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第六章
4 深海の海のごとく2
しおりを挟む「おい、大和」
誰かが俺を呼ぶ声がした。
無理矢理手を掴まれ、現実世界に連れ戻される。
大切な書類を汚されてはと、高見沢は慌てて机から東條を遠ざけた。
「どうした!」
――黎人。
こんな時に黎人とか、神様は意地悪過ぎる。
不意に見せた東條の泣きそうな顔に、さしもの冷淡な親友も戸惑いを隠せなかった。
「お前ではないのだよ……」
――大和。
「トマト、トマトが潰れてスーツがぐちゃぐちゃだぞ。何があったんだ。葵君か?」
――黎人。
東條は自身の手が握っていた物がトマトであると、高見沢に言われ初めて認識したようで、その潰れたトマトをじっと見ていた。
「トマトをよこせ。手を拭けよ」
差し出されたハンカチにクビを振り断ると、大切そうにトマトを心臓の近くに持ってくる。
「そういえば、今日は見てないな」
「何か、何か……」
「ん?」
「何か知らないか、黎人」
声に力が入らない、こんな東條はあの日以来だ。
「昨日すれ違った時はいつもと一緒だったぞ?」
少しの間考えていたが何かを思い出したように、小さな声が漏れた。
――あっ
「あっ? なにが、なんだ、何を思い出したのだよ」
高見沢の肩を掴む手に力がはいる。
まだこれだけの力を持って俺の肩を掴める。
それだけの事に高見沢は安堵の表情を浮かべた。
――前に、こいつがボロボロだった時は、こんなんじゃなかった。
――時間は残酷なようでいて、時に優しい。
「川崎部長に呼ばれていた」
――部長に?
「いつ――」
高見沢は目をキョロキョロさせながら思考を巡らせた。
「昨日だ――確か。あれ、葵君だったかもしれない。夕方、部長室から走ってでた人影をみたんだ。その時は気にも止めてなったから三渕葵だとは思わなかったし、俺も常務室に呼ばれていたからあまり深く考えなかった。常務に呼ばれたら、接待のお供だし……枕だから自分のケツの処理で忙しくて、悪かったな、東條。あれが三渕なら、多分だが……泣いていたと思う」
潰れたトマトがさらに潰れ、怒りを露にした東條はエレベーターホールに向かうと、シリアルキーを差し込み最上階のボタンを押した。
――トントン。
きちんとノックが出来るあたりがまだ冷静でいられている証拠であった。
――入れ。空いてるぞ。
――東條は大きく息を吸い込むと、軽く会釈をし本題に入った。
「東條君か、どうした?」
暖かい部屋の温度と飾られている花の香りの中で、東條の周りだけが何故か真冬の海峡のようだった。
「葵に……何をしましたか?」
突然の来訪者に突然の攻撃……、川崎は少しばかり考えていたが、思い立ったように手を叩いた。
「金一封を渡したよ。会社規定だ。億単位の取引ができたのはあのプロモーションビデオのお陰だからね。至極当然のことだろう? しかし足りなかったのか受け取らずに出て行ってしまったよ」
「ご覧になられたのですか?」
努めて冷静に返事をした。
「ああ、当然だ。あれはいい、あのプロモーションビデオは薬品会社以外でも自分の娯楽用に手を出す輩が相当数いるだろう。かくゆう私も……」
東條は川崎の口を手で覆うと、「あなたの性癖に興味はありません」といい放ち、他にないのかと詰め寄った。
「そう言えば、僕クビですか? と言われてな。変な子だ。金一封=クビがどうしてもリンクしなかったものでな、走って逃げられたのだが、そのまま気にもせず放置してしまった」
――金一封の意味する物とはこのことか。
しかしご褒美がなぜクビにつながるのかは俺にも分からない。
考えろ! 東條大和。
――あいつはいつも諦めて生きてきたんじゃないのか?
「失礼します」
頭を下げ部屋を出ようとした。その時100万円の束が東條の方に放られた。
「使え、半分は俺のせいだ」
掴んだ金をうちポケットに突っ込むと東條はそのままマスタングに戻っていった。
「見つけてやる――葵」
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