53 / 67
53
しおりを挟む
龍仁につれていかれたのは、静かな邸街の中ほどにある、一軒の邸第だった。
外から見ると寂れた小さな邸なのに、門をくぐると奥行きがあって広かった。
内装もきちんと整えられていて、落ちついた感じの年輩の女人が一人、案内に現れた。
「ここは……」
「皇帝といえど忍びで外へ出たい時もある。
たまに使っている邸第だ。
佑鷹はさすがに知っているが、他の者には内緒だぞ、蒼夫人にもだ」
つまり佑鷹以外の側近にも内緒の隠れ家か。
何をやっているのだろう、この人は。
軽く片目をつむってみせる龍仁にあきれつつも見とれてかけて、朱音はあわてて眼をそむける。
最近まともに顔を見ていなかったからか、自分の気持を自覚したからか、どうも龍仁の存在感が増しているように感じる。
一緒にいると平常心をたもてない。
奥へ案内される。
途中で龍仁が、俺はこっちだと顎で示して、朱音を案内の女人に託した。
「世話を頼む。
着替えを用意してやってくれ」
「かしこまりました」
一礼した女人が、朱音を別房に案内する。
私のものですから地味ですけどと言って出してくれたのは、落ちついた秋の楓色の衣だった。
帯と裳の色は淡い黄色。
なるべく若い娘らしいものをと選んでくれたのがわかる、気配りが嬉しい取り合わせだった。
小菊の簪もそえられていたので、久しぶりに朱音は鏡の前に立ってみた。
黒く染めた髪を結おうとして、顔をしかめる。
何をしているのだろう。
朱音は結いかけた髪をほどくと、無造作に束ねた。
龍仁に叱られるから留守番しとく、と、自己申告した黄黄と簪を房に残して、外に出る。
さっきの女の人が待ってくれていた。
「あの、着替えをありがとうございます」
「まあ、そんな、このような古着をあなた様のような方に着ていただけるなんて、こちらこそ光栄ですわ。
陛下がお待ちの房へ案内いたします。
さ、どうぞこちらへ」
まるで身分の高い令嬢にするような恭しい態度に落ちつかない。
龍仁は朱音のことをこの人にどう話しているのだろう。
もじもじしながら歩廊を歩いて、ふと院子を見て驚いた。
一面の牡丹だ。
花の時季は終わっているが、まだ残った葉の形でわかる。
「あの、これは……」
「ああ、後宮から移植した牡丹ですわ。
ある日突然、陛下が庭師をよこされて。
ここは人の耳目を集めてはならないところですのに」
どこか蒼夫人に似た面影のある女人は、ほっこり笑みをこぼして言った。
「陛下にしては艶っぽいことをおっしゃっていましたよ。
大切な思い出の牡丹だから絶対に枯らさないでくれ。
花を手折るのもなしだ、また愛でにくる、とか」
(……牡丹が嫌いだから抜いたわけではなかったの?)
また心がゆれはじめる。
彼はもしかして牡丹を守るために植え替えたのではという考えがわきあがる。
後宮の苑では他の妃たちがいつ花を手折るかわからないから。
それはつまり牡丹を大切に思ってくれているということで。
さっき嶺家で見た龍仁の瞳が脳裏に浮かぶ。
はじめて会った時に見た、彼の熱を帯びた瞳と同じ、いや、もっと熱くて……。
朱音の顔に朱がのぼる。
期待しちゃ駄目と言い聞かせるのに頬の熱さが去らない。
少しも持ち主の言うことを聞いてくれない。
無造作に束ねただけの髪が気になってしまう。
龍仁がいるという房の前まできた。
この向こうに彼がいる。
扉越しに気配を感じる。
朱音の胸がきゅっとうずいた。
どんどん甘くうずいて、息苦しい。
彼に会いたいのに怖くなる。
このまま回れ右したくなる。
「では私はこれで失礼いたしますので、ごゆっくり」
温かい笑みを浮かべて女人がさがっていく。
朱音はそっと扉の向こうに声をかけた。
「あの、龍仁様?
朱音です……」
「ああ、乾いた衣に着替えたか?
なら、入れ」
低い彼の声が心地よく耳朶をくすぐる。
こんなやりとりも久しぶりだ。
体中がきゅっとちぢみあがるのを我慢して中に入る。
外から見ると寂れた小さな邸なのに、門をくぐると奥行きがあって広かった。
内装もきちんと整えられていて、落ちついた感じの年輩の女人が一人、案内に現れた。
「ここは……」
「皇帝といえど忍びで外へ出たい時もある。
たまに使っている邸第だ。
佑鷹はさすがに知っているが、他の者には内緒だぞ、蒼夫人にもだ」
つまり佑鷹以外の側近にも内緒の隠れ家か。
何をやっているのだろう、この人は。
軽く片目をつむってみせる龍仁にあきれつつも見とれてかけて、朱音はあわてて眼をそむける。
最近まともに顔を見ていなかったからか、自分の気持を自覚したからか、どうも龍仁の存在感が増しているように感じる。
一緒にいると平常心をたもてない。
奥へ案内される。
途中で龍仁が、俺はこっちだと顎で示して、朱音を案内の女人に託した。
「世話を頼む。
着替えを用意してやってくれ」
「かしこまりました」
一礼した女人が、朱音を別房に案内する。
私のものですから地味ですけどと言って出してくれたのは、落ちついた秋の楓色の衣だった。
帯と裳の色は淡い黄色。
なるべく若い娘らしいものをと選んでくれたのがわかる、気配りが嬉しい取り合わせだった。
小菊の簪もそえられていたので、久しぶりに朱音は鏡の前に立ってみた。
黒く染めた髪を結おうとして、顔をしかめる。
何をしているのだろう。
朱音は結いかけた髪をほどくと、無造作に束ねた。
龍仁に叱られるから留守番しとく、と、自己申告した黄黄と簪を房に残して、外に出る。
さっきの女の人が待ってくれていた。
「あの、着替えをありがとうございます」
「まあ、そんな、このような古着をあなた様のような方に着ていただけるなんて、こちらこそ光栄ですわ。
陛下がお待ちの房へ案内いたします。
さ、どうぞこちらへ」
まるで身分の高い令嬢にするような恭しい態度に落ちつかない。
龍仁は朱音のことをこの人にどう話しているのだろう。
もじもじしながら歩廊を歩いて、ふと院子を見て驚いた。
一面の牡丹だ。
花の時季は終わっているが、まだ残った葉の形でわかる。
「あの、これは……」
「ああ、後宮から移植した牡丹ですわ。
ある日突然、陛下が庭師をよこされて。
ここは人の耳目を集めてはならないところですのに」
どこか蒼夫人に似た面影のある女人は、ほっこり笑みをこぼして言った。
「陛下にしては艶っぽいことをおっしゃっていましたよ。
大切な思い出の牡丹だから絶対に枯らさないでくれ。
花を手折るのもなしだ、また愛でにくる、とか」
(……牡丹が嫌いだから抜いたわけではなかったの?)
また心がゆれはじめる。
彼はもしかして牡丹を守るために植え替えたのではという考えがわきあがる。
後宮の苑では他の妃たちがいつ花を手折るかわからないから。
それはつまり牡丹を大切に思ってくれているということで。
さっき嶺家で見た龍仁の瞳が脳裏に浮かぶ。
はじめて会った時に見た、彼の熱を帯びた瞳と同じ、いや、もっと熱くて……。
朱音の顔に朱がのぼる。
期待しちゃ駄目と言い聞かせるのに頬の熱さが去らない。
少しも持ち主の言うことを聞いてくれない。
無造作に束ねただけの髪が気になってしまう。
龍仁がいるという房の前まできた。
この向こうに彼がいる。
扉越しに気配を感じる。
朱音の胸がきゅっとうずいた。
どんどん甘くうずいて、息苦しい。
彼に会いたいのに怖くなる。
このまま回れ右したくなる。
「では私はこれで失礼いたしますので、ごゆっくり」
温かい笑みを浮かべて女人がさがっていく。
朱音はそっと扉の向こうに声をかけた。
「あの、龍仁様?
朱音です……」
「ああ、乾いた衣に着替えたか?
なら、入れ」
低い彼の声が心地よく耳朶をくすぐる。
こんなやりとりも久しぶりだ。
体中がきゅっとちぢみあがるのを我慢して中に入る。
2
あなたにおすすめの小説
幼い頃に、大きくなったら結婚しようと約束した人は、英雄になりました。きっと彼はもう、わたしとの約束なんて覚えていない
ラム猫
恋愛
幼い頃に、セリフィアはシルヴァードと出会った。お互いがまだ世間を知らない中、二人は王城のパーティーで時折顔を合わせ、交流を深める。そしてある日、シルヴァードから「大きくなったら結婚しよう」と言われ、セリフィアはそれを喜んで受け入れた。
その後、十年以上彼と再会することはなかった。
三年間続いていた戦争が終わり、シルヴァードが王国を勝利に導いた英雄として帰ってきた。彼の隣には、聖女の姿が。彼は自分との約束をとっくに忘れているだろうと、セリフィアはその場を離れた。
しかし治療師として働いているセリフィアは、彼の後遺症治療のために彼と対面することになる。余計なことは言わず、ただ彼の治療をすることだけを考えていた。が、やけに彼との距離が近い。
それどころか、シルヴァードはセリフィアに甘く迫ってくる。これは治療者に対する依存に違いないのだが……。
「シルフィード様。全てをおひとりで抱え込もうとなさらないでください。わたしが、傍にいます」
「お願い、セリフィア。……君が傍にいてくれたら、僕はまともでいられる」
※糖度高め、勘違いが激しめ、主人公は鈍感です。ヒーローがとにかく拗れています。苦手な方はご注意ください。
※『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。
ヒスババアと呼ばれた私が異世界に行きました
陽花紫
恋愛
夫にヒスババアと呼ばれた瞬間に異世界に召喚されたリカが、乳母のメアリー、従者のウィルとともに幼い王子を立派に育て上げる話。
小説家になろうにも掲載中です。
義娘が転生型ヒロインのようですが、立派な淑女に育ててみせます!~鍵を握るのが私の恋愛って本当ですか!?~
咲宮
恋愛
没落貴族のクロエ・オルコットは、馬車の事故で両親を失ったルルメリアを義娘として引き取ることに。しかし、ルルメリアが突然「あたしひろいんなの‼」と言い出した。
ぎゃくはーれむだの、男をはべらせるだの、とんでもない言葉を並べるルルメリアに頭を抱えるクロエ。このままではまずいと思ったクロエは、ルルメリアを「立派な淑女」にすべく奔走し始める。
育児に励むクロエだが、ある日馬車の前に飛び込もうとした男性を助ける。実はその相手は若き伯爵のようで――?
これは若くして母となったクロエが、義娘と恋愛に翻弄されながらも奮闘する物語。
※小説家になろう様、カクヨム様でも掲載しております。
※毎日更新を予定しております。
追放された薬師は、辺境の地で騎士団長に愛でられる
湊一桜
恋愛
王宮薬師のアンは、国王に毒を盛った罪を着せられて王宮を追放された。幼少期に両親を亡くして王宮に引き取られたアンは、頼れる兄弟や親戚もいなかった。
森を彷徨って数日、倒れている男性を見つける。男性は高熱と怪我で、意識が朦朧としていた。
オオカミの襲撃にも遭いながら、必死で男性を看病すること二日後、とうとう男性が目を覚ました。ジョーという名のこの男性はとても強く、軽々とオオカミを撃退した。そんなジョーの姿に、不覚にもときめいてしまうアン。
行くあてもないアンは、ジョーと彼の故郷オストワル辺境伯領を目指すことになった。
そして辿り着いたオストワル辺境伯領で待っていたのは、ジョーとの甘い甘い時間だった。
※『小説家になろう』様、『ベリーズカフェ』様でも公開中です。
私が育てたのは駄犬か、それとも忠犬か 〜結婚を断ったのに麗しの騎士様に捕まっています〜
日室千種・ちぐ
恋愛
ランドリック・ゼンゲンは将来を約束された上級騎士であり、麗しの貴公子だ。かつて流した浮名は数知れず、だが真の恋の相手は従姉妹で、その結婚を邪魔しようとしたと噂されている。成人前からゼンゲン侯爵家預かりとなっている子爵家の娘ジョゼットは、とある事情でランドリックと親しんでおり、その噂が嘘だと知っている。彼は人の心に鈍感であることに悩みつつも向き合う、真の努力家であり、それでもなお自分に自信が持てないことも、知っていて、密かに心惹かれていた。だが、そのランドリックとの結婚の話を持ちかけられたジョゼットは、彼が自分を女性として見ていないことに、いずれ耐えられなくなるはずと、断る決断をしたのだが――。
(なろう版ではなく、やや大人向け版です)
触れると魔力が暴走する王太子殿下が、なぜか私だけは大丈夫みたいです
ちよこ
恋愛
異性に触れれば、相手の魔力が暴走する。
そんな宿命を背負った王太子シルヴェスターと、
ただひとり、触れても何も起きない天然令嬢リュシア。
誰にも触れられなかった王子の手が、
初めて触れたやさしさに出会ったとき、
ふたりの物語が始まる。
これは、孤独な王子と、おっとり令嬢の、
触れることから始まる恋と癒やしの物語
幽閉された王子と愛する侍女
月山 歩
恋愛
私の愛する王子様が、王の暗殺の容疑をかけられて離宮に幽閉された。私は彼が心配で、王国の方針に逆らい、侍女の立場を捨て、彼の世話をしに駆けつける。嫌疑が晴れたら、私はもう王宮には、戻れない。それを知った王子は。
この世界に転生したらいろんな人に溺愛されちゃいました!
キムチ鍋
恋愛
前世は不慮の事故で死んだ(主人公)公爵令嬢ニコ・オリヴィアは最近前世の記憶を思い出す。
だが彼女は人生を楽しむことができなっかたので今世は幸せな人生を送ることを決意する。
「前世は不慮の事故で死んだのだから今世は楽しんで幸せな人生を送るぞ!」
そこからいろいろな人に愛されていく。
作者のキムチ鍋です!
不定期で投稿していきます‼️
19時投稿です‼️
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる