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一章【王城脱走編】
第九話:災厄の王
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檻の外に出されてたデオドラは、言われるがままに刑の執行室に連行される運びとなった。
その移動の道すがら、セリアが根気強くアイゼルに抗議を続けていた。
「本当に、本当にレイノールは承諾したの!? 三千地獄が実行されるなんて聞いたことないよ!!」
「疑うのなら本人に確認すれば良いですわ」
セリアからの擁護は嬉しかったが、同時に焼け石に水だと諦観している冷たい自分を自覚して、デオドラは沈黙を続ける。
今のデオドラには、主体的に荒波を立てるような気概はない。従順過ぎず、反抗的過ぎず、自分の状況を弁えて無気力に周りの決定に従うだけ。そのため、自分の為に熱くなるセリアを黙過して見守った。
「この人、皆が思ってるような悪人じゃない! そこまでする必要ないよ! しっかり話し合えば、落とし所が見つかるって!」
「頭の悪い妹ですわね。私に言っても何にもなりませんわよ。それに、悪人じゃないと言われる割に魔人本人はさっきからだんまりではないですか」
アイゼルの視線を受けて、デオドラは端的に自分の考えを述べる。
「……抗弁の意味はない。そうだろ?」
「あら、潔い殿方ですこと。セリアと大違い。……貴方みたいな強く賢い男を今から壊せると思うと、胸が高鳴ってしまいますわ」
陶然と述べるアイゼル。僅かに紅潮した頬や、上ずった声音は、彼女の内側の熱気を卑猥に演出していた。
デオドラの刑の執行に女が興奮するような要素があるのか。アイゼルの不気味な嗜好に欠片程も共感できず、デオドラは苦笑した。
「ハ。そういう風に言われると俺も俺で如何わしい妄想しちゃうんだけど。何、俺って今からエロいことでもされるの?」
「ふふ、そうですわね。とってもエッチなこと。三千地獄で一緒に果てましょう」
「えっ、マジ!? 実は地獄じゃなくて天国なの!? どういうことだオイ!!」
鬼気迫る剣幕でアイゼルに詰め寄るデオドラ。そこで黒の王女の恍惚の笑みを直視し、デオドラは男としての全機能を臨戦態勢にして待機させた。
「アイゼルは頭がおかしいんです。昔から加虐性愛の気があって……小動物を生きたまま解剖したり、死刑囚をこっそり拷問したり……」
「……あぁ、そういう」
セリアの言葉によって期待が打ち砕かれ、デオドラは暗鬱の表情を作る。
「どんな時代にもアンタみたいなサイコ野郎はいるんだなぁ」
「今は多様性の時代ですわよ」
「知るか。生憎こっちは原始人なんでね」
「うふふ、では猿のような嬌声を期待してもいいのでしょうか……?」
「嬌声でなく雄叫びと言え」
すると、仲が良いのか悪いのか分からない二人の会話にセリアが割込み、
「二人とも、談笑している場合じゃないよ! 早くレイノールを説得しないと! デオドラは三千地獄を楽観しすぎだから!!」
「別に楽観してる訳じゃないけど……事実めちゃくちゃビビってるからな」
幾度となく苦難に挑み乗り越えてきた豪傑とは言え、恐怖の感情は相応のものがあった。平然と見えるのは、デオドラの精神力が常軌を逸しているからだ。
デオドラは多感な青年期の只中である。喜びや憎しみの情動は並大抵の男性よりも大きく、しかしそれを律する理性が強すぎた。それはセリアも承知する所であり、少女は反駁の言葉を失い黙り入るしかなかった。
しばらくすると、とある人物が一行の足取りを遮るようにして現れる。その人物は、デオドラが今一番会いたくない男でもあった。
「止まれ」
「あら、兄上様。いかがされました?」
護衛も付けず一人で城を徘徊していたのだろうか。単身で現れたレイノールは値踏みするように二人の妹と視線を交わすと、最後にデオドラと反目し合った。
デオドラは直感で理解する。……なるほど、偶然の邂逅ではないらしい。
「今から刑の執行か」
「ええ。言われた通り迅速に。何か問題でも?」
「いや、良い心がけだ。流石は長女だな」
アイゼルを労うレイノールに他意は無さそうだった。デオドラは感心する。厭わしい男ではあるが、王族の長男らしい振舞もするようだ。
生前のデオドラは英雄や剣士である以前に、とある人物の『弟』だった。彼には兄貴と慕う人物がいたのだ。だからだろうか、レイノールが妹に見せる兄としての顔が本物だと理解できてしまった。
「レイノール! 三千地獄なんて、流石に酷すぎじゃ……!」
「末子は黙っていろ。貴様の言いたいことは分かる。耳を貸すだけ時間の無駄だ」
「な、何よその言い方!」
セリアを一蹴すると、レイノールは、
「……妹とではなく、貴様と話がしたかった」
「そうか。でも俺はお前と話したくないな。美女に生まれ変わって出直してこい」
どう繕おうと、デオドラがレイノールに向ける評価の根底に蟠った悪感情は、覆しようのない沈殿となっている。決闘の最中に妨害を入れてきたことは忘れてない。この王の兄としての一面は好意的に見れるが、その他全ての要素が癪に障った。デオドラがレイノールとの対話を拒絶したのは、冷やかしでなく本音である。
「己の処遇が不服と見えるな、デオドラ?」
「別に」
端的に返答に肩を竦めたレイノールは、デオドラが興味を持つような言い回しでこう切り出す。
「しかし、三千地獄は酷だろう……最後の手段にしたい。よって、貴様に免罪のチャンスをやる」
「何?」
あまり期待の伴っていない声ではあったが、デオドラはレイノールの提案を「不要だ」と突っ撥ねることが出来なかった。
「確認するが、私たちが貴様を蘇らせた理由は分かっているな?」
「復活する“災厄の王”の倒すために俺の力が必要、だったか」
「その通りだ。では話は早い。着いてこい」
「着いてこいって、……何処へ?」
衣を翻したレイノールは間をためて、背中越しに言った。
「地下牢の最奥にして王国の最深部だ。
――災厄の王に合わせてやる」
そこで、デオドラは千年前の縁と対面することになる。
◇◆◇
「――千年前、四天大聖は人類の救世主だった。大聖らは種族大戦における敵対陣営の総大将たち――私たちが言う所の『災厄』に該当する貴様や、種族王たちを打倒することに成功するが……唯一、息の根を止められなかった存在がいた」
「種族王倒したの俺だけどな。当時の連中は間違いなく全員殺し尽くしたと思うけど?」
「余計な注釈を入れるな」
デオドラにとっては重要な補足説明だったが、レイノールは意にも介さず自分の信じる歴史に準拠して語り続ける。
「話を戻すぞ。四天大聖は殺しきれなかった『ソレ』を、殺すのではなく封じることで事実上無力化した。封印の渦中においても『ソレ』は自給自足を続け、現在も生命活動を続けている。そして、封印の効力は約千年分。今からきっかり一か月後に『ソレ』が目覚めてしまうのだ」
千年で滅ばない生物ならデオドラにも心当たりはある。例えば彼が生前に下した竜王は、人類が存在するより一万年前から存在していた正真正銘の神龍であったし、巨人王の歴史も人のそれより長い。
しかし、結果的にあらゆる種族の長たちは余さずデオドラに討ち果たされた筈である。恐らくソルセインの歴史は、デオドラの功績がそのまま四天大聖のものに入れ替わっている。『四天大聖が殺しきれなかった』と言うなら、それは『デオドラが殺しきれなかった』と同じ意味合いだ。
(……討ち損ねた奴なんていたか? 俺の死後に捏造されたんだとしたら、実は封印されてる災厄の王なんて、実在しなかったりして)
レイノールの話を聞きながら、デオドラは当惑していた。
「で、殺されず封じられた王が、もうじき復活すると」
「ああ。有力な王国の予言者は口を揃えた。『ソレ』は怒りに満ちている。封印が解けた時、復讐の業火を宿した『ソレ』によって、真っ先にソルセインは滅ぼされるだろう。そして、もしかすると人類そのものが……」
みなまで言われずとも、レイノールの言葉の続きは分かった。レイノールが国王として焦っている感情も納得できるし、デオドラを御しきろうと自棄になっているのも理解できた。
そう、レイノールは焦燥に駆られているのだ。本人は絶対に認めないだろうが、だからデオドラに対して強硬姿勢を崩せずにいる。
「俺に泣きついたのもそういう訳か」
「不愉快な表現だ。やめろ。そして自覚しろ。私と貴様には絶対的な上下関係がある」
「やっぱアンタってムカつくなぁ……」
言い合っている内に、目的の場所に辿り着く。
まるで神殿のように荘厳な地下空間だった。先頭にレイノールとデオドラが並び、後方にセリアとアイゼルが続く。レイノールが何か呪文のようなものを呟くと、周囲に充満していた霧のようなものが晴れた。
そして、入れ替わるように神殿の中心部にある台座の上に、巨大な水晶が出現した。
「最後の災厄の王。現代に残る千年前の負債。そして、我々が差し当たっている史上最大の脅威。
『ソレ』が――コレだ」
レイノールが指差す先――水晶の中に女がいた。
七つの色彩で彩られた髪を持ち、色素が抜け落ちたかのように色白い肌をしている。端麗な顔立ちは芸術の域にまで達していた。
恐ろしい程に美しい要素ばかりで構成された生命体、とでも称すれば良いのか。
虹色の女は、人間が模倣できない美の集合体だった。
「……綺麗な人」
「ええ。嫉妬してしまう程に」
美麗な王族の二人でさえも感嘆の息を漏らした。
「聞くところによると、五百年前までは目を開いて此方を見ていたらしい……封印結晶の内側からは外部の景色も見えず、音も聞こえない筈なのだがな。
そして千年前、コイツこう呼ばれていた――『妖精王』フェアリスと」
妖精王。
親しみ深いその響きがデオドラの胸に染み入る。
「デオドラ。貴様にはコイツを殺してもらいたい。出来るか?」
「――――」
周囲の声など、妖精王の姿を見た瞬間から断片的にしか聞こえなかった。
虹色の女に心を奪われたのだ。妖精王の美しさ故ではない。これは陶酔ではなく驚愕による放心状態だった。なぜなら、妖精王フェアリスは――。
「……母さんだ。俺の」
「えッ!?」
「はぁ?」
「……何を言っている、貴様」
セリアは動転して、アイゼルは辟易し、レイノールは冷静に訊問する。
「妄言だとしても聞き逃せないな。この水晶体の中にいる女は妖精王ではないのか? それとも、妖精王が貴様の母親なのか?」
「この人は俺の母さんで、間違いなく妖精王だよ」
「……自分が人間ではないとでも言うつもりか」
デオドラは首を左右に振って誤解を否定した。
「俺は養子みたいなものだ。生まれてすぐ親に捨てられて、妖精に拾われた。……妖精の世界で育った。妖精王は俺の母親代わりだ。俺は魔法も剣術も全て妖精王に指南して貰って――だから、俺は妖精の秘術を使える。決闘の時に見せた『完全再生』だってその一つだ」
確かに、『完全再生』なる魔法は現代に言い伝えられていない。戦王ですら瞠目した至高の美技だった。デオドラの説明には一応の筋が通っている。
しかし、常にデオドラを疑問視しているレイノールは、やはりと言うべきか詰問調で食い下がった。
「貴様、ソルセイン人ではなかったのか?」
「出生がここってだけだ。育ちは違う。妖精郷から地上に戻った時、当時の王様に国民として認めてもらったんだ」
「……しかし、どうして妖精王が人間を育てる」
「知らない。何度も母さんに聞いたが、教えてくれなかった。何度も何度も、無償の愛に理由を求めるなって叱られた」
「…………」
咄嗟の虚言だとしたら、デオドラの言葉には淀みが無さすぎた。
デオドラは真に迫る勢いで狼狽し始める。千年越しに母親と再会したと思えば、人類の大敵として生きたまま捕らえられていたのだ。心の均衡もとうとう決壊し、困惑と憤慨の激情が静かに流れ出てくる。
「どうして母さんがこんな目に……! 種族大戦で妖精は人間に加担していただろ!?」
母の身を案じる息子としての、切なる訴えだった。
デオドラは敵を全て倒した上で、種族王を殺し尽くしたと表現した。妖精王は殺し漏らしたのでなく、そもそも人間と敵対していなかったのだ。
「……そんな歴史事実はない。第一、妖精王が人間を助ける理由なんて無かった筈だ」
「理由ならある! 俺がいたからだ!!
俺が一人の人間の女を好きになったのが発端だ。その人の為に尽くしたいと思った矢先、種族大戦が始まった。だから俺は妖精郷から出て、人間の陣営に入った!! 母さんは俺を一人に出来ないと言って、妖精の軍勢を支援に派遣してくれた!! その結果が、封印だと……!?」
胸の奥に潜んでいた埋火が活性化し、義憤の念が轟々と燃え上がる。心の熱の高まりと共に状況を理解しだしたデオドラの心境は、数秒と待たずに怒気で溢れ返った。
「十八年も連れ添った息子だから分かる! 感じ取れる! 母さんの怒りが外に漏れ出てるんだ!! ああ、そりゃ怒るに決まってるよな! 温和な母さんだって激怒するさ! 恩知らずも甚だしい!! 人間に与して種族大戦を勝たせてやったってのに! その上、人間に“魔法”という知識を教えてやった大恩すら唾棄されて!!」
「妖精王が我々に魔法を……? 初耳だが」
「……妖精への恩まで正しく周知されていないのか!?」
人間は矮小で脆弱だった。どんなに知恵があっても、神代の怪物と渡り合うには弱すぎた。だから妖精王フェアリスは人間に施しを齎したのだ。妖精族に伝わる秘術を、人間の思考の容量に合わせて“技術”という域にまで格落ちさせ、人間が生来持ち合わせていた魔力炉の使い方まで教授してやった。
妖精王のそんな厚意も、全ては息子であるデオドラへの義理立ての為だったのだろう。しかし、それでも人間は妖精に返しきれない恩を持っている。妖精王がいなければ今の人類に魔導の道は切り開かれていない。
「千年間もここに母さんを閉じ込めてたなんて……妖精の王権はずっと機能不全だったってことだ! 妖精郷はどうなった!? 崩落したのか!? 兄貴は死んだのか!? どんな最後を迎えたんだ!!」
「……八つ当たりはやめろ。落ち着け。そんなことを私たちが知る訳ないだろう」
「知らないことが問題なんだろうが!! お前たちは母さんを怒らせた!! 絶滅して当然だ!!」
初めてデオドラの口から非情な言葉が紡がれて、レイノールは目を見開く。
「……ロイヤルギアスを使われてさえも冷静だったお前が、ここまで取り乱すのか」
「当たり前だ!! 千年間も母親が不当に虐げられてたんだぞ!! 俺が――俺がお前たちを殺してやりたい気分だ!!」
この状況でさえも冷静を取り繕えるのなら、デオドラはもう人間ですらない。
現代人が大量に死の危機に瀕していると知って、デオドラには同情が芽生えていた。それは真実だ。最終的には助力しようと、甘い考えを最後の最後まで捨てられなかった。
だが、この瞬間、デオドラが今のソルセインを救う理由は完全に消えた。
彼らは不義理な忘恩の徒だ。罰を与える道理はあっても、救ってやる義理はない。
「妖精王を殺せだと……? ふざけるな! 母さんを殺すくらいなら死んだ方がマシだ!!」
「……」
思いの丈を全てぶつけたデオドラを、レイノールは冷やかに見据える。
「貴様に妖精王を見せたのは、私たちと貴様の目的意識に具体性を付与する為だったんだがな。逆効果だったか。……セリア、どうだ?」
「……嘘はついてない。デオドラは本当のことしか言ってないよ」
少女の心眼は決して間違えない。おかげで、レイノールにも一つの決心がついた。
「ふむ、私はセリアの心眼に全幅の信頼を置いている。セリアが本当だと言うのなら、貴様の言葉は真実なのだろう」
「だったら……!」
「――そう、貴様は自分の誤った記憶を真実だと思い込んで発言している」
「……は?」
レイノールの考えを即座に察したデオドラの額に、極太の青筋が浮かび上がった。
腹が立つどころではない。殺意がこみ上がってくる。
要するにレイノールは、デオドラが妄想に囚われていると結論付けた訳だ。
「転生術式の不備は謝罪しよう。不完全な状態で貴様を呼び出して済まなかった。しかし、貴様も認めることだ――この世界の歴史でなく、自分の記憶の方が間違っているとな」
「……テメェ」
「お前は魔人で、尚且つ人間だ。ソルセインで生まれ、ソルセインで育った。一個の災厄として名を馳せ、四天大聖と戦った。妖精郷で育ったという過去は、貴様の頭の中が作り上げた幻想に過ぎない」
「……ッ!」
自己の抑制が効かなくなったデオドラは、レイノールの胸倉を掴み上げる。
反論の余地はいくらでもあった。デオドラが妖精の秘術を使えることも、妖精王だけが千年前の姿のまま生きていることも、彼が生前に成し遂げた全ての行いを肯定している。確信的な根拠とまではいかずとも、デオドラの記憶に現実的な信憑性を持たせる要素が複数存在していた。
しかし、彼が真に憤りを覚えたのは、自分の記憶を否定されたからではない。
自分の家族を、否定されたからだった。
「俺が、母さんの息子じゃないとでも言うつもりか……?」
「そう言った」
「――――――もう殺すッッ!!」
自分がどれだけ迫害されても、デオドラが他人に復讐や報復を決意することはないだろう。
しかし、母親への酷遇は断じて見過ごせない。
許せなった。殺してやりたかった。耐え切れなかった。
デオドラは両腕を伸ばし、目の前の王の首を締め上げて骨をへし折ってやろうと決意し――遂に行動に出た。
「デオドラ! 辞めて!!」
「この子ったら何を焦ってるんでしょう。心配しなくて良いですわよ」
セリアの悲鳴をアイゼルが諫める。
彼女からすれば、デオドラの反逆など取るに足りない些事なのだ。無論レイノールにとっても同じである。
何故なら――、
「あ゛あ゛ぁ……ッ!」
デオドラの指がレイノールの首筋に触れようとした瞬間、今までの比にならない苦しみが肉体を縛り上げる。
全身の痛覚が焼かれ、脳が沸騰しているような体感。人間の頭が感じ取れる限界の痛みが身体の中で蠢いた。藻掻いて暴れようとしても、金縛りに遭ったかのように筋肉が動かない。
ロイヤルギアスの自律作用だった。
「忘れたか? 王の血族に手を上げようとすれば、ロイヤルギアスは自動で動く。貴様に私は殺せない」
冷笑も混ざっていたと思う。どれだけ自分の優位を崩したくないのか、レイノールは何処までも非情だった。
「これが最後のチャンスだ。自分の記憶が狂っていると認めろ」
「嫌、だ……!」
しかし、デオドラも強情である。彼にも、絶対に譲れない一線というものがあった。
「俺は妖精王フェアリスの息子で、兄貴の弟で……妖精族の人間――デオドラ・ロイーゼだッッ!! 俺は死んでも母さんを殺さない!! もうお前たちに手を貸さない!!
言われなくても謝るか! 認めるか! お前らが謝れ!!」
発言そのものは至極全うである。感情に任せた言葉選びではあったが、謝罪の機会と相手を許す度量が無意識に露呈している。
とは言え、それはレイノールにとって到底許容できない物言いであり、完全な双方の離別を意味していた。
最後のチャンスと宣告された。
デオドラはそれを拒絶した。
ならば、王としてレイノールが取るべき行動は一つだけ。
「むんッ!!」
「ごぁ……ッ!」
受け身の取れないデオドラの頬にレイノールの拳が打ち付けられた。
デオドラは糸が切れた人形のように倒れ伏す。それを皮切りにロイヤルギアスが停止したのか、身体の痛みと硬直が解れた。デオドラは即座に立ち上がろうとするが、
「『縛式』!」
再び運動の自由を奪われる。
『誅罰』が苦痛を与えるための毒魔法だとすれば、『縛式』はその名の通り動きを束縛するための毒魔法である。全く違う効果の呪文ではあったが、効力の度合いは似た水準だった。全力で動こうとしても僅かに身体が揺れる程度で、まるで筋肉がその場につなぎ留められているかのようだ。
せめてもの反抗として、見上げるようにしてレイノールに怨恨の眼差しを向ける。
すると、王はその反抗的な目が、重ねて気に入らなかったらしい。
「コイツには三千地獄ですら生ぬるい!! アイゼル! 手段は問わん、デオドラの心を空にしろ!! 私たちの指示にだけ従う傀儡に仕立て上げろ!! 生かさず殺さず……出来るか!?」
「……良いのですか? 手段を、問わない?」
「そうだ! この男には廃人にする位の気構えが丁度良い!!」
「あぁ、そんなの、私にはご褒美ですわ……。その重役、謹んでお受けします、兄上様……!」
アイゼルは半酩酊状態のように紅潮していながらも、確かな受け答えでデオドラを屈服させると明言した。
「セリアは躾役を解任する。異論はないな?」
「そんな……こんなのって……」
少女はデオドラへの残忍な仕打ちに耐え切れない様子で、意味を成さない言葉を呟いていた。彼女が誰にでも平等で在ろうとする心持ちは立派なものだが、兄の冷徹さに異を唱える度胸はないようだ。それとも、明らかとなった新事実を受け入れきれず、混乱しているのか。もしくは、デオドラの殺意の片鱗を見て恐怖しているのか。
どちらにせよ、セリアは何も言えない。
「貴様にも折檻が必要か?」
「……い、いえ」
その時、デオドラは少女の愁い表情の裏から不安の想いを感じ取る。
少し遅れて、彼女を怯えさせてしまったのが自分だと直感した。セリアが他人の嘘と真言を見抜くのなら、デオドラの殺害宣告が本心によるものだったということも見抜かれている。
今の世界の人間全てに死んでほしいと思ったのは覆しようのない事実だが、精一杯の善意を示そうとしてくれた少女まで傷ついて欲しいという明瞭な感情はない。
この少女に植えつけてしまった曲解だけは訂正しなければと思い、デオドラは口を動かした。
「……セリア」
「っ」
しかし、少女はデオドラから顔を背けて、
「……すみません。許してください」
「……。」
暗に告げられた拒絶。弁解すら聞き入れてはくれないらしい。
だが、……もう良いか。
どうでも良いと、どうにでもなれと、自棄になりたい気分だった。
(……何を間違えたんだろう)
失意の中、縋るように最後に残った感情は、家族への懺悔だった。
(……ゴメンよ、母さん)
いつからだろうか。
誰も気が付かなかったが、だが確かに。
――水晶体の中の妖精王が、薄く目を見開いていた。
その移動の道すがら、セリアが根気強くアイゼルに抗議を続けていた。
「本当に、本当にレイノールは承諾したの!? 三千地獄が実行されるなんて聞いたことないよ!!」
「疑うのなら本人に確認すれば良いですわ」
セリアからの擁護は嬉しかったが、同時に焼け石に水だと諦観している冷たい自分を自覚して、デオドラは沈黙を続ける。
今のデオドラには、主体的に荒波を立てるような気概はない。従順過ぎず、反抗的過ぎず、自分の状況を弁えて無気力に周りの決定に従うだけ。そのため、自分の為に熱くなるセリアを黙過して見守った。
「この人、皆が思ってるような悪人じゃない! そこまでする必要ないよ! しっかり話し合えば、落とし所が見つかるって!」
「頭の悪い妹ですわね。私に言っても何にもなりませんわよ。それに、悪人じゃないと言われる割に魔人本人はさっきからだんまりではないですか」
アイゼルの視線を受けて、デオドラは端的に自分の考えを述べる。
「……抗弁の意味はない。そうだろ?」
「あら、潔い殿方ですこと。セリアと大違い。……貴方みたいな強く賢い男を今から壊せると思うと、胸が高鳴ってしまいますわ」
陶然と述べるアイゼル。僅かに紅潮した頬や、上ずった声音は、彼女の内側の熱気を卑猥に演出していた。
デオドラの刑の執行に女が興奮するような要素があるのか。アイゼルの不気味な嗜好に欠片程も共感できず、デオドラは苦笑した。
「ハ。そういう風に言われると俺も俺で如何わしい妄想しちゃうんだけど。何、俺って今からエロいことでもされるの?」
「ふふ、そうですわね。とってもエッチなこと。三千地獄で一緒に果てましょう」
「えっ、マジ!? 実は地獄じゃなくて天国なの!? どういうことだオイ!!」
鬼気迫る剣幕でアイゼルに詰め寄るデオドラ。そこで黒の王女の恍惚の笑みを直視し、デオドラは男としての全機能を臨戦態勢にして待機させた。
「アイゼルは頭がおかしいんです。昔から加虐性愛の気があって……小動物を生きたまま解剖したり、死刑囚をこっそり拷問したり……」
「……あぁ、そういう」
セリアの言葉によって期待が打ち砕かれ、デオドラは暗鬱の表情を作る。
「どんな時代にもアンタみたいなサイコ野郎はいるんだなぁ」
「今は多様性の時代ですわよ」
「知るか。生憎こっちは原始人なんでね」
「うふふ、では猿のような嬌声を期待してもいいのでしょうか……?」
「嬌声でなく雄叫びと言え」
すると、仲が良いのか悪いのか分からない二人の会話にセリアが割込み、
「二人とも、談笑している場合じゃないよ! 早くレイノールを説得しないと! デオドラは三千地獄を楽観しすぎだから!!」
「別に楽観してる訳じゃないけど……事実めちゃくちゃビビってるからな」
幾度となく苦難に挑み乗り越えてきた豪傑とは言え、恐怖の感情は相応のものがあった。平然と見えるのは、デオドラの精神力が常軌を逸しているからだ。
デオドラは多感な青年期の只中である。喜びや憎しみの情動は並大抵の男性よりも大きく、しかしそれを律する理性が強すぎた。それはセリアも承知する所であり、少女は反駁の言葉を失い黙り入るしかなかった。
しばらくすると、とある人物が一行の足取りを遮るようにして現れる。その人物は、デオドラが今一番会いたくない男でもあった。
「止まれ」
「あら、兄上様。いかがされました?」
護衛も付けず一人で城を徘徊していたのだろうか。単身で現れたレイノールは値踏みするように二人の妹と視線を交わすと、最後にデオドラと反目し合った。
デオドラは直感で理解する。……なるほど、偶然の邂逅ではないらしい。
「今から刑の執行か」
「ええ。言われた通り迅速に。何か問題でも?」
「いや、良い心がけだ。流石は長女だな」
アイゼルを労うレイノールに他意は無さそうだった。デオドラは感心する。厭わしい男ではあるが、王族の長男らしい振舞もするようだ。
生前のデオドラは英雄や剣士である以前に、とある人物の『弟』だった。彼には兄貴と慕う人物がいたのだ。だからだろうか、レイノールが妹に見せる兄としての顔が本物だと理解できてしまった。
「レイノール! 三千地獄なんて、流石に酷すぎじゃ……!」
「末子は黙っていろ。貴様の言いたいことは分かる。耳を貸すだけ時間の無駄だ」
「な、何よその言い方!」
セリアを一蹴すると、レイノールは、
「……妹とではなく、貴様と話がしたかった」
「そうか。でも俺はお前と話したくないな。美女に生まれ変わって出直してこい」
どう繕おうと、デオドラがレイノールに向ける評価の根底に蟠った悪感情は、覆しようのない沈殿となっている。決闘の最中に妨害を入れてきたことは忘れてない。この王の兄としての一面は好意的に見れるが、その他全ての要素が癪に障った。デオドラがレイノールとの対話を拒絶したのは、冷やかしでなく本音である。
「己の処遇が不服と見えるな、デオドラ?」
「別に」
端的に返答に肩を竦めたレイノールは、デオドラが興味を持つような言い回しでこう切り出す。
「しかし、三千地獄は酷だろう……最後の手段にしたい。よって、貴様に免罪のチャンスをやる」
「何?」
あまり期待の伴っていない声ではあったが、デオドラはレイノールの提案を「不要だ」と突っ撥ねることが出来なかった。
「確認するが、私たちが貴様を蘇らせた理由は分かっているな?」
「復活する“災厄の王”の倒すために俺の力が必要、だったか」
「その通りだ。では話は早い。着いてこい」
「着いてこいって、……何処へ?」
衣を翻したレイノールは間をためて、背中越しに言った。
「地下牢の最奥にして王国の最深部だ。
――災厄の王に合わせてやる」
そこで、デオドラは千年前の縁と対面することになる。
◇◆◇
「――千年前、四天大聖は人類の救世主だった。大聖らは種族大戦における敵対陣営の総大将たち――私たちが言う所の『災厄』に該当する貴様や、種族王たちを打倒することに成功するが……唯一、息の根を止められなかった存在がいた」
「種族王倒したの俺だけどな。当時の連中は間違いなく全員殺し尽くしたと思うけど?」
「余計な注釈を入れるな」
デオドラにとっては重要な補足説明だったが、レイノールは意にも介さず自分の信じる歴史に準拠して語り続ける。
「話を戻すぞ。四天大聖は殺しきれなかった『ソレ』を、殺すのではなく封じることで事実上無力化した。封印の渦中においても『ソレ』は自給自足を続け、現在も生命活動を続けている。そして、封印の効力は約千年分。今からきっかり一か月後に『ソレ』が目覚めてしまうのだ」
千年で滅ばない生物ならデオドラにも心当たりはある。例えば彼が生前に下した竜王は、人類が存在するより一万年前から存在していた正真正銘の神龍であったし、巨人王の歴史も人のそれより長い。
しかし、結果的にあらゆる種族の長たちは余さずデオドラに討ち果たされた筈である。恐らくソルセインの歴史は、デオドラの功績がそのまま四天大聖のものに入れ替わっている。『四天大聖が殺しきれなかった』と言うなら、それは『デオドラが殺しきれなかった』と同じ意味合いだ。
(……討ち損ねた奴なんていたか? 俺の死後に捏造されたんだとしたら、実は封印されてる災厄の王なんて、実在しなかったりして)
レイノールの話を聞きながら、デオドラは当惑していた。
「で、殺されず封じられた王が、もうじき復活すると」
「ああ。有力な王国の予言者は口を揃えた。『ソレ』は怒りに満ちている。封印が解けた時、復讐の業火を宿した『ソレ』によって、真っ先にソルセインは滅ぼされるだろう。そして、もしかすると人類そのものが……」
みなまで言われずとも、レイノールの言葉の続きは分かった。レイノールが国王として焦っている感情も納得できるし、デオドラを御しきろうと自棄になっているのも理解できた。
そう、レイノールは焦燥に駆られているのだ。本人は絶対に認めないだろうが、だからデオドラに対して強硬姿勢を崩せずにいる。
「俺に泣きついたのもそういう訳か」
「不愉快な表現だ。やめろ。そして自覚しろ。私と貴様には絶対的な上下関係がある」
「やっぱアンタってムカつくなぁ……」
言い合っている内に、目的の場所に辿り着く。
まるで神殿のように荘厳な地下空間だった。先頭にレイノールとデオドラが並び、後方にセリアとアイゼルが続く。レイノールが何か呪文のようなものを呟くと、周囲に充満していた霧のようなものが晴れた。
そして、入れ替わるように神殿の中心部にある台座の上に、巨大な水晶が出現した。
「最後の災厄の王。現代に残る千年前の負債。そして、我々が差し当たっている史上最大の脅威。
『ソレ』が――コレだ」
レイノールが指差す先――水晶の中に女がいた。
七つの色彩で彩られた髪を持ち、色素が抜け落ちたかのように色白い肌をしている。端麗な顔立ちは芸術の域にまで達していた。
恐ろしい程に美しい要素ばかりで構成された生命体、とでも称すれば良いのか。
虹色の女は、人間が模倣できない美の集合体だった。
「……綺麗な人」
「ええ。嫉妬してしまう程に」
美麗な王族の二人でさえも感嘆の息を漏らした。
「聞くところによると、五百年前までは目を開いて此方を見ていたらしい……封印結晶の内側からは外部の景色も見えず、音も聞こえない筈なのだがな。
そして千年前、コイツこう呼ばれていた――『妖精王』フェアリスと」
妖精王。
親しみ深いその響きがデオドラの胸に染み入る。
「デオドラ。貴様にはコイツを殺してもらいたい。出来るか?」
「――――」
周囲の声など、妖精王の姿を見た瞬間から断片的にしか聞こえなかった。
虹色の女に心を奪われたのだ。妖精王の美しさ故ではない。これは陶酔ではなく驚愕による放心状態だった。なぜなら、妖精王フェアリスは――。
「……母さんだ。俺の」
「えッ!?」
「はぁ?」
「……何を言っている、貴様」
セリアは動転して、アイゼルは辟易し、レイノールは冷静に訊問する。
「妄言だとしても聞き逃せないな。この水晶体の中にいる女は妖精王ではないのか? それとも、妖精王が貴様の母親なのか?」
「この人は俺の母さんで、間違いなく妖精王だよ」
「……自分が人間ではないとでも言うつもりか」
デオドラは首を左右に振って誤解を否定した。
「俺は養子みたいなものだ。生まれてすぐ親に捨てられて、妖精に拾われた。……妖精の世界で育った。妖精王は俺の母親代わりだ。俺は魔法も剣術も全て妖精王に指南して貰って――だから、俺は妖精の秘術を使える。決闘の時に見せた『完全再生』だってその一つだ」
確かに、『完全再生』なる魔法は現代に言い伝えられていない。戦王ですら瞠目した至高の美技だった。デオドラの説明には一応の筋が通っている。
しかし、常にデオドラを疑問視しているレイノールは、やはりと言うべきか詰問調で食い下がった。
「貴様、ソルセイン人ではなかったのか?」
「出生がここってだけだ。育ちは違う。妖精郷から地上に戻った時、当時の王様に国民として認めてもらったんだ」
「……しかし、どうして妖精王が人間を育てる」
「知らない。何度も母さんに聞いたが、教えてくれなかった。何度も何度も、無償の愛に理由を求めるなって叱られた」
「…………」
咄嗟の虚言だとしたら、デオドラの言葉には淀みが無さすぎた。
デオドラは真に迫る勢いで狼狽し始める。千年越しに母親と再会したと思えば、人類の大敵として生きたまま捕らえられていたのだ。心の均衡もとうとう決壊し、困惑と憤慨の激情が静かに流れ出てくる。
「どうして母さんがこんな目に……! 種族大戦で妖精は人間に加担していただろ!?」
母の身を案じる息子としての、切なる訴えだった。
デオドラは敵を全て倒した上で、種族王を殺し尽くしたと表現した。妖精王は殺し漏らしたのでなく、そもそも人間と敵対していなかったのだ。
「……そんな歴史事実はない。第一、妖精王が人間を助ける理由なんて無かった筈だ」
「理由ならある! 俺がいたからだ!!
俺が一人の人間の女を好きになったのが発端だ。その人の為に尽くしたいと思った矢先、種族大戦が始まった。だから俺は妖精郷から出て、人間の陣営に入った!! 母さんは俺を一人に出来ないと言って、妖精の軍勢を支援に派遣してくれた!! その結果が、封印だと……!?」
胸の奥に潜んでいた埋火が活性化し、義憤の念が轟々と燃え上がる。心の熱の高まりと共に状況を理解しだしたデオドラの心境は、数秒と待たずに怒気で溢れ返った。
「十八年も連れ添った息子だから分かる! 感じ取れる! 母さんの怒りが外に漏れ出てるんだ!! ああ、そりゃ怒るに決まってるよな! 温和な母さんだって激怒するさ! 恩知らずも甚だしい!! 人間に与して種族大戦を勝たせてやったってのに! その上、人間に“魔法”という知識を教えてやった大恩すら唾棄されて!!」
「妖精王が我々に魔法を……? 初耳だが」
「……妖精への恩まで正しく周知されていないのか!?」
人間は矮小で脆弱だった。どんなに知恵があっても、神代の怪物と渡り合うには弱すぎた。だから妖精王フェアリスは人間に施しを齎したのだ。妖精族に伝わる秘術を、人間の思考の容量に合わせて“技術”という域にまで格落ちさせ、人間が生来持ち合わせていた魔力炉の使い方まで教授してやった。
妖精王のそんな厚意も、全ては息子であるデオドラへの義理立ての為だったのだろう。しかし、それでも人間は妖精に返しきれない恩を持っている。妖精王がいなければ今の人類に魔導の道は切り開かれていない。
「千年間もここに母さんを閉じ込めてたなんて……妖精の王権はずっと機能不全だったってことだ! 妖精郷はどうなった!? 崩落したのか!? 兄貴は死んだのか!? どんな最後を迎えたんだ!!」
「……八つ当たりはやめろ。落ち着け。そんなことを私たちが知る訳ないだろう」
「知らないことが問題なんだろうが!! お前たちは母さんを怒らせた!! 絶滅して当然だ!!」
初めてデオドラの口から非情な言葉が紡がれて、レイノールは目を見開く。
「……ロイヤルギアスを使われてさえも冷静だったお前が、ここまで取り乱すのか」
「当たり前だ!! 千年間も母親が不当に虐げられてたんだぞ!! 俺が――俺がお前たちを殺してやりたい気分だ!!」
この状況でさえも冷静を取り繕えるのなら、デオドラはもう人間ですらない。
現代人が大量に死の危機に瀕していると知って、デオドラには同情が芽生えていた。それは真実だ。最終的には助力しようと、甘い考えを最後の最後まで捨てられなかった。
だが、この瞬間、デオドラが今のソルセインを救う理由は完全に消えた。
彼らは不義理な忘恩の徒だ。罰を与える道理はあっても、救ってやる義理はない。
「妖精王を殺せだと……? ふざけるな! 母さんを殺すくらいなら死んだ方がマシだ!!」
「……」
思いの丈を全てぶつけたデオドラを、レイノールは冷やかに見据える。
「貴様に妖精王を見せたのは、私たちと貴様の目的意識に具体性を付与する為だったんだがな。逆効果だったか。……セリア、どうだ?」
「……嘘はついてない。デオドラは本当のことしか言ってないよ」
少女の心眼は決して間違えない。おかげで、レイノールにも一つの決心がついた。
「ふむ、私はセリアの心眼に全幅の信頼を置いている。セリアが本当だと言うのなら、貴様の言葉は真実なのだろう」
「だったら……!」
「――そう、貴様は自分の誤った記憶を真実だと思い込んで発言している」
「……は?」
レイノールの考えを即座に察したデオドラの額に、極太の青筋が浮かび上がった。
腹が立つどころではない。殺意がこみ上がってくる。
要するにレイノールは、デオドラが妄想に囚われていると結論付けた訳だ。
「転生術式の不備は謝罪しよう。不完全な状態で貴様を呼び出して済まなかった。しかし、貴様も認めることだ――この世界の歴史でなく、自分の記憶の方が間違っているとな」
「……テメェ」
「お前は魔人で、尚且つ人間だ。ソルセインで生まれ、ソルセインで育った。一個の災厄として名を馳せ、四天大聖と戦った。妖精郷で育ったという過去は、貴様の頭の中が作り上げた幻想に過ぎない」
「……ッ!」
自己の抑制が効かなくなったデオドラは、レイノールの胸倉を掴み上げる。
反論の余地はいくらでもあった。デオドラが妖精の秘術を使えることも、妖精王だけが千年前の姿のまま生きていることも、彼が生前に成し遂げた全ての行いを肯定している。確信的な根拠とまではいかずとも、デオドラの記憶に現実的な信憑性を持たせる要素が複数存在していた。
しかし、彼が真に憤りを覚えたのは、自分の記憶を否定されたからではない。
自分の家族を、否定されたからだった。
「俺が、母さんの息子じゃないとでも言うつもりか……?」
「そう言った」
「――――――もう殺すッッ!!」
自分がどれだけ迫害されても、デオドラが他人に復讐や報復を決意することはないだろう。
しかし、母親への酷遇は断じて見過ごせない。
許せなった。殺してやりたかった。耐え切れなかった。
デオドラは両腕を伸ばし、目の前の王の首を締め上げて骨をへし折ってやろうと決意し――遂に行動に出た。
「デオドラ! 辞めて!!」
「この子ったら何を焦ってるんでしょう。心配しなくて良いですわよ」
セリアの悲鳴をアイゼルが諫める。
彼女からすれば、デオドラの反逆など取るに足りない些事なのだ。無論レイノールにとっても同じである。
何故なら――、
「あ゛あ゛ぁ……ッ!」
デオドラの指がレイノールの首筋に触れようとした瞬間、今までの比にならない苦しみが肉体を縛り上げる。
全身の痛覚が焼かれ、脳が沸騰しているような体感。人間の頭が感じ取れる限界の痛みが身体の中で蠢いた。藻掻いて暴れようとしても、金縛りに遭ったかのように筋肉が動かない。
ロイヤルギアスの自律作用だった。
「忘れたか? 王の血族に手を上げようとすれば、ロイヤルギアスは自動で動く。貴様に私は殺せない」
冷笑も混ざっていたと思う。どれだけ自分の優位を崩したくないのか、レイノールは何処までも非情だった。
「これが最後のチャンスだ。自分の記憶が狂っていると認めろ」
「嫌、だ……!」
しかし、デオドラも強情である。彼にも、絶対に譲れない一線というものがあった。
「俺は妖精王フェアリスの息子で、兄貴の弟で……妖精族の人間――デオドラ・ロイーゼだッッ!! 俺は死んでも母さんを殺さない!! もうお前たちに手を貸さない!!
言われなくても謝るか! 認めるか! お前らが謝れ!!」
発言そのものは至極全うである。感情に任せた言葉選びではあったが、謝罪の機会と相手を許す度量が無意識に露呈している。
とは言え、それはレイノールにとって到底許容できない物言いであり、完全な双方の離別を意味していた。
最後のチャンスと宣告された。
デオドラはそれを拒絶した。
ならば、王としてレイノールが取るべき行動は一つだけ。
「むんッ!!」
「ごぁ……ッ!」
受け身の取れないデオドラの頬にレイノールの拳が打ち付けられた。
デオドラは糸が切れた人形のように倒れ伏す。それを皮切りにロイヤルギアスが停止したのか、身体の痛みと硬直が解れた。デオドラは即座に立ち上がろうとするが、
「『縛式』!」
再び運動の自由を奪われる。
『誅罰』が苦痛を与えるための毒魔法だとすれば、『縛式』はその名の通り動きを束縛するための毒魔法である。全く違う効果の呪文ではあったが、効力の度合いは似た水準だった。全力で動こうとしても僅かに身体が揺れる程度で、まるで筋肉がその場につなぎ留められているかのようだ。
せめてもの反抗として、見上げるようにしてレイノールに怨恨の眼差しを向ける。
すると、王はその反抗的な目が、重ねて気に入らなかったらしい。
「コイツには三千地獄ですら生ぬるい!! アイゼル! 手段は問わん、デオドラの心を空にしろ!! 私たちの指示にだけ従う傀儡に仕立て上げろ!! 生かさず殺さず……出来るか!?」
「……良いのですか? 手段を、問わない?」
「そうだ! この男には廃人にする位の気構えが丁度良い!!」
「あぁ、そんなの、私にはご褒美ですわ……。その重役、謹んでお受けします、兄上様……!」
アイゼルは半酩酊状態のように紅潮していながらも、確かな受け答えでデオドラを屈服させると明言した。
「セリアは躾役を解任する。異論はないな?」
「そんな……こんなのって……」
少女はデオドラへの残忍な仕打ちに耐え切れない様子で、意味を成さない言葉を呟いていた。彼女が誰にでも平等で在ろうとする心持ちは立派なものだが、兄の冷徹さに異を唱える度胸はないようだ。それとも、明らかとなった新事実を受け入れきれず、混乱しているのか。もしくは、デオドラの殺意の片鱗を見て恐怖しているのか。
どちらにせよ、セリアは何も言えない。
「貴様にも折檻が必要か?」
「……い、いえ」
その時、デオドラは少女の愁い表情の裏から不安の想いを感じ取る。
少し遅れて、彼女を怯えさせてしまったのが自分だと直感した。セリアが他人の嘘と真言を見抜くのなら、デオドラの殺害宣告が本心によるものだったということも見抜かれている。
今の世界の人間全てに死んでほしいと思ったのは覆しようのない事実だが、精一杯の善意を示そうとしてくれた少女まで傷ついて欲しいという明瞭な感情はない。
この少女に植えつけてしまった曲解だけは訂正しなければと思い、デオドラは口を動かした。
「……セリア」
「っ」
しかし、少女はデオドラから顔を背けて、
「……すみません。許してください」
「……。」
暗に告げられた拒絶。弁解すら聞き入れてはくれないらしい。
だが、……もう良いか。
どうでも良いと、どうにでもなれと、自棄になりたい気分だった。
(……何を間違えたんだろう)
失意の中、縋るように最後に残った感情は、家族への懺悔だった。
(……ゴメンよ、母さん)
いつからだろうか。
誰も気が付かなかったが、だが確かに。
――水晶体の中の妖精王が、薄く目を見開いていた。
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