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039 手紙①【エイデン】
しおりを挟む「エイデンさんが、初めて人を殺したのは何歳の時?」
とある夜の行為の後、ジュナイは気だるげに問うた。
『グラディウス』本部での一件以来、元の平穏な日常が戻って来た。
以前と違うのは、セックスが終わった後も、ジュナイがこうして隣にいる事くらいだ。
以前は終わるとさっさと自室に帰ってしまうのが常だった。
傍目から見れば大層な出来事が起きた後であっても、
ジュナイと俺の関係は相変わらずで、急速に距離が縮まったという事は特に無い。
ただこのように、以前とまったく変わりがない訳でもないのだった。
「…十五歳だ」
そう答えると、ジュナイはぽつりと十五、と呟いた。そしてそれきり、何も言わなかった。
…確かに、返事のしようが無いだろうと思う。
世間一般ではまだまだ子供の枠に仕分けられる年頃に、俺はその手を血で汚していた。
罪悪感は無かった。
ただ、父と同じ世界で生きられる。その試験に合格した事が嬉しかった。
どう考えても、異常だろう。
言わなければ良かったのだろうかとも思いはしたが、黙っていてはジュナイを騙すことになる。
惚れた相手に、そのような仁義にもとる行為は許されない。
暫しの沈黙のあと、ジュナイはやはり何も言わず、なめらかな肌を寄せてきた。
猫のように。栗色の髪が頬に触れる。
「俺が初めて体を売ったのは、十二の時だったよ」
淡い色の唇から、ぽつりとそんな言葉が零れる。
「金になるって知ったのが、その歳だった」
もっと早く知っていたら、その時売っていたのに。言外の声がそう言っていた。
「…俺を、汚いと思う?」
高価な洋酒のような赤色を湛えた瞳が、そっと伏せられる。
「思う訳がない」
そう答えると、ジュナイは俺の首筋から頬を離し、こちらをじっと見つめた。
そしてふわりと柔らかく微笑んだ。
常とは違う蕾の綻ぶような笑みに、俺は為すすべもなく心臓を掴まれた。
「俺らって、割とお似合いだったんだね」
「そうだろうか」
「そうだよ…淫売と人殺しだもの」
耳朶をくすぐる声に堪らなくなり、俺は腕を伸べ、寄り添う身体を抱き締めた。
…ジュナイは優しい男だ。
その優しさゆえに、傷ついている者を慰め助けずにはいられない。
ただその優しさと献身が、決して彼自身には向けられない事が悲しかった。
***
冬も終わろうという時期なのに、どことなく肌寒いある日。
俺はいつものように店を開けていた。ジュナイは夕飯の買い物に出たばかりで、
リュウは店先で置物のように座り、道行く人々に可愛い可愛いとちやほやされていた。
そこに、一人の青年が訪れた。
…見た目だけでは青年というよりも『少女』と言った方が正しいのかも知れない。
丸っこいおかっぱ頭に髪を切り揃えた小柄な彼は
『ロビン・クレランス』と名乗った。
彼は人を探しているのだと言い、一枚の魔石写真を差し出した。
その写真に写っていたのは二人の男で、一人には見覚えがあった。
二年ほど前の写真との事だが、仕立てのよい衣服に身を包み
髪を今よりも短くさっぱりと整えた彼は、間違いなくジュナイだった。
「この人なんですが…お名前はジュナイ・サザランドさんといいます。
…僕の大切なお友達の、お兄さんです」
もう一人の男には見覚えがなかったが、思わずその美しさに目を奪われた。
繊細な彫刻めいた顔立ちに、長くつややかな黒髪。
寝間着から覗く肌は人形のように白い。
瞳は宝石の青で、どこかうちの『リュウ』に似ていたが…
何と言うか、全体的に神懸かった美貌としか形容のしようが無い。
この人が君の友達かとロビンくんに問うと、彼は首を縦に振った。
「綺麗な人でしょう?リュウ・アーヴァインさんと言うんです
…もう一年も前に亡くなってしまったんですが…」
元々は内気な性分なのだろう。
しかし友人のためにと頑張って話すロビンくんは、どことなく
この店の常連のセリオンくんと重なるところがあった。
親近感を抱いた俺は、詳しく話を聞こうとロビンくんに椅子を勧めた。
ロビンくんは恐縮しながら椅子に腰掛け、
ジュナイとその『弟』の事を丁寧に話し始めた。
勝手に聞いてしまって良いのかと思う気持ちもあったが、
惚れた相手のことを知りたいという、月並みな欲求に勝てない自分に飽きれた。
…ロビンくんの話は、ひどく悲しいものだった。
話すうちに当時を思い出したのか、
ロビンくんは何度も溢れる涙をハンカチで拭っていた。
俺は涙こそ出なかった、心臓が引き絞られるように痛んだ。
同時に、ジュナイを苦しめているものの正体を
ようやく知る事が出来た安堵もあった。
心身を削るようにしてまで救いたかった弟を、救えなかった。
それがジュナイを、どこか自暴自棄にさせている原因だったのか…。
ジュナイの抱く絶望や無力感がどれほどのものなのか、
俺には想像もつかない。
…元より、殺しを生業としていた俺に、
人を慰め救って来たジュナイの気持ちなど
真に理解出来る日など来ないのだろうが…。
そんな事を考えていた俺は、ひどく険しい顔をしていたらしく、
ジュナイと会わせる事を渋っていると思ったのだろう。
おとなしかったロビンくんはジュナイに会わせて欲しいと強く願い出て、
仕舞いには
『ジュナイさんに読んでいただけないのなら…一生ここを動きません!』
とまで言った。
ロビンくんが行方不明のジュナイを捜し回ってまで訪ねて来たのは、
弟である『リュウ・アーヴァインさん』から預かった
手紙を渡したいがためだった。
俺がジュナイは買い物に出ていて、帰って来たら好きに会っていいと慌てて言うと、
ようやくロビンくんは落ち着いてくれた。
氷室から飲料水を取り出し、コップに注いでロビンくんに渡すと
彼はやはり恐縮しながらそれを飲んだ。そして出し抜けに言った。
「あの…ところで、エイデンさんはジュナイさんと、
どのような関係でいらっしゃるんですか?」
どのような関係…そう言われてみれば、どのような関係なんだろう。
友人ほど浅くはない。恋人ほど甘くもない。
一番しっくり来る言葉を、
『グラディウス』にリュウと討ち入る時に見つけた筈だったが…。
それが思い出せずに黙っていると、
ロビンくんに「だ、大丈夫ですか?」と顔が赤いことをしきりに心配された。
…自分がどんな顔をしていたのか知りたくはない。
***
暫くすると、ジュナイが帰って来た。
「ん?お客さん?」
常と変わらず気さくに応じるジュナイに、ロビンくんはおずおずと近寄り話し掛けた。
ロビン君の話す事の仔細が飲み込むと、ジュナイはひどく真剣な顔をした。
「…エイデンさん、奥の部屋借りていいか」
「ああ、構わない」
「悪い。ちょっとロビンくんと二人で話したいから…」
俺が頷くと、ジュナイはロビンくんを伴って店の奥から一階に上がり
奥の間まで進んでフスマ(紙を張った東洋のドア)を閉めた。
店の中が急に静かになった気がした。
するすると影が地面を流れるように、店頭にいたリュウが歩み寄る。
リュウを抱き上げて店の外に目を遣ると、すでに景色が薄青く染まっていた。
もう店を閉めてしまおうかとも思ったが、なんとなく億劫で
黒い毛並みを撫でながら、ロビンくんとジュナイの話が終わるのを待った。
***
「あの、お邪魔しました」
それから三十分ほど後、ロビンくんが戻って来た。
もういいのかと問うと「はい」としっかりとした返事が返ってくる。
内気そうなロビンくんの顔は少し不安げながらも、どこかすっきりとしていた。
「ジュナイはまだ奥に?」
「…はい。今、手紙を読んでいただいてます」
「そうか…」
「あの、エイデンさん」
ロビンくんは俺を見上げ、まっすぐな目で言った。
「僕はあの手紙に、何が書かれているのか知らないんですが…」
「うん」
「内容に関係なく、ジュナイさんにはつらい事だと思うんです」
「…そうだな」
「どうか、ジュナイさんを支えてあげてください…」
お願いします。そう言ってロビンくんは頭を下げた。
大切な友人たっての願いだからと必死でジュナイを捜し、手紙を渡したものの、
それがジュナイをひどく傷つけることになるのかも知れない。
ロビンくんはそれを心配し、自分のした事に心を痛めているのだろう。
優しい人だと思った。
「大丈夫だ」
「……」
「ジュナイは、俺の家族だから」
そう言うと、ロビンくんはほっとしたように微笑んだ。
足元でにゃあとリュウが鳴き、ロビンくんの足に擦り寄ると、
彼は身を屈めて嬉しそうにリュウを撫でた。
俺はその光景を眺めながら、たった今ごく自然に
自分の口から零れた言葉について思った。
家族。
ジュナイは俺にとって何なのか、それが一番しっくり来る答えだ。
ロビンくんは丁寧にお辞儀をして去って言った。
店の前に出て見送ると、彼は何度も振り返り手を振ってくれた。
またいつか、遊びに来てくれるといいが。
***
それからさらに三十分経ったが、ジュナイは部屋から出て来なかった。
店を閉め、台所に向かう。
ジュナイが買ってきた食材がテーブルに置かれたままになっていたので、
食糧庫と氷室に仕舞った。
幸い生ものが悪くなったりはしていなかった。
魔石板をつけていないので、ひどく静かだ。
窓の網戸越しに近所の生活音が聞こえる。
台所の床で、リュウが黒い尻尾をふさふさと振った。
さすがに心配になり、奥の部屋のフスマ越しにジュナイを呼んだ。
返事はない。物音ひとつしない。
「開けるぞ」
そう言ってドアを開けると、部屋は夕闇に沈んでいた。
カーテンとガラス戸が開け放たれていて、裏庭に続くエンガワが見える。
そこにひとり腰掛けるジュナイの後ろ姿が見え、ほっとした。
タタミを踏み締めて部屋を横切り、エンガワに出る。
そしてジュナイの隣に腰掛けた。
見ると、ジュナイの手の中には件の手紙が広げてあった。
「…読んだのか」
「……」
ジュナイはうつむいたまま、無言で頷いた。無心な横顔に薄暗闇の紫色が滲む。
暫しの沈黙のあと、ジュナイがぽつりと名を呼んだ。
「…エイデンさん」
「ん?」
「なんか…変なんだよ」
「…変?」
聞き返すと、ジュナイは小さく頷いた。
続く声は淡々としているが、終わりが少し掠れている。
「…何も、感じない」
「……」
「頭がおかしくなったのかな…」
ジュナイは一粒の涙も零してはいなかったが、
今の彼の姿は、いっそ泣き崩れているよりも痛ましく見えた。
「…その手紙」
「……」
「俺にも、読ませてくれないか」
少しの間、ジュナイは物言わず俯いたままだった。
しかしやがて、手紙をこちらに寄越した。
クリーム色の便箋は、ごくありふれた物だ。
俺は三つに折られたそれを開き、
彼の弟が人生最後にしたためたという文章を読んだ。
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