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番外編「とある狩人を愛した、横暴領主の話」
5 大樹の下で
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女児として扱われることも、鞭で打たれることもなくなったが、ラズラウディアにとって家族と住まう城での暮らしが、息の詰まるものであることに変化はなかった。
ずっと苦境にあった自分を労わってくれた侍従や、厳しくも実直な剣術指南の騎士らなど、ラズラウディアに忠義を尽くしてくれる者はいたが、それすらも両親の掌中である気がして、気を抜けるときなどなかった。
――寒々しく息苦しい空気の漂う城にいたくない。もっと自由になりたい。
そんな気持ちが抑えられなくなり城を抜け出したのは、十歳の誕生日から半年後のことだった。
ラ父が治める辺境にある森の闇には魔獣が棲んでいて、幼い子供などあっと言う間に喰われてしまうらしい。森の奥には入らず陽の射す明るい小道を選んで足早に進む。しばらく歩けば城は遠ざかり、どこまでも広がる森の木々と空だけが視界を包み込む。
ここには、父の目も母の目もない。
城では味わえない清々しい解放感に心を躍らせながら、細く長く続く道をひたすら歩いた。そして、辿り着いたのは大樹が座す広場だった。
「綺麗なところだな……」
花々と蝶に彩られた広場の中を、何者かに誘われるような足取りで大樹の根元へと歩んでいく。天に向かい広がる枝々のなんと大きなことか。誰に造られたものでもない、壮大で美しい光景に陶然と見惚れた。
「――なにしてるの?」
唐突に背後から掛けられた、あどけない声。
素早く振り返ると、矢筒と弓を背負った少年が佇んでいた。黒みを帯びた銀髪に木漏れ日が当たって眩く輝いている。甘い蜂蜜を思わせる色をした瞳は少し目尻が垂れ気味で、優しい顔立ちをしていた。年のころは、ラズラウディアよりもやや年上だろうか。背ばかりが高く肉付きが悪い体は細く頼りないものに見えた。
「大きな木だと思って、見ていただけだ。……お前は、何しに来たんだ」
「弓の練習に来たんだよ」
少しかすれた……、だが柔らかい声で少年は答えた。傍らまで歩み寄って来て、瞳を伏せて大樹に祈りを捧げる。洗いざらしの粗末な麻の服を纏い、使い古した矢筒を背負った少年は悪い言い方をすればみすぼらしいが、清貧で純朴な印象も抱かせる。
髪と同じく、木漏れ日によって輝く銀色の豊かな睫毛が綺麗だ。祈りを捧げる姿が神聖なものに見えて、目が離せなかった。
「変わった祈り方だな」
気付けば、そう話しかけていた。この少年に自分を見て欲しい一心で。
「俺のとこで伝わってるお祈りだよ。他はどうかしらないけど」
「なるほど。この土地の特別な祈りなんだな。面白いな」
少年の声を聞いていると気持ちが落ち着く。侍従も言葉遣いは違えどもこれに近い心地がするが、どこか一歩引いたものだ。見下ろすでも見上げるでもない、同じ立ち位置で話をしてくれる相手など城にはいない。
「良い獲物が捕れますようにとか、無事に帰れますようにとか、そういう事を祈るんだよ」
甘い蜂蜜色の瞳が自分を映しているのが嬉しい。もっと声を聞きたい。ずっと話していたい。今までに感じたことのない欲求をラズラウディアは強く感じた。
「そうか。それなら僕もそうしておこう」
少年の真似をして、同じ様に指で印を結んで大樹に祈りを捧げた。
――『どうか、この子と親しくなれますように……』と。
ずっと苦境にあった自分を労わってくれた侍従や、厳しくも実直な剣術指南の騎士らなど、ラズラウディアに忠義を尽くしてくれる者はいたが、それすらも両親の掌中である気がして、気を抜けるときなどなかった。
――寒々しく息苦しい空気の漂う城にいたくない。もっと自由になりたい。
そんな気持ちが抑えられなくなり城を抜け出したのは、十歳の誕生日から半年後のことだった。
ラ父が治める辺境にある森の闇には魔獣が棲んでいて、幼い子供などあっと言う間に喰われてしまうらしい。森の奥には入らず陽の射す明るい小道を選んで足早に進む。しばらく歩けば城は遠ざかり、どこまでも広がる森の木々と空だけが視界を包み込む。
ここには、父の目も母の目もない。
城では味わえない清々しい解放感に心を躍らせながら、細く長く続く道をひたすら歩いた。そして、辿り着いたのは大樹が座す広場だった。
「綺麗なところだな……」
花々と蝶に彩られた広場の中を、何者かに誘われるような足取りで大樹の根元へと歩んでいく。天に向かい広がる枝々のなんと大きなことか。誰に造られたものでもない、壮大で美しい光景に陶然と見惚れた。
「――なにしてるの?」
唐突に背後から掛けられた、あどけない声。
素早く振り返ると、矢筒と弓を背負った少年が佇んでいた。黒みを帯びた銀髪に木漏れ日が当たって眩く輝いている。甘い蜂蜜を思わせる色をした瞳は少し目尻が垂れ気味で、優しい顔立ちをしていた。年のころは、ラズラウディアよりもやや年上だろうか。背ばかりが高く肉付きが悪い体は細く頼りないものに見えた。
「大きな木だと思って、見ていただけだ。……お前は、何しに来たんだ」
「弓の練習に来たんだよ」
少しかすれた……、だが柔らかい声で少年は答えた。傍らまで歩み寄って来て、瞳を伏せて大樹に祈りを捧げる。洗いざらしの粗末な麻の服を纏い、使い古した矢筒を背負った少年は悪い言い方をすればみすぼらしいが、清貧で純朴な印象も抱かせる。
髪と同じく、木漏れ日によって輝く銀色の豊かな睫毛が綺麗だ。祈りを捧げる姿が神聖なものに見えて、目が離せなかった。
「変わった祈り方だな」
気付けば、そう話しかけていた。この少年に自分を見て欲しい一心で。
「俺のとこで伝わってるお祈りだよ。他はどうかしらないけど」
「なるほど。この土地の特別な祈りなんだな。面白いな」
少年の声を聞いていると気持ちが落ち着く。侍従も言葉遣いは違えどもこれに近い心地がするが、どこか一歩引いたものだ。見下ろすでも見上げるでもない、同じ立ち位置で話をしてくれる相手など城にはいない。
「良い獲物が捕れますようにとか、無事に帰れますようにとか、そういう事を祈るんだよ」
甘い蜂蜜色の瞳が自分を映しているのが嬉しい。もっと声を聞きたい。ずっと話していたい。今までに感じたことのない欲求をラズラウディアは強く感じた。
「そうか。それなら僕もそうしておこう」
少年の真似をして、同じ様に指で印を結んで大樹に祈りを捧げた。
――『どうか、この子と親しくなれますように……』と。
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