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本編
40 理不尽な仕打ち
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――シアに会える日を心待ちにしながら、気を入れ直して試合と鍛錬に打ち込み続けて幾日かが過ぎた頃。リィはあの嫌な令嬢に呼び出された。
もはや天敵と言っていいほどの相手で、向こうもリィを快く思っていないのは明らかだ。それでいてわざわざ呼び出すというのは、一体どういうつもりなのか。
「ったく、冗談じゃねぇし」
嫌々ながら特別席の扉を開くと、そこには上等な椅子に座った令嬢の姿があった。その横合いには好敵手が護衛として立っている。彼の顔は酷く強ばっていて、いつものうざいくらいに爽やかな笑みは浮かんでいない。
「貴方、よくここへ来たわね。逃げてしまうのかと思ったのだけれど」
「どんな奴でも、客は客だからな。逃げるかよ」
真っ向から睨み合う二人は、互いに棘を隠しはしない。
「で? 何の用なんだ。下らねぇ話ならお断りだぜ」
「下らない話ではないわ。とても大切な話をするために、敢えてお前を呼び出したのだから」
不愉快さも露わにリィが腕を組み首を小さく傾げれば、令嬢はクスリと小さく笑ってこう言った。
「――貴方、シア様のことが好きなのですってね」
一瞬、頭の中が真っ白になった。
……どうしてそのことを、この女が知っているのか!
お前か! という意味を込めた殺気を好敵手に突き刺すと、彼は無言で視線を逸らした。怒りで頭の中が煮えたぎりそうだ。膝蹴りを食らわせたいのを堪えていると、「髪型も装束も、あの方の気を引こうとして変えたのかしら?」と、令嬢が問い掛けてくる。
「はぁ? 全部アイツがさせたんだ! 誰があんなバカの気なんか引くかっ!」
怒りと羞恥に顔を紅潮させて言い放つと、唖然とした表情になり「信じられないわ」という声が上がった。
「言うに事欠いてよくも、そんな嘘が言えるものね……」
「あぁ? 嘘なんかつくかよ。なんならシアに聞いてみろ」
「私でさえ、あの方にドレスを贈って頂いた事もないというのに……、装束も、髪形もあの方がそうさせただなんて!」
小奇麗に化粧を施した令嬢の美しい顔が、激しい憎悪の表情に染まり醜く歪む。
「お前、随分と気に入られている様ね。でも、あの方の本当の御名前を知らないでしょう?」
――目を鋭く細めて、彼女はそう聞いてきた。
「本当の名前? シアってのがアイツの名前じゃねぇのか?」
「……やはり、あの方には信用されていないのね」
「信用されてねぇだと? どういう事だ!」
「私は知っているわ。あの方が、どこの御生まれなのかも、なにをなさっておいでになる方なのかも。……お前が知らないことは全て知っているわ。でも、お前はあの方になにひとつとして知らされていないのでしょうね。ふふ、滑稽だこと」
余裕を取り戻して悦に入った表情を浮かべながら、令嬢はリィを嘲笑う。
「あの方にとって……、お前は気紛れで目を付けた、都合の良い暇つぶしの玩具なのよ」
冷たく心ない言葉が、心臓に流れ込んで鼓動が止まった気がした。嫌な予感に身体が震えるのを、拳を強く握りしめ抑える。
「お前のような下賤で気持ちの悪い顔をした闘士に、あの御方がいつまでも構っているはずがないわ」
「このっ、好き勝手言いやがって……っ!」
「威勢が良いのもここまでよ。私が、あの方の正体を教えてあげる」
……聞きたくない。聞いてしまえば、壊したくないなにかが、確実に壊れてしまう。
そう強く感じながらも、耳を塞ぐことも娘の声を遮ることもできなかった。
「――あの方の本当の御名前は、イグルシアス様とおっしゃるのよ」
この国では知らない者のいない名だ。
「……シアが、王弟殿下だっていうのか……?」
――現国王の弟に当たる人物であり、外交などで優秀な手腕を発揮している公爵だ。
国王が正妃を迎えて早や一年が経っているが、彼はまだ独身だ。見目麗しく社交的で温和な青年と噂されるイグルシアス公の妻になりたいと夢見る娘は、少なくはない。
目の前にいる令嬢もまた、そうなのだろう。
「ええ、そうよ。神族の末裔であり王族であらせられる、尊い身分の御方……」
……シアに与えられてきた優しくて温かいものは、全て気紛れなのか。いつか会えなくなる日が来るのか。
「……嘘だ……。アイツが、そんな……」
彼が手を取るべき相手は、王族の伴侶として相応しい身分の女性だ。綺麗に澄んだあの空色の瞳を、他の人間へ向けて愛し気に微笑む日がくるのだろう。それに考えが至ると、心が苦しくて潰れそうな思いがした。
もはや天敵と言っていいほどの相手で、向こうもリィを快く思っていないのは明らかだ。それでいてわざわざ呼び出すというのは、一体どういうつもりなのか。
「ったく、冗談じゃねぇし」
嫌々ながら特別席の扉を開くと、そこには上等な椅子に座った令嬢の姿があった。その横合いには好敵手が護衛として立っている。彼の顔は酷く強ばっていて、いつものうざいくらいに爽やかな笑みは浮かんでいない。
「貴方、よくここへ来たわね。逃げてしまうのかと思ったのだけれど」
「どんな奴でも、客は客だからな。逃げるかよ」
真っ向から睨み合う二人は、互いに棘を隠しはしない。
「で? 何の用なんだ。下らねぇ話ならお断りだぜ」
「下らない話ではないわ。とても大切な話をするために、敢えてお前を呼び出したのだから」
不愉快さも露わにリィが腕を組み首を小さく傾げれば、令嬢はクスリと小さく笑ってこう言った。
「――貴方、シア様のことが好きなのですってね」
一瞬、頭の中が真っ白になった。
……どうしてそのことを、この女が知っているのか!
お前か! という意味を込めた殺気を好敵手に突き刺すと、彼は無言で視線を逸らした。怒りで頭の中が煮えたぎりそうだ。膝蹴りを食らわせたいのを堪えていると、「髪型も装束も、あの方の気を引こうとして変えたのかしら?」と、令嬢が問い掛けてくる。
「はぁ? 全部アイツがさせたんだ! 誰があんなバカの気なんか引くかっ!」
怒りと羞恥に顔を紅潮させて言い放つと、唖然とした表情になり「信じられないわ」という声が上がった。
「言うに事欠いてよくも、そんな嘘が言えるものね……」
「あぁ? 嘘なんかつくかよ。なんならシアに聞いてみろ」
「私でさえ、あの方にドレスを贈って頂いた事もないというのに……、装束も、髪形もあの方がそうさせただなんて!」
小奇麗に化粧を施した令嬢の美しい顔が、激しい憎悪の表情に染まり醜く歪む。
「お前、随分と気に入られている様ね。でも、あの方の本当の御名前を知らないでしょう?」
――目を鋭く細めて、彼女はそう聞いてきた。
「本当の名前? シアってのがアイツの名前じゃねぇのか?」
「……やはり、あの方には信用されていないのね」
「信用されてねぇだと? どういう事だ!」
「私は知っているわ。あの方が、どこの御生まれなのかも、なにをなさっておいでになる方なのかも。……お前が知らないことは全て知っているわ。でも、お前はあの方になにひとつとして知らされていないのでしょうね。ふふ、滑稽だこと」
余裕を取り戻して悦に入った表情を浮かべながら、令嬢はリィを嘲笑う。
「あの方にとって……、お前は気紛れで目を付けた、都合の良い暇つぶしの玩具なのよ」
冷たく心ない言葉が、心臓に流れ込んで鼓動が止まった気がした。嫌な予感に身体が震えるのを、拳を強く握りしめ抑える。
「お前のような下賤で気持ちの悪い顔をした闘士に、あの御方がいつまでも構っているはずがないわ」
「このっ、好き勝手言いやがって……っ!」
「威勢が良いのもここまでよ。私が、あの方の正体を教えてあげる」
……聞きたくない。聞いてしまえば、壊したくないなにかが、確実に壊れてしまう。
そう強く感じながらも、耳を塞ぐことも娘の声を遮ることもできなかった。
「――あの方の本当の御名前は、イグルシアス様とおっしゃるのよ」
この国では知らない者のいない名だ。
「……シアが、王弟殿下だっていうのか……?」
――現国王の弟に当たる人物であり、外交などで優秀な手腕を発揮している公爵だ。
国王が正妃を迎えて早や一年が経っているが、彼はまだ独身だ。見目麗しく社交的で温和な青年と噂されるイグルシアス公の妻になりたいと夢見る娘は、少なくはない。
目の前にいる令嬢もまた、そうなのだろう。
「ええ、そうよ。神族の末裔であり王族であらせられる、尊い身分の御方……」
……シアに与えられてきた優しくて温かいものは、全て気紛れなのか。いつか会えなくなる日が来るのか。
「……嘘だ……。アイツが、そんな……」
彼が手を取るべき相手は、王族の伴侶として相応しい身分の女性だ。綺麗に澄んだあの空色の瞳を、他の人間へ向けて愛し気に微笑む日がくるのだろう。それに考えが至ると、心が苦しくて潰れそうな思いがした。
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