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本編
22 逃げ出した先で
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――闘技場を遠く離れ下町の裏路地まで来てようやく、リィは深く息をついて立ち止まった。
「……なんで、逃げてんだ俺は……っ!」
石造りの建物に挟まれた薄暗い路で、悔しさにぎりりと歯がみをする。……たかが小娘一人に、主無しであるころをせせら笑われたくらいで、無様な姿をさらしてしまった。
昔から腹の立つことを色々と言われ続けてきたが、こんな……、逃げ出してしまいたくなる程の酷い痛みと苦しさを感じたりはしなかった。
一緒に下町へ来るはずだったシアを、置き去りにして逃げてしまった。媚びた笑みを浮かべる令嬢にまとわりつかれる姿を思い出すと、引かない胸の痛みを打ち消すほどの激しい怒りが腹の底から熱く燃え上がってくる。
「シアを連れて来れば良かった……」
……あんな嫌らしい小娘の相手なんか、させたくない。
今からでも連れ去りに行ってやろうかと思ったが、みっともなく逃げた己がどの面を下げてあの場に戻れるのか。それにもう、闘技場の前に彼はいないだろう。
待って! と、リィを呼び止める声が耳に蘇り、胸の奥が突き刺されたように強く痛む。
シアが最初に下町で食事をしようと言い出したときには、断ったら煩いだろうと渋々我がままを聞いてやったつもりだった。そのあとの付き合いに至っても、一人で食べるよりはまあ悪くないからと続けていた。
だが、今こうして最悪の形でシアと食事に行けなくなって、そんな軽い気持ちではなかったことに初めて気付いてしまった。
――友人や恋人といった親しい相手などいないリィにとって、シアは特別な存在になっていた。夢にまで見て忘れようとしても忘れられなかったのは、また会いたいと心のどこかで強く願っていたからだ。そうして、再び会えた彼と食事をする時間は、リィにとってなによりも楽しみになっていた。
今すぐに彼の元に駆け戻って、逃げて悪かったと謝りたい。あんな娘など追い払って、二人で話しながら食事をしたい。彼がなにか我がままをいうなら、できる限り叶えてやりたい。
止めどなく湧き出してくる想いの波に、心が大きく揺らされる。
あの場で踏みとどまれなかった自分を殴りたい。少し侮辱されたくらいで尻尾を巻いて逃げてしまうような情けない闘士に、シアはまた会ってくれるだろうか。もしかしたら、二度と呼び出されないかも知れない。
哀しさと切なさに涙が出そうになるのと同時に、シアとのことで心を引きずられて気弱になっている事実に危険を感じもした。
シアに初めて出逢った日に本能的に感じていた、今の自分が保てなくなってしまうという予感が、現実のものになってしまった。弱い自分を押し込めて、舐められまいと逆立てていた棘が少しずつ削がれ始めている。
弱さを曝け出しては駄目だ。他人に隙を見せたが最後、莫迦にされて虐げられるだけだ。誰にも、気を許して良いはずがないのだ。
「……なんで、こんな……っ!」
千々に乱れる感情を静める術もなく、ただそれに翻弄されるばかりだ。
「くそっ!」
荒々しく叫んで握りしめた拳を石積みの壁へと横殴りに叩きつけ、リィはうなだれた。
「シア……」
叩きつけた拳の痛みよりも、胸の痛みの方が強い。闘技場から出てきた時にはかなり腹が減っていたはずだが、もう飯など一口も入る気がしない。息苦しいほどに痛くて、苦しい。最悪の気分だ。
飯屋に寄る事はせずに、重い足取りで小さな平屋へと帰った。
誰も居ない独り暮らしの平屋。そこへ帰ったところで気持ちは落ち着かず、強い寂しさが込み上げてくる。もうなにもする気になれず粗末な寝床に身を投げ出して横になると、よほど疲れていたのかいつの間にか眠りへと落ちていた。
――その夜は夢を見ることはなく、ただ深い眠りだけがリィにもたらされたのだった。
「……なんで、逃げてんだ俺は……っ!」
石造りの建物に挟まれた薄暗い路で、悔しさにぎりりと歯がみをする。……たかが小娘一人に、主無しであるころをせせら笑われたくらいで、無様な姿をさらしてしまった。
昔から腹の立つことを色々と言われ続けてきたが、こんな……、逃げ出してしまいたくなる程の酷い痛みと苦しさを感じたりはしなかった。
一緒に下町へ来るはずだったシアを、置き去りにして逃げてしまった。媚びた笑みを浮かべる令嬢にまとわりつかれる姿を思い出すと、引かない胸の痛みを打ち消すほどの激しい怒りが腹の底から熱く燃え上がってくる。
「シアを連れて来れば良かった……」
……あんな嫌らしい小娘の相手なんか、させたくない。
今からでも連れ去りに行ってやろうかと思ったが、みっともなく逃げた己がどの面を下げてあの場に戻れるのか。それにもう、闘技場の前に彼はいないだろう。
待って! と、リィを呼び止める声が耳に蘇り、胸の奥が突き刺されたように強く痛む。
シアが最初に下町で食事をしようと言い出したときには、断ったら煩いだろうと渋々我がままを聞いてやったつもりだった。そのあとの付き合いに至っても、一人で食べるよりはまあ悪くないからと続けていた。
だが、今こうして最悪の形でシアと食事に行けなくなって、そんな軽い気持ちではなかったことに初めて気付いてしまった。
――友人や恋人といった親しい相手などいないリィにとって、シアは特別な存在になっていた。夢にまで見て忘れようとしても忘れられなかったのは、また会いたいと心のどこかで強く願っていたからだ。そうして、再び会えた彼と食事をする時間は、リィにとってなによりも楽しみになっていた。
今すぐに彼の元に駆け戻って、逃げて悪かったと謝りたい。あんな娘など追い払って、二人で話しながら食事をしたい。彼がなにか我がままをいうなら、できる限り叶えてやりたい。
止めどなく湧き出してくる想いの波に、心が大きく揺らされる。
あの場で踏みとどまれなかった自分を殴りたい。少し侮辱されたくらいで尻尾を巻いて逃げてしまうような情けない闘士に、シアはまた会ってくれるだろうか。もしかしたら、二度と呼び出されないかも知れない。
哀しさと切なさに涙が出そうになるのと同時に、シアとのことで心を引きずられて気弱になっている事実に危険を感じもした。
シアに初めて出逢った日に本能的に感じていた、今の自分が保てなくなってしまうという予感が、現実のものになってしまった。弱い自分を押し込めて、舐められまいと逆立てていた棘が少しずつ削がれ始めている。
弱さを曝け出しては駄目だ。他人に隙を見せたが最後、莫迦にされて虐げられるだけだ。誰にも、気を許して良いはずがないのだ。
「……なんで、こんな……っ!」
千々に乱れる感情を静める術もなく、ただそれに翻弄されるばかりだ。
「くそっ!」
荒々しく叫んで握りしめた拳を石積みの壁へと横殴りに叩きつけ、リィはうなだれた。
「シア……」
叩きつけた拳の痛みよりも、胸の痛みの方が強い。闘技場から出てきた時にはかなり腹が減っていたはずだが、もう飯など一口も入る気がしない。息苦しいほどに痛くて、苦しい。最悪の気分だ。
飯屋に寄る事はせずに、重い足取りで小さな平屋へと帰った。
誰も居ない独り暮らしの平屋。そこへ帰ったところで気持ちは落ち着かず、強い寂しさが込み上げてくる。もうなにもする気になれず粗末な寝床に身を投げ出して横になると、よほど疲れていたのかいつの間にか眠りへと落ちていた。
――その夜は夢を見ることはなく、ただ深い眠りだけがリィにもたらされたのだった。
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