、随分高度な幻惑魔法だったな」

 誰に言うでもなく、言い訳するようにつぶやいた。

「……随分大切なものを隠していたのか?」

 遺跡の隠し部屋には財産が隠されていると相場が決まっている。

「面白い……」

 例え、一見何もないように見える部屋にも、何かが隠されているかもしれない。

 そして、用心深く辺りを見回して言った。

「ここは、遺跡の隠し部屋か。これまで全く気が付かなかったのは悔しいな。──────それに、あれは?」

 目線は部屋の奥に設置された石門に吸い寄せられる。

 というよりも、部屋にはそれ以外注視するべきものが無かった。

 まるでその門を隠すために、この隠し部屋が作られたかのようだ。

 その先からはぼんやりとした光が出ているように見える。

(百年単位で放置された部屋の先に光源を置くやつなどいるはずがない)

(それにそんなに長く発光し続ける物質など……あれ以外には考えられん)

「奥の光は見まがうはずもない。あれは、燐光石の輝きだな」

「つまり、これは……ダンジョンの入り口というやつか」

 ダンジョン、それは世界の魔力だまりで生じる現象のことだと言われている。

 世界には魔力が淀んで溜まりやすい場所があり、そんな場所ではこの世ならざる生き物たち────魔物が跋扈しているのだ。

 素人がむやみに立ち入れば、命を落とすこと必至の人外魔境である。

 だが、それを目にしたヒースクリフは先ほどよりも更に愉し気な笑いをこぼした。

 嬉しくてたまらないという笑みである。

 ダンジョンの存在はどんな財宝の存在よりも、彼をワクワクさせる。

 思えば、勇者ハルデンベルグもダンジョン探索は得意であった。

「面白い。久々に腕試しと行こうか」

 ヒースクリフは躊躇いなく、ほのかに明るい門の先に足を踏み出した。
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