ガンダルヴァの城のごとく(長編版)

さんかいきょー

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剣聖は災厄に我を見た

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 ガンダルヴァの隣国パールシーを、災いが横切っていた。
 人の形をした、シューニャという剣術災厄がパールシーに侵入して一年が経った。
 人海戦術は孤軍には通用せず、シューニャの通った後には無数の死体が転がるのみだった。
 パールシーを支配する宗教政権は敵を作り上げ、それに勝利することで民衆の不満を逸らし、熱狂的支持を維持してきた。
 だが、その敵に敗北してしまった。
 昨年のガンダルヴァ侵攻作戦は失敗し、神聖義勇軍として送り出した12万人もの一般民衆は帰ってこなかった。
 更には国内に侵入した、ただ一体の魔性の者にすら政権は何も出来ない。
 シューニャに追い立てられるように人々はパールシー首都に向かって避難を続けた。
 それでも尚、パールシー宗教政権の革命有志隊は徴兵を続けた。
 勝つ見込みのない人海戦術に使うために。
「さあ、汝らも神の戦士となるのだ! 汝らの親のように! 子のように!」
 今日もまた、白い服装の預言者に扮した革命有志隊の一団が、馬に乗って難民キャンプを走り回る。
 それを見る避難民たちの目に、もはや信仰心はなかった。
 狭いキャンプに数万もの人口が密集し、人々は飢えと不潔のどん底で喘いでいた。
「なあ、預言者サマよ。神様の国ってなあ……そんなに良い所なのかよ?」
 誰かが言った。
 革命有志隊は馬を止め、振り返った。
「そうだ! 戦士として殉じた者には、神の世界で永遠の幸福が──」
 次の瞬間、馬上の有志の顔面に投石が食い込んだ。
 人間を一撃で死にいたらしめるには十分な大きさと重さを備えた石が、全力で投擲されたのだ。
 頭骨を砕かれた有志は絶命し、小汚い路上に白い服が落下した。
「そんな良い所なら……テメェが行きゃ良いだろ」
 いつの間にか、革命有志隊の一団は避難民たちに囲まれていた。
 何十、何百もの眼に浮かぶのは不平不満、怒り、憎しみ、怨、怨、怨!
「俺のオヤジもオフクロも、去年に兵隊に取られて帰ってこねぇんだよ!」
「本当にカミサマがいるならよぉ~、どぉーしてバケモノ一匹に勝てねぇんだ!?」
「なんでお前らは戦わないんだ!」
「俺たちは飢えて家もないのに、どうしてお前らは綺麗な服を着てるんだ!」
 殺気立つ民衆に、有志たちは言い放った。
「それはお前たちの信仰が足りないからだ!」
「我々のせいにするな! お前たちの努力が足りない!」
「徳を積め! 兵になれぬなら寄進しろ! 神のために財産を捧げろ!」
 特権に馴れた有志たちは、いつもの調子で言ってしまった。
 避難民たちの一線を越えた殺気が噴出し──有志隊の一団は、瞬く間に八つ裂きにされた。
 難民キャンプの出来事は局地的なものではなかった。
 パールシーのあらゆる村で、町で、そして首都で、暴動と寺院への焼き討ちが繰り返された。
 民衆の怒りと憎しみの矛先は、今や宗教政権に向かっていた。


 パールシー首都は、いたる所で煙が上がっていた。
 民衆の暴動を鎮圧しようにも、革命有志隊はあまりにも数が少なすぎた。
 王政時代の正規軍を追放してから即席徴兵の人海戦術一辺倒で、新たな国軍を編成する時間もなければ、人材もいなかった。
 革命有志隊の総員は3000名程度だったが、それもガンダルヴァ正規軍やシューニャとの戦闘で消耗し、今や1000名を切っている。
 かつての王城は、二年前に宗教政権の総本山に変わったが──それも今や、崩壊しつつあった。
 暴徒たちが暴れるのは、政権への不満だけではない。
 首都にシューニャが迫りつつあるからだ。
 彼らは逃げ場所を求めて、この元王城に殺到している。
 津波のように……。
「皮肉なものよな」
 一人の男が、テラスから下界を覗いた。
 髭を生やした三十歳前後の男だった。腰にはパールシー伝統の曲刀シャムシールが下げられていた。
 かつては王族が都を眺めるのに使っていたテラスは、今では宗教政権のスローガンの垂れ幕が掛けられている。
 偉大なる天の神と導師様に忠誠を誓おう! という、空虚なスローガンが。
「人の津波で王様を追放したのに、今度は自分らが追放されそうになってら。ハハハハ……」
 男は酒瓶を呷った。
 虚ろに笑う。
 世の諸行無常はなんと滑稽なことかと、人の愚かしき営みを肴に一時の極楽に酔うのだ。
「ファハド殿!」
 城内から、酔いの邪魔が入った。
 革命有志隊の誰か分からん男が、怒りと狼狽が混じった必死の形相でテラスに飛び込んできた。
「こんな時にあなたは、何をしているのか!」
「見りゃわかんだろ。極楽してんだよ」
 ファハドと呼ばれた男は、手すりに背をもたれて酒瓶を見せつけた。
 有志隊の男は、ギリギリと歯を鳴らした。
「あなたを高い金で雇っているのは誰だと思っているのか!」
「おお、言うね言うね~? じゃあ逆に聞くけどよ、オメーらは何してんだよ?」
 ファハドは有志隊の男の肩の向こう、城内の廊下に目をやった。
 宗教政権の高僧や有志隊の指揮官が、持てるだけの財宝を持って走っている。
「楽しい楽しい遠足の準備かな~?」
「あっ……あなたには関係ない! 剣聖と呼ばれていようが、あなたは雇われの剣士! 自分の仕事をされよ!」
 一応の雇い主に仕事を急かされ、ファハドの目の色が変わった。
「フフフ……俺の仕事、ねえ?」
 有志隊の男が殺気を感じたのは、ほんの一瞬。
 ファハドが酒瓶から手を放し、落下する前に再び掴むまで、まばたき一つ。
 僅かに遅れてヒュンっという空裂音と、チン……という納刀の金属音がした。
 有志隊の男が自分の剣に手をかけた時には、ファハドの仕事は終わっていた。
「戦場から逃げる背信者は死すべし……だったよな? ファハハハハ!」
 ファハドが酒瓶をぐい、と呷る。
 有志隊の男は首を半分まで切り裂かれ、ブッ……と血を吹き出して倒れた。
 目視不能の神速剣による斬殺だった。
 ファハドの仕事は、背信者の粛清。
 それを実行しただけだ。
「ムフフフ……どいつもこいつもこのザマだ。誰も……俺についてこれねぇんだ」
 ファハドは淋しげに呟いた。
 手すりに項垂れる。眠るように目を閉じる。
 遠くに喧噪が聞こえる。
 近くで火の臭いがする。
 夢の中に沈む気分で、ファハドは自分の人生を振り返った。
 王都の片隅で生まれ、剣士に憧れて育った。
 母が寝る前に読み聞かせてくれた古の物語、父が語った乱世の英雄譚、それらに登場する武人に憧れて、剣術を習った。
 ひたむきな少年時代。
 努力がいつか報われると信じて鍛錬を続けた青年時代。
 応援してくれた幼馴染の少女、共に剣に励んだ友人たち、彼らの期待に応えられなかった自分。
 王都の剣術大会では準優勝。
 どうして負けたのか。
 自分に何が足りなかったのか。
 考えて、考えて、研究して、ファハドは別の道に逸れていった。
 より速く、より強い剣術──それは今や失われた、三百年前の実戦剣術だった。
 戦乱期の剣術は、とうに廃れ、完全に失伝していた。
 ファハドは文献を調べ、近隣諸国の辺境部族に断片的に残る剣技を学び、数年の月日をかけて独力で伝統的パールシー剣術を復元した。
 隙のなさ、技の鋭さ、圧倒的な速度、どれを取ってもファハドの剣術は現代剣術を凌駕していた。
 技成って、ファハドは剣術大会に挑んだが──
「失格である」
 審判の裁定は、予想外に厳しかった。
「なぜですか! 俺は勝った! 完全に相手を圧倒していた!」
 ファハドは抗議した。
 事実、ファハドの剣に勝てる者はいなかった。
 対戦者は木剣の一撃でことごとく床に沈んだ。
 納得できるわけがなかった。
 審判は首を振った。
「君の剣技は凶暴すぎる」
「なっ……?」
「三百年前の大乱ならばいざ知らず。今は太平の世だ。どこで習ったか知らんが、君のその剣術は今の時代には受け入れ難い」
「時代遅れとでも言いたいのですか!」
「もしくは道から外れた……邪道の剣と言わざるを得ない」
 ファハドが心魂を傾け、人生を削って完成させた剣は……世に否定された。
 気がつけば、ファハドは三十歳近かった。
 わけの分からぬ凶剣を振り回すだけの男から、親しい人達は去っていった。
 かつて共に剣を学んだ友人たちは露骨に距離を取るか、出来損ないとファハドを罵った。
 ほんの少し前まで親身になってくれた幼馴染の彼女は、ファハドが大会に失格したと知った一月後に、誰とも知らぬ役人と結婚した。
 ファハドは──信じていた全てに裏切られたのだ。
「俺の剣が……道場剣術に劣るだと? 踊りも同然の……あんなものにッッッ!」
 血を吐く思いだった。
 気が狂いそうだった。
 何が足りない? 何をすれば良い?
 考えて、考えて、ファハドは答に至った。
「俺の強さが足りんのだ……! もっと! もっと! 誰も無視できぬほどに! 俺の強さを世界に刻んでやる!」
 その日から、ファハドは更に鍛錬を重ねた。
 治安の悪い地方に赴き、用心棒や盗賊狩りをして実戦を積んだ。
 どんな相手だろうと、どれだけの手勢だろうと、ファハドの敵ではなかった。
 敵の剣は甚だ遅く、ファハドの剣は相手が抜く前に切断していた。
 いつしか、辺境でファハドは剣聖と称えられるようになっていた。
 だが、ファハドは地位にも名声にも興味はなかった。
 謙遜しているわけではない。
 清貧を好むのでもない。
「地位も! 金も! 女も! 血縁も! 全ては執着だ! 俺の足を地に縫い付ける呪縛だ! そんなもの一切から解き放たれることで! 俺の足は地を離れて天に届く! もっと速く! もっと高みに! 全てを捨てることで! 無限の強さの頂きにッッッ!」
 執着は弱さであると一切を破却し、剣境を高め、ファハドは更に強くなった。
 人間としての幸せを捨て、情を捨て、欲を捨て、希望すらも捨てることで、ファハドは最強の剣鬼として完成した。
 やがてパールシー国内に王政への不満が高まり、それに乗じた宗教指導者が地方の村々で民衆を扇動し始めた頃、ファハドに接触してきた者がいた。
「剣聖ファハド殿の剣技を買いたい」
 彼の宗教集団の僧兵長──後の革命有志隊の総隊長となる男が、大量の黄金を対価として提示した。
 金に興味はなかったが──
「俺の腕に……それだけの価値があるってか! ファハハハハ!」
 ようやく、自分の剣技を世に認めさせる時が来たのだと思った。
 欲しいのは名声ではない。
 かつて世に不要と見なされた自分の剣が全てを覆すことで、心の飢えを満たしたかっただけだ。
 以後、ファハドは宗教集団が王政を打倒するまで戦った。
 演武のごとき道場剣術しか知らぬ敵兵は、誰もファハドに敵わなかった。
 そしてファハドは戦いに勝利したが──
「俺は結局……満たされることはなかったな」
 目を開けると、再び燃える首都の光景が広がっていた。
「誰も俺の剣についてこれなかった。誰も俺の剣を理解できなかった。敵も味方も……だれひとり」
 脱力した手から酒瓶が床に落ちた。
 ことん、と空しい音が響いた。
 ファハドは、強くなりすぎたのだ。
 目視不能の剣は全ての敵を一方的に斬殺し、味方には魔性でも見るような目で恐れられた。
 教えを乞いにきた者もいたが、誰一人としてファハドの剣を模倣できなかった。
 全てを捨てて到達した剣境に、欲と未練だらけの俗人が近づけるわけがなかった。
 もはやファハドの剣技は剣技として認識されていなかった。
 誰にも理解されず、病のごとく避けられ、悪霊のように畏怖され、やがて無いものとして扱われ、残ったのは殺人兵器の剣鬼のみ。
 結局……全てが振り出しに戻ってしまった。
「俺は剣士になりたかったんだ……。バケモノになりたかったんじゃねえよ……」
 研鑽の果てに辿りついたのは、絶望的な孤高だった。
 いっそどこかに消えてしまいたかったが、ここに残り続けたのには理由がある。
「俺と対等に戦える奴……そいつはガンダルヴァのザキか、あるいは──」
 ファハドは目を凝らして、下界を見た。
 民衆が何かから逃げている。
 何かが、ファハドの渇望に惹かれてやってくる。
 黒い小さな人影が……首都の大通りに見えた気がした。
「俺と同じ奴……! きたか!」
 歓喜に目を見開く。
 ファハドが待ち望んだ唯一にして最期の対手──剣術災厄のシューニャ。
 自分に似た剣気を感じて、ファハドは死合の場に向かった。


 いつの間にか、パールシー首都から人の気配が消えていた。
 みな逃げてしまったのか、それとも息を殺して潜んでいるのか。
 聞こえるのは、建物が焼かれる炎の音と、流れる風音。
 吹きすさぶ風の中を、シューニャが真っ直ぐに歩いてきた。
 その行く先に……ファハドが待っていた。
「よう」
 ファハドは、まるで久しい友に再会したように声をかけた。
 そして剣の柄に触れた瞬間、世界が静止した。
 ファハドの背後で燃える王城が、焼け落ちるスローガンの垂れ幕が、動きを止めて停止していた。
 シューニャが展開する異界の理。強制的な一対一の試合の空間。
 すなわち、ファハドを対手と認めたということだ。
 周囲の異常を察知したファハドは、嬉しかった。
「いいな……お前は!」
 歓喜していた。
 この人の形の災厄は、自分と同じ類のものだと本能で感じていた。
 ファハドとシューニャ、互いの距離はまだ遠い。
 シューニャが刀を抜いた。
 得物は、刃こぼれだらけの粗末なシャムシールだった。
「切り結ぶ……刃の下へ」
 シューニャは譫言のように唱えた。
 構えは中段。ファハドの打ちを誘っている。
 ファハドはまだ抜かない。
 抜かぬまま、じりじりと間合を詰める。
 これが並の相手なら、ファハドは一気に距離を詰めて抜刀していただろう。
 ファハドは構えを見ただけで、シューニャが対等以上の相手と見抜いた。
 ──素晴らしいな!
 ファハドは感激した。
 構えだけで分かる。シューニャもまた、ファハドと等しき虚ろなる存在だと。
 全てを捨てて至った剣の高みの孤高にいるのだと。
 そして、尊敬すら抱いた。
 一方のシューニャもまたファハドを対等な手練れと見抜いたからこそ、迂闊な動きを見せないでいる。
 この剣技を極めてから初めて出会う、互角の対手!
 ファハドは笑みを堪え、目尻には涙が浮かんだ。
 やがて二人は、一足一刀の間合に入った。
 あと一歩でも踏み込めば剣閃が飛んでくる。
 ついに──ファハドは抜刀した。
 目視不能の斬撃が空を切り、籠手を狙った!
 シューニャは神速で剣を下ろし、紙一重で斬撃を回避。そのまま刺突に繋げた。
 ファハドもまた、神速の切り返し!
 パールシー国の現代剣術は慣性による威力と見栄え重視の円を描く動きが多いが、ファハドのそれは直線的だった。
 慣性を無視したかのような高速一直線の──流星のごとき返し技に、シューニャの剣が弾かれた。
 キンッッッ……と甲高い金属音が響き、刃が微細な火花となって赤く咲いた。
 再び、互いの間合が開いた。
「フフフ……最高だな、あんた」
 ファハドはもう感情を隠せなかった。
 真剣勝負で感情を出すのは素人か、あるは小賢しい心理戦の時くらいだが、今は違った。
 今まで虚ろだったシューニャの表情にも、驚きが浮かんでいた。
 シューニャは自分の手元と、ファハドの剣を交互に見て、感嘆の息を吐いた。
「ここに来て初めて……そなたのような剣者に出会った」
 その短い言葉に、ファハドは無限の共感を覚えた。
「ああ、俺もだ。本当の剣士に出会えた。本当の戦いが出来た。俺はもう満足だ……!」
 ファハドは、ずっと澱のように溜まっていた心残りが消滅していくのを感じた。
 最初から勝ちも負けもどうでも良いのだ。そんなことに拘るのは悪しき執着である。
 全てを捨てて剣に生きた空しい人生の終わりに、こんな花道を用意してくれたシューニャに感謝していた。
 命という最後の執着も投げ捨てて、己が剣技を十全に振るえる対手と……ようやく出会えたのだ!
「俺はファハドという。あんたの名を……冥土の土産に持っていきたい」
「名を……俺に捨てて逝くのか」
「ああ! だからくれ。あんたの名を!」
 ファハドの切なる願いを、シューニャは飲み込むように目を細めた。
「名は執着。俺をこの身に縛る執着。だが、敢えて名乗ろう。無数に溶け合った魂の中で、いま最も強く輝きを放つ……俺の名を」
 シューニャの唇が動き、己の真実の名を紡いだ。
 一際大きい風が吹き、声は風音に掻き消されてしまった。
 それでも、ファハドはシューニャの名前を確かに聞いたのだ。
「ありがとう……異界の剣士よ」
 ありったけの感謝を込めて、ファハドは剣を構えた。
 刺突、凪ぎ、斬り上げ、いかようにも千変万化できる自在の構えだった。
 奇しくも、シューニャもまた酷似した構えを取った。
 猿真似などではない。
 剣の道を極めた者が至る収斂進化的な近似性だった。
 ファハドとシューニャが、滑るように間合を詰めた。
 同じ構え、同じ得物、振るう速度も一撃も同じだった。
 虚空にて、二つの流星が走った。
 音速を超えた剣と剣がぶつかり、衝撃と火花が飛散!
 常人ならば衝撃で剣が手を離れるか刀身が折れ飛ぶが、二人は衝撃を両脚から地面に放散させ──そのまま鍔迫り合いの形になった。
 ファハドの烈火の視線が、シューニャの凍れる炎の瞳と交錯する。
 その一瞬──二人は全てを理解し合った。
 実戦剣術が太平の世に不要とされる悲しみ。
 至高の剣術は常人には理解されず、また真似も出来ない。
 剣術として余人に教え、伝えるために劣化させねばならないのだ。
 伝位だの印可だの免許皆伝だの、全て惨めな妥協でしかない。
 劣化した剣術は往時の輝きを失い、いつしか形式を尊ぶスポーツと化していく。
 だから……もうファハドの実戦剣術は存在を許されない。
 この世界に居場所はない。
 自らが心血を注ぎ、人生をかけて創意工夫した剣術が世に認められるのと引き換えに、本来の輝きを失っていくのは地獄だ。
 シューニャを形成する魂たちは、その絶望を生前に味わった。
 江戸でも、尾張でも……。
 弘流されて平凡な剣術に成り果てるくらいなら、自分の一代で孤高の剣として終わらせるのが幸福なのだ。
 人の世は夢。己を映す剣もまた幻。
 朝に生まれ、夕に死す。
 夢幻のごときもの。
 酔生夢死
 シューニャとファハドは酔うように生き、夢の中で死んでいくのだ。
 何も残せなかった。何も成せなかった。
 だが──
 最期のこの刹那に、ファハドの剣術は確実に此処に在った。
 シューニャが俄かに脱力し、ファハドの剣が押した次の瞬間、勝負は決まった。
 ファハドの剣が僅かに逸れた。
 シューニャは横に体移動しつつ──そのままファハドを押し切った。
「ぐ……」
 小さな呻きと共に、ファハドは肩から胸を切り裂かれ……血の海に沈んだ。
 二人の技量と覚悟は、ほとんど互角だった。
 それでも──僅かに受けの技に長けた、シューニャの剣術の勝利だった。
 今まで一方的に敵を斬るだけだったファハドには、対等に斬り合う経験が不足していたのだ。
 最強ゆえの……不幸だった。
 パールシーを飛翔した流星は墜ち、今ここに燃え尽きた。
 それでも、ファハドは満足だった。
 満ちたりた表情で地に抱かれ、天を仰いでいた。
「俺は……俺の剣を刻んだぞ……この世界……に」
 ファハドの剣が天を突き、ころんと地に落ちた。
 止まった世界が動き出す。
 シューニャは大いなる尊敬を込めて、ファハドの遺体に一礼した。
「ファハド……。そなたは紛れもなく……最強の剣士であった」
 強い風がパールシーに吹く。
 やがて炎が風に巻かれて旋風となり、虚飾の首都を焼きつくしていった。
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