アネンサードの人々

buchi

文字の大きさ
141 / 185
サジシーム

第141話 奇妙な伝説「アネンサード」

しおりを挟む
「それで、メフメト殿が亡くなられたので、新たな混乱が起きる心配が出てきました」

 王と王妃だけになると、サジシームはそう言って一枚の紙を取り出した。

「こちらに御署名くだされ」

 それは昨日署名した、王権所領移譲証書を同じものだった。
 ただし、移譲を受ける者の名前はサジシームになっていた。

「私が法定相続人なのです」

 サジシームは説明した。

「ダリア王家に認めていただければ、メフメト様の近親者と争いにならないで済みます。ダリアのことをよく知らないロンゴバルト人に、王太子様のことがばれて、口出しされるのは心配です」

 王と王妃に否も応もなかった。彼らには息子の安否しか、頭に入っていなかった。
 彼らは大急ぎで署名し、息子のことをくれぐれも頼んだ。

「これさえいただければ、王太子殿下は早めに解放されましょう。ですが……」

 彼は、部屋の窓の外に広がる丘を指した。

「王様、王妃様、あの丘の上には、レイビック伯の軍隊が私を狙っている」

「え?」

 あわてて二人は、窓のそばに駆け寄った。
 よく見ると、確かに丘の上には細かいゴミのように見える黒いものが動いていた。

「ロンゴバルトを狙っているのです。私は早く帰りたい。でないと、メフメト様のご遺体が腐ってしまう。傷の有無が確認できず、ダリアが殺したことになる。王太子ご夫妻が危険です」

「急いで、あれを止めさせなければ」

「誰か、誰かある。使者を出してレイビック伯を止めるのだ」

 衛士たちが大声に反応してばらばらとやって来た。

「何事でございますか?」

「レイビック伯を止めるのだ。ロンゴバルトのサジシーム殿を狙っておる。失礼にもほどがある」

 王はバタバタと数人の使いに指示を出しており、王妃は窓の外の兵たちの姿をじりじりしながら見守っていた。

「無事にできるだけ早くロンゴバルトへ帰れれば、それで結構でございます。……ところで、王妃様」

 部屋に残っていたのは、サジシームと王妃だけだった。

「使者たちがあそこに着くまで、ほんの少し時間がございます。少しばかり王妃様に申し上げたいごとがございます」

 王妃は、サジシームの静かな語りに驚いて耳をそばだてた。今は火急の時で、王も王妃も家来たちも、キンキン声でしゃべっていたからだ。

「わたくしは、ダリアに来て初めて、ダリアの教会の本とやらを拝見しました」

 全く関係ない話を振られて、王妃は、少し驚いてサジシームの顔を見た。

「教会の本?」

「そう。初めて読みました。レイビックに魔王が棲むと言う話を」

 王妃は元々、この世ならぬものに不安を感じるたちだった。宗教にはまってしまったり、妙な祈祷を信じたり、訳の分からない木の札に大枚を払ったりしていた。
 たいていの人なら忘れてしまっているはずの、奇妙な、この世のものと思えない話は彼女の脳裏に深く刻まれていた。

「でも、それは伝説ですわ。それに魔王ではなかった。ええと……」

「異人種」

「そう、そんな話でした」

「ところで、その同じ話が、ロンゴバルトの宗教書にも伝えられていたのです。全く同じ話が……」

「え?」

「同じ。場所の名前もレイバイクなら、北の国だということも一緒。それから、金が産出される土地だということも全く一緒です」

「レイバイク? あ……」

「そう。現在、レイビックと呼ばれている、その場所ではないかと思ったのです」

「でも、それが何だと言うのですか?」

「ほら、あの丘の上……」

 サジシームは指さした。

「レイビック伯がいる。彼は、突然やって来た。いきなり、金を掘り当て、大変な金持ちになった。彼が狙っているのは、私なのでしょうか?」

「ど……どういうことです?」

「彼は、人間離れした力の持ち主だ。異様な美貌で。体も並外れて大きい。まるで、人ではないようだ」

 王妃はそんなことは考えたことがなかった。だが、神秘的な事柄におびえるたちの彼女は、その言葉に恐怖を感じた。レイビック伯が、まさか……ヒトではないと?

「おかしいと思いませんか? いまだにルシア妃と結婚しない。結婚できない理由があるのかもしれません」

「どんな理由?」

「異人種だから」

「……わからないわ……」

「異人種なので、人と結合できない。なぜなら、結合した人間の女たちはみんな死んでしまうから。一度、教会の本をお読みください。大昔から伝えられた真実なのかも知れないと思いませんか?」

「……まさか……そんなこと……」

「二つの全くつながりのない国の、全然異なる宗教に、同じ話が伝えられている。賢明なる王妃様はどうお考えでございましょう。そして、夕べのメフメト様の突然死。どこかに死神がいて、彼にそっと触れたかのような……」

「止めて! こわいわ」

「事実かもしれないと言っているのです。レイビック伯は、アネンサードの魔王なのかもしれない」

 聞き慣れない単語に王妃は戸惑った。……そして、不安になった。

「アネンサード? それは……いったい何なのですか?」

「ロンゴバルトに伝わる伝説です。人間でない生き物の恐ろしい物話。闇の中を動き、人を襲い魂を奪う。大昔に人によって滅ぼされたことになっていた。だが、あそこにいる人物は……」

 彼は丘の上を指した。

「そっくりだ。その伝説に。あなた方も狙われているのかもしれない」

 王妃は口を開けたまま、憑かれたように、丘の上を必死に凝視した。サジシームは恐怖におびえたその顔を醜いと思った。そして内心ニヤリとした。



「おおーい。伝令を走らせた。大丈夫だ。安心して帰られよ」

 王が汗だくになって戻ってきた。

 サジシームはにっこりした。王妃は不安定な人物だ。十分に不安を植え付けた。後は自分で調べるなり、話を聞くなりして、恐怖と不信を高めていくだろう。

 この国で、もっとも怖い人物は、レイビック伯爵だった。
 だが、これで王家は彼を信用しなくなるだろう。

「かたじけない。それでは、お暇致しまする」




 レイビック伯爵を始めとした編成軍は、王からの解散命令に、みんな拍子抜けした。
 と、同時に王に腹を立てた。

 わざわざ使者をよこして、撤退する敵軍を攻撃するなとは何事だろう。

「自分ではなにも出来んくせに、なんという言い草」

「ロンゴバルトの精鋭を潰すチャンスだったのに。今後、また攻め入られたら、どうするのだ。無責任な」

「王太子の命しか、頭の中に入っとらんのだ。今後も無抵抗で、国土を蹂躙されるかもしれない」

 レイビック伯爵は、腕を組み、考え込んでいた。

「明らかにサジシームの差し金だな。ロンゴバルトは軍隊を温存したいということか」

「まあ、そうでしょうな。それに奥に入り込み過ぎている。本気でぶち当たれば、ロンゴバルト軍は壊滅の危険もある」

 誰かがため息をついた。

「しかし、それをやると王太子はダリアに帰れないでしょう。もしかすると一生」

「ううむ」


 彼らは目前を撤退するロンゴバルト軍を目で追った。
 先頭を大型の馬車が走っていた。そしてそれを追うように軍勢は進んでいた。

「メフメトの棺か」
「多分」

 それでもいいことはあった。
 レイビック伯を中心とした集まりは、互いに結束し、演習を行ったようなものだった。


 砦を撤退する前に、僧服を着た人物が二人、馬車で駆け付けてきた。

「ロドリック! フリースラント!」
 それはベルブルグの副院長と、彼が連れてきたカプトルの大修道院の副院長だった。
 
「おそろしいことになったものだ。万一を考えて、我々もお力添えをさせていただく」

「坊さんがか? 鐘でも叩くのか?」

 ベルブルグの副院長が、無礼な軽口をたたくゼンダの領主をにらみつけた。

「前身が騎士の修道士も多いのじゃ。だが、戦闘に参加させるのは本意ではない。我々が担当するのは、輸送と補給じゃ」

 カプトルの副修道院長は、背が低く、小太りで、戦闘には全く不向きそうだったが、説明は極めて明快だった。

「つまり、津々浦々に修道院はある。ロンゴバルトの宗教は我々とは相いれない。とにかく、連中は、我々の顔さえ見ると、粛清にかかるのでな。とてもつきあえん」

「だから、輸送と補給については、繋がりの強い修道院を大いにあてにしてもらおうと」

「俺は教会と修道院は業突く張りの商売人だとばっかり思っていたよ」

ゼンダの領主がからかった。

「何を失礼な。業突く張りではない。立派に商売人として通用する、物わかりのいい修道院ばかりじゃ。でなくて、どうやって、あれだけの数の修道士を食わせて修行に専念させることができると言うのじゃ」

「なるほどね」

 ゼンダの領主はからかうような態度だったが、その場にいた貴族たち全員が修道院とは多少なりとも付き合いがあった。
 当然である。領地で採れた穀物や畜産品などは商人に売られることもあったが、修道院に売られたり、修道院から物を買うことだってあった。

「私の城の近くの修道院は、しょっちゅう寄付のお願いに来るのだが」
 ラトマン殿がからかうような口調で口をはさんだが、ロドリックが言った。

「いずれも大修道院だ。ぜひ、お力をお借りしよう。我々は貴族全体ではない。手の届かない地方も多い。そして、南の地方は、今もまだ、ロンゴバルトの脅威にさらされている」


 彼らは一旦、布陣を解き、それぞれの領地に戻ることになった。

「そんなに長くこの状態は保たないと思っている」

 彼は言った。

 砦から最後に出るのはレイビック伯爵と決まった。最大人数だったからだ。ゼンダの領主は、レイビック伯爵の城に招待された。今後を一緒に検討したいとレイビック伯が希望したからだ。


 砦を発ち、レイビックを目指す日の前の晩、テンセスト女伯は、フリースラントとロドリックを集めた。それまで、どうしても三人きりになることができなかったからだ。

「どうして、フリースラントばかりが狙われたか、理由があるのです」


しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

完結 シシルナ島物語 少年薬師ノルド/ 荷運び人ノルド 蠱惑の魔剣

織部
ファンタジー
 ノルドは、古き風の島、正式名称シシルナ・アエリア・エルダで育った。母セラと二人きりで暮らし。  背は低く猫背で、隻眼で、両手は動くものの、左腕は上がらず、左足もほとんど動かない、生まれつき障害を抱えていた。  母セラもまた、頭に毒薬を浴びたような痣がある。彼女はスカーフで頭を覆い、人目を避けてひっそりと暮らしていた。  セラ親子がシシルナ島に渡ってきたのは、ノルドがわずか2歳の時だった。  彼の中で最も古い記憶。船のデッキで、母セラに抱かれながら、この新たな島がゆっくりと近づいてくるのを見つめた瞬間だ。  セラの腕の中で、ぽつりと一言、彼がつぶやく。 「セラ、ウミ」 「ええ、そうよ。海」 ノルドの成長譚と冒険譚の物語が開幕します! カクヨム様 小説家になろう様でも掲載しております。

【完結】断頭台で処刑された悪役王妃の生き直し

有栖多于佳
恋愛
近代ヨーロッパの、ようなある大陸のある帝国王女の物語。 30才で断頭台にかけられた王妃が、次の瞬間3才の自分に戻った。 1度目の世界では盲目的に母を立派な女帝だと思っていたが、よくよく思い起こせば、兄妹間で格差をつけて、お気に入りの子だけ依怙贔屓する毒親だと気づいた。 だいたい帝国は男子継承と決まっていたのをねじ曲げて強欲にも女帝になり、初恋の父との恋も成就させた結果、継承戦争起こし帝国は二つに割ってしまう。王配になった父は人の良いだけで頼りなく、全く人を見る目のないので軍の幹部に登用した者は役に立たない。 そんな両親と早い段階で決別し今度こそ幸せな人生を過ごすのだと、決意を胸に生き直すマリアンナ。 史実に良く似た出来事もあるかもしれませんが、この物語はフィクションです。 世界史の人物と同名が出てきますが、別人です。 全くのフィクションですので、歴史考察はありません。 *あくまでも異世界ヒューマンドラマであり、恋愛あり、残業ありの娯楽小説です。

【完結】World cuisine おいしい世界~ほのぼの系ではありません。恋愛×調合×料理

SAI
ファンタジー
魔法が当たり前に存在する世界で17歳の美少女ライファは最低ランクの魔力しか持っていない。夢で見たレシピを再現するため、魔女の家で暮らしながら料理を作る日々を過ごしていた。  低い魔力でありながら神からの贈り物とされるスキルを持つが故、国を揺るがす大きな渦に巻き込まれてゆく。 恋愛×料理×調合

アイムキャット❕~異世界キャット驚く漫遊記~

ma-no
ファンタジー
 神様のミスで森に住む猫に転生させられた元人間。猫として第二の人生を歩むがこの世界は何かがおかしい。引っ掛かりはあるものの、猫家族と楽しく過ごしていた主人公は、ミスに気付いた神様に詫びの品を受け取る。  その品とは、全世界で使われた魔法が載っている魔法書。元人間の性からか、魔法書で変身魔法を探した主人公は、立って歩く猫へと変身する。  世界でただ一匹の歩く猫は、人間の住む街に行けば騒動勃発。  そして何故かハンターになって、王様に即位!?  この物語りは、歩く猫となった主人公がやらかしながら異世界を自由気ままに生きるドタバタコメディである。 注:イラストはイメージであって、登場猫物と異なります。   R指定は念の為です。   登場人物紹介は「11、15、19章」の手前にあります。   「小説家になろう」「カクヨム」にて、同時掲載しております。   一番最後にも登場人物紹介がありますので、途中でキャラを忘れている方はそちらをお読みください。

【完結】ご都合主義で生きてます。-ストレージは最強の防御魔法。生活魔法を工夫し創生魔法で乗り切る-

ジェルミ
ファンタジー
鑑定サーチ?ストレージで防御?生活魔法を工夫し最強に!! 28歳でこの世を去った佐藤は、異世界の女神により転移を誘われる。 しかし授かったのは鑑定や生活魔法など戦闘向きではなかった。 しかし生きていくために生活魔法を組合せ、工夫を重ね創生魔法に進化させ成り上がっていく。 え、鑑定サーチてなに? ストレージで収納防御て? お馬鹿な男と、それを支えるヒロインになれない3人の女性達。 スキルを試行錯誤で工夫し、お馬鹿な男女が幸せを掴むまでを描く。 ※この作品は「ご都合主義で生きてます。商売の力で世界を変える」を、もしも冒険者だったら、として内容を大きく変えスキルも制限し一部文章を流用し前作を読まなくても楽しめるように書いています。 またカクヨム様にも掲載しております。

神々の愛し子って何したらいいの?とりあえずのんびり過ごします

夜明シスカ
ファンタジー
アリュールという世界の中にある一国。 アール国で国の端っこの海に面した田舎領地に神々の寵愛を受けし者として生を受けた子。 いわゆる"神々の愛し子"というもの。 神々の寵愛を受けているというからには、大事にしましょうね。 そういうことだ。 そう、大事にしていれば国も繁栄するだけ。 簡単でしょう? えぇ、なんなら周りも巻き込んでみーんな幸せになりませんか?? −−−−−− 新連載始まりました。 私としては初の挑戦になる内容のため、至らぬところもあると思いますが、温めで見守って下さいませ。 会話の「」前に人物の名称入れてみることにしました。 余計読みにくいかなぁ?と思いつつ。 会話がわからない!となるよりは・・ 試みですね。 誤字・脱字・文章修正 随時行います。 短編タグが長編に変更になることがございます。 *タイトルの「神々の寵愛者」→「神々の愛し子」に変更しました。

時き継幻想フララジカ

日奈 うさぎ
ファンタジー
少年はひたすら逃げた。突如変わり果てた街で、死を振り撒く異形から。そして逃げた先に待っていたのは絶望では無く、一振りの希望――魔剣――だった。 逃げた先で出会った大男からその希望を託された時、特別ではなかった少年の運命は世界の命運を懸ける程に大きくなっていく。 なれば〝ヒト〟よ知れ、少年の掴む世界の運命を。 銘無き少年は今より、現想神話を紡ぐ英雄とならん。 時き継幻想(ときつげんそう)フララジカ―――世界は緩やかに混ざり合う。 【概要】 主人公・藤咲勇が少女・田中茶奈と出会い、更に多くの人々とも心を交わして成長し、世界を救うまでに至る現代ファンタジー群像劇です。 現代を舞台にしながらも出てくる新しい現象や文化を彼等の目を通してご覧ください。

王子様と過ごした90日間。

秋野 林檎 
恋愛
男しか爵位を受け継げないために、侯爵令嬢のロザリーは、男と女の双子ということにして、一人二役をやってどうにか侯爵家を守っていた。18歳になり、騎士団に入隊しなければならなくなった時、憧れていた第二王子付きに任命されたが、だが第二王子は90日後・・隣国の王女と結婚する。 女として、密かに王子に恋をし…。男として、体を張って王子を守るロザリー。 そんなロザリーに王子は惹かれて行くが… 本篇、番外編(結婚までの7日間 Lucian & Rosalie)完結です。

処理中です...