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005 その瞳に映るのは【セリオン・ハルバード】
しおりを挟むはじめまして。
僕の名前はセリオン・ハルバードといいます。
貿易都市シナノワの魔法学校に入学して一年が経ちました。
実家もシナノワなのですが、訳あって一人暮らしをしています。
…一人って、良いものですね。誰も傷つけないし、僕も傷つかない。
ちょっと寂しい時もあるけれど、概ね満足して暮らしています。
学校と下宿を往復するだけの毎日なのに、なぜか好きな人ができてしまいました。
エイデンさんという、魔法学校の近くの商店街で古魔道具屋を営んでいる方です。
きっかけは、お店の店頭に飾られていた、古シナノワ朝時代の虎の置物でした。
牙を剥き出した顔が漫画のようで、掌に乗るほど小さなものです。
本で見た写真とまったく同じだったので、思わず見入っていると声を掛けられました。
「その置物、変な顔でしょう」
立派な体格で、サムライのように精悍な顔立ちをした彼は、穏やかに言いました。
その人が店主のエイデンさんです。
僕は人見知りをする方ですが、なぜかエイデンさんに対してだけは
少しもオドオドせずに平常心で居られました。
彼の穏やかさが、そうさせてくれたのでしょう。
「この近くの魔法学校に入学したばかりで、古シナノワ史を専攻しているんです」
僕がそう言うと、彼は「それはいいですね」とやはり穏やかに言いました。
聞くとエイデンさんも歴史が好きという事で、
つい長々と歴史について話し込んでしまいました。
帰り際、エイデンさんは僕に、件の虎の置物をくれました。
恐縮して断りましたが
「タダ同然で手に入れたものだし、模造品だから」と言われ、
固辞するのも失礼かと思い、ありがたく受け取りました。
「よろしければ、また話し相手になってください」
そう言ってエイデンさんが微笑んだ瞬間…
おそらく僕はその時、恋に落ちたのだと思います。
…ただでさえ精神に問題があり、両親から遠ざけられた僕なのに、
よりにもよって同性に恋をしてしまうなんて…。
シナノワは進んだ街で、恋愛どころか同性婚まで珍しくはないのですが、
僕の家は古いのです。
悩みましたが、どうしようもありません。
口に出すことが許されない恋でも、結ばれることなどなくても、
僕はエイデンさんの傍にいられるのなら、それだけで充分でした。
…『彼』も最初こそ警戒していたようですが、
エイデンさんの人となりを知るにつれ、今ではすっかり気を許しているようです。
その証拠に、僕の意識を乗っ取るような事も少なくなりました。
『彼』が乱暴な振る舞いをするのは、僕を守るためなのだと
主治医のポオ先生は言っていました。
僕に危害を加える者が現れない限り、『彼』は静かなのでしょう。
それからの半年は、今までの僕の人生が嘘のように穏やかな日々でした。
魔法学校では何故か僕に悪意を向ける人もいましたが、それさえ無視できれば問題ありません。
…そしてそんなある日、僕は古魔道具屋で、彼らと出会いました。
いつものようにエイデンさんのお店に行くと、店頭には虎の置物ではなく
一匹の美しい黒猫が座っていました。
黒く長いつややかな毛並みに、湖のように澄んだ青い瞳の猫です。
あまりにおとなしいので、ぬいぐるみかと思いましたが、
彼(彼女?)は僕の顔を見るなり、にゃあと鳴き、擦り寄って来ました。
エイデンさんが飼い始めたのでしょうか?犬派のイメージがありましたが…。
少し意外だなぁと思いつつ、
動物に懐かれる経験の少ない僕は、喜んで黒猫を撫でました。
黒猫は満足そうに喉を鳴らしたあと、さっと影が流れるように店内に入って行きました。
僕も後を追うと、店内には見知らぬ男性がいました。
いつもエイデンさんが座っている椅子に腰掛けていたのは、
20代半ばくらいの、とても容姿の整った男性でした。
肩につく栗色の髪の一部を後頭部で無造作に結んでいて、
地味な服装にも関わらず、人目を惹き付けずにおかない何かを持つ人でした。
気丈そうに釣った眉の下の垂れ気味の目は、赤みがかった深い茶色で、
それは手元の競馬新聞に一心に注がれています。
不意にその強い視線がこちらに鋭く向けられ、
危うく僕の心臓は胸を突き破るところでした。
「ごゆっくりどうぞ」
そう言って彼は、僕に向かって優しく微笑みました。
もし僕が女性だったら、ひとたまりもなく恋に落ちていたのでしょう。
(…店を間違えてしまったのかな)
そんな事を思いながらも、エイデンさんに貸す予定の本を抱えた僕は
尻尾を巻いて逃げる訳にも行かず、店内を見るふりをしながら、
エイデンさんが現れるのを待ちました。
その人は相変わらず競馬新聞を読んでいて、僕に注意を払っている様子はありませんが、
時々背中にちりりと鋭い視線を感じました。
万引きでもしようものなら、即座に腕をつかまれることでしょう。
(…出直そうかなぁ…)
そんな事を考えている僕は、背後に人が立っている事に気づきませんでした。
(やっぱり今日は帰ろう)
そう思い立って店から出ようとしたその時、僕は背後に立つ人と軽くぶつかりました。
すみません、と謝って見上げると、その人はついさっきまで椅子に座っていた男性でした。
元々僕はぼんやりしていますが、彼が席を立った事に、一切気づけませんでした。
「この店、よく来るの?」
彼は僕にそう聞きました。
気さくな様子に少し安心した僕は「はい」と答えました。
「へぇ…若い人が見て面白いものなんか無いだろ?」
冗談めかして言う彼に、僕はつい必死に「そんなことはないです、
歴史や古いものが好きだから楽しいです」と言い募りました。
「そっかそっか。ごめんな~」
僕の様子が可笑しかったのか、彼は朗らかに笑って言いました。
明るくていい人みたい。僕はそう思ってさらにホッとしたのですが、
彼は不意に僕の背後の棚板に手を突き、距離をひどく縮めました。
……これはいわゆる『壁ドン』というものでは…?
突然の事に僕が呆然としていると、彼は綺麗に整った顔でこちらを見下ろして言いました。
「…君、可愛いね」
甘い声で囁かれた言葉の意味を僕の頭が理解するまで、随分時間が掛かった気がします…。
「彼女いるの?」
ぶんぶんと首を横に振って答えると、彼の口の端が僅かに上がりました。
「じゃあ彼氏は?」
ひそやかな声でそう問われた瞬間、なぜか脳裏にエイデンさんの顔が浮かんで、
自分の顔がひどく熱くなるのを感じました。
日頃蓋をしていた恋心がこんな時に顔を出し、僕は羞恥と自己嫌悪で泣きたくなりました。
その様子に、彼の表情が心配そうに曇りました。
「ジュナイ、どうかしたのか」
聞きなれた声に顔を上げると、店の奥からエイデンさんが出て来ました。
作業着姿なので、買い取った不用品の修理をしてたのかもしれません…。
エイデンさん、と呼んだ僕はどんなに情けない顔をしていたのでしょうか。
「セリオンくん?」
僕に気づいたエイデンさんは驚いていました。
エイデンさんはギロッと男性を睨みました。
『ジュナイ』というのが彼の名前なのでしょう。
「失礼な真似をしなかっただろうな」
穏やかなエイデンさんにしては厳しい物言いでしたが、
『ジュナイ』さんはまるで怯む様子もなく
「退屈だったから、世間話してただけだよ」と言いました。世間話…。
「そうなのか?セリオンくん」
打って代わって優しく気遣ってくれるエイデンさんに、僕は首を縦に振りました。
そうか、と僕をじっと見たあと、エイデンさんは『ジュナイ』さんに
「これを洋品店の奥さんに返して来てくれ」と、小さな紙片を手渡しました。
…切符のようにも見えます。なんだろう。
「何だこれ」
「買い取った鞄に入っていた。昔の切符のようだ」
「捨てれば?こんなの」
「そうはいかん。記念の品かもしれないからな」
「ふーん…分かった」
ジュナイさんはそれ以上何も聞かず、そのまま店から出ようとしましたが、
何を思ったのか、僕のところに引き返して来ました。
なんだろうとおどおどしていると、ジュナイさんは苦笑いをして言いました。
「…さっきは、ごめんな」
「え?」
「からかった事だよ」
ジュナイさんは今度は穏やかに微笑むと僕の頭を撫で、
今度こそ店を出て行きました。
しなやかな足取りで歩く彼の後ろを美しい黒猫が影のように従うのが見え、
とても絵になる風景だと思いました。
「セリオンくん、すまなかった」
エイデンさんが言いました。
「彼はこの店の新しい店員なんだが、悪い奴ではないんだ。
出来れば、許してやって欲しい」
そう言って頭を下げるエイデンさんに、僕はわたわたと慌てて
大丈夫です、気にしてません、と答えると、ようやくほっとした顔を見せてくれた。
そうか…新しい店員さんなのか…。悪い人ではなさそうだけど、なんだろう…
この胸がざわざわと騒いで、落ち着かない感じは…。
そんな思いはおくびにも出さず、その後は無事エイデンさんに貸す予定だった本を渡し、
いつものように楽しく歴史の話をして、和やかに別れた。
…しかし帰路の僕の心中は、正直複雑だった。
『さっきはごめんな』
そう言って僕を見るジュナイさんの目が、どうにも頭から離れなかった。
とは言え、悪意や侮辱を感じた訳ではない。
ただ、彼の赤みの強い眼に、心の奥底まで見抜かれた気がした。
僕が蓋をして隠しているエイデンさんへの恋心を、
あの人に、見つけられてしまったのではないか。
ジュナイさんがどんな人なのか、僕はまだよく知らない。
もし彼が、エイデンさんに話してしまったら…?
エイデンさんと、今までのように話せなくなってしまうのだろうか。
嫌だ。
嫌だ。
どうしよう。
どうしよう。
胸の中にドロドロとした熱が溜まってゆく。
このままでは『彼』が起きてしまう。
…怖がるな、
何も心配はない。
今の不安は単なる取り越し苦労だ。
まだ何の確証もない。
大丈夫…
大丈夫だ。
それに、いざとなったら俺がお前の『敵』を排除してやる。
お前には俺がついている。
何も思い悩む必要はないんだ、セリオン。
俺は…カイロス・ハルバードは
お前を守る為だけに生まれたのだから。
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