アネンサードの人々

buchi

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サジシーム

第139話 奴隷兵の長、セルジュの首

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 サジシームとマシムは、深刻な表情を浮かべて、陣営へ戻っていった。

 彼らは、王宮の南側にある、大きな建物を借り切っていて、その周りには大勢のロンゴバルト兵がテントを張り宿営していた。

 彼らは、メフメトの遺体を馬車ごと建物内へ引きいれた。

 そして厳重に鍵をかけると、ふたりは顔を見合わせて声なく大笑いした。


「これが天啓と言うものか」

 メフメトは、彼らの目の上の瘤だった。
 その瘤が、今、消え去ったのだ。

「だが、ロンゴバルトの本国にはまだ内緒だ。明日は王宮へ出かけ、相続人は私だと名乗りを上げよう」

 マシムが心底嬉しそうだった。

「ダリアの王家の所領の名義人におなり遊ばすのですね?」

「そうだ。だが、まだだ。まだ、ただの名義人に過ぎない。徐々に少しずつ力を伸ばし、やがて押しも押されぬ本当の実力者になって、この国とロンゴバルトを支配するのだ」

「首長たちは大勢おりますし、メフメト様のお従兄弟様や、弟君、ご子息様も大勢いますが……」

「私に敵う者はいない」

 だが、その時、顔色を変えたロンゴバルト兵が走ってきた。

「サジシーム様!」

「なんだ。おお、忘れていた。レイビック伯の首だな」

「遣わしたセルジュが戻ってきたのでしょう」

 二人は嬉しそうに兵を迎えた。何もかもが思い通りに進んだのだ。

 ロンゴバルト兵は血のにじんだ袋を持ってきていた。


「どんな具合だった? そして、二人の女性たちは? そちらは丁重にご案内しろといったはずだが」

「それが……セルジュの帰りが遅いので……」

「ああ、それは仕方ない。王宮での夜会が長引いたのだ。レイビック伯の一家も相当遅くなってから、宿に戻ったろう。砦の方に戻りたかったろうが、時間的に難しいので、近場に宿を取ったと聞いた。砦に戻るようなら、道中で襲うつもりだった」

「そうではございません。それはわかっておりましたが、セルジュから連絡が来ないので、見に参りましたところ……」

 彼は手にした袋の口を開いた。中から茶色のくせ毛が見えていた。レイビック伯のさらりとした黒髪ではない。
 サジシームとマシムは言葉を失った。
 その血の気のない灰色の顔は見覚えがあった。セルジュの首だった。まだ、血が滴っている。

「セルジュ……」

 マシムがつぶやいた。
 サジシームは、セルジュの顔を見つめていた。

「宿に灯はなくて、戸が開いており、風にパタンパタンと揺れていました。もう、みんな終わって出た後か、自分も戻ろうと思いましたが、なんとなく戸が開けっ放しなのが気になり、中をのぞいたところ……」

 使いのロンゴバルト兵は言葉に詰まったが、かろうじて続きをしゃべった。

「ドアを入った正面に机が据えられていて、ローソクが1本灯されていました。その横に首が置いてございました。セルジュの首が……」

 彼らは絶句した。わざわざ、セルジュの首だとすぐにわかるように机を正面に据えて、ローソクを点けたのか。
 暗闇の中にぼんやり照らされている血の滴る首を思うと背筋が総毛だった。

「セルジュが指揮官だとわかったのでしょう、それで目立つように彼の首を机に置いたのでしょう。我に返って足元を見ると、床は血の跡がいっぱいでした。多分、全員殺されたのではないかと思います。」

「悪趣味だ」

 サジシームはつぶやいた。

「私は、王宮の警備の者のふりをして、射手を配置した隣の宿の亭主をたたき起こしました。皆、迷惑そうでしたが、状況を話すと、大慌てで、灯りを付け、付近一帯は大騒ぎになってしまいました。でも、都合よく、この騒ぎで五人の射手の泊まっていた宿の主人が全員起きてきたので、射手の様子を訪ねたのですが、誰もいませんでした。どこかへ行ってしまったのです」

「どういうことだ? 騙されてどこかへ連れ出されたのだろうか。どこへ消えたのだ?」

「わかりません。近所の連中も、手に手に明かりを持ってやって来たので、宿の中の様子が良く分かるようになりました。私一人では、こんな月のない晩に、宿の中を見て歩く度胸はございません。ましてや、仲間の死体でございます。見に入った連中の話によりますと、争った形跡は一階だけで、二階はきれいなままだったそうです。死体の数は約十人ほどで……」

「十人?」

「少ない。残りはどこへ行ったのだろう?」

「わかりません」

 サジシームは、思い出していた。

 以前、王太子の結婚式の日、レイビック辺境伯の城を襲撃しに行ったことがあった。

「おかしい」

 その時も、百人ものロンゴバルトの精鋭を派遣したのだ。指揮官はギャバジドだった。あれ以来、彼の消息を聞いたことはなかった。

 同じだ。全く同じ。

 みんな消え去ってしまった。

 ギャバジドの首印も、どこかに置いてあったのだろうか……


 不気味すぎる。

 メフメトが彼に無理に読ませた魔王の伝説が頭をよぎった。

 細かいところはもう忘れてしまった。だが、何か超人的で恐ろしい存在が、この世に存在していた話だった。
 いやいや、あれは伝説で嘘っぱちだ。

「アネンサードの魔王でございましょうか」

 不安そうに兵が尋ねた。

 狂ったように、サジシームとマシムが、兵を振り返ってみた。

「アネンサードの魔王?」

 二人は同時に叫んだ。
 サジシームは不安げに、マシムは叱責するような口振りで。

 サジシームはマシムの口ぶりに驚いて、マシムの顔を見た。

「そのような不吉な名を出すではない」

 マシムは怒鳴った。

 兵は小さくなった。

「申し訳ございません……あまりの不思議さ、不気味さに……」

「よいから下がれ。セルジュの首は、持って行け。そして、今宵の五十名の兵士がどこかに消えてしまった話は、決して口外するな。わかったな」

「はい」

 サジシームは、マシムを見つめていた。

「アネンサードとは?」

 マシムはイライラした様子だった。

「サジシーム様、それは下々の者が怖れ、口伝えで広がっている嘘話でございます」

「なぜ、私は知らないのだ?」

「それは、下賤の者が子供を叱るときに使うからでございます。メフメト様やサジシーム様のような名家では、そんな名前を持ち出して子供を叱ったりすることはございませんから、それでご存じないのでしょう」

「私は、メフメトにここへ来る前に、老師から借りた宗教の教えの本を無理に読まされたのだ。その中に魔王の話が出てきて……」

「サジシーム様まで、何をおっしゃることやら。あんなものは嘘っぱちです」

「アネンサードと言うのか?」

「アネンサードと言う魔王の種族の名前でございますよ。もっとも、ダリアでは禁句だそうでございますが」

「禁句? なぜ?」

「知りません。きっとばかばかしいので誰も口にしないのでございましょう」

 マシムは叩きつけるように言った。

 その口ぶりを聞いてサジシームは初めて気が付いた。マシムは怖いのだ。知らなかった。マシムまでこんな迷信のような話を信じているのだ。

「そんなことより、もっと大事なことがございます。明日は、ダリアの王宮へ行って、メフメト様の相続人を宣言して、それから、レイビック伯爵の消息を確認いたしましょう。ルシア様の消息も」



 ルシア!
 サジシームははっとした。
 彼女と話せたのは、一時だったが、彼女を困らせることに成功したのだ。

 また、手に入れることができなかった。今宵はあれほど身近にいたのに。
 そして、今晩こそは、彼女の手を取ることができるはずだったのだ。フリースラントを殺して。

「きっと、さぞ泣くだろうが」

 自分が原因で泣かせると思うとゾクゾクした。彼女の心に自分が作用するのだ。
 そうだ。彼女はフリースラントを頼り切り、愛してはいても、恋焦がれてはいないのだ。
 大丈夫。忘れさせる。
 忘れられなくても、そんなことはどうでもいい。死人はなにもできない。彼女は彼を拒めない。

 それなのに、二度目だ、これで。
 するりと手のうちから抜けて行ってしまう。


「サジシーム様、余計なことを考えないで、よく休んでくださいまし」

 マシムが灯りを消しに来た。

「明日は、王宮に参りましょう」


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