58 / 110
61 鈍臭いと言われてしまった
しおりを挟む
――そして、やや長い間を置いて朱い唇が薄く開いた。
「慰みなどでは……、ない」
鋭さが鳴りを潜めた、掠れ声だった。
「そんな風に思ったことなど、一度もない」
視線を逸らしたまま、こちらを見ようともせずに発せられたその言葉は、シタンの心には響かなかった。慰みでないのなら、なんだというのか。もっとはっきりと気持ちを言って欲しい。こんな答えは違う。
「だ、だったら、なんであんなことしたんだよ……」
シタンが勇気を振り絞って聞いても、領主は口を開くどころか眉根を寄せているばかりで、何も言わない。
「なんで……、俺なんかを……」
領主との関係は、ずっとシタンを苦しめてきた。誰にも言えずに悩んでいたときの不安や、ハイレリウスと出会って気付いた泣きたいほどの辛さ……。それらを忘れてはいない。
――もう限界だった。
積み重ねられてきた気持ちが、大きく膨らんで弾けてしまう。
「俺は、俺は……っ、対価だなんて言われて抱かれるのは、もう嫌だ!」
喉が裂けんばかりのシタンの叫びは部屋中に響き渡り、領主がはっと息を飲んでこちらを見た。一度弾けてしまえばもう気持ちを抑えることなど出来なかった。ずっと思い続けてきたことを、ぶつけてしまう。
「なんで……、俺がこんな、苦しい思いをしなくちゃいけないんだ! 俺がなにをしたっていうんだよ! さっさと捨ててくれ! もうたくさんだ!」
「捨てはしないっ! シタン、ずっと昔から……、お前だけが欲しかった!」
「ず、ずっと昔からって、なんだよ……。あんたのことなんか、俺は知らないのに!」
知り合いでもない初対面だったはずのこの男が、なにを知っているというのか。さっぱり意味が分からない。苛立ちながらきつく睨みつけると、領主は痛々しいまでに悲し気な表情で「まだわからないのか」と、言って小さく頭を振った。
「……やはりこんな姿になった私など、お前には受け入れられないのだな」
「どういう意味だよ……」
「憎んでも構わない。私から、逃げないでくれ」
紫紺の瞳から、涙が零れ落ちた。
儚いくらいに綺麗な泣き顔だった。震える唇が、消え入るような声音で「シタン……」と、切な気に名を呼ぶ。これが、あの恐ろしい領主だとはとても思えない弱々しい姿だった。
……ラズが泣いているみたいだ。
不意に、そう思った。あの日のラズとそっくりだ。潤んだ紫紺の瞳が凄く綺麗で、零れ落ちる涙も何か特別な物のように綺麗だ。触れたら壊れてしまいそうな綺麗さに魅入られながら、涙を流し続ける領主に近付いて濡れた頬に恐る恐る手を伸ばす。
「な、泣くことないだろ……」
頬をそっと手のひらで包み込んで親指で涙を拭うが、後から後から零れ落ちる涙は一向に止まらない。どうしてか、こちらまで泣きたくなってしまうような涙だった。
「あんたは……」
ラズに似ている、と言いかけて言葉を飲み込む。
……違う。似ているんじゃない。
「ラズなのか?」
――泣き濡れた瞳が大きく見開かれる。それが答えになった。
「ラズ!」
叫びながら抱き締めると、その体が微かに震えているのが分かった。柔らかな黒髪に覆われた頭を撫でて頬を摺り寄せると、小さな頃のラズと同じ良い匂いがした。
こんなふうに抱き締めたのは、小川で別れを告げられた時以来だ。どんなに行為に溺れ体を重ねていても、愛しさと親しみを込めて抱き締めたことなどなかった。
「……会いたかった。お前がいなくなって、寂しかった。なんで、言ってくれなかったんだよぉ……。こんな立派になってるなんて」
領主……いや、ラズラウドは無言だったが、背中に回された腕が強くシタンを抱き締め返してきて頬を摺り寄せられると、愛おしくて堪らない気持ちになった。
「……なんで、無理矢理したんだよ……。俺が気付けなかったから、怒ったのか?」
「そんな下らない仕返しのような理由で、私がお前を抱いたと思っているのか。何年経っても、お前はやはり鈍臭いというか、なんというか……」
……久しぶりに鈍臭いと言われてしまった。
「慰みなどでは……、ない」
鋭さが鳴りを潜めた、掠れ声だった。
「そんな風に思ったことなど、一度もない」
視線を逸らしたまま、こちらを見ようともせずに発せられたその言葉は、シタンの心には響かなかった。慰みでないのなら、なんだというのか。もっとはっきりと気持ちを言って欲しい。こんな答えは違う。
「だ、だったら、なんであんなことしたんだよ……」
シタンが勇気を振り絞って聞いても、領主は口を開くどころか眉根を寄せているばかりで、何も言わない。
「なんで……、俺なんかを……」
領主との関係は、ずっとシタンを苦しめてきた。誰にも言えずに悩んでいたときの不安や、ハイレリウスと出会って気付いた泣きたいほどの辛さ……。それらを忘れてはいない。
――もう限界だった。
積み重ねられてきた気持ちが、大きく膨らんで弾けてしまう。
「俺は、俺は……っ、対価だなんて言われて抱かれるのは、もう嫌だ!」
喉が裂けんばかりのシタンの叫びは部屋中に響き渡り、領主がはっと息を飲んでこちらを見た。一度弾けてしまえばもう気持ちを抑えることなど出来なかった。ずっと思い続けてきたことを、ぶつけてしまう。
「なんで……、俺がこんな、苦しい思いをしなくちゃいけないんだ! 俺がなにをしたっていうんだよ! さっさと捨ててくれ! もうたくさんだ!」
「捨てはしないっ! シタン、ずっと昔から……、お前だけが欲しかった!」
「ず、ずっと昔からって、なんだよ……。あんたのことなんか、俺は知らないのに!」
知り合いでもない初対面だったはずのこの男が、なにを知っているというのか。さっぱり意味が分からない。苛立ちながらきつく睨みつけると、領主は痛々しいまでに悲し気な表情で「まだわからないのか」と、言って小さく頭を振った。
「……やはりこんな姿になった私など、お前には受け入れられないのだな」
「どういう意味だよ……」
「憎んでも構わない。私から、逃げないでくれ」
紫紺の瞳から、涙が零れ落ちた。
儚いくらいに綺麗な泣き顔だった。震える唇が、消え入るような声音で「シタン……」と、切な気に名を呼ぶ。これが、あの恐ろしい領主だとはとても思えない弱々しい姿だった。
……ラズが泣いているみたいだ。
不意に、そう思った。あの日のラズとそっくりだ。潤んだ紫紺の瞳が凄く綺麗で、零れ落ちる涙も何か特別な物のように綺麗だ。触れたら壊れてしまいそうな綺麗さに魅入られながら、涙を流し続ける領主に近付いて濡れた頬に恐る恐る手を伸ばす。
「な、泣くことないだろ……」
頬をそっと手のひらで包み込んで親指で涙を拭うが、後から後から零れ落ちる涙は一向に止まらない。どうしてか、こちらまで泣きたくなってしまうような涙だった。
「あんたは……」
ラズに似ている、と言いかけて言葉を飲み込む。
……違う。似ているんじゃない。
「ラズなのか?」
――泣き濡れた瞳が大きく見開かれる。それが答えになった。
「ラズ!」
叫びながら抱き締めると、その体が微かに震えているのが分かった。柔らかな黒髪に覆われた頭を撫でて頬を摺り寄せると、小さな頃のラズと同じ良い匂いがした。
こんなふうに抱き締めたのは、小川で別れを告げられた時以来だ。どんなに行為に溺れ体を重ねていても、愛しさと親しみを込めて抱き締めたことなどなかった。
「……会いたかった。お前がいなくなって、寂しかった。なんで、言ってくれなかったんだよぉ……。こんな立派になってるなんて」
領主……いや、ラズラウドは無言だったが、背中に回された腕が強くシタンを抱き締め返してきて頬を摺り寄せられると、愛おしくて堪らない気持ちになった。
「……なんで、無理矢理したんだよ……。俺が気付けなかったから、怒ったのか?」
「そんな下らない仕返しのような理由で、私がお前を抱いたと思っているのか。何年経っても、お前はやはり鈍臭いというか、なんというか……」
……久しぶりに鈍臭いと言われてしまった。
10
あなたにおすすめの小説
精霊の港 飛ばされたリーマン、体格のいい男たちに囲まれる
風見鶏ーKazamidoriー
BL
秋津ミナトは、うだつのあがらないサラリーマン。これといった特徴もなく、体力の衰えを感じてスポーツジムへ通うお年ごろ。
ある日帰り道で奇妙な精霊と出会い、追いかけた先は見たこともない場所。湊(ミナト)の前へ現れたのは黄金色にかがやく瞳をした美しい男だった。ロマス帝国という古代ローマに似た巨大な国が支配する世界で妖精に出会い、帝国の片鱗に触れてさらにはドラゴンまで、サラリーマンだった湊の人生は激変し異なる世界の動乱へ巻きこまれてゆく物語。
※この物語に登場する人物、名、団体、場所はすべてフィクションです。
竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜
レイ
BL
「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」
魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。
彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。
すべてを奪われた英雄は、
さいはて旅行社
BL
アスア王国の英雄ザット・ノーレンは仲間たちにすべてを奪われた。
隣国の神聖国グルシアの魔物大量発生でダンジョンに潜りラスボスの魔物も討伐できたが、そこで仲間に裏切られ黒い短剣で刺されてしまう。
それでも生き延びてダンジョンから生還したザット・ノーレンは神聖国グルシアで、王子と呼ばれる少年とその世話役のヴィンセントに出会う。
すべてを奪われた英雄が、自分や仲間だった者、これから出会う人々に向き合っていく物語。
雪を溶かすように
春野ひつじ
BL
人間と獣人の争いが終わった。
和平の条件で人間の国へ人質としていった獣人国の第八王子、薫(ゆき)。そして、薫を助けた人間国の第一王子、悠(はる)。二人の距離は次第に近づいていくが、実は薫が人間国に行くことになったのには理由があった……。
溺愛・甘々です。
*物語の進み方がゆっくりです。エブリスタにも掲載しています
不遇の第七王子は愛され不慣れで困惑気味です
新川はじめ
BL
国王とシスターの間に生まれたフィル・ディーンテ。五歳で母を亡くし第七王子として王宮へ迎え入れられたのだが、そこは針の筵だった。唯一優しくしてくれたのは王太子である兄セガールとその友人オーティスで、二人の存在が幼いフィルにとって心の支えだった。
フィルが十八歳になった頃、王宮内で生霊事件が発生。セガールの寝所に夜な夜な現れる生霊を退治するため、彼と容姿のよく似たフィルが囮になることに。指揮を取るのは大魔法師になったオーティスで「生霊が現れたら直ちに捉えます」と言ってたはずなのに何やら様子がおかしい。
生霊はベッドに潜り込んでお触りを始めるし。想い人のオーティスはなぜか黙ってガン見してるし。どうしちゃったの、話が違うじゃん!頼むからしっかりしてくれよぉー!
虚ろな檻と翡翠の魔石
篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」
不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。
待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。
しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。
「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」
記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。
カワウソの僕、異世界を無双する
コプラ@貧乏令嬢〜コミカライズ12/26
BL
本編完結いたしました♡コツメたん!無双おめでとう㊗️引き続きの番外編も完結しました💕
いつも読んでいただきありがとうございます♡ ほのぼのとワクワク、そしてコツメたんの無双ぶりを楽しんで下さい!
お気に入り1200越えました(new)❣️コツメたんの虜になった方がこんなにも!ʕ•ᴥ•ʔキュー♡
★★★カワウソでもあり、人間でもある『僕』が飼い主を踏み台に、いえ、可愛がられながら、この異世界を無双していく物語。
カワウソは可愛いけどね、自分がそうなるとか思わないでしょ。気づいたらコツメカワウソとして水辺で生きていた僕が、ある日捕まってしまった。僕はチャームポイントの小さなお手てとぽっこりお腹を見せつけながら、この状況を乗り越える!僕は可愛い飼い主のお兄さん気分で、気ままな生活を満喫するつもりだよ?ドキドキワクワクの毎日の始まり!
BLランキング最高位16位♡
なろうムーンで日間連載中BLランキング2位♡週間連載中BLランキング5位♡
イラスト*榮木キサ様
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる