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33 無防備な笑顔
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――三日後。
釣竿と桶を手に小川へ向かうと、既に領主がやって来ていた。
つば広の帽子に黒い外套を羽織った姿で、のんびりと道端の草を食む馬の首筋を撫でていた。小屋に来た時も甘える仕草をした馬の鼻面を撫でてやっていたのを思い出す。触れ合う姿を見ると、優しそうに見えなくもない。
釣竿と桶を持って突っ立って、ぼんやりと見ていると、視線に気づいたのか領主が此方を向いた。
「……来ていたのか」
「うん。ほら、釣竿は持ってきたから」
「ああ」
シタンから釣竿等を受け取り、領主は大岩の上に行き胡坐をかいた。そこはシタンがいつも座っている場所だ。しかも、領主が腰を下ろしたのはラズが座っていた位置だった。気に入らないものを感じながらも続いて岩の上へ行く。
腕組みをして立ったままでいると「お前も座れ」と、言われた。
しかめっ面をしながらもシタンが大人しく隣へ腰を下ろすのを見届けてから、領主は手慣れた様子で針に餌を付けて釣り糸を川面に放った。
「釣り、本当にしたことがあるんだな」
「私にとて、そういう事をして過ごした時がある。お前がそうだった様にな……」
「へぇ……」
それ以上の会話はなく、小川のせせらぎや梢のざわめく音だけがする中で時が過ぎていった。
釣れるかどうか見届けてやろうと、気を張ってじっと釣り糸の先を見ていたシタンだったが、気付けばうつらうつらと頭を揺らして微睡み始めてしまった。隣にいるのはラズではなく気に食わない領主だというのに、心地良く抗い難い眠気に勝てない。
そうして睡魔と戦いながら、どれくらい時が経ったかも分からなくなった頃。
「――シタン」
低く名を呼ばれて正気に戻り、前のめりになっていた姿勢を勢い良く正す。
「んんっ、ふあっ……」
大きく欠伸をして横を向くと、つば広帽の下で白い顔がこちらを見ていた。可笑し気に目を細められて、気まずさに目を逸らす。見張っていたつもりが、うっかり眠り込んでしまったのが恥ずかしい。
「これを見ろ」
そんなシタンの内心をよそに、領主が桶を片手で持ち上げてを見せてくる。
「えっ、これ、アンタが?」
「私以外に、誰がいる。お前が眠っている間に釣れた魚だ」
桶の中には、何匹もの魚が水を跳ね散らしながらひしめいていた。笑ってやろうとしていたことも忘れて素直にその数に驚き、シタンはあんぐりと口を開けてしまった。
「これだけ釣れたのだから文句はあるまい」
「え、あ、う、うん。凄いな……」
「久しぶりに釣ったが、思ったよりもよく釣れた」
領主が腕を円を描くようにくるりと振って、その動きだけで糸を釣竿へ巧みに巻き付けて立ち上がる。たったそれだけのさり気ない動作でも、嫌味なくらい優雅だ。
「これで証明はできたな。魚は十分に釣れたのだから。私は城に戻る」
「あ、うん……」
「これは、くれてやろう」
魚が入った桶を、領主は釣竿とともに差し出してきた。
「なっ、なんで、俺に? アンタが釣ったんだから別にくれなくてもいいよ」
「私からの施しだ。素直に受け取るが良い」
「ほ、施しだとぉ……」
何かもっとましな言い方があるだろう。苛ついて睨み付けてやったが、領主は腕を下ろそうとはしない。それどころか、少しずつ目つきが険しくなっていく。受け取らないと酷い目にあわされそうだ。
「も、貰っとけば良いんだろ。……ありがと」
渋々受け取ってボソボソと礼を言うと、領主の瞳が僅かに見開かれる。
「礼を言われるとは思わなかった」
「アンタが相手でも誰でも、お礼は言うよ。何も言わないとか、そういうのは……、気分が悪いじゃないか」
桶の中で押し合い圧し合いながら泳ぐ魚に視線を落とし、ぶっきらぼうに言う。
「律儀な男だな、お前は……」
静かな声だった。意外な返しに、はっと驚いて顔を上げる。
「あっ……」
白い面に浮かぶ表情を目の当たりにして、息を飲む。
嘲笑でも、艷やかな笑みでもない。あどけないくらいに邪気がなくて、無防備な笑顔だった。こんな顔、見たことがない。
「何をそんなに驚いている」
一瞬、目の前にいる男が誰なのか、判らなくなった。
釣竿と桶を手に小川へ向かうと、既に領主がやって来ていた。
つば広の帽子に黒い外套を羽織った姿で、のんびりと道端の草を食む馬の首筋を撫でていた。小屋に来た時も甘える仕草をした馬の鼻面を撫でてやっていたのを思い出す。触れ合う姿を見ると、優しそうに見えなくもない。
釣竿と桶を持って突っ立って、ぼんやりと見ていると、視線に気づいたのか領主が此方を向いた。
「……来ていたのか」
「うん。ほら、釣竿は持ってきたから」
「ああ」
シタンから釣竿等を受け取り、領主は大岩の上に行き胡坐をかいた。そこはシタンがいつも座っている場所だ。しかも、領主が腰を下ろしたのはラズが座っていた位置だった。気に入らないものを感じながらも続いて岩の上へ行く。
腕組みをして立ったままでいると「お前も座れ」と、言われた。
しかめっ面をしながらもシタンが大人しく隣へ腰を下ろすのを見届けてから、領主は手慣れた様子で針に餌を付けて釣り糸を川面に放った。
「釣り、本当にしたことがあるんだな」
「私にとて、そういう事をして過ごした時がある。お前がそうだった様にな……」
「へぇ……」
それ以上の会話はなく、小川のせせらぎや梢のざわめく音だけがする中で時が過ぎていった。
釣れるかどうか見届けてやろうと、気を張ってじっと釣り糸の先を見ていたシタンだったが、気付けばうつらうつらと頭を揺らして微睡み始めてしまった。隣にいるのはラズではなく気に食わない領主だというのに、心地良く抗い難い眠気に勝てない。
そうして睡魔と戦いながら、どれくらい時が経ったかも分からなくなった頃。
「――シタン」
低く名を呼ばれて正気に戻り、前のめりになっていた姿勢を勢い良く正す。
「んんっ、ふあっ……」
大きく欠伸をして横を向くと、つば広帽の下で白い顔がこちらを見ていた。可笑し気に目を細められて、気まずさに目を逸らす。見張っていたつもりが、うっかり眠り込んでしまったのが恥ずかしい。
「これを見ろ」
そんなシタンの内心をよそに、領主が桶を片手で持ち上げてを見せてくる。
「えっ、これ、アンタが?」
「私以外に、誰がいる。お前が眠っている間に釣れた魚だ」
桶の中には、何匹もの魚が水を跳ね散らしながらひしめいていた。笑ってやろうとしていたことも忘れて素直にその数に驚き、シタンはあんぐりと口を開けてしまった。
「これだけ釣れたのだから文句はあるまい」
「え、あ、う、うん。凄いな……」
「久しぶりに釣ったが、思ったよりもよく釣れた」
領主が腕を円を描くようにくるりと振って、その動きだけで糸を釣竿へ巧みに巻き付けて立ち上がる。たったそれだけのさり気ない動作でも、嫌味なくらい優雅だ。
「これで証明はできたな。魚は十分に釣れたのだから。私は城に戻る」
「あ、うん……」
「これは、くれてやろう」
魚が入った桶を、領主は釣竿とともに差し出してきた。
「なっ、なんで、俺に? アンタが釣ったんだから別にくれなくてもいいよ」
「私からの施しだ。素直に受け取るが良い」
「ほ、施しだとぉ……」
何かもっとましな言い方があるだろう。苛ついて睨み付けてやったが、領主は腕を下ろそうとはしない。それどころか、少しずつ目つきが険しくなっていく。受け取らないと酷い目にあわされそうだ。
「も、貰っとけば良いんだろ。……ありがと」
渋々受け取ってボソボソと礼を言うと、領主の瞳が僅かに見開かれる。
「礼を言われるとは思わなかった」
「アンタが相手でも誰でも、お礼は言うよ。何も言わないとか、そういうのは……、気分が悪いじゃないか」
桶の中で押し合い圧し合いながら泳ぐ魚に視線を落とし、ぶっきらぼうに言う。
「律儀な男だな、お前は……」
静かな声だった。意外な返しに、はっと驚いて顔を上げる。
「あっ……」
白い面に浮かぶ表情を目の当たりにして、息を飲む。
嘲笑でも、艷やかな笑みでもない。あどけないくらいに邪気がなくて、無防備な笑顔だった。こんな顔、見たことがない。
「何をそんなに驚いている」
一瞬、目の前にいる男が誰なのか、判らなくなった。
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