12 / 110
12 夜の帳が下りる前に
しおりを挟む
――幾日か後の、黄昏れ時。
シタンは家でのんびりと蜜酒を楽しんでいた。
たっぷりと蜂蜜を使って甘く仕上げた、良い値段のする特上物だ。小さな陶器に入れて、少しずつ舐める様にして味わう。ひと口分でも割と酔えるし、体の調子が悪い時にも効く。大事に取って置いても腐らないのが有り難い。
ここ数日、静かな日常が続いている。あの日のことがまるで夢だったかのように穏やかな日々だ。
……それでも、犯された記憶はまだ生々しく体に残っている。
あの恐ろしい領主は、もうなにをしても腕を斬らないと約束してくれたのだから、もしかしたら放免されたのかもしれない。あれほどしつこく抱いて口付けたくせに、最後は素気が無かった。気が変わって放り出したに違いない。もう、対価として抱かれる日はこないだろう。
そうに決まっている。というか、そう思いたい。森で狩りをしている時には集中しているから不安にはならないが、夜になり静かな時間を迎えるとどうにも気分が優れない。あの日の激しい快楽を思い出すたびに、言い知れない不安が湧き上がって、しくりと尻の辺りが疼くのだから質が悪い。
ふうっとため息をついて、シタンは杯に残った僅かな蜜酒を口に含みこくりと飲み込んだ。
――もうじき夜の帳も下りようかという頃合いに、扉を叩く音がした。
こんな時間に人が訪ねて来るなんて、珍しい。昼間でさえも客なんて滅多に来ないのだ。どんな用事なのかと怪訝に思いながら、扉を開けて外を覗いてみる。
「どちら様で……」
まだ少し明るい空と暗い森を背に、馬を従えて立つ男の堂々とした姿がそこにあった。
馬は領主の髪と同じく黒毛だ。薄闇で見ても分かるくらい手入れが行き届いていて、毛艶が良い。大人しそうだが体躯が立派で雄々しい馬を供にしている男は、流石は領主様だと女子供に騒がれそうな風情だったが、シタンとしてはそれどころの騒ぎではない。
少し酔っていた頭が間を置いて領主が来たと理解した途端、血の気が引いて酔いが一気に醒めた。
「なにしにきたんだよ、アンタ……」
「対価を払ってもらうぞ」
「やっぱりか! こっ、ここでする気か!」
酒が入っていて気が大きくなっているからか、毛を逆立てんばかりに叫んでしまう。それでも怖い物は怖いので、扉を盾代わりに顔だけを覗かせて身構えているのが少し情けないが仕方ない。
「城へ行く。そこから出て来い」
さすがに、こんな所でする気はなかったらしい。
少しだけ安心した。狭くて硬い寝床で、小柄でもない男二人が寝るだなんて嫌すぎる。どうせなら城にある大きくて贅沢な寝台の方がましだ。あの寝心地の良い寝台でなら、抱かれたいという意味ではないが。
小さく嘶き頭を寄せて甘える馬の鼻面を撫でてやりながら、領主はシタンを待ち構えている。馬には好かれているのか。主従関係が穏やかなのを見てもこっちは全く気分が穏やかにならないが。
「わかったよ……。今行くから……」
領主の腰には剣がぶら下がっている。腕を斬ることはないと言ってはいたが、ほんとうに約束を守ってくれるだろうか。どちらにしても逃げられそうもない。
身震いしながらできるだけゆっくりと戸締りを終えて外へ出ると、領主はもう馬に乗っていた。
「私の前に乗れ」
「ちょっと待ってくれよ。俺、馬なんて乗った事ない」
「ここに……、鐙に足を掛けろ」
馬の胴の辺りから下がっている鐙から、領主が足を外した。
「無茶いうなよ……」
「黙って言う通りにしろ。脚が短いのか」
「なっ、短いって! あ、あんたほんとに」
「早くしろ」
急かされて『あんたこそ黙っていてくれ』という言葉を飲み込み、内心でだけぶちぶちと愚痴を零しながら鐙へ足を掛ける。
「私の手を掴め」
差し出された手を渋々と握ると、強く引っ張り上げられた。鐙に掛けていた足に力を入れてよじ登る。そこをすかさず腰を掴まれて、どうにか馬にまたがった。意外と高い。くらりと眩暈がした。
「落ちそうだ……」
上体をぐらつかせたシタンが鞍の前を両手で掴み緊張に身を強張らせていると、背後から忍び笑いが聞こえてきた。領主の片腕に腰を抱き寄せられて、背中に胸板が当たる。
「落としはしない。そう怯えるな」
「お、怯えてなんか、……うわっ!」
――不意に景色が揺れた。
馬がゆっくりと歩き出したのだ。長身の部類に入る男二人を背に乗せていても、黒馬は平気なようで悠々とした足取りで歩を進めていった。
シタンは家でのんびりと蜜酒を楽しんでいた。
たっぷりと蜂蜜を使って甘く仕上げた、良い値段のする特上物だ。小さな陶器に入れて、少しずつ舐める様にして味わう。ひと口分でも割と酔えるし、体の調子が悪い時にも効く。大事に取って置いても腐らないのが有り難い。
ここ数日、静かな日常が続いている。あの日のことがまるで夢だったかのように穏やかな日々だ。
……それでも、犯された記憶はまだ生々しく体に残っている。
あの恐ろしい領主は、もうなにをしても腕を斬らないと約束してくれたのだから、もしかしたら放免されたのかもしれない。あれほどしつこく抱いて口付けたくせに、最後は素気が無かった。気が変わって放り出したに違いない。もう、対価として抱かれる日はこないだろう。
そうに決まっている。というか、そう思いたい。森で狩りをしている時には集中しているから不安にはならないが、夜になり静かな時間を迎えるとどうにも気分が優れない。あの日の激しい快楽を思い出すたびに、言い知れない不安が湧き上がって、しくりと尻の辺りが疼くのだから質が悪い。
ふうっとため息をついて、シタンは杯に残った僅かな蜜酒を口に含みこくりと飲み込んだ。
――もうじき夜の帳も下りようかという頃合いに、扉を叩く音がした。
こんな時間に人が訪ねて来るなんて、珍しい。昼間でさえも客なんて滅多に来ないのだ。どんな用事なのかと怪訝に思いながら、扉を開けて外を覗いてみる。
「どちら様で……」
まだ少し明るい空と暗い森を背に、馬を従えて立つ男の堂々とした姿がそこにあった。
馬は領主の髪と同じく黒毛だ。薄闇で見ても分かるくらい手入れが行き届いていて、毛艶が良い。大人しそうだが体躯が立派で雄々しい馬を供にしている男は、流石は領主様だと女子供に騒がれそうな風情だったが、シタンとしてはそれどころの騒ぎではない。
少し酔っていた頭が間を置いて領主が来たと理解した途端、血の気が引いて酔いが一気に醒めた。
「なにしにきたんだよ、アンタ……」
「対価を払ってもらうぞ」
「やっぱりか! こっ、ここでする気か!」
酒が入っていて気が大きくなっているからか、毛を逆立てんばかりに叫んでしまう。それでも怖い物は怖いので、扉を盾代わりに顔だけを覗かせて身構えているのが少し情けないが仕方ない。
「城へ行く。そこから出て来い」
さすがに、こんな所でする気はなかったらしい。
少しだけ安心した。狭くて硬い寝床で、小柄でもない男二人が寝るだなんて嫌すぎる。どうせなら城にある大きくて贅沢な寝台の方がましだ。あの寝心地の良い寝台でなら、抱かれたいという意味ではないが。
小さく嘶き頭を寄せて甘える馬の鼻面を撫でてやりながら、領主はシタンを待ち構えている。馬には好かれているのか。主従関係が穏やかなのを見てもこっちは全く気分が穏やかにならないが。
「わかったよ……。今行くから……」
領主の腰には剣がぶら下がっている。腕を斬ることはないと言ってはいたが、ほんとうに約束を守ってくれるだろうか。どちらにしても逃げられそうもない。
身震いしながらできるだけゆっくりと戸締りを終えて外へ出ると、領主はもう馬に乗っていた。
「私の前に乗れ」
「ちょっと待ってくれよ。俺、馬なんて乗った事ない」
「ここに……、鐙に足を掛けろ」
馬の胴の辺りから下がっている鐙から、領主が足を外した。
「無茶いうなよ……」
「黙って言う通りにしろ。脚が短いのか」
「なっ、短いって! あ、あんたほんとに」
「早くしろ」
急かされて『あんたこそ黙っていてくれ』という言葉を飲み込み、内心でだけぶちぶちと愚痴を零しながら鐙へ足を掛ける。
「私の手を掴め」
差し出された手を渋々と握ると、強く引っ張り上げられた。鐙に掛けていた足に力を入れてよじ登る。そこをすかさず腰を掴まれて、どうにか馬にまたがった。意外と高い。くらりと眩暈がした。
「落ちそうだ……」
上体をぐらつかせたシタンが鞍の前を両手で掴み緊張に身を強張らせていると、背後から忍び笑いが聞こえてきた。領主の片腕に腰を抱き寄せられて、背中に胸板が当たる。
「落としはしない。そう怯えるな」
「お、怯えてなんか、……うわっ!」
――不意に景色が揺れた。
馬がゆっくりと歩き出したのだ。長身の部類に入る男二人を背に乗せていても、黒馬は平気なようで悠々とした足取りで歩を進めていった。
22
あなたにおすすめの小説
精霊の港 飛ばされたリーマン、体格のいい男たちに囲まれる
風見鶏ーKazamidoriー
BL
秋津ミナトは、うだつのあがらないサラリーマン。これといった特徴もなく、体力の衰えを感じてスポーツジムへ通うお年ごろ。
ある日帰り道で奇妙な精霊と出会い、追いかけた先は見たこともない場所。湊(ミナト)の前へ現れたのは黄金色にかがやく瞳をした美しい男だった。ロマス帝国という古代ローマに似た巨大な国が支配する世界で妖精に出会い、帝国の片鱗に触れてさらにはドラゴンまで、サラリーマンだった湊の人生は激変し異なる世界の動乱へ巻きこまれてゆく物語。
※この物語に登場する人物、名、団体、場所はすべてフィクションです。
竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜
レイ
BL
「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」
魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。
彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。
すべてを奪われた英雄は、
さいはて旅行社
BL
アスア王国の英雄ザット・ノーレンは仲間たちにすべてを奪われた。
隣国の神聖国グルシアの魔物大量発生でダンジョンに潜りラスボスの魔物も討伐できたが、そこで仲間に裏切られ黒い短剣で刺されてしまう。
それでも生き延びてダンジョンから生還したザット・ノーレンは神聖国グルシアで、王子と呼ばれる少年とその世話役のヴィンセントに出会う。
すべてを奪われた英雄が、自分や仲間だった者、これから出会う人々に向き合っていく物語。
雪を溶かすように
春野ひつじ
BL
人間と獣人の争いが終わった。
和平の条件で人間の国へ人質としていった獣人国の第八王子、薫(ゆき)。そして、薫を助けた人間国の第一王子、悠(はる)。二人の距離は次第に近づいていくが、実は薫が人間国に行くことになったのには理由があった……。
溺愛・甘々です。
*物語の進み方がゆっくりです。エブリスタにも掲載しています
不遇の第七王子は愛され不慣れで困惑気味です
新川はじめ
BL
国王とシスターの間に生まれたフィル・ディーンテ。五歳で母を亡くし第七王子として王宮へ迎え入れられたのだが、そこは針の筵だった。唯一優しくしてくれたのは王太子である兄セガールとその友人オーティスで、二人の存在が幼いフィルにとって心の支えだった。
フィルが十八歳になった頃、王宮内で生霊事件が発生。セガールの寝所に夜な夜な現れる生霊を退治するため、彼と容姿のよく似たフィルが囮になることに。指揮を取るのは大魔法師になったオーティスで「生霊が現れたら直ちに捉えます」と言ってたはずなのに何やら様子がおかしい。
生霊はベッドに潜り込んでお触りを始めるし。想い人のオーティスはなぜか黙ってガン見してるし。どうしちゃったの、話が違うじゃん!頼むからしっかりしてくれよぉー!
虚ろな檻と翡翠の魔石
篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」
不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。
待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。
しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。
「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」
記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。
カワウソの僕、異世界を無双する
コプラ@貧乏令嬢〜コミカライズ12/26
BL
本編完結いたしました♡コツメたん!無双おめでとう㊗️引き続きの番外編も完結しました💕
いつも読んでいただきありがとうございます♡ ほのぼのとワクワク、そしてコツメたんの無双ぶりを楽しんで下さい!
お気に入り1200越えました(new)❣️コツメたんの虜になった方がこんなにも!ʕ•ᴥ•ʔキュー♡
★★★カワウソでもあり、人間でもある『僕』が飼い主を踏み台に、いえ、可愛がられながら、この異世界を無双していく物語。
カワウソは可愛いけどね、自分がそうなるとか思わないでしょ。気づいたらコツメカワウソとして水辺で生きていた僕が、ある日捕まってしまった。僕はチャームポイントの小さなお手てとぽっこりお腹を見せつけながら、この状況を乗り越える!僕は可愛い飼い主のお兄さん気分で、気ままな生活を満喫するつもりだよ?ドキドキワクワクの毎日の始まり!
BLランキング最高位16位♡
なろうムーンで日間連載中BLランキング2位♡週間連載中BLランキング5位♡
イラスト*榮木キサ様
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる