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月夜のエトランゼ
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「ここか。俺が倒れてたって場所は」
あの公園の噴水の前だった。遊ぶ小さな子供の声も聞こえるが、まだ昼前、オフィス街近くにある公園は静かなものだ。
空は明るく青く、月などなく。さわさわと心地いい風が、辺りの木々の葉をそよがせ、肌を撫でていく。
こうやって立っていると、まるで長い夢から覚めた気にさせられた。
「でも夢じゃねえんだよな」
いろいろ説明が面倒になる気がして、母親にも理代子にも記憶がないと誤魔化した。それでも理代子は疑いを見せて聞き出そうとしたが、返す答えは同じ。よく覚えちゃいねえ、と繰り返した。
たとえ話したとしてもこんな荒唐無稽な話、誰が信じるというのだ。自分でもこの腕に抱いたという感触が残っていなければ、目覚めたときやっぱり夢だったと思ってしまっただろうから。
「時間がまだ早いから、出てきてくんねえのかな」
おーい、と呼ぼうか。それとも、ちちち、と舌を鳴らそうか。一応、猫缶もズボンのポケットに入っている。ここに来る途中で買い求めた、好きだと言っていたプチニャンのささみデラックスだ。
ざわっと、一段と強く風が吹いた。
「そんなところで、何やってんですか」
背後からかけられたつんとした声に、丈太郎は振り返る。まぎれもなくあの「猫」が立っていた。耳も尻尾も見当たらないが、取り澄ました顔はそのままだ。
「よかった! 会いたかったぜっ!!」
振り返った丈太郎は、「猫」に向かって駆け出した。
「本当にどれだけ待たせるんですか、遅いです」
駆け寄って、その細い体を抱きしめる。
「遅いつってもな、検査だなんだって結局もう一日病院に泊まることになっちまってよ。だから退院したの、今朝なんだって」
抱きしめて、その鼻先に自分の顔を近づけた。
「顔、近いですよ」
「いいんだよ。間違いなくお前だな、レン」
「ええ、丈太郎さん」
整ったきれいな顔を見ることが叶わなかったのは、僅か一日だ。それでもやっと会えたという思いで胸がいっぱいになる。
こうして会えたからいいが、もしあのとき望みが届かなくて叶えられなかったら――。今ここで、レンと再び会うことはなかったのだ。
「俺の望み、ちゃんと叶ったんだな」
「当たり前です。僕は僕の仕事を果たしました」
「そうだな」
レンと一緒にいる――。
それが、丈太郎が望んだことだった。自分の命を購うために誰かの命は要らない。そんな犠牲は不要だ。
ルイは言った。命を望むなら、対価は同様に命が必要だと伝えられている。けれど実際にそれをやった猫はいないのだと。
『だいたい自分の命をかけてまで助けたいって、オレたちにはないんだよ。レンのバカぐらいだって。そんなことしようとするの!』
賭けだった。実際のところ、力がどう作用するのか分からない。だから「レンを失いたくない」という気持ちで、「一緒にいること」を望んだ。夜明けとともに、レンが現実世界に戻ってしまうのなら、自分も一緒だ。
「今日からお前は俺の『猫』だ。俺だけのな。ずっと一緒だぞ」
丈太郎は抱きしめる腕に力を入れた。離しはしないと気持ちを込めて。
「散々待たせておいて、それですか?」
「いやか?」
そりゃ迎えに来るのが一日遅くなってしまったけれど。
「いやなわけないでしょう? 僕は猫です。これからは、あなただけの猫」
そう言って、どこかくすぐったそうに唇を結んだレンは、丈太郎の胸に頭を預けた。だがすぐに顔を上げる。
「当たるんですけど、何ですか? これ」
レンが不思議そうに、丈太郎の腰辺りの膨らんでいるものを撫でる。
「お? あ、あれだ。お前にやろうって思ってよ」
丈太郎が取り出したのはポケットに入れていた猫缶。
「もう、あなたって人は……。この姿の僕に、猫缶ですか」
「いいじゃねえか。何なら給料三カ月分、用意しようか?」
「言ってる意味が分かりません」
レンは本当に分からないようで、首を傾げつつも丈太郎の胸に頭を預け直した。
あの公園の噴水の前だった。遊ぶ小さな子供の声も聞こえるが、まだ昼前、オフィス街近くにある公園は静かなものだ。
空は明るく青く、月などなく。さわさわと心地いい風が、辺りの木々の葉をそよがせ、肌を撫でていく。
こうやって立っていると、まるで長い夢から覚めた気にさせられた。
「でも夢じゃねえんだよな」
いろいろ説明が面倒になる気がして、母親にも理代子にも記憶がないと誤魔化した。それでも理代子は疑いを見せて聞き出そうとしたが、返す答えは同じ。よく覚えちゃいねえ、と繰り返した。
たとえ話したとしてもこんな荒唐無稽な話、誰が信じるというのだ。自分でもこの腕に抱いたという感触が残っていなければ、目覚めたときやっぱり夢だったと思ってしまっただろうから。
「時間がまだ早いから、出てきてくんねえのかな」
おーい、と呼ぼうか。それとも、ちちち、と舌を鳴らそうか。一応、猫缶もズボンのポケットに入っている。ここに来る途中で買い求めた、好きだと言っていたプチニャンのささみデラックスだ。
ざわっと、一段と強く風が吹いた。
「そんなところで、何やってんですか」
背後からかけられたつんとした声に、丈太郎は振り返る。まぎれもなくあの「猫」が立っていた。耳も尻尾も見当たらないが、取り澄ました顔はそのままだ。
「よかった! 会いたかったぜっ!!」
振り返った丈太郎は、「猫」に向かって駆け出した。
「本当にどれだけ待たせるんですか、遅いです」
駆け寄って、その細い体を抱きしめる。
「遅いつってもな、検査だなんだって結局もう一日病院に泊まることになっちまってよ。だから退院したの、今朝なんだって」
抱きしめて、その鼻先に自分の顔を近づけた。
「顔、近いですよ」
「いいんだよ。間違いなくお前だな、レン」
「ええ、丈太郎さん」
整ったきれいな顔を見ることが叶わなかったのは、僅か一日だ。それでもやっと会えたという思いで胸がいっぱいになる。
こうして会えたからいいが、もしあのとき望みが届かなくて叶えられなかったら――。今ここで、レンと再び会うことはなかったのだ。
「俺の望み、ちゃんと叶ったんだな」
「当たり前です。僕は僕の仕事を果たしました」
「そうだな」
レンと一緒にいる――。
それが、丈太郎が望んだことだった。自分の命を購うために誰かの命は要らない。そんな犠牲は不要だ。
ルイは言った。命を望むなら、対価は同様に命が必要だと伝えられている。けれど実際にそれをやった猫はいないのだと。
『だいたい自分の命をかけてまで助けたいって、オレたちにはないんだよ。レンのバカぐらいだって。そんなことしようとするの!』
賭けだった。実際のところ、力がどう作用するのか分からない。だから「レンを失いたくない」という気持ちで、「一緒にいること」を望んだ。夜明けとともに、レンが現実世界に戻ってしまうのなら、自分も一緒だ。
「今日からお前は俺の『猫』だ。俺だけのな。ずっと一緒だぞ」
丈太郎は抱きしめる腕に力を入れた。離しはしないと気持ちを込めて。
「散々待たせておいて、それですか?」
「いやか?」
そりゃ迎えに来るのが一日遅くなってしまったけれど。
「いやなわけないでしょう? 僕は猫です。これからは、あなただけの猫」
そう言って、どこかくすぐったそうに唇を結んだレンは、丈太郎の胸に頭を預けた。だがすぐに顔を上げる。
「当たるんですけど、何ですか? これ」
レンが不思議そうに、丈太郎の腰辺りの膨らんでいるものを撫でる。
「お? あ、あれだ。お前にやろうって思ってよ」
丈太郎が取り出したのはポケットに入れていた猫缶。
「もう、あなたって人は……。この姿の僕に、猫缶ですか」
「いいじゃねえか。何なら給料三カ月分、用意しようか?」
「言ってる意味が分かりません」
レンは本当に分からないようで、首を傾げつつも丈太郎の胸に頭を預け直した。
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