王になりたかった男【不老不死伝説と明智光秀】

野松 彦秋

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第9章 世代交代への動き

16.輿入れ【前編】

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輿入れとは、昔、嫁の乗った輿こしを婿の家に担ぎいれた事(送り届けた事)からとつぐこと、嫁入りを示す言葉であった。

天文18年2月の末、美濃の国国主斎藤道三の娘帰蝶と、尾張織田信秀の嫡男信長の祝言の日を迎える。

帰蝶は、その日、陽が登る前に風呂に入り、身体を清め、そして2度目の花嫁衣裳を着た。

最初の夫となった、土岐頼純の死から2年、彼女は14歳になっていた。

彼女の背は、その2年で大きく伸び5.2尺(160㎝)、当時の女性の平均身長よりもかなり大きい・・長身である。

帰蝶の容姿は、幼子から美しい少女に成長していた。

花嫁衣裳を着た帰蝶は、侍女たちが見ていないのを確認すると、自分の化粧箱に入れていたお守りをそっと取り出し、首にかける。

『帰蝶様!、祝言の日でございます・・お身には何も着けず、衣装だけで・・・』

『範子、いいでしょ、見逃してよ、これは私を強くしてくれるお守りなの・・』

帰蝶は、齢も近い姉の様な、親戚の侍女範子に両手を合わせお願いするそぶりをする。

『何も言わなければ、誰も気がつかないわ・・お願い!』

『仕方ないですね、寝る時には必ず身から外すという事で・・私は何も見なかった事にします』

『姫様の行い、総てが姫様に同行する者達の命運に直結するという事を、お忘れなく・・』

『・・・分かってるわ・・・・約束は絶対に守るわ』

範子は帰蝶の言葉を聞き、帰蝶の傍から一時離れていった。

彼女も帰蝶と共に尾張に移住するので、自分の荷物の最終確認をしなければならなかったのである。

範子は、帰蝶が首にかけたお守りの中身を知っていた。

中身は、帰蝶の前夫土岐頼純よりずみの遺髪の一部である。

未だ結婚した事が無い、範子にとって、帰蝶の行動心理を100%理解出来なかった。

(親が決めた相手を、よくあそこ迄好きになったモノだと、自分は自分の夫になったモノを帰蝶様の様に愛せる女なのだろうか、姉煕子も、帰蝶も、・・私って、もしかして情が薄いのかしら)

『私は・・・そんな殿方に出会えるのかしら・・・ああ不安しかないわ・・』

範子は、頭を抱えそう言って自分の部屋に向かって歩いて行ったのである。

半刻後、遂に帰蝶が輿へ乗る時刻がやって来た。

稲葉山城に居るほとんどの者が、帰蝶を送るべく城門近くに集まっていた。

父道三、母小見の方、義龍を初めとする兄達が自分を見守ってくれていた。

『身体には十分きをつけるのだぞ』

何時もの様に、ムスッとした顔の義龍が言った。

愛想は無いが、義龍の好意は伝わってきた。

気がつけば、父道三は無言で泣いている。

言葉をかけたいのだが、言葉を出すと泣いてしまうので、無言なのである。

『帰蝶、幸せにね、落ち着いたら、私も顔を見に尾張にいくから・・』

母、小見の方が言った言葉が、帰蝶にとっては一番うれしい言葉だった。

また、会えるわと、慰めてくれている様だったからである。

(やはり、経験者は違うわ・・・)

輿入れした事がある者にしかわからない、慰めの言葉であった。

見送ってくれる皆に頭を下げ、輿に乗る時である。

帰蝶の首筋に、悪寒が走った。

誰かの視線を感じたというか、突き刺さる様な悪意を感じたのである。

その感覚が気になり、輿に乗るのを一度止め、帰蝶は後ろを振り返る。

しかし、何も変わったところは無かった。

『どうした、帰蝶、早くイケよ・・・』

人懐っこい笑顔の表情の次兄、孫四郎が、表情とはうらはらの少し乱暴な言葉で輿に乗る様に催促した。

『ハイ、兄上、スミマセン』

『ちょっと、変な感じが・・・・』

そう言って、帰蝶は、再度自分の回りを見渡す。

旧知の者達が、変わらず帰蝶をの前途を祝福している。

特に異常を見つける事が出来ず、仕方なく、帰蝶は輿に乗ろうとしたが、横にいる道三に、一言。

『父上、お気をつけ下さい。』

『ンン、何をじゃ、どうした、安心せい、ワシは100迄生きる』

『イヤ、そう言う事では・・・、父上、帰蝶は父上の身を何処にいても、何時も案じておりまする』

『・・・ウワァあ、分っておる、分っておる。ワシはわかっておるぅうう・・ワシもじゃぁああ』

感極まって、道三は遂に泣き叫びだしてしまった。

そんな父に、長く恥はかかせれないと、帰蝶は気を取り直して、輿に急いで乗った。

帰蝶が輿に乗ったのを確認すると、尾張へ向かう一行の先頭の者が、大きな号令をかけ、その号令の後、その一行は稲葉山城の門を出て、尾張へ旅立ったのであった。

輿に乗った帰蝶は、輿の中で尾張に行く緊張よりも、残していく家族の事が心配になっていた。

その理由は、帰蝶自身も分からなかった。

帰蝶は後々後悔する事になる、この日が家族との最期の別れであった。
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