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第六章
3 深海の海のごとく
しおりを挟む「三渕君、今回のお手当だ。弾んでおいた」
呼び出された部長室で少しばかり厚めの封筒を手渡された。この流れはあまりいい思い出がない。
「クビですか?」
三淵葵は川崎部長に渡された封筒をぐしゃっと掴んでそのまま突き返すと、顔を上げないままぺこりと頭を下げてその場を後にした。
後ろで誰かが叫んでいたけれど、僕は逃げたくてしかたがなかったんだ。
――すがりそうだった。みっともなく服を脱いでクビにしないで……大和さんと別れさせないで……と、そんな事を言っていったい何になるというのだろう。
◇
「失敗した。ヒントはきちんとあったというのに」
――そういえば大金ってどんな時に貰うんでしょう。
――大金か? まあ金額にもよるが、口止め料とか、手切れ金とか?
――ですよね。
――何だ、どうした。
――いえ、今日社食で女子社員が噂話してて……。どういう時なんだろうって、純粋な興味です。
――くだらない会話をする奴がいたんだな。
――ですね。ハンバーグの付け合わせ、僕芽キャベツとか小さ玉葱とか、かわいいのがいいなぁ。
――チイサ玉葱? ああ、小さい玉葱、ペコロスか。
――へぇ、そんな名前なんですね。
――探してみる。麻布のナショナルマーケットにでも行けばあるかもしれん。
――そこに行くならいろんな色のパプリカも。
――わがままな奴だ。
――いいじゃないですか、一度くらい聞いてくれたって。
――別に一度じゃなくても何度でも言えばいい。
――そうですね。
――ヒントはあった。
昨日はハンバーグの日だった。
散々な思いをさせた可愛い恋人に、何が食べたいかと聞いた。
「僕、あなたのハンバーグが食べてみたかったな」
「いつでも作ってやるのだよ。誰かに得意料理だと聞いたのか?」
少しの間があって葵はふわぁっと笑った。
――綺麗だった。
実は料理の得意な俺は基本的に大抵のものはレシピを見れば作れてしまう。ハンバーグだって特別何も変わらない。
その中でも一番多く人にふるまっている料理がハンバーグだ。
「高見沢さんに一度おねだりしてみろって言われました。内緒にしているが本当は何でも作れるぞって」
そう嬉しそうにいう葵が可愛くて、つい裏までは読めなかった。
「わかったよ」
では夕飯のメニューはハンバーグだな。
朝は二人でそんな会話をした。
ところがなんだ、仕事帰り、買い物をして帰ってきたら何やら不穏な気配がする。
机の上に置かれていた葵の香りのする綺麗な便箋に、右肩上がりの少しだけ神経質な文字で、今までありがとう……。ねぇ、大和さん……首輪だけ、貰っていってもいいですか? あなたのハンバーグ、僕本当に食べたかったんだ。
涙で滲んでいた。
便箋をごしごしと擦ったのだろう。インクが深い海の色を滲ませて俺を嘲笑っているようだった。
鞄を放り出し、スーツのまま、鍵と携帯だけをもった東條はあてもなく探し回った。
「俺はあいつの行きそうな所を何にも知らないんだな……」
「大和!」
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