51 / 91
本編
50 挿話:劣情と独占欲
しおりを挟む
「――ふうっ」
下町外れの閑散とした路で待たせておいた馬車に乗り込んだイグルシアスは、座席に身を預けると深く息を吐いて大きく襟元を開いた。
普段なら、イグルシアスは襟元を開いて涼を取ることなど絶対にしない。公爵として恥ずかしくない振る舞いを心掛けているのもあるが、着崩すことを好まないからだ。
口付けの余韻が抜けていかない。舌を強く吸った際にリィが上げた甘い鳴き声が耳から離れず、自身が熱を持ちそうになるのを辛うじて堪える。
寡黙な御者の手によって扉が閉められ、静かに馬車が動き出す。
……抱けるものなら、抱いてしまいたかった。
脳裏を横切るのは、潤んだ緑の瞳と薄紅色に染まった頬。
盛った獣のごとき欲望が腹の底で渦巻くのを感じて、イグルシアスは苦笑した。荒く拙くも可愛らしい口付けに欲を煽られ、あんな無防備で色っぽい顔をした彼を目の前にして、喰らい付かなかった自分を褒めてやりたい。
男を抱いた経験はないが、女性相手とは違う準備が必要になることは知っている。
――傷つけないよう優しく体を解いて、ゆっくりと深くまで愛したい。
細身のしなやかな体が快楽に震えて、白に近い色をした肌が朱に染まっていく姿はさぞかし美しいだろう。何度も攻め立てて鳴き声を上げさせ、あどけなく泣きじゃくり許しを乞うまで蕩けさせてみたい。
どんな痴態を晒させても、きっとリィは可愛いに違いない――。
「――ああ、まいった」
片手で目頭を覆い、熱っぽい息を吐き出す。
なんの備えもないであろうあの場で欲望のままに肌を暴きたくはなくて、吹き飛ぶ寸前だった理性を必死になって引き戻して平屋を出た。己の欲望だけを優先させて彼を抱いてしまったら、それこそ後悔をしただろう。
……屋敷に着くまでには、この獣じみた気分を落ち着かせたい。
熱を散らすために心を空にしようと努めても、直ぐにリィのことで一杯になってしまう。
「……はは。本当にまいったなぁ」
しかし、単純に両想いだったのだと喜んでばかりもいられない。
無残な頬の傷を見た瞬間、背筋が凍る思いがした。怒りに冷静さを欠いたすえに、心身共に傷つけられて不安定になっていただろう彼を怯えさせてしまったのは不覚だった。
彼が呼び出しに応じなかった理由は体調不良などではなく、あの傷を見せたくなかったからだ。
少し考えを巡らせれば誰が彼を傷つけたかなど、調べずとも分かる。シアと名乗る青年が王弟殿下と知っていて、気に入りの闘士であるリィに害意を持って近付く人間は、一人しか思い浮かばない。
……あの気位ばかりが高い貴族の娘だろう。
夜会で幾度か言葉を交わしただけの間柄だが、闘技場で鉢合わせして変装を見破られてからしつこく纏わりついてくるようになった。年頃の娘を邪険に追い払うのも可愛そうかと相手をしていたが、まさか王族が目を掛けている者に手を下すほど、愚かだとは思わなかった。
……己の甘さが招いた結果だ。事を荒立てたくはないが、始末を付けるべきだ。
身分を知られたくないがために主候補に名乗りを上げられずにいたが、それは無意味になった。そして、予想しない経緯ではあるが彼の想いを知ってしまった今、ほかの誰かの名を背負って舞台に立つ彼の姿を見ることなど、耐えられそうもない。
……誰にも彼を渡したくない。
イグルシアスの中で、リィに対する独占欲が明確な形を伴いながら際限なく膨れ上がっていった。
下町外れの閑散とした路で待たせておいた馬車に乗り込んだイグルシアスは、座席に身を預けると深く息を吐いて大きく襟元を開いた。
普段なら、イグルシアスは襟元を開いて涼を取ることなど絶対にしない。公爵として恥ずかしくない振る舞いを心掛けているのもあるが、着崩すことを好まないからだ。
口付けの余韻が抜けていかない。舌を強く吸った際にリィが上げた甘い鳴き声が耳から離れず、自身が熱を持ちそうになるのを辛うじて堪える。
寡黙な御者の手によって扉が閉められ、静かに馬車が動き出す。
……抱けるものなら、抱いてしまいたかった。
脳裏を横切るのは、潤んだ緑の瞳と薄紅色に染まった頬。
盛った獣のごとき欲望が腹の底で渦巻くのを感じて、イグルシアスは苦笑した。荒く拙くも可愛らしい口付けに欲を煽られ、あんな無防備で色っぽい顔をした彼を目の前にして、喰らい付かなかった自分を褒めてやりたい。
男を抱いた経験はないが、女性相手とは違う準備が必要になることは知っている。
――傷つけないよう優しく体を解いて、ゆっくりと深くまで愛したい。
細身のしなやかな体が快楽に震えて、白に近い色をした肌が朱に染まっていく姿はさぞかし美しいだろう。何度も攻め立てて鳴き声を上げさせ、あどけなく泣きじゃくり許しを乞うまで蕩けさせてみたい。
どんな痴態を晒させても、きっとリィは可愛いに違いない――。
「――ああ、まいった」
片手で目頭を覆い、熱っぽい息を吐き出す。
なんの備えもないであろうあの場で欲望のままに肌を暴きたくはなくて、吹き飛ぶ寸前だった理性を必死になって引き戻して平屋を出た。己の欲望だけを優先させて彼を抱いてしまったら、それこそ後悔をしただろう。
……屋敷に着くまでには、この獣じみた気分を落ち着かせたい。
熱を散らすために心を空にしようと努めても、直ぐにリィのことで一杯になってしまう。
「……はは。本当にまいったなぁ」
しかし、単純に両想いだったのだと喜んでばかりもいられない。
無残な頬の傷を見た瞬間、背筋が凍る思いがした。怒りに冷静さを欠いたすえに、心身共に傷つけられて不安定になっていただろう彼を怯えさせてしまったのは不覚だった。
彼が呼び出しに応じなかった理由は体調不良などではなく、あの傷を見せたくなかったからだ。
少し考えを巡らせれば誰が彼を傷つけたかなど、調べずとも分かる。シアと名乗る青年が王弟殿下と知っていて、気に入りの闘士であるリィに害意を持って近付く人間は、一人しか思い浮かばない。
……あの気位ばかりが高い貴族の娘だろう。
夜会で幾度か言葉を交わしただけの間柄だが、闘技場で鉢合わせして変装を見破られてからしつこく纏わりついてくるようになった。年頃の娘を邪険に追い払うのも可愛そうかと相手をしていたが、まさか王族が目を掛けている者に手を下すほど、愚かだとは思わなかった。
……己の甘さが招いた結果だ。事を荒立てたくはないが、始末を付けるべきだ。
身分を知られたくないがために主候補に名乗りを上げられずにいたが、それは無意味になった。そして、予想しない経緯ではあるが彼の想いを知ってしまった今、ほかの誰かの名を背負って舞台に立つ彼の姿を見ることなど、耐えられそうもない。
……誰にも彼を渡したくない。
イグルシアスの中で、リィに対する独占欲が明確な形を伴いながら際限なく膨れ上がっていった。
29
あなたにおすすめの小説
白い結婚を夢見る伯爵令息の、眠れない初夜
西沢きさと
BL
天使と謳われるほど美しく可憐な伯爵令息モーリスは、見た目の印象を裏切らないよう中身のがさつさを隠して生きていた。
だが、その美貌のせいで身の安全が脅かされることも多く、いつしか自分に執着や欲を持たない相手との政略結婚を望むようになっていく。
そんなとき、騎士の仕事一筋と名高い王弟殿下から求婚され──。
◆
白い結婚を手に入れたと喜んでいた伯爵令息が、初夜、結婚相手にぺろりと食べられてしまう話です。
氷の騎士と呼ばれている王弟×可憐な容姿に反した性格の伯爵令息。
サブCPの軽い匂わせがあります。
ゆるゆるなーろっぱ設定ですので、細かいところにはあまりつっこまず、気軽に読んでもらえると助かります。
◆
2025.9.13
別のところでおまけとして書いていた掌編を追加しました。モーリスの兄視点の短い話です。
窓のない部屋の、陽だまりみたいな君
MisakiNonagase
BL
都心の高層ビル、その「内臓」とも言える地下一階のメール室。
そこで働く山﨑智之は、目立たず、期待されず、淡々と郵便物を捌く「透明人間」のような毎日を愛していた。自分は低スペックで、華やかな地上には居場所がない。そう、諦めていた。
そんな彼の静寂を破ったのは、二十二階の住人、若きエース・風巻隼人だった。
完璧なルックス、圧倒的な成果、羨望の眼差しを一身に浴びる彼が、なぜか地下のメール室に足繁く通い始める。
「五分だけ、ここにいさせてくれないか」
一通の郵便物から始まった、五分間だけの秘密の共有。
次第に剥き出しになっていく隼人の孤独と、それを無自覚に包み込んでしまう智之の温度。
住む世界が違う二人が、窓のない部屋で見つけたのは、名前のつかない「救済」だった。
愛しの妻は黒の魔王!?
ごいち
BL
「グレウスよ、我が弟を妻として娶るがいい」
――ある日、平民出身の近衛騎士グレウスは皇帝に呼び出されて、皇弟オルガを妻とするよう命じられる。
皇弟オルガはゾッとするような美貌の持ち主で、貴族の間では『黒の魔王』と怖れられている人物だ。
身分違いの政略結婚に絶望したグレウスだが、いざ結婚してみるとオルガは見事なデレ寄りのツンデレで、しかもその正体は…。
魔法の国アスファロスで、熊のようなマッチョ騎士とツンデレな『魔王』がイチャイチャしたり無双したりするお話です。
表紙は豚子さん(https://twitter.com/M_buibui)に描いていただきました。ありがとうございます!
11/28番外編2本と、終話『なべて世は事もなし』に挿絵をいただいております! ありがとうございます!
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。
不遇聖女様(男)は、国を捨てて闇落ちする覚悟を決めました!
ミクリ21
BL
聖女様(男)は、理不尽な不遇を受けていました。
その不遇は、聖女になった7歳から始まり、現在の15歳まで続きました。
しかし、聖女ラウロはとうとう国を捨てるようです。
何故なら、この世界の成人年齢は15歳だから。
聖女ラウロは、これからは闇落ちをして自由に生きるのだ!!(闇落ちは自称)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる