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22 自己紹介した覚えはない
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――柔らかく良い匂いのする寝床は、魔物だった。
軽く眠るだけのつもりが、目覚めると夕暮れ前だった。こんなに長く眠ったことはない。それだけ、あの交わりで疲れていたということだろうか。そんなことを考えながら黄昏の空を寝床から眺めていると、程なくしてこの前世話になった老人がやって来た。
「――とても良く、お眠りになられていました」
「昼に起こした方がよろしかったですか」と、丁寧に聞いてくる老人に向けて軽く頭を振り「別に急ぎの用もないし、逆に寝かせてくれてありがたかったよ」と、笑って答える。体はまだ痛むが、長い時間眠ったお陰か、一度目よりはましだ。
「ご気分がよろしいようで安心致しました」
老人は、持ってきた手押し台に乗せた道具箱からブラシと結い紐などを取り出すと、シタンの黒みを帯びた長い銀髪をくしけずって整えていく。そして見事な手際で緩く編み込んでから右肩の辺りで結わえた。
そうしてすっかりと髪を整え終えると、次は寝室に置かれた卓に杯や匙等を並べ新しいクロスを敷き直すなどして、夕餉の支度を整え始める。てきぱきとした無駄のない動きは、やはりさすが城に仕える者といった雰囲気だった。
「食欲はおありでしょうか」
「うん。普通に何でも食べられそうだよ」
「かしこまりました。しっかりした料理をご用意いたしますので、暫しお待ちください」
それにしても、どこまでも丁寧だ。
どうしてこんなに丁寧なんだろうか。平民の狩人に対する扱いじゃないとシタンは思った。急に恐ろしくなってきて、これ以上なく優しい笑みを見せてから部屋を出て行こうとする老人の背中に思い切って「あの、聞きたいことがあるんだけど、良いかな……」と、声をかけた。
「俺って、どういう立場にされてるの? こんなに良くして貰うなんて……、変じゃないかな」
振り返った老人は、笑みを浮かべた顔のまま少しだけ間を置いて、口を開く。
「変ではありません。問題は一切ございませんので。貴方様が、この城において御心配なさる事柄は……、何ひとつとして、ございませんよ。前にも申しましたが、無下に扱ってはならないと領主様直々に命じられておりますし、この私めが誠心誠意、大切におもてなしさせていただきます。ごゆるりとおくつろぎください。憂いなくお過ごしになられる事……、それが最も大切でございます」
ゆっくりと、聞き取りやすく穏やかな口調で、老人が答えてくれた。長々しいその返答を頭の中で整理しようとしてみたが、もやもやとした煙のようにぼやけていく。
……分かったような、分からないような。
大切にされる立場になるようなことはしていないし、理不尽に下されたとはいっても罰として対価を払う立場なのだから、ある意味罪人扱いなのではと思ったが、それも違うらしい。何かが頭の隅に引っかかって取れない。
そんな感覚に襲われながら、「う、うん……?」と、ぎこちなく頷く。
「難しくお考えにならずとも良いのですよ。シタン様」
考えがまとまらずもう一度口を開こうとする前に、老人は微笑んで軽く頭を下げたかと思えば踵を返し、今度こそ部屋を出て行った。なんだか少し、出ていく足が速かった気がするのだが目の錯覚だろう。
「それにしても、シタン様って……。俺、様付けで呼ばれるような立場になったのかな。それはないだろ……? なんか気持ち悪いっていうか、やっぱり怖いな」
そう呟いてから、違和感に気付く。
「あれ……? 俺、名前って、……いつ言ったかな」
とんでもない出来事の連続だったせいか気付いていなかったが、自分から名乗った記憶がないのに、領主も老人もシタンの名前を呼んでいる。
領主は税を治めさせるために名簿というものを作っているそうだから、そこにはシタンの名も入っていることだろう。しかし、人数は辺境地なりに多い。有名でもない狩人のシタンのことを個として見知っているというのは、不自然な気がする。
その点が物凄く引っ掛かるが、領主や老人と過去に顔を合わせた記憶は微塵もない。しかし、疑問を口にしたところで、返ってくる答えがあれではどうしようもない。無駄なくらい丁寧で長い言葉遣いで煙に巻かれそうだ。
シタンは言い表しがたいもやもやした気分を抱えて、眉根を下げることしかできなかった。
軽く眠るだけのつもりが、目覚めると夕暮れ前だった。こんなに長く眠ったことはない。それだけ、あの交わりで疲れていたということだろうか。そんなことを考えながら黄昏の空を寝床から眺めていると、程なくしてこの前世話になった老人がやって来た。
「――とても良く、お眠りになられていました」
「昼に起こした方がよろしかったですか」と、丁寧に聞いてくる老人に向けて軽く頭を振り「別に急ぎの用もないし、逆に寝かせてくれてありがたかったよ」と、笑って答える。体はまだ痛むが、長い時間眠ったお陰か、一度目よりはましだ。
「ご気分がよろしいようで安心致しました」
老人は、持ってきた手押し台に乗せた道具箱からブラシと結い紐などを取り出すと、シタンの黒みを帯びた長い銀髪をくしけずって整えていく。そして見事な手際で緩く編み込んでから右肩の辺りで結わえた。
そうしてすっかりと髪を整え終えると、次は寝室に置かれた卓に杯や匙等を並べ新しいクロスを敷き直すなどして、夕餉の支度を整え始める。てきぱきとした無駄のない動きは、やはりさすが城に仕える者といった雰囲気だった。
「食欲はおありでしょうか」
「うん。普通に何でも食べられそうだよ」
「かしこまりました。しっかりした料理をご用意いたしますので、暫しお待ちください」
それにしても、どこまでも丁寧だ。
どうしてこんなに丁寧なんだろうか。平民の狩人に対する扱いじゃないとシタンは思った。急に恐ろしくなってきて、これ以上なく優しい笑みを見せてから部屋を出て行こうとする老人の背中に思い切って「あの、聞きたいことがあるんだけど、良いかな……」と、声をかけた。
「俺って、どういう立場にされてるの? こんなに良くして貰うなんて……、変じゃないかな」
振り返った老人は、笑みを浮かべた顔のまま少しだけ間を置いて、口を開く。
「変ではありません。問題は一切ございませんので。貴方様が、この城において御心配なさる事柄は……、何ひとつとして、ございませんよ。前にも申しましたが、無下に扱ってはならないと領主様直々に命じられておりますし、この私めが誠心誠意、大切におもてなしさせていただきます。ごゆるりとおくつろぎください。憂いなくお過ごしになられる事……、それが最も大切でございます」
ゆっくりと、聞き取りやすく穏やかな口調で、老人が答えてくれた。長々しいその返答を頭の中で整理しようとしてみたが、もやもやとした煙のようにぼやけていく。
……分かったような、分からないような。
大切にされる立場になるようなことはしていないし、理不尽に下されたとはいっても罰として対価を払う立場なのだから、ある意味罪人扱いなのではと思ったが、それも違うらしい。何かが頭の隅に引っかかって取れない。
そんな感覚に襲われながら、「う、うん……?」と、ぎこちなく頷く。
「難しくお考えにならずとも良いのですよ。シタン様」
考えがまとまらずもう一度口を開こうとする前に、老人は微笑んで軽く頭を下げたかと思えば踵を返し、今度こそ部屋を出て行った。なんだか少し、出ていく足が速かった気がするのだが目の錯覚だろう。
「それにしても、シタン様って……。俺、様付けで呼ばれるような立場になったのかな。それはないだろ……? なんか気持ち悪いっていうか、やっぱり怖いな」
そう呟いてから、違和感に気付く。
「あれ……? 俺、名前って、……いつ言ったかな」
とんでもない出来事の連続だったせいか気付いていなかったが、自分から名乗った記憶がないのに、領主も老人もシタンの名前を呼んでいる。
領主は税を治めさせるために名簿というものを作っているそうだから、そこにはシタンの名も入っていることだろう。しかし、人数は辺境地なりに多い。有名でもない狩人のシタンのことを個として見知っているというのは、不自然な気がする。
その点が物凄く引っ掛かるが、領主や老人と過去に顔を合わせた記憶は微塵もない。しかし、疑問を口にしたところで、返ってくる答えがあれではどうしようもない。無駄なくらい丁寧で長い言葉遣いで煙に巻かれそうだ。
シタンは言い表しがたいもやもやした気分を抱えて、眉根を下げることしかできなかった。
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