月猫

波奈海月

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月夜のエトランゼ

3.

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「あなたって人は。僕、言いましたよね? 恩返しのために来たって」
「あ、ああ。でも俺はお前に餌やっただけだろ? そんなこと他にもしてるヤツはいたし……」
「でも、あなたは特別なんです。僕の命を助けてくれましたから」
「それ。それだよ。俺お前に何した? そんな、命助けた覚えねえぞ?」
「噴水に投げ込まれてしまったところを助けてくれました」
「噴水? って、あの公園のか?」
 レンは頷いた。
 さして大きくない公園だったが、中央に噴水があった。レンガを積んでこさえた外周の高さは六十センチほどで、その中ぐらいまで絶えず水が溜まっていた。
「投げ込まれたって、何でまた……」
「たちの悪い酔っぱらいに絡まれたんです。まったく油断しました。ただでさえ水は苦手だというのに。そこに通りかかったあなたが、あの不届きな人間を追い払い、溺れていた僕を助けてくれたんです」
「そりゃ水が得意な猫っていうの、あんまし聞かねえけどな。でもよ、お前そんな人の手につかまるほど、どんくさくねえだろ?」
 人に餌をもらっている公園猫でも、野良は野良。抱き上げようとしたOLをかわしながら餌を食み続けるところも見たことがあった。
「ええ、普段ならありえません。だから油断したんです。これは一生の不覚」
 そう言ってレンは思い出したのか、悔しそうに口元を震わせた。猫のときはそれほど分からなかったが、人の姿をしていると感情が結構分かるものなのだと思った。
「油断って何?」
「今夜は満月で、僕は月の光を浴びながら祈りを捧げていました。そのときの僕はちょっとトランス状態で無防備になっていたんです」
 月に祈り? 捧げる? 丈太郎は首を傾げる。
 いやいや、相手は猫。人間には分からない猫の世界の話だ。
「つまり? 月に祈ってたお前は、そのトランス状態? で、人が近づいても対処できなかったってこと?」
「ええ。いつもはもう一匹いて周囲を警戒してくれるんですが、今日はいなくて。ケンカなんかしなければよかった」
 さっさと仲直りしておけばよかった、とぼそぼそと小声でレンは続けた。
「ケンカねえ。猫もいろいろあんだな」
 聞きとめた丈太郎は、苦笑しつつ大きく頷く。猫もなかなか人間臭い社会なのかもしれない。
「笑わないでください。僕にとっては問題です」
「おっと悪い。その何だ、悪かったな」
 何が原因でケンカしたのか知らないが、そのせいで結果酔っぱらいにつかまって噴水に投げ込まれてしまったのだ。そういうことをする心ない人間など許せるものではない。
「丈太郎さん? ちょっと笑ったぐらいで、そんなに謝らないでください」
「いや、そのさ。お前を投げ込んだヤツさ。代わりに俺が謝っとくからさ。猫にそんなことをしでかすヤツはとんでもねえが、器の小せえヤツってことで勘弁してくれねえか」
 丈太郎がそう言うと、レンは複雑な顔をした。
「あなたって人は……まったく……」
 ずいっとレンが身を乗り出してきた。トランス状態でこそなかったが、油断していたのは丈太郎もだった。
「おわっ」
 いきなり目の前にきれいなレンの顔が迫る。途端に丈太郎の鼓動は速まった。
「だから僕は来たんです。助けてもらったお礼に、あなたの願いを、望みを叶えると。月はまだ天空で輝いていましたから」
「お礼ってな、お前……。悪いが俺には叶えて欲しい願いとか望みとかなんてねえよ」
「そういうわけにはいかないんです。ああ、どう言ったらいいんだろ」
 レンは、焦れたように自分の頭を掻き毟った。それを見た丈太郎の脳裏に、猫が後ろ脚で首を掻いている姿が浮かぶ。
「どうもこうもさ、まだよく分かってねえけど、その助けたって話も俺、記憶ねえんだわ。話からするに、今夜のことだよな」
 はい、とレンが頷いた。
「今夜は俺、いつも行く店で飲んで今帰ってきたところでさ。公園寄った覚えがねえのよ」
 酒をしこたま飲んで、帰ってきた。誰かと一緒だった気もするのだが、よく思い出せない。
「覚えがない?」
 レンが眉間に皺を寄せた。
「ああ、覚えがねえ。やっぱりさ、人違いじゃねえの? 猫が溺れてたら、他にも助けようとするヤツいるじゃね? ふつー……」
「普通はしません! みんな見て見ぬ振りです。まして酔っぱらいがそこにいるんです。関わりになりたくないと思うのが、普通です」
「でもよ、見て見ぬ振り、ってこたあねえだろ? いくら何でもさ」
 溺れていた猫をそのまま捨て置く、そんな世知辛い世だとは思いたくない。
「あなたぐらいです。酔狂にも自分の服が濡れるのも構わず噴水の中入って、掬い上げてくれるなんて。溺れてたのは猫ですよ? 人間じゃないんです」
「わ、分かった。お前の話は分かったから」
 レンの剣幕に、丈太郎は首を竦める。たかが猫一匹だと猫が自分で言っているのだ。そう思うと悲しくなった。
「で、お前は助けられた恩を返すために、人になって俺んちに来たってことだな?」
「はい。このままにはしない。僕はあなたを助けたい。だから……」
 レンは言葉を切った。唇を噛み、肩を震わせている。
「あなたの望みを叶えるんです」
 よほど思いつめているようだった。叶えるまではてこでも帰らないぞという決意さえ窺える。
「俺の望みを叶えるたってもよ。助けると言われても、だな。まあ、何だ。それじゃあ……」
「叶えるのは一つだけです。適当なことを言って茶を濁すようなまねはしないでください」
 半信半疑ながら、言いかけた丈太郎をレンが遮った。
「一つだけかよ!」
 丈太郎は、いつものくせでつい突っ込んでしまった。
「ふつー、三つとか四つとかじゃねえの? ランプの精だってもっと叶えてくれた気がするぞ」
「ランプは知りませんが、僕が叶えられるのは一つです。だから慎重に言ってください。後にも先にも望みを叶えられるのは一度切りなんですから」
「けどよ、考えてみたらどうやって叶えるつーんだよ」
 いったいどうやって叶える気なのだ。人の姿になったということは、ただの猫ではないにしろ。
「その辺は大丈夫ですからご心配なく。あなたは望みを叶えてくれと、願えばいいんです。心の底から、本心で」
「ご心配なくって言われてもな。なあ、何でもいいのか? 俺の望みなら」
「……そういうことなんですけど。できればあなた自身のことでお願いします」
「俺自身のこと?」
 さて困ったぞ、と丈太郎はレンを前にして腕組みをする。
 本当に、これといって望みはない。幸せになって欲しいと誰かのことを願っていた気もするのだが、その誰かが誰なのか浮かんでこない。世界が平和でありますように、などというご大層なことを願う柄でもない。
「ちょっと考えさせてくれ。いきなりじゃ思いつかねえわ」
 丈太郎は立ち上がった。そのまま部屋の奥のベッドに向かう。
「丈太郎さん?」
「俺、寝るわ。一寝入りしたら、何か思いつくだろ?」
「……あの、でも」
 レンは何か言いたげな表情を見せたが、丈太郎は構わず馴染みの深い自分のベッドにダイブした。

 
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