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第三章
約束
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寝不足の目を擦りながらサンダルをつっかけて外に出た。
あんな所にずっといたんでは風邪をひいてしまう。
春と言っても朝方はまだ幾分冷え込む季節に、申し訳なさが先に立った。
そんな顔をしたのが分かったのだろう。
目が合うと生方が困ったように笑っていた。
「そんな顔をするな。勝手に立っていたんだ。三条先生が気に病む必要は無い」
そうは言われても気になるのが人情というものだ。
生方の左手が三条の頭を撫でた。
ビクンと反応する肩に、生方が慌ててジャケットを脱いで肩にかける。
「待ってください。僕は生方先生が風邪をひいちゃいけないと思って、早く帰ってって、声をかけに来たのであって……、だからその」
しどろもどろに真っ赤な顔まで付いている。
「大丈夫ですから」
細くて白い手をググっと伸ばし、生方のジャケットを腹に押しつけた。
「そうか」
「そうです」
「分かった」
素直に受け取ると、でも寝てないだろう。今日は休んだらどうだ? と声をかけられた。
昨日のことが体に堪えていないかと言ったら嘘になる。
魅力的なお誘いだった。でも負けた後の記憶はすっかりと抜け落ち、覚えているのは風呂場のいい匂いと生方の優しい眼差し。嫌な記憶なんか何も残っていない。
樹さんにそう話したら、ちっと舌打ちをしたっきり、覚えていることだけを信じたらいい。と言われた。
パパちゃんは不思議そうに首をかしげていたから、勘のいい僕にはわかってしまった。
僕が忘れているあの時間は、確かに存在した。そしてそれはバースに大きく関係があるナイーブな問題であるという事、深堀しちゃいけない問題であること。所謂、アルファしか知らない裏事情みたいなものだ。
アルファである高橋はきっと何食わぬ顔して朝食を取っているかもしれない。それは何だか悔しい。
「休み……ません」
考えた結果僕が口にしていたのは拒絶だった。
「まぁ三条先生ならそう言うと思っていたよ。なら一つだけ約束をしてくれ」
「なんですか」
「今日もし眠くなったら、必ずラインをくれ」
「なんで」
「意識が薄れると匂いが漏れやすいからだ。誰かに襲われたら、三条先生のことだ、そうさせた自分が悪いと責めるだろう」
「はい」
「そうなったら、俺はその根源である高橋を憎むぞ」
「それはダメですよ」
そんなの脅しじゃん、と小さな声が生方を責めた。
「なら呼んで。俺がいて手を出す奴はいないから」
渋々頷いた。
「なら僕だってお願いがあります」
「なんだ」
負けず嫌いな三条に生方は優しい顔を見せる。
「風呂に入ってきてください!」
「風呂に? くさいか?」
「くさいです! すごく…………僕くさい…………」
あっけに取られて止まっている生方に三条はもう一度繰り返した。
破顔一笑。
大きな声をあげて笑う生方に慌てて近所迷惑と口を塞いだ。
「ああ、三条先生のにおいがするか。気が付かなかった」
三条の首元に顔を突っ込みクンクンと嗅ぐ。
ゆでだこの様に真っ赤な顔が、むっとした口をさらに真一文字に結び、自分のにおいを嗅げよ! と小声でどなった。可愛い顔が一生懸命ドスを利かせた声を出す。
「そんなかわいい顔をするな、わかった、帰るよ。落としてくるから、だから先生も約束して」
「はい……」
初めてした約束は、思ったよりも甘く歓喜に満ちていた。
あんな所にずっといたんでは風邪をひいてしまう。
春と言っても朝方はまだ幾分冷え込む季節に、申し訳なさが先に立った。
そんな顔をしたのが分かったのだろう。
目が合うと生方が困ったように笑っていた。
「そんな顔をするな。勝手に立っていたんだ。三条先生が気に病む必要は無い」
そうは言われても気になるのが人情というものだ。
生方の左手が三条の頭を撫でた。
ビクンと反応する肩に、生方が慌ててジャケットを脱いで肩にかける。
「待ってください。僕は生方先生が風邪をひいちゃいけないと思って、早く帰ってって、声をかけに来たのであって……、だからその」
しどろもどろに真っ赤な顔まで付いている。
「大丈夫ですから」
細くて白い手をググっと伸ばし、生方のジャケットを腹に押しつけた。
「そうか」
「そうです」
「分かった」
素直に受け取ると、でも寝てないだろう。今日は休んだらどうだ? と声をかけられた。
昨日のことが体に堪えていないかと言ったら嘘になる。
魅力的なお誘いだった。でも負けた後の記憶はすっかりと抜け落ち、覚えているのは風呂場のいい匂いと生方の優しい眼差し。嫌な記憶なんか何も残っていない。
樹さんにそう話したら、ちっと舌打ちをしたっきり、覚えていることだけを信じたらいい。と言われた。
パパちゃんは不思議そうに首をかしげていたから、勘のいい僕にはわかってしまった。
僕が忘れているあの時間は、確かに存在した。そしてそれはバースに大きく関係があるナイーブな問題であるという事、深堀しちゃいけない問題であること。所謂、アルファしか知らない裏事情みたいなものだ。
アルファである高橋はきっと何食わぬ顔して朝食を取っているかもしれない。それは何だか悔しい。
「休み……ません」
考えた結果僕が口にしていたのは拒絶だった。
「まぁ三条先生ならそう言うと思っていたよ。なら一つだけ約束をしてくれ」
「なんですか」
「今日もし眠くなったら、必ずラインをくれ」
「なんで」
「意識が薄れると匂いが漏れやすいからだ。誰かに襲われたら、三条先生のことだ、そうさせた自分が悪いと責めるだろう」
「はい」
「そうなったら、俺はその根源である高橋を憎むぞ」
「それはダメですよ」
そんなの脅しじゃん、と小さな声が生方を責めた。
「なら呼んで。俺がいて手を出す奴はいないから」
渋々頷いた。
「なら僕だってお願いがあります」
「なんだ」
負けず嫌いな三条に生方は優しい顔を見せる。
「風呂に入ってきてください!」
「風呂に? くさいか?」
「くさいです! すごく…………僕くさい…………」
あっけに取られて止まっている生方に三条はもう一度繰り返した。
破顔一笑。
大きな声をあげて笑う生方に慌てて近所迷惑と口を塞いだ。
「ああ、三条先生のにおいがするか。気が付かなかった」
三条の首元に顔を突っ込みクンクンと嗅ぐ。
ゆでだこの様に真っ赤な顔が、むっとした口をさらに真一文字に結び、自分のにおいを嗅げよ! と小声でどなった。可愛い顔が一生懸命ドスを利かせた声を出す。
「そんなかわいい顔をするな、わかった、帰るよ。落としてくるから、だから先生も約束して」
「はい……」
初めてした約束は、思ったよりも甘く歓喜に満ちていた。
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