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薔薇の令嬢はやっぱり婚約破棄したい
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あの夜会から五日が経っていた。
あの夜会の日の記憶は、正直あまりない。いや、ある。あるにはあるが、パニックになっていたので思い出せない。
タマムシが発する第一王子の声を聞いていたらどこかで何かが爆発したような音がして、目の前で何かが光ったことまではしっかりと覚えている。
しかし、問題はその後だ。
しゃがみ込んだ私を、フォルクハルト様が……こう、なんというか、抱きしめ? た? まさかの出来事に、私の頭は考えることをやめた。
昔と変わらない、フォルクハルト様の香りが懐かしかったことはなんとなく感じた。
フォルクハルト様が「ごめんねクレア」と呟いたのも聞いた。しかし何に対して謝られているのかは分からないままだった。
「連れて行け」
フォルクハルト様が私を抱きしめたまま、低い声で誰かに言う。
誰に言っていたのかは分からない。なぜなら混乱状態で身動きが取れないから。
ただ、ジェニーの騒ぐ声が聞こえていたので連れて行かれたのは彼女だったのだろうと思う。
「クレア、立てる?」
フォルクハルト様のその言葉に、私はこくこくと数度頷く。立てると思ったから。
しかし残念ながらそう思ったのは私の頭だけで、足は言うことを聞いてくれない。
「怖かったかな」
フォルクハルト様が呟く。
怖かったわけではない。だって私はタマムシ以外何も見ていないから。
でも立ち上がれないのは、ものすごく久しぶりに近くで見たフォルクハルト様が記憶の中の彼よりも成長していて恐ろしくいい男になっているからではないだろうか。
私の記憶の中のフォルクハルト様はもう少し小さかった。そして楽しそうに私が育てた薔薇を見てはしゃいでいた。
こんなに落ち着いた声色で話す彼は知らない。こんなに力強そうな大きな手も知らない。こんなに逞しい腕も知らない。
男の子じゃなくて男の人だ。こんなフォルクハルト様、知らない。
フォルクハルト様がジェニーといるところを直視したくなくて目を逸らし続けた結果、なのかもしれない。
「ひゃ」
震えて立ち上がれないと判断したフォルクハルト様が、ひょいと私を抱き上げた。
まさかのお姫様抱っこである。
こんなことするフォルクハルト様知らない!
これはジェニーうんぬん関係なく知らない! 私の知ってるフォルクハルト様は私にこんなに密着してきたりしなかったから!
知らない温もりに包まれた私はきっと顔面が真っ赤になっていることだろう。死にそうである。
「クレア、大丈夫?」
「無理……」
「ん?」
私の蚊の鳴くような声が聞こえなかったらしいフォルクハルト様は優しく聞き返してくれる。
顔が近い。無理。いやこれ無理。無理無理の無理。
両手で顔を覆って、フォルクハルト様から視線を逸らそうと顔をそむけたわけだが、お姫様抱っこをされている状態なので顔をそむけた先にあるのはフォルクハルト様の逞しい胸板。
私はただ彼の胸に顔を寄せただけになった。恥ずかしさで死にそう。
「大丈夫だよ」
フォルクハルト様はそう言って私の前髪に頬を寄せてくださった。ご丁寧に私を殺しにかかってきてる。無理。全然大丈夫じゃない。
「つらい思いをさせてごめんね、クレア。全部、俺が悪いんだ」
「……え」
「クレアが学園内で孤立したのも、あの女に目を付けられたのも、こんな場所で怖い思いをすることになったのも、全ては俺のせいだ」
前髪に寄せられていた頬が離れていったので、指の隙間からちらりとフォルクハルト様の表情を窺えば、彼はどこか悲しそうな顔をしていた。
「俺が勝手に君に恋をして、強引に婚約をしてしまったせいだ。本当にごめん」
なんて?
「こ、い?」
この時、初めて目が合った。そして、しばらくの静寂が流れる。
ふと気が付けばホール内にたくさんいた人たちはいなくなっている。
今いるのはフォルクハルト様と第二王子、それからレンさん……いや、ロータスさんと私のみだ。
「……この夜会を計画したのは俺なんだ。何も知らない貴族たちに集まってもらって、その中であの女の化けの皮を剥がそうと思って」
「化けの皮」
「あの女は神々に愛された娘なんかじゃない。ただの悪魔だった、って。……まぁあの女が本当に危険な組織と繋がっててここで捕縛することになるのは当初の計画とは少し違うんだけど……出来ればクレアに怖い思いをさせたくなかったし外に出た時にでも捕縛すればいいと思ってたし……」
フォルクハルト様が不服そうである。そんなフォルクハルト様が悲しそうな顔に戻り、ゆっくりと動き出した。
どうやら手近にある椅子に腰を下ろそうとしているらしい。
やっとお姫様抱っこから解放されるのか。恥ずかしかった。と、思ったのだけれども。
「でも俺、本当は怖かったんだ。この計画」
フォルクハルト様はそう言いながら椅子に腰を下ろし、私を抱く腕に改めて力を込めている。
え、下ろしてもらえない感じ?
「俺に婚約破棄を告げられて、クレアが喜んだらどうしようって」
「え」
「クレア、留学したいんだよね。留学するには、俺がいたら邪魔だろう」
あの、はい。いや……はい。
婚約破棄したいと思ったことはあります。ええあります。
「婚約破棄はあの女を喜ばせるための嘘であって、俺はクレアを手放す気なんて全くない。ごめんねクレア」
「ええと……」
「……もしも婚約破棄が本当だったとしたら隣国に行く?」
「え?」
「薔薇の苗を送ってくれてた奴を頼れば、行けるって考えた?」
「知っていた、の……ですか?」
隣国から送られてくる薔薇の苗も魔石も手紙も、メロディやウェラード先生しか知らないはずでは?
フォルクハルト様に教えたことも見せたことも……いや、以前手紙を受け取ったところを目撃されたようなされなかったような?
「あの手紙の送り主が男だってことは気付いてた?」
「……な、なんとなく」
「男を頼って知らない土地に?」
「いえその」
「俺のことは頼ってくれないのにそいつのことは頼ろうと思ったの?」
「違」
「……ごめん。冗談だよ。ちょっと嫉妬した。他の女といた俺が言えたもんじゃないけど」
……確かに。
「でも、そいつのことは頼れないよ。だってそいつ隣国にはいないから」
「いない?」
「あの手紙の差出人、俺だから」
「え? でも、言葉」
「マーヴィンに教えてもらって書いてた。隣国から取り寄せた薔薇の苗や魔石に手紙を添えて、俺だってバレないように小細工をして学園に届けて」
そんな面倒なことしてたの?
「どうして……」
「薔薇の苗や魔石は寂しい思いをしているクレアが少しでも元気になればって思って。手紙は……あの女にバレないようにクレアと接触するためだった」
「そんなこと、一言も」
「元々は隣国の言葉なんて読めないからってマーヴィンを頼るんじゃないかなって考えたんだ。マーヴィンが幼少期を隣国で過ごしてたって話はしてたよね?」
「あ、はい」
「まさか自分で辞書を引いて解読するとは思わなかった」
「ごめんなさい」
ちらりと第二王子のほうを見ると、見事な苦笑いを浮かべている。
「いや、いいんだ。隣国の言葉でならあの女にバレずにクレアと接触出来そうだと思ったんだけど……クレアが嬉しそうに手紙にキスしてるの見て……実は手紙の差出人は俺でしたなんて知ったら絶対ガッカリすると思ったから」
あー! やっぱり浮かれてキスしてたの見られてたんだ! しかももうずいぶん前のことなのに覚えてるんだ! 恥ずかしい!
「ガッカリだけはされたくなかった。嫌われたくなかったんだ、ごめん」
別に、そのくらいで嫌いになったりしないのに。
「……ということは、あの水の魔石」
私はそう言ってちらりとロータスさんを見る。
すると彼はきょとんとしたまま口を開いた。
「言ったじゃないですか、愛のなせる業だって」
「知ってたんですか!?」
「やだなぁ、俺を誰だと思ってるんですか?」
占い師!
「あ、ちなみに君たちが怯えてた彼女に付けられた得体の知れない魔法は俺がかけてた魔法だからね」
フォルクハルト様は「そういえば!」と言っているし第二王子は「え!?」と猛烈に驚いている。
ということは、私に得体の知れない魔法がかけられていたことは知っていたんだ、二人とも。
「じゃあ俺が近付こうとしてクレアが体調を崩したのは」
いつの話だそれ。
「それは偶然。彼女は元々彼女の祖父のせいで心が疲弊していたからね。丁度君が彼女に近付こうとしたあたりで心が限界を迎えただけ」
「なんだ……」
フォルクハルト様の腕から少しだけ力が抜けた。
「でも彼女に近付かなかったのは賢明な判断だったと思うよ。あの女にバレてたら面倒だった」
ロータスさんの言葉を聞いて、フォルクハルト様は小さく「そうか」と零す。
「……クレア、怒ってる? 怒ってるよね。でも、お願いだから嫌いにはならないでほしい。お願いだから」
「え、いや」
「今まで、仕方ないとはいえ酷いことばっかりしたし、クレアが俺のことなんてなんとも思ってないことくらい分かってるけど、嫌いにだけはならないで」
なんとも思ってないこともないのだけれど。
それはそれとして、勇気を出して言わなければならないことがある。
「あの、薔薇の苗も魔石も手紙も、ありがとうございます」
「え?」
「応援のお手紙、本当に本当に嬉しかったんです。ずっとお礼が言いたくて、でも差出人が分からないからどうすることも出来なくて……」
「お礼なんていいんだよ。だから泣かないで、クレア」
緊張して涙目になっちゃっただけで泣いているわけではない。
どうやって弁明しようと思っていたところで一つの声が割って入ってきた。
「まだいたのか、お前たち」
第一王子の声だった。
「ここでやることは全部終わっただろう。さっさと帰れ」
第一王子にそう言われてしまったので、その日はそこで解散することになったのだ。
そして、それから五日後のこと。
今日は久しぶりにフォルクハルト様が温室に来ている。
幼い頃に何度も来てくれていたので、これといって珍しいことでもない。
いつもと違うことといえば、やっぱりどう見てもフォルクハルト様がかっこよくなっている。
夜会の日は正装だったしそのせいでかっこよく見えてたんじゃないかとも思ったけれど、やっぱりかっこよくなっている。
知らない間に背が伸びているし顔も大人びている。
「咲いたんだね! すごいなぁ」
完全にドキドキしてしまっている私をよそに、フォルクハルト様は薔薇を見ている。
彼がはしゃぎながら見ている薔薇は、全然咲かずに観葉植物と化していた子だ。
そう、ついに咲いたのだ、オレンジ色の結晶化する薔薇が。
「さ、咲きました。……それ、今度王宮に報告しにいかないといけないんです」
「一緒に行こう」
「……いいんですか?」
「うん。苦手だろうし」
めちゃくちゃ苦手です。
「綺麗だなぁ。あ、でもただの色違いってわけではなくて花びらの形状がほんの少しだけ違うんだね」
「え? それ」
フォルクハルト様が鞄から何かを取り出したと思えば、私が以前改良した赤い結晶化する薔薇だった。
なんでフォルクハルト様がそれを持ってるんだろう? あげた覚えはないのに。
「懐かしいだろう。王宮でクレアがくれたやつだよ。毎日定着魔法をかけて持ち歩いてる」
照れ笑いを浮かべながら、フォルクハルト様は薔薇をなでている。
「王宮で」
「そう。あの時、この薔薇が咲いたって報告にきてたんだよね?」
「……あ、え?」
好奇の目にさらされるのが嫌で誰かにあげたなとは思ってたけど、あれまさかフォルクハルト様だったの!?
私、何も知らないとはいえ次期公爵様に面倒ごとを押し付けてたの!?
申し訳ないにもほどがあるわ!
「申し訳」
「俺、あなたの髪と同じ色って言ってくれたクレアに一目惚れしたんだ」
「え!?」
私そんなこと言った!?
っていうか一目惚れ!?
「俺はあの日からずーっとクレアのことが好き。今はあの日よりももっとクレアが大好き」
「あ、の日……ってでも」
「俺もクレアも六歳のころかな」
「ろ」
六歳!?
ちょっと待って、フォルクハルト様は何が目的で私と婚約したんだろうと思い続けてきたけど、実はマジでただの一目惚れ……?
そんなわけあるか!
「嘘、ですよね? 私ですよ? 私なんか」
私なんか、なんの取り柄もないゴミみたいな奴で……。
「嘘じゃないよ」
「あの、大丈夫ですそんな嘘なんかつかなくても! この薔薇の作り方なんかいくらでもお教え出来ますし……!」
私の言葉を聞いたフォルクハルト様は「あー」と小さく零しながらぽりぽりと頭を掻いている。
そして私がフォルクハルト様のために用意した椅子に、私を座らせた。
フォルクハルト様は座った私の前で跪く。次期公爵様ともあろうものが跪くとは何事だろうか。
「まぁ、確かにこの薔薇には価値がある。王族が目を付けるくらいにね」
「王族」
「そう。だから国王はクレアを手中に収めるためにマーヴィンと結婚させようとしてた」
「え!?」
「でも、その、クレアを知りもしないマーヴィンにクレアを連れて行かれたくなくて、俺が邪魔をした。俺はね、王族に盾つくくらいクレアのことが好きなんだよ」
いや待っ……え、じゃあ私、あの時面倒ごとを次期公爵様に押し付けなかったら第二王子と結婚することになってたの?
次期公爵か第二王子か……どっちもどっちだわ!
「今は信じてもらえないかもしれないけど、今後一生かけて愛していくから覚悟してて。愛してるよ、クレア」
「いっ……」
そうか、結婚するってことは一生このカッコイイのが側にいるのか。
待て待て待て。やっぱ無理じゃん。心臓がもたないじゃん。
私やっぱり婚約破棄したい! 私の心臓のためにも!
「クレアもいつか俺のことを好きになってくれたりしないかなぁって、実は思ってる。俺は欲張りだから」
私だって結構前から好きですけどね! 六歳の頃からには負けるけど!
「……あの、フォルクハルト様」
「ん?」
「報告が済んだら、このオレンジ色の薔薇も貰ってくれますか?」
「いいの?」
「オレンジ色の薔薇の花言葉、絆なんです。……家族の絆とか、そういう」
そこまで言ったところで、フォルクハルト様の顔が綻んだ。
それはそれは嬉しそうに、花が咲くように。
これは本当に、彼は私を……?
「ありがとうクレア! 愛してる!」
「あっ、ぐぇ!」
フォルクハルト様が私を抱きしめる力が思いのほか強すぎて、私はなんとも情けない声を零したのだった。
あの夜会の日の記憶は、正直あまりない。いや、ある。あるにはあるが、パニックになっていたので思い出せない。
タマムシが発する第一王子の声を聞いていたらどこかで何かが爆発したような音がして、目の前で何かが光ったことまではしっかりと覚えている。
しかし、問題はその後だ。
しゃがみ込んだ私を、フォルクハルト様が……こう、なんというか、抱きしめ? た? まさかの出来事に、私の頭は考えることをやめた。
昔と変わらない、フォルクハルト様の香りが懐かしかったことはなんとなく感じた。
フォルクハルト様が「ごめんねクレア」と呟いたのも聞いた。しかし何に対して謝られているのかは分からないままだった。
「連れて行け」
フォルクハルト様が私を抱きしめたまま、低い声で誰かに言う。
誰に言っていたのかは分からない。なぜなら混乱状態で身動きが取れないから。
ただ、ジェニーの騒ぐ声が聞こえていたので連れて行かれたのは彼女だったのだろうと思う。
「クレア、立てる?」
フォルクハルト様のその言葉に、私はこくこくと数度頷く。立てると思ったから。
しかし残念ながらそう思ったのは私の頭だけで、足は言うことを聞いてくれない。
「怖かったかな」
フォルクハルト様が呟く。
怖かったわけではない。だって私はタマムシ以外何も見ていないから。
でも立ち上がれないのは、ものすごく久しぶりに近くで見たフォルクハルト様が記憶の中の彼よりも成長していて恐ろしくいい男になっているからではないだろうか。
私の記憶の中のフォルクハルト様はもう少し小さかった。そして楽しそうに私が育てた薔薇を見てはしゃいでいた。
こんなに落ち着いた声色で話す彼は知らない。こんなに力強そうな大きな手も知らない。こんなに逞しい腕も知らない。
男の子じゃなくて男の人だ。こんなフォルクハルト様、知らない。
フォルクハルト様がジェニーといるところを直視したくなくて目を逸らし続けた結果、なのかもしれない。
「ひゃ」
震えて立ち上がれないと判断したフォルクハルト様が、ひょいと私を抱き上げた。
まさかのお姫様抱っこである。
こんなことするフォルクハルト様知らない!
これはジェニーうんぬん関係なく知らない! 私の知ってるフォルクハルト様は私にこんなに密着してきたりしなかったから!
知らない温もりに包まれた私はきっと顔面が真っ赤になっていることだろう。死にそうである。
「クレア、大丈夫?」
「無理……」
「ん?」
私の蚊の鳴くような声が聞こえなかったらしいフォルクハルト様は優しく聞き返してくれる。
顔が近い。無理。いやこれ無理。無理無理の無理。
両手で顔を覆って、フォルクハルト様から視線を逸らそうと顔をそむけたわけだが、お姫様抱っこをされている状態なので顔をそむけた先にあるのはフォルクハルト様の逞しい胸板。
私はただ彼の胸に顔を寄せただけになった。恥ずかしさで死にそう。
「大丈夫だよ」
フォルクハルト様はそう言って私の前髪に頬を寄せてくださった。ご丁寧に私を殺しにかかってきてる。無理。全然大丈夫じゃない。
「つらい思いをさせてごめんね、クレア。全部、俺が悪いんだ」
「……え」
「クレアが学園内で孤立したのも、あの女に目を付けられたのも、こんな場所で怖い思いをすることになったのも、全ては俺のせいだ」
前髪に寄せられていた頬が離れていったので、指の隙間からちらりとフォルクハルト様の表情を窺えば、彼はどこか悲しそうな顔をしていた。
「俺が勝手に君に恋をして、強引に婚約をしてしまったせいだ。本当にごめん」
なんて?
「こ、い?」
この時、初めて目が合った。そして、しばらくの静寂が流れる。
ふと気が付けばホール内にたくさんいた人たちはいなくなっている。
今いるのはフォルクハルト様と第二王子、それからレンさん……いや、ロータスさんと私のみだ。
「……この夜会を計画したのは俺なんだ。何も知らない貴族たちに集まってもらって、その中であの女の化けの皮を剥がそうと思って」
「化けの皮」
「あの女は神々に愛された娘なんかじゃない。ただの悪魔だった、って。……まぁあの女が本当に危険な組織と繋がっててここで捕縛することになるのは当初の計画とは少し違うんだけど……出来ればクレアに怖い思いをさせたくなかったし外に出た時にでも捕縛すればいいと思ってたし……」
フォルクハルト様が不服そうである。そんなフォルクハルト様が悲しそうな顔に戻り、ゆっくりと動き出した。
どうやら手近にある椅子に腰を下ろそうとしているらしい。
やっとお姫様抱っこから解放されるのか。恥ずかしかった。と、思ったのだけれども。
「でも俺、本当は怖かったんだ。この計画」
フォルクハルト様はそう言いながら椅子に腰を下ろし、私を抱く腕に改めて力を込めている。
え、下ろしてもらえない感じ?
「俺に婚約破棄を告げられて、クレアが喜んだらどうしようって」
「え」
「クレア、留学したいんだよね。留学するには、俺がいたら邪魔だろう」
あの、はい。いや……はい。
婚約破棄したいと思ったことはあります。ええあります。
「婚約破棄はあの女を喜ばせるための嘘であって、俺はクレアを手放す気なんて全くない。ごめんねクレア」
「ええと……」
「……もしも婚約破棄が本当だったとしたら隣国に行く?」
「え?」
「薔薇の苗を送ってくれてた奴を頼れば、行けるって考えた?」
「知っていた、の……ですか?」
隣国から送られてくる薔薇の苗も魔石も手紙も、メロディやウェラード先生しか知らないはずでは?
フォルクハルト様に教えたことも見せたことも……いや、以前手紙を受け取ったところを目撃されたようなされなかったような?
「あの手紙の送り主が男だってことは気付いてた?」
「……な、なんとなく」
「男を頼って知らない土地に?」
「いえその」
「俺のことは頼ってくれないのにそいつのことは頼ろうと思ったの?」
「違」
「……ごめん。冗談だよ。ちょっと嫉妬した。他の女といた俺が言えたもんじゃないけど」
……確かに。
「でも、そいつのことは頼れないよ。だってそいつ隣国にはいないから」
「いない?」
「あの手紙の差出人、俺だから」
「え? でも、言葉」
「マーヴィンに教えてもらって書いてた。隣国から取り寄せた薔薇の苗や魔石に手紙を添えて、俺だってバレないように小細工をして学園に届けて」
そんな面倒なことしてたの?
「どうして……」
「薔薇の苗や魔石は寂しい思いをしているクレアが少しでも元気になればって思って。手紙は……あの女にバレないようにクレアと接触するためだった」
「そんなこと、一言も」
「元々は隣国の言葉なんて読めないからってマーヴィンを頼るんじゃないかなって考えたんだ。マーヴィンが幼少期を隣国で過ごしてたって話はしてたよね?」
「あ、はい」
「まさか自分で辞書を引いて解読するとは思わなかった」
「ごめんなさい」
ちらりと第二王子のほうを見ると、見事な苦笑いを浮かべている。
「いや、いいんだ。隣国の言葉でならあの女にバレずにクレアと接触出来そうだと思ったんだけど……クレアが嬉しそうに手紙にキスしてるの見て……実は手紙の差出人は俺でしたなんて知ったら絶対ガッカリすると思ったから」
あー! やっぱり浮かれてキスしてたの見られてたんだ! しかももうずいぶん前のことなのに覚えてるんだ! 恥ずかしい!
「ガッカリだけはされたくなかった。嫌われたくなかったんだ、ごめん」
別に、そのくらいで嫌いになったりしないのに。
「……ということは、あの水の魔石」
私はそう言ってちらりとロータスさんを見る。
すると彼はきょとんとしたまま口を開いた。
「言ったじゃないですか、愛のなせる業だって」
「知ってたんですか!?」
「やだなぁ、俺を誰だと思ってるんですか?」
占い師!
「あ、ちなみに君たちが怯えてた彼女に付けられた得体の知れない魔法は俺がかけてた魔法だからね」
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ということは、私に得体の知れない魔法がかけられていたことは知っていたんだ、二人とも。
「じゃあ俺が近付こうとしてクレアが体調を崩したのは」
いつの話だそれ。
「それは偶然。彼女は元々彼女の祖父のせいで心が疲弊していたからね。丁度君が彼女に近付こうとしたあたりで心が限界を迎えただけ」
「なんだ……」
フォルクハルト様の腕から少しだけ力が抜けた。
「でも彼女に近付かなかったのは賢明な判断だったと思うよ。あの女にバレてたら面倒だった」
ロータスさんの言葉を聞いて、フォルクハルト様は小さく「そうか」と零す。
「……クレア、怒ってる? 怒ってるよね。でも、お願いだから嫌いにはならないでほしい。お願いだから」
「え、いや」
「今まで、仕方ないとはいえ酷いことばっかりしたし、クレアが俺のことなんてなんとも思ってないことくらい分かってるけど、嫌いにだけはならないで」
なんとも思ってないこともないのだけれど。
それはそれとして、勇気を出して言わなければならないことがある。
「あの、薔薇の苗も魔石も手紙も、ありがとうございます」
「え?」
「応援のお手紙、本当に本当に嬉しかったんです。ずっとお礼が言いたくて、でも差出人が分からないからどうすることも出来なくて……」
「お礼なんていいんだよ。だから泣かないで、クレア」
緊張して涙目になっちゃっただけで泣いているわけではない。
どうやって弁明しようと思っていたところで一つの声が割って入ってきた。
「まだいたのか、お前たち」
第一王子の声だった。
「ここでやることは全部終わっただろう。さっさと帰れ」
第一王子にそう言われてしまったので、その日はそこで解散することになったのだ。
そして、それから五日後のこと。
今日は久しぶりにフォルクハルト様が温室に来ている。
幼い頃に何度も来てくれていたので、これといって珍しいことでもない。
いつもと違うことといえば、やっぱりどう見てもフォルクハルト様がかっこよくなっている。
夜会の日は正装だったしそのせいでかっこよく見えてたんじゃないかとも思ったけれど、やっぱりかっこよくなっている。
知らない間に背が伸びているし顔も大人びている。
「咲いたんだね! すごいなぁ」
完全にドキドキしてしまっている私をよそに、フォルクハルト様は薔薇を見ている。
彼がはしゃぎながら見ている薔薇は、全然咲かずに観葉植物と化していた子だ。
そう、ついに咲いたのだ、オレンジ色の結晶化する薔薇が。
「さ、咲きました。……それ、今度王宮に報告しにいかないといけないんです」
「一緒に行こう」
「……いいんですか?」
「うん。苦手だろうし」
めちゃくちゃ苦手です。
「綺麗だなぁ。あ、でもただの色違いってわけではなくて花びらの形状がほんの少しだけ違うんだね」
「え? それ」
フォルクハルト様が鞄から何かを取り出したと思えば、私が以前改良した赤い結晶化する薔薇だった。
なんでフォルクハルト様がそれを持ってるんだろう? あげた覚えはないのに。
「懐かしいだろう。王宮でクレアがくれたやつだよ。毎日定着魔法をかけて持ち歩いてる」
照れ笑いを浮かべながら、フォルクハルト様は薔薇をなでている。
「王宮で」
「そう。あの時、この薔薇が咲いたって報告にきてたんだよね?」
「……あ、え?」
好奇の目にさらされるのが嫌で誰かにあげたなとは思ってたけど、あれまさかフォルクハルト様だったの!?
私、何も知らないとはいえ次期公爵様に面倒ごとを押し付けてたの!?
申し訳ないにもほどがあるわ!
「申し訳」
「俺、あなたの髪と同じ色って言ってくれたクレアに一目惚れしたんだ」
「え!?」
私そんなこと言った!?
っていうか一目惚れ!?
「俺はあの日からずーっとクレアのことが好き。今はあの日よりももっとクレアが大好き」
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「俺もクレアも六歳のころかな」
「ろ」
六歳!?
ちょっと待って、フォルクハルト様は何が目的で私と婚約したんだろうと思い続けてきたけど、実はマジでただの一目惚れ……?
そんなわけあるか!
「嘘、ですよね? 私ですよ? 私なんか」
私なんか、なんの取り柄もないゴミみたいな奴で……。
「嘘じゃないよ」
「あの、大丈夫ですそんな嘘なんかつかなくても! この薔薇の作り方なんかいくらでもお教え出来ますし……!」
私の言葉を聞いたフォルクハルト様は「あー」と小さく零しながらぽりぽりと頭を掻いている。
そして私がフォルクハルト様のために用意した椅子に、私を座らせた。
フォルクハルト様は座った私の前で跪く。次期公爵様ともあろうものが跪くとは何事だろうか。
「まぁ、確かにこの薔薇には価値がある。王族が目を付けるくらいにね」
「王族」
「そう。だから国王はクレアを手中に収めるためにマーヴィンと結婚させようとしてた」
「え!?」
「でも、その、クレアを知りもしないマーヴィンにクレアを連れて行かれたくなくて、俺が邪魔をした。俺はね、王族に盾つくくらいクレアのことが好きなんだよ」
いや待っ……え、じゃあ私、あの時面倒ごとを次期公爵様に押し付けなかったら第二王子と結婚することになってたの?
次期公爵か第二王子か……どっちもどっちだわ!
「今は信じてもらえないかもしれないけど、今後一生かけて愛していくから覚悟してて。愛してるよ、クレア」
「いっ……」
そうか、結婚するってことは一生このカッコイイのが側にいるのか。
待て待て待て。やっぱ無理じゃん。心臓がもたないじゃん。
私やっぱり婚約破棄したい! 私の心臓のためにも!
「クレアもいつか俺のことを好きになってくれたりしないかなぁって、実は思ってる。俺は欲張りだから」
私だって結構前から好きですけどね! 六歳の頃からには負けるけど!
「……あの、フォルクハルト様」
「ん?」
「報告が済んだら、このオレンジ色の薔薇も貰ってくれますか?」
「いいの?」
「オレンジ色の薔薇の花言葉、絆なんです。……家族の絆とか、そういう」
そこまで言ったところで、フォルクハルト様の顔が綻んだ。
それはそれは嬉しそうに、花が咲くように。
これは本当に、彼は私を……?
「ありがとうクレア! 愛してる!」
「あっ、ぐぇ!」
フォルクハルト様が私を抱きしめる力が思いのほか強すぎて、私はなんとも情けない声を零したのだった。
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※以前打ち切ったものを、初めから改稿し、完結させました。73以降、展開が大きく変わっています。
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