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本編
23 負けられない
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――逃げ出したあの日から、幾日かが過ぎたある日。
「赤痣のリィじゃなくて、主無しのリィだな」
控え室に入ったリィの耳に、室内にいた闘士が仲間に冗談めかして喋る声が聞こえた。
「うっせぇな! 舐めたこと抜かしてんじゃねぇぞ!」
「ひぃいっ!」
怒鳴り声に驚いて野太い悲鳴を上げた闘士の胸ぐらを掴み、噛み付かんばかりの面相で睨み付けてやった。主無しをネタにされて貴族の娘に嘲けられ、みっともなく逃げ出してしまったのはつい最近だ。怒鳴り散らしたくもなる。
「い、いたのかっ! 悪かった! す、済まないっ!」
「いなけりゃいいってのかコラァ! 次は蹴り潰すぞ!」
引きつった顔で謝る闘士を強く揺さぶってから胸ぐらを放し、部屋の片隅にある椅子に腰を下ろして腕を組む。目くじらを立てるのはくだらないことだが、言われっ放しでは舐められる。
「そんなに怒るものじゃないぞ、リィ」
「あぁ?」
爽やかな笑顔を浮かべて近寄って来たのは、あの憎たらしい令嬢……正確には令嬢の父親……が抱えている闘士である好敵手だった。
「てめぇに言われる筋合いはねぇ!」
射殺さんばかりの視線で睨み上げるが、好敵手は動じない。
「睨むなよ。そんなだからお嬢様になにか言われたんだろう。あの方は勝気な性分だから下手に出ないと面倒だぞ」
「……余計な世話だ」
「おっと、今日は特に怖い顔だな。せめてその物騒な目つきを止めたら声が掛か――」
「うるせぇ!」
犬歯を剥き出しにして吠えながら立ち上がり、細身を躍らせて腹に鋭い膝蹴りを食らわしてやった。悪気がないのは分かるが、無遠慮なのだ。
「ぐ、はっ……!」
大柄で逞しい身体が、鈍い音を立てて前のめりになる。
「懲りねぇ野郎だなテメェはっ!」
こうして機嫌を損ねて蹴られるのが分かっていて、わざわざ怒らせることを言ってくる。……実にうっとおしい男なのだ。蛇足だが、この闘士は打たれ強さは人一倍で、リィはいつも遠慮なく蹴りを入れている。
「あ、相変わらず良い蹴りだな……っ、試合が終わった後で、よかった……」
「前だったらやらねぇ」
「いてて……。乱暴なくせに、そういう事は考えてくれるよな……」
両手で腹を押さえながらもなぜか嬉し気な好敵手の様子に、リィは害虫でも見るかのような顔をして小さく溜息をついた。蹴りを入れたことで気が晴れたし、それと分かる悪意が感じ取れないだけマシな人間だ。
――悪気が無ければ良い訳でもないが。
「それにしても、ここ最近、連勝じゃないか。気合が入っているみたいだが、どうしたんだ」
そんな好敵手の疑問に、思わず眉間の皺を深くしてうつむく。
「なにもねぇよ」
……本当は、いつ会いに来てくれるかも分からないシアに、負ける姿を見せたくないが為に必死で闘っているからだ。そんな理由を口にする気にはなれず、不愛想に押し黙る。
シアの優しい笑みを思い出すと、胸の奥が少しだけ痛んだ。
たとえシアが観ていなくとも、決して精神的に落ち着いているとは言い難い今の状態ではなるべく負けたくはない。乱れた心に引きずられて負けが重なったら、それこそ己の弱さに屈したことになる。
試合に負けるのはともかく、心折れてしまうのが恐ろしいのだ。
目の前でまだなにごとか話し掛けてきている好敵手にも……、いや、この男にだけは絶対に負けたくはない。あの嫌な令嬢のことだから、自分の家で抱えている闘士に負ければ喜んで莫迦にするだろう。考えただけで胸糞悪い気分になる。
次の試合でも必ず、シアが観ていたときのように勝ってやろうと決意を新たにした。
「赤痣のリィじゃなくて、主無しのリィだな」
控え室に入ったリィの耳に、室内にいた闘士が仲間に冗談めかして喋る声が聞こえた。
「うっせぇな! 舐めたこと抜かしてんじゃねぇぞ!」
「ひぃいっ!」
怒鳴り声に驚いて野太い悲鳴を上げた闘士の胸ぐらを掴み、噛み付かんばかりの面相で睨み付けてやった。主無しをネタにされて貴族の娘に嘲けられ、みっともなく逃げ出してしまったのはつい最近だ。怒鳴り散らしたくもなる。
「い、いたのかっ! 悪かった! す、済まないっ!」
「いなけりゃいいってのかコラァ! 次は蹴り潰すぞ!」
引きつった顔で謝る闘士を強く揺さぶってから胸ぐらを放し、部屋の片隅にある椅子に腰を下ろして腕を組む。目くじらを立てるのはくだらないことだが、言われっ放しでは舐められる。
「そんなに怒るものじゃないぞ、リィ」
「あぁ?」
爽やかな笑顔を浮かべて近寄って来たのは、あの憎たらしい令嬢……正確には令嬢の父親……が抱えている闘士である好敵手だった。
「てめぇに言われる筋合いはねぇ!」
射殺さんばかりの視線で睨み上げるが、好敵手は動じない。
「睨むなよ。そんなだからお嬢様になにか言われたんだろう。あの方は勝気な性分だから下手に出ないと面倒だぞ」
「……余計な世話だ」
「おっと、今日は特に怖い顔だな。せめてその物騒な目つきを止めたら声が掛か――」
「うるせぇ!」
犬歯を剥き出しにして吠えながら立ち上がり、細身を躍らせて腹に鋭い膝蹴りを食らわしてやった。悪気がないのは分かるが、無遠慮なのだ。
「ぐ、はっ……!」
大柄で逞しい身体が、鈍い音を立てて前のめりになる。
「懲りねぇ野郎だなテメェはっ!」
こうして機嫌を損ねて蹴られるのが分かっていて、わざわざ怒らせることを言ってくる。……実にうっとおしい男なのだ。蛇足だが、この闘士は打たれ強さは人一倍で、リィはいつも遠慮なく蹴りを入れている。
「あ、相変わらず良い蹴りだな……っ、試合が終わった後で、よかった……」
「前だったらやらねぇ」
「いてて……。乱暴なくせに、そういう事は考えてくれるよな……」
両手で腹を押さえながらもなぜか嬉し気な好敵手の様子に、リィは害虫でも見るかのような顔をして小さく溜息をついた。蹴りを入れたことで気が晴れたし、それと分かる悪意が感じ取れないだけマシな人間だ。
――悪気が無ければ良い訳でもないが。
「それにしても、ここ最近、連勝じゃないか。気合が入っているみたいだが、どうしたんだ」
そんな好敵手の疑問に、思わず眉間の皺を深くしてうつむく。
「なにもねぇよ」
……本当は、いつ会いに来てくれるかも分からないシアに、負ける姿を見せたくないが為に必死で闘っているからだ。そんな理由を口にする気にはなれず、不愛想に押し黙る。
シアの優しい笑みを思い出すと、胸の奥が少しだけ痛んだ。
たとえシアが観ていなくとも、決して精神的に落ち着いているとは言い難い今の状態ではなるべく負けたくはない。乱れた心に引きずられて負けが重なったら、それこそ己の弱さに屈したことになる。
試合に負けるのはともかく、心折れてしまうのが恐ろしいのだ。
目の前でまだなにごとか話し掛けてきている好敵手にも……、いや、この男にだけは絶対に負けたくはない。あの嫌な令嬢のことだから、自分の家で抱えている闘士に負ければ喜んで莫迦にするだろう。考えただけで胸糞悪い気分になる。
次の試合でも必ず、シアが観ていたときのように勝ってやろうと決意を新たにした。
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