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第一章・イージスの盾・
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寿司をたらふく食べた後、どうしても二丁目に行きたいとごねるアランに合わせ、四人はタクシーを飛ばした。
「新宿二丁目のどのあたりですか?」
「黒蝶というゲイバーがある近くなんですが、場所は……」
「黒蝶ならわかりますよ。たまに行きます」
「そちらの方ですか?」
「ですね。バリダチです」
普通ならタクシーの運転手さんとこんな話はしない。同族の安心感と、なんとなく既視感みたいなものがあった俺は、嫉妬深い旦那の存在なんかすっかり忘れて話し出した。
照れたように笑う顔がかわいいなと自然と顔がほころんだ。そんな俺を見て、ラファエルがツンツンと肘鉄を食らわしやめろという顔をする。ラファエルの視線が向く先を見ると、嫉妬むき出しの顔をした、般若の様な涼がいた。
————浮気している訳じゃないんだから、そんな顔をするな。
なんて思って見たけど、こうなったらそんな事通用しないのは、長い付き合いだ。良く分かっている。それならもう気にしても無駄だ。
「黒蝶の近くのどこを探しているんですか?」
運転席から声がした。
「松重さんは詳しいんですか?」
みんなの目が一斉に俺を見る。お前まだ話しかけるの? ラファエルが額に手を当てながら、ため息を漏らした。
「悠君、彼と知り合いかい?」
俺は助手席にあるネームプレートを指して、ここに書いてあるんだよ。とアランに教えてあげた。
「それなりには庭ですよ? 副業というか、本業というか? まぁ色々です」
笑っていう彼はナイトの様で、上質な黒服の似合いそうな良い時計が、袖口からちらりと見えた。
涼を無視すれば会話は弾んだ。ウェットにとんだ会話はなかなかに興味深い物だったし、フランス語が得意だった松重さんのおかげで、ラファエルも話に入って盛り上がっていた。
「フランス語はどこで?」
自国の言葉をここまで流暢に話されて嬉しいのか、ラファエルは松重さんに留学していたのかと食いついた。丁寧なドライビングテクニックに、想像以上の淀みない会話。革新的な雰囲気なのに……なぜか、少しばかり保守的な人に見えた。
「学生時代第2外国語をフラ語にしていまして、あの当時は仏語とるバカ、〇〇落とすバカなんて言われてね」
「でもフランス語って綺麗ですよね」
自国の言葉をほめられたラファエルが得意げに言った。
「そうなんです。話していたらカッコ良さそうでしょう。でももう難しいのなんのって、単位の取得に結構苦労しました。ひそかに片思いしていた相手がフランス語が得意で、だから自分も話せたら何か接点ができるかもって思ったんですよ」
単純なおバカさんです。と笑っていた。
「仲良くなれたんですか」
「彼女には好きな人がいて、ただひっそりと見つめていました」
「情けねぇ野郎だな」
涼が吐き捨てるように言った。
「涼、そんないい方……」
服の裾をラファエルが必死に引っ張っていたが、まさかあんなに傷ついていたなんて思ってもみなかった俺は、いつものことだと軽く流し、ピリピリとした空気に、決して俺の方を向かない涼の気持ちには、サービスマンとは思えないほど鈍かった。
「入り口の小さなSM倶楽部が近くにあるはずで、そこを探しているんです。隠れ家的でスペースを貸していただけるって聞いたんで松重さんご存知ですか」
「あー夜間飛行の事ですね」
何度も名前を呼んだのがよほど涼の気に障ったのだろう。突然俺の下半身に電流が走った。
小さくくぐもった声が瞬間的に喉から湧き上がって、慌てて呑み込んだ。
「なあ悠……お前体調悪いのか?」
心配するラファエルに、顔を真っ赤にした悠はブンブンと首をふった。
ちらりと後部座席を見る松重さんと目が合って、俺は慌てて下を向いた。バレただろうか、そんなことを考えて、ちらりと涼を見た。涼の口元が真一文字に結ばれ感情が見えない。その嫉妬を喜んでいる自分に嫌気がさした。下半身に手を当てアヌスに埋められているバイブを確認する。振動は小刻みで座席に当たるアヌスが気持ちよすぎて、意識を保つのがいっぱいいっぱいだった。
助手席を見ると左ドアに寄りかかって涼が松重さんをジロリと見ていたから、どうやら地雷を踏んだらしい。我慢できずにラファエルの手を握り、肩かしてと小さな声で言うと、なるべく下半身を浮かそうとラファエルに寄りかかった。
「テメェ……涼! 悠になにしてる」
「お兄さん、声低いんだね。しかもキレたら口悪いタイプとか? そっちの俯いちゃったお兄さんの方がずっと女性的なのかな」
そういう松重さんの言葉を「煩い。黙って」とにべもなく叩ききり、タクシーの狭い車内でまさに一触即発だった。
やばいやばいって顔をした松重さんは、俺達を【夜間飛行】で下ろすと、また後で、と言ってその場から車を走らせた。
入り口には黒服をきたいかつい男が立っていた。
どう考えてもボディーガード。ものおじもせず涼は黒服に耳打ちするように声を掛けると、ゆっくりと扉が開いた。
後から聞いた話では夜間飛行は会員制クラブだったから、氏素性のおかしな連中はいないと、涼もわかっていたらしい。
「SMは常連ですか?」
黒服が義務的に声をかける。
「いや本格的なのは初心者に近いかな」
「紹介でもルールは守っていただきます」
「ああ」
このルールという言葉に周りのスタッフがニヤニヤしているのが気になったが、どこにでも感じの悪い奴なんか要るものだと、虚勢を張るように平静を貫いた。
「涼、ちょっと」
「今は黙れ」
それを受けて黒服がウェルカムドリンクを持ってくる。椅子をすすめられた俺達は、黙って言われるまま腰を掛けた。
「ではまず当店のルールです」
壁は赤と黒でつくられていて蛇の絵が描かれていた。壁には暗い電球色のライトが備え付けられ、イヤがおうにもこの後の甘美な何かを想像させた。
カラララン、静かになる扉の音。
入って来たのは若い美少年とゆうに三十は違うかという中年の男性だった。身なりは相当。金がかかっているのだろう、少年はフリルのシルクのシャツを優雅に羽織っていた。
「お久しぶりでございます。高塔さま」
挨拶をする男性の横で……その少年はそのシャツを脱ぎ、黒服に渡す。俺があっけに取られている間に、すでに一糸纏わぬあられもない姿をさらし、四つん這いになっていた。
「相変わらず躾が行き届いていらっしゃいますね」
少年はアナルに番号のついた尻尾を刺されると、甘美な声で一声鳴いた。
「ァン……ンハァン」
金玉が縮む思いだった。実際にもう動いていない玩具のことなんか忘れ去り、俺はとにかくアヌスに力を入れていたと思う。
「ルールです。お二人はここで脱いでいただきます」
俺は何も言わず脱いだ少年にもびっくりだったが、刺さったしっぽがもう人ではないと言われているようで、素直にハイとは言えなかった。
「はっ? 今なんて? どうみてもちょっと広い玄関だよね」
間髪入れずにそう言ったのは俺ではなくてラファエルだった。
「二人脱ぐってどっちが?」
ボディーガードみたいなマッチョはちらりと見ると、入り口に立ち尽くす俺たちに一枚の紙を差し出してきた。
「紙?」
涼は渡された書類に目を通す。
黒の紙に金の刺繍が施された一枚の紙は、偉く厳かな雰囲気のものだった。
【夜間飛行のルール】
一・SはMに快楽を与える為の従者であれ。
二・セーフティワードをMがいったら必ずそこで行為をやめること。
三・Mの店内の歩行は四つん這いかSのお姫様抱っことする。
四・Mはこの場から衣服は全て没収、帰りに返却する。
五・番号付きの尻尾をアナルに刺す。
「うへぇ、趣味わりぃ。でさっきの少年が見本かよ」
涼の横から顔を出して覗き込んでいたラファエルは嫌そうな声を上げ、絶対に嫌だと言い放った。
受付に置いてある紙には名前を書くスペースが設けられていた。
S【 】M【 】って名前かくわけだよね。
アランも涼も、無理強いは出来ない。俺達が嫌だと言えばこれは終了だ。命令は絶対だが、最終決定権はどう考えても俺達が持っているような流れに見えた。
「嫌ならしない」
「嫌じゃ……、でも」
貰ったペンをじっと見る。書いたらスタートだ。
暫し沈黙の後、涼が言った。
「お姫様抱っこしてやるから、それなら行くか?」
顔から火が出る提案だが、四つん這いよりは遥かにいい。どうしたってプライドが邪魔をする。
ラファエルもそれならと言う感じで名前を書こうとしたその時、もう一度……カララランと玄関があいた。
どう見ても無理やり連れてこられた風の青年と、金で買った風のオールバックの男が(違っていたらほんと失礼な話なのだが、俺にはそんな関係に見えてしまった。)なにやら話し合う声がした。
「四つん這いになんかなりたくない。詩音さんがスペースまで抱いていってくれよ」
オールバックの男は何の文句も言わず、青年を姫抱きしようとする。
すると周りからクスクスと嘲笑う声がした。
先ほどの美少年をつれた中年の男性はそのMに向かって野太い声で言った。
「お前に痛みと快楽の絶頂を与えてくれる主人に、よくそんな恥をかかせられるな。奴隷の分際で」
「僕は奴隷なんかじゃない!」
細身の美青年の言葉なんかないも同然に、男は高らかに笑った。
「三流だ、三流」
「違うっ」
「姫抱き等そもそもMを従えさせられない、出来損ないの主人のやることだぞ」
————出来損ない? 俺を抱きかかえたら涼が出来損ない。
「だめな奴隷を持つ主人は、そもそもそいつが大したことのない三流品なのだよ。だから奴隷にそんなことを言われても罰を与える事すら出来ないのだよ」
そう言うと持っていた鞭で傍らに居る少年に振り降ろした。
「だって四つん這いなんて、しかもこんなの刺せるかよ!」
美青年は番号のついたふさふさの尻尾を投げつけた。
「ずいぶん躾のなっていないM奴隷ですね」
「僕は奴隷なんかじゃない」
青年の太ももに衝撃が走った。
「ぎゃぁぁぁぁ————————」
黒い細い鞭のようなもので青年を叩く音がした。
「高塔さん、これは私のペットです。勝手に叩く事はやめて頂きたい」
「おやおや、これは失礼。あなたの代わりに罰を与えただけなのですが」
「間に合っていますよ。大丈夫だったか」
「最悪————」
「痛かったな」
今度は高塔はしなる鞭を大きく反らせ、そのまま自身のペットの尻を打った。
「アァァァァァァ、ご主人様、ンハ、鞭を下さりありがとうございます」
「完璧な答えだ。いい子にはもう一度してやろう」
高塔と呼ばれたその男は、さらに大きくしなる鞭を四つん這いの背中に打ち付けた。
先程の青年はびくびくと怯え、それでも四つん這いは嫌なのか目を伏せた。
「やめろよ! 他人には関係ないじゃ……」
涼が言おうとした時、俺は衣服をバサッと脱いだ。
「嘘だろう」
俺の一糸纏わぬ裸体に、皆驚いたように固まった。
俺が彼に近づいても、未だ恐怖からか、その彼はうずくまったままちっとも動かない。
「ねえ、君」
衣服を脱ぎ捨てた悠は、ゆっくりと 丸まっている青年に声をかける。
「ねぇ……君は、買われてきたの?」
「違っ」
瞬間的に顔を上げ、青年は主人の足にしがみつきながら首をふった。
「僕達は……」
「うん、君達は?」
「僕達は……恋人だよ」
そうか。良かった。そう言ってホッとして笑う俺をラファエルも涼も黙って見ていた。
「四つん這いなんてびっくりしちゃうよね。しかも番号付き尻尾とか、俺も、最初何を言われているのか分からなかったよ。だって、首輪の方が百倍マシでしょう」
「だって……怖い」
「分かるよ。聞いてもいいかい。君はご主人様を愛している?」
黙って頷きながら聞いている青年に、俺は更に話しかけた。
「好きなんだね。彼はサドなんだ。でも君は経験がない。だからといって他の誰かを愛している彼を見たくはない」
そう言うと目の前の青年は大きく目を見開き、少しばかりびっくりしていた様ではあったが、肩を上下させ、息を整えた。その目には、じんわりと涙が溜まっていき、薄暗い室内にもかかわらず、宝石の様にキラキラ光って見えた。
その彼に言いながら、きっと俺は自分に言い聞かせていたのだろう。
「俺にもね、自分の事より大切な男がいる。そいつを思って二十年以上たっている」
涼は悠が何をしたいのか分らず、でも邪魔だけは誰にもさせまいと、鞭をふるっていた男との間に立った。
「あのね、君はなんで裸になったの?」
青年は口を開いた。
「詩音さんが望んでいるから……」
あの紳士は詩音というのか……俺は思った。
淫靡な館の中にはワーグナーがかかっていて、それが悠に力を与えているようだった。
「詩音さん?」
コクリと頷いた青年は続けて言った。
「西園寺詩音さん。僕は西園寺家に買われてここにいるんだ」
俺達はびっくりして顔を見渡した。
「でも君……さっき」
「恋人って言うのは本当。買われて散々な目に遭っていたのを詩音さんに助けて貰った。でもだから愛した訳じゃないんだ」
「ん、助けて貰って愛せるくらいなら、世界恒久平和だって出来ちゃうよ。ただ好きなんだよね。愛しているんでしょ? ただそれだけなんだ」
「くだらない感傷だ。奴隷は主人の満足と支配欲の為にいるのだよ」
高塔は番号のついている尻尾を、何度も出し入れした。
苦痛に歪む顔と僅かな裂傷は、見るものを悲壮の気持ちにさせていたが、組みしかれている少年はただ、苦痛の中でも恍惚の表情を崩さず、これすら愛だと言わんばかりだった。
「何をする」
涼が口を挟もうとしたのを俺は止めた。
「俺らは恥ずかしかったんだよな。でも何処にでもルールはあるでしょう?」
青年は俺の話を真剣な面持ちで聞いていた。
「ここで裸になって主人の足元に寄り添うように歩く。時折上から降ってくる痛くて黒い物体に怯えながらも、恋人の横を、背中や尻、首の後ろをさらして歩くのは……ねぇ……安心しているからだと思わないか? 抱かれていくのは、降ってくるかもしれない黒い鞭や諸々に安心していないからではないかと、夜間飛行では考えているんだと、俺は少年を見ていてそう感じたよ」
「悠」
涼の口がそう動いた。
「詩音さんが君を庇うのは」
空唾を呑み込み呼吸を整える。
「詩音さんが君を庇うのは……君を傷つけたくないからだよ。他のS達にバカにされても、君をお姫様抱っこしようとしてくれたのは、安心させてあげられない自分のせいだと思っているからだ」
「そんな事……俺は詩音さんに不安なんて……ないよ」
「ほら、ただ怯えているだけより、よく分かるだろう? まぁ俺達もプライドが邪魔して抱き上げろって言ったんだけどさ……」
悠は青年の横に四つん這いになり他の主人達の目の前で秘部をあらわにした。
「ねえ、君名前は?」
「天音」
「天音君? ほら見て。これが俺のアヌス。ヒクヒクしているだろう? もしかしたら主人意外のチンコを咥えこむかもしれないよ。例えば君とかさ」
「僕は他のやつとなんかしない。詩音さんしか欲しくない」
天音は詩音の足にピタリと体を寄せる。
「ん、だから尻尾ってのはさ、可愛いペットが他のやつにやられない為に守ってやる。そんな意味合いもあるのかなって。ただの俺の想像だけどね」
「君、名は何というのかな?」
上からテノールのいい声がふってくる。
「雨宮 悠」
「悠か……」
ちらりと涼を見る。怒りに露わになった顔が嫉妬で歪んでいる。
「下の名前は止しときなよ。あんたが殺されんのは天音君の為にも見たくない……」
俺がクスクス笑うと、何を言われているのか瞬時に理解した詩音さんは涼をみると、申し訳ない、と謝った。
「ねえ……詩音さんに安心と信頼されている喜びを与えてやらないか?」
「悠さん?」
「俺も一緒にしてあげる。愛しい男に安心と信頼されている喜びを与えてやるから」
悠は万年筆で書面にサインをいれた
M【雨宮 悠】
四つん這いとお姫様抱っこの欄には
悠の繊細な右肩上がりの字でしっかりと書いてあった。
【四つん這い・尻尾No.77】今後このNo.が俺のここでの名前になる。
一部始終を見守っていたラファエルは、大きく溜息をつくとその場で衣類を脱ぎ捨てた。
M【ラファエル・フォーレ】
【四つん這い 尻尾No.78】
「ほらおいで」
万年筆を渡された天音はお姫様抱っこの欄に斜線を引いた。
【尻尾No.79】
詩音は二人を見守る優しい目をした男達に聞いた。
真っ直ぐに前を向く黒髪の彼を見る真剣な目は、何一つ聞き漏らさんとする姿勢があらわれていた。
「何故彼は」
「彼等だ」
涼から訂正が入る。
アランもラファエルもとかくそういう事には頓着しない。だから涼が訂正しなくても何一つ俺らは傷つかない。
しかし【彼 】なのか 【彼ら 】 なのかは涼にとっては重要だった。それは……きっと俺がそう思っていることを知っているからに違いない。
俺が大切にするものを涼は大切にしてくれる。
「新宿二丁目のどのあたりですか?」
「黒蝶というゲイバーがある近くなんですが、場所は……」
「黒蝶ならわかりますよ。たまに行きます」
「そちらの方ですか?」
「ですね。バリダチです」
普通ならタクシーの運転手さんとこんな話はしない。同族の安心感と、なんとなく既視感みたいなものがあった俺は、嫉妬深い旦那の存在なんかすっかり忘れて話し出した。
照れたように笑う顔がかわいいなと自然と顔がほころんだ。そんな俺を見て、ラファエルがツンツンと肘鉄を食らわしやめろという顔をする。ラファエルの視線が向く先を見ると、嫉妬むき出しの顔をした、般若の様な涼がいた。
————浮気している訳じゃないんだから、そんな顔をするな。
なんて思って見たけど、こうなったらそんな事通用しないのは、長い付き合いだ。良く分かっている。それならもう気にしても無駄だ。
「黒蝶の近くのどこを探しているんですか?」
運転席から声がした。
「松重さんは詳しいんですか?」
みんなの目が一斉に俺を見る。お前まだ話しかけるの? ラファエルが額に手を当てながら、ため息を漏らした。
「悠君、彼と知り合いかい?」
俺は助手席にあるネームプレートを指して、ここに書いてあるんだよ。とアランに教えてあげた。
「それなりには庭ですよ? 副業というか、本業というか? まぁ色々です」
笑っていう彼はナイトの様で、上質な黒服の似合いそうな良い時計が、袖口からちらりと見えた。
涼を無視すれば会話は弾んだ。ウェットにとんだ会話はなかなかに興味深い物だったし、フランス語が得意だった松重さんのおかげで、ラファエルも話に入って盛り上がっていた。
「フランス語はどこで?」
自国の言葉をここまで流暢に話されて嬉しいのか、ラファエルは松重さんに留学していたのかと食いついた。丁寧なドライビングテクニックに、想像以上の淀みない会話。革新的な雰囲気なのに……なぜか、少しばかり保守的な人に見えた。
「学生時代第2外国語をフラ語にしていまして、あの当時は仏語とるバカ、〇〇落とすバカなんて言われてね」
「でもフランス語って綺麗ですよね」
自国の言葉をほめられたラファエルが得意げに言った。
「そうなんです。話していたらカッコ良さそうでしょう。でももう難しいのなんのって、単位の取得に結構苦労しました。ひそかに片思いしていた相手がフランス語が得意で、だから自分も話せたら何か接点ができるかもって思ったんですよ」
単純なおバカさんです。と笑っていた。
「仲良くなれたんですか」
「彼女には好きな人がいて、ただひっそりと見つめていました」
「情けねぇ野郎だな」
涼が吐き捨てるように言った。
「涼、そんないい方……」
服の裾をラファエルが必死に引っ張っていたが、まさかあんなに傷ついていたなんて思ってもみなかった俺は、いつものことだと軽く流し、ピリピリとした空気に、決して俺の方を向かない涼の気持ちには、サービスマンとは思えないほど鈍かった。
「入り口の小さなSM倶楽部が近くにあるはずで、そこを探しているんです。隠れ家的でスペースを貸していただけるって聞いたんで松重さんご存知ですか」
「あー夜間飛行の事ですね」
何度も名前を呼んだのがよほど涼の気に障ったのだろう。突然俺の下半身に電流が走った。
小さくくぐもった声が瞬間的に喉から湧き上がって、慌てて呑み込んだ。
「なあ悠……お前体調悪いのか?」
心配するラファエルに、顔を真っ赤にした悠はブンブンと首をふった。
ちらりと後部座席を見る松重さんと目が合って、俺は慌てて下を向いた。バレただろうか、そんなことを考えて、ちらりと涼を見た。涼の口元が真一文字に結ばれ感情が見えない。その嫉妬を喜んでいる自分に嫌気がさした。下半身に手を当てアヌスに埋められているバイブを確認する。振動は小刻みで座席に当たるアヌスが気持ちよすぎて、意識を保つのがいっぱいいっぱいだった。
助手席を見ると左ドアに寄りかかって涼が松重さんをジロリと見ていたから、どうやら地雷を踏んだらしい。我慢できずにラファエルの手を握り、肩かしてと小さな声で言うと、なるべく下半身を浮かそうとラファエルに寄りかかった。
「テメェ……涼! 悠になにしてる」
「お兄さん、声低いんだね。しかもキレたら口悪いタイプとか? そっちの俯いちゃったお兄さんの方がずっと女性的なのかな」
そういう松重さんの言葉を「煩い。黙って」とにべもなく叩ききり、タクシーの狭い車内でまさに一触即発だった。
やばいやばいって顔をした松重さんは、俺達を【夜間飛行】で下ろすと、また後で、と言ってその場から車を走らせた。
入り口には黒服をきたいかつい男が立っていた。
どう考えてもボディーガード。ものおじもせず涼は黒服に耳打ちするように声を掛けると、ゆっくりと扉が開いた。
後から聞いた話では夜間飛行は会員制クラブだったから、氏素性のおかしな連中はいないと、涼もわかっていたらしい。
「SMは常連ですか?」
黒服が義務的に声をかける。
「いや本格的なのは初心者に近いかな」
「紹介でもルールは守っていただきます」
「ああ」
このルールという言葉に周りのスタッフがニヤニヤしているのが気になったが、どこにでも感じの悪い奴なんか要るものだと、虚勢を張るように平静を貫いた。
「涼、ちょっと」
「今は黙れ」
それを受けて黒服がウェルカムドリンクを持ってくる。椅子をすすめられた俺達は、黙って言われるまま腰を掛けた。
「ではまず当店のルールです」
壁は赤と黒でつくられていて蛇の絵が描かれていた。壁には暗い電球色のライトが備え付けられ、イヤがおうにもこの後の甘美な何かを想像させた。
カラララン、静かになる扉の音。
入って来たのは若い美少年とゆうに三十は違うかという中年の男性だった。身なりは相当。金がかかっているのだろう、少年はフリルのシルクのシャツを優雅に羽織っていた。
「お久しぶりでございます。高塔さま」
挨拶をする男性の横で……その少年はそのシャツを脱ぎ、黒服に渡す。俺があっけに取られている間に、すでに一糸纏わぬあられもない姿をさらし、四つん這いになっていた。
「相変わらず躾が行き届いていらっしゃいますね」
少年はアナルに番号のついた尻尾を刺されると、甘美な声で一声鳴いた。
「ァン……ンハァン」
金玉が縮む思いだった。実際にもう動いていない玩具のことなんか忘れ去り、俺はとにかくアヌスに力を入れていたと思う。
「ルールです。お二人はここで脱いでいただきます」
俺は何も言わず脱いだ少年にもびっくりだったが、刺さったしっぽがもう人ではないと言われているようで、素直にハイとは言えなかった。
「はっ? 今なんて? どうみてもちょっと広い玄関だよね」
間髪入れずにそう言ったのは俺ではなくてラファエルだった。
「二人脱ぐってどっちが?」
ボディーガードみたいなマッチョはちらりと見ると、入り口に立ち尽くす俺たちに一枚の紙を差し出してきた。
「紙?」
涼は渡された書類に目を通す。
黒の紙に金の刺繍が施された一枚の紙は、偉く厳かな雰囲気のものだった。
【夜間飛行のルール】
一・SはMに快楽を与える為の従者であれ。
二・セーフティワードをMがいったら必ずそこで行為をやめること。
三・Mの店内の歩行は四つん這いかSのお姫様抱っことする。
四・Mはこの場から衣服は全て没収、帰りに返却する。
五・番号付きの尻尾をアナルに刺す。
「うへぇ、趣味わりぃ。でさっきの少年が見本かよ」
涼の横から顔を出して覗き込んでいたラファエルは嫌そうな声を上げ、絶対に嫌だと言い放った。
受付に置いてある紙には名前を書くスペースが設けられていた。
S【 】M【 】って名前かくわけだよね。
アランも涼も、無理強いは出来ない。俺達が嫌だと言えばこれは終了だ。命令は絶対だが、最終決定権はどう考えても俺達が持っているような流れに見えた。
「嫌ならしない」
「嫌じゃ……、でも」
貰ったペンをじっと見る。書いたらスタートだ。
暫し沈黙の後、涼が言った。
「お姫様抱っこしてやるから、それなら行くか?」
顔から火が出る提案だが、四つん這いよりは遥かにいい。どうしたってプライドが邪魔をする。
ラファエルもそれならと言う感じで名前を書こうとしたその時、もう一度……カララランと玄関があいた。
どう見ても無理やり連れてこられた風の青年と、金で買った風のオールバックの男が(違っていたらほんと失礼な話なのだが、俺にはそんな関係に見えてしまった。)なにやら話し合う声がした。
「四つん這いになんかなりたくない。詩音さんがスペースまで抱いていってくれよ」
オールバックの男は何の文句も言わず、青年を姫抱きしようとする。
すると周りからクスクスと嘲笑う声がした。
先ほどの美少年をつれた中年の男性はそのMに向かって野太い声で言った。
「お前に痛みと快楽の絶頂を与えてくれる主人に、よくそんな恥をかかせられるな。奴隷の分際で」
「僕は奴隷なんかじゃない!」
細身の美青年の言葉なんかないも同然に、男は高らかに笑った。
「三流だ、三流」
「違うっ」
「姫抱き等そもそもMを従えさせられない、出来損ないの主人のやることだぞ」
————出来損ない? 俺を抱きかかえたら涼が出来損ない。
「だめな奴隷を持つ主人は、そもそもそいつが大したことのない三流品なのだよ。だから奴隷にそんなことを言われても罰を与える事すら出来ないのだよ」
そう言うと持っていた鞭で傍らに居る少年に振り降ろした。
「だって四つん這いなんて、しかもこんなの刺せるかよ!」
美青年は番号のついたふさふさの尻尾を投げつけた。
「ずいぶん躾のなっていないM奴隷ですね」
「僕は奴隷なんかじゃない」
青年の太ももに衝撃が走った。
「ぎゃぁぁぁぁ————————」
黒い細い鞭のようなもので青年を叩く音がした。
「高塔さん、これは私のペットです。勝手に叩く事はやめて頂きたい」
「おやおや、これは失礼。あなたの代わりに罰を与えただけなのですが」
「間に合っていますよ。大丈夫だったか」
「最悪————」
「痛かったな」
今度は高塔はしなる鞭を大きく反らせ、そのまま自身のペットの尻を打った。
「アァァァァァァ、ご主人様、ンハ、鞭を下さりありがとうございます」
「完璧な答えだ。いい子にはもう一度してやろう」
高塔と呼ばれたその男は、さらに大きくしなる鞭を四つん這いの背中に打ち付けた。
先程の青年はびくびくと怯え、それでも四つん這いは嫌なのか目を伏せた。
「やめろよ! 他人には関係ないじゃ……」
涼が言おうとした時、俺は衣服をバサッと脱いだ。
「嘘だろう」
俺の一糸纏わぬ裸体に、皆驚いたように固まった。
俺が彼に近づいても、未だ恐怖からか、その彼はうずくまったままちっとも動かない。
「ねえ、君」
衣服を脱ぎ捨てた悠は、ゆっくりと 丸まっている青年に声をかける。
「ねぇ……君は、買われてきたの?」
「違っ」
瞬間的に顔を上げ、青年は主人の足にしがみつきながら首をふった。
「僕達は……」
「うん、君達は?」
「僕達は……恋人だよ」
そうか。良かった。そう言ってホッとして笑う俺をラファエルも涼も黙って見ていた。
「四つん這いなんてびっくりしちゃうよね。しかも番号付き尻尾とか、俺も、最初何を言われているのか分からなかったよ。だって、首輪の方が百倍マシでしょう」
「だって……怖い」
「分かるよ。聞いてもいいかい。君はご主人様を愛している?」
黙って頷きながら聞いている青年に、俺は更に話しかけた。
「好きなんだね。彼はサドなんだ。でも君は経験がない。だからといって他の誰かを愛している彼を見たくはない」
そう言うと目の前の青年は大きく目を見開き、少しばかりびっくりしていた様ではあったが、肩を上下させ、息を整えた。その目には、じんわりと涙が溜まっていき、薄暗い室内にもかかわらず、宝石の様にキラキラ光って見えた。
その彼に言いながら、きっと俺は自分に言い聞かせていたのだろう。
「俺にもね、自分の事より大切な男がいる。そいつを思って二十年以上たっている」
涼は悠が何をしたいのか分らず、でも邪魔だけは誰にもさせまいと、鞭をふるっていた男との間に立った。
「あのね、君はなんで裸になったの?」
青年は口を開いた。
「詩音さんが望んでいるから……」
あの紳士は詩音というのか……俺は思った。
淫靡な館の中にはワーグナーがかかっていて、それが悠に力を与えているようだった。
「詩音さん?」
コクリと頷いた青年は続けて言った。
「西園寺詩音さん。僕は西園寺家に買われてここにいるんだ」
俺達はびっくりして顔を見渡した。
「でも君……さっき」
「恋人って言うのは本当。買われて散々な目に遭っていたのを詩音さんに助けて貰った。でもだから愛した訳じゃないんだ」
「ん、助けて貰って愛せるくらいなら、世界恒久平和だって出来ちゃうよ。ただ好きなんだよね。愛しているんでしょ? ただそれだけなんだ」
「くだらない感傷だ。奴隷は主人の満足と支配欲の為にいるのだよ」
高塔は番号のついている尻尾を、何度も出し入れした。
苦痛に歪む顔と僅かな裂傷は、見るものを悲壮の気持ちにさせていたが、組みしかれている少年はただ、苦痛の中でも恍惚の表情を崩さず、これすら愛だと言わんばかりだった。
「何をする」
涼が口を挟もうとしたのを俺は止めた。
「俺らは恥ずかしかったんだよな。でも何処にでもルールはあるでしょう?」
青年は俺の話を真剣な面持ちで聞いていた。
「ここで裸になって主人の足元に寄り添うように歩く。時折上から降ってくる痛くて黒い物体に怯えながらも、恋人の横を、背中や尻、首の後ろをさらして歩くのは……ねぇ……安心しているからだと思わないか? 抱かれていくのは、降ってくるかもしれない黒い鞭や諸々に安心していないからではないかと、夜間飛行では考えているんだと、俺は少年を見ていてそう感じたよ」
「悠」
涼の口がそう動いた。
「詩音さんが君を庇うのは」
空唾を呑み込み呼吸を整える。
「詩音さんが君を庇うのは……君を傷つけたくないからだよ。他のS達にバカにされても、君をお姫様抱っこしようとしてくれたのは、安心させてあげられない自分のせいだと思っているからだ」
「そんな事……俺は詩音さんに不安なんて……ないよ」
「ほら、ただ怯えているだけより、よく分かるだろう? まぁ俺達もプライドが邪魔して抱き上げろって言ったんだけどさ……」
悠は青年の横に四つん這いになり他の主人達の目の前で秘部をあらわにした。
「ねえ、君名前は?」
「天音」
「天音君? ほら見て。これが俺のアヌス。ヒクヒクしているだろう? もしかしたら主人意外のチンコを咥えこむかもしれないよ。例えば君とかさ」
「僕は他のやつとなんかしない。詩音さんしか欲しくない」
天音は詩音の足にピタリと体を寄せる。
「ん、だから尻尾ってのはさ、可愛いペットが他のやつにやられない為に守ってやる。そんな意味合いもあるのかなって。ただの俺の想像だけどね」
「君、名は何というのかな?」
上からテノールのいい声がふってくる。
「雨宮 悠」
「悠か……」
ちらりと涼を見る。怒りに露わになった顔が嫉妬で歪んでいる。
「下の名前は止しときなよ。あんたが殺されんのは天音君の為にも見たくない……」
俺がクスクス笑うと、何を言われているのか瞬時に理解した詩音さんは涼をみると、申し訳ない、と謝った。
「ねえ……詩音さんに安心と信頼されている喜びを与えてやらないか?」
「悠さん?」
「俺も一緒にしてあげる。愛しい男に安心と信頼されている喜びを与えてやるから」
悠は万年筆で書面にサインをいれた
M【雨宮 悠】
四つん這いとお姫様抱っこの欄には
悠の繊細な右肩上がりの字でしっかりと書いてあった。
【四つん這い・尻尾No.77】今後このNo.が俺のここでの名前になる。
一部始終を見守っていたラファエルは、大きく溜息をつくとその場で衣類を脱ぎ捨てた。
M【ラファエル・フォーレ】
【四つん這い 尻尾No.78】
「ほらおいで」
万年筆を渡された天音はお姫様抱っこの欄に斜線を引いた。
【尻尾No.79】
詩音は二人を見守る優しい目をした男達に聞いた。
真っ直ぐに前を向く黒髪の彼を見る真剣な目は、何一つ聞き漏らさんとする姿勢があらわれていた。
「何故彼は」
「彼等だ」
涼から訂正が入る。
アランもラファエルもとかくそういう事には頓着しない。だから涼が訂正しなくても何一つ俺らは傷つかない。
しかし【彼 】なのか 【彼ら 】 なのかは涼にとっては重要だった。それは……きっと俺がそう思っていることを知っているからに違いない。
俺が大切にするものを涼は大切にしてくれる。
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