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紀州藩主編

第九話

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 国家老の久野を失脚させ、特に悪質だった者から順次隠居させていった。

 それのおかげで、不正に手を出そうとする者はいなくなり、俺の指示を素直に受けるようになった。

 ずいぶん風通しが良くなった。改革は順調に進むだろう。

 しかし多くの藩士が代替わりしたせいで、三か月は動くに動けなかった。
 多くの者は、まだ家督を譲られる段階ではなく、実務が滞ってしまったからだ。

 変えるも何も普通のことすらできないのでは、改革なんて夢のまた夢。一旦立ち止まる事とした。

 その期間は、俺が夢を見る期間でもあった。立ち直る紀州藩を夢見て待った。

 そう、俺は浮かれていた。幼き頃より虐げられてきた国家老を追放し、十数年余り思い描いてきた藩政を実行できる喜びは何にも変え難いものだった。


 そして、その年の七月、江戸より訃報が届く。

 江戸に残してきた正室の理子が亡くなった。俺の子も同じくこの世を去った。

 連絡は一通の書状のみ。

 内容は、『御正室、出産に臨むも五月二十七日 死産。産後の肥立ちが悪く予断許さず。起き上がること叶わぬまま六月四日に逝去』

 これだけだ。

 俺の正室 理子はこの世を去った。俺の子も一緒に。
 何もしてやれなかった。心を病んでいたのを理解しても解決策を見いだせなかった。俺の責任だ。

 俺は逃げるように江戸を立ったのだ。紀州への帰国の許可を得たことを免罪符として。
 正室という公的な立場だけでなく、心の中でも彼女は唯一の存在だった。それは事実なのだ。言い逃れはできない。

 俺は誓う。自分の弱さで悲しませてしまった人を一生背負う事を。自分に出来る事を人生をかけ精一杯行う事を。そして、これ以上弱き者が苦しまないで良い世の中を作る事を。

 もう俺は女性を愛さない。その資格がない。


 俺個人の不幸に紀州藩の改革を遅らせる訳にはいかない。悲しみに暮れるのは一人になった時で充分だ。俺は最後の紀州徳川家の男系。立ち止まるわけにはいかぬ。


 今年の四月に紀州入りしたが、来年の四月には江戸へ戻らねばならない。
 既に七月。江戸への出立の事も考慮すると、あと八か月ほどで筋道をつけねばなるまい。

 そろそろ改革に手を付けるとしよう。

 今の紀州藩の現状はこうだ。
 収入は五十五万五千石のうち五公五民で二十七万七千石あまり。それと畑地からの年貢が少々。変動があるが、商人からの冥加金なども入ってくる。
 収入の柱としては米による年貢となるから、全てはこの収入を基準に考える。

 そして費用。これが問題だ。細目は多岐にわたり書ききれないのだが、収入を一割ほど超えている。それも長年。ずっと赤字状態だ。

 他には負債。葬儀のために幕府からの借入が十万両。それだけでなく、藩札による借入、大店からの借入。借金まみれだ。
これらも返していかなければならぬ。尾藤屋からの借財を返さなくてよくなったのは、不幸中の幸いだな。

 費用の中で大きな負担となっているのは、家臣への俸給。そして城内にて使用される雑費とされている膨大な費用。この雑費は、内訳が不明確であるにも関わらず、多額の費用が計上されている。

 伊澤殿への聞き取りの結果、参勤交代の費えだったり、藩務における備品、藩主家族の生活費などなど。費用の明細を分けず、とりあえず全て雑費としているようだ。
 これでは何の費用が大きな負担になっているのか、過剰に使い過ぎているのかといった検証ができない。

 これに関しては、伊澤殿へ指示を出し、資金使途については細かく記載するようにした。状況確認しやすくするとともに、曖昧さをなくすことで不正を防ぐ狙いもある。

 この作業は今までの作業より手間がかかるし人でも必要になる。本来の目的は経費を削減する事であるが、減らすことのできない作業だ。

 そして大きな費用の俸給。つまり人件費である。収入の半分以上がこれに充てられていた。

 しかし、先般の不正、横領の罪により強制的に隠居する家が多かった。そのうち跡継ぎを用意できなかった家は断絶となり、いくらか組織がスリムになった。

 どの家も遠縁まで遡ってでも養子を用意したので、断絶となった家は多くない。
 だから費用面で、そこまで劇的な効果を生んではいない。

 そこで、政信と打開策を練り上げた。
 これまでの不正は対外的には公表できない。それにより、家禄も減らせないし降格もさせられない。表向きは何も起きていないから。
 我が藩の家臣は真面目で忠誠心の厚い者達というわけだ。

 それを逆手に取り、差上金という仕組みを導入した。

 この仕組みというのは、財政難の所属藩を見かねて、家臣がに俸給を返上するというものである。表向きには。

 さりとて、あれほど積極的に不正を行って私腹を肥やしていた者達が自発的に返上するなんてありえない。

 だから国家老の久野を呼び出して言ってやったのだ。

 俺は久野家を取り潰しも家禄削減もしなかった。だが、今までの行いを省みるに、それでは済むまい。

 次の評定で差上金制を発表する。
 お主は率先して申し出よ。派閥の首魁が申し出れば他も倣うだろう。

 そうだな、五割で許してやろう。皆にも根回ししておけ。とな。

 久野 俊正は一言も発さず平伏しているのみだった。

 これで対外的にはお咎めなしの家臣どもは、不正に搾取した藩の金を吐き出す事になる。

 これの良い所は、藩外から見れば、藩務を司りながら、赤字へと貶めてしまった事を恥じた真面目な忠臣は、自らの俸給を返上する事で藩を救おうとしているという形になる。

 美談だな。

 良い家臣を持った紀州藩の評判は上がるし、失った金も返ってくる。費用が減れば財政赤字も解消できるだろう。万々歳だ。

 この差上金制度をいつ終わらせるかは俺次第。被害額はこれからゆっくり算出するさ。
 後は被害額の何倍支払わせるかどうかだな。
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