月猫

波奈海月

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月夜のエトランゼ

9.

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「やっちまった」
 誘われたとはいえ、男とセックスなんて。しかも相手は猫だ。
 自分はこれまで嗜好はノーマルだと思っていたが、案外同性でもいけることを、身をもって体験したわけだ。
 丈太郎はレンのしなやかな体を思い出す。自分の突き上げのたび、背をそらして声を上げた。達した丈太郎が、レンから引き抜こうとしたのを拒み、もっと欲しいと甘くねだった。体位を入れ替え上になったレンは自ら腰を振って、丈太郎をいっそう満たしてくれた。おかげでまた年甲斐もなく頑張ってしまい――。
 まったく何回やった? つい指を折って数えた丈太郎は、自己記録を更新してんじゃねえよ、と肺が空っぽになるほどの溜め息をついた。
「現実世界での俺は死にかけているというのによお」
 ああ、ったく、くそったれっ。
 丈太郎は頭を抱えながら、自らを罵る。本当に、どうしたらいいのだ。どうしたら――。
「へー、レンとやっちゃったんだ」
 蔑む声がすぐ横からした。
「ルイか」
 丈太郎は、もう驚くことはなかった。今どこにいるのかと気にしても始まらない。すべてが繋がっている自分の意識の中の世界。場所を気にするよりも、目の前にいる猫たちに注意を払えばいいのだ。
「何それ。余裕? オレが声かけるたびに飛び上って驚いていたのに」
 ルイはまたニット帽を被っていた。
「お前の正体も分かったんだからよ、驚くこたあねえってこった」
「つまんねえ、おっさん。で? レンはどうだった? あいつモテんだよ? サカリがきたらメス猫が放っておかなくてさ、ケンカ始めるんだぜ? レンを取り合ってさ。すっげ話だろ? オレの自慢のダチなんだ。そのレンをあんたは――」
 ルイはこれまで以上にお喋りだった。
「どこがいいんだよ、こんなくたびれたおっさんの。そうまでして『現実』にあんたを繋ぎ止めるなんてさ! 生き返らせようとするなんてさ!!」
「……悪かったな。お前の大事なダチによ」
 ルイに追い打ちをかけられ、丈太郎には返す言葉が見つからなかった。
「そうだよ! 大事な大事なたったひとりのオレのダチだよっ!!」
 それを――とルイが激昂のまま丈太郎に殴りかかってくる。
「人間なんかどうでもいいじゃないか。何だよ、何でレンは、こんなヤツのために自分の命を対価に力を使おうとすんだよ。ずっと好きだったって何だよ。人間と猫なんだぞ」
 丈太郎は、泣き喚き拳を振り上げるルイを、黙って受け止める。
「なあ、おっさん。生き返らないでくれよ。オレにレンを返してくれよ。もうすぐ向こうは夜明けなんだ。タイムリミットなんだからさ、このままおっさんはこの世界にいてくれよ」
 今までいろいろ諦めてきたんだろ? 周囲が上手くいくように、波風立てないように、譲ってきたんだろ? 傷つかず、傷つけず。道化にもになって。
 今度もそれでいいじゃないか、とルイの叫びが丈太郎の胸に突き刺さる。
 そうだ、そうやって生きてきた。だったら、現実世界でまた変わらない日々を送るよりも、この世界で面白おかしく生きていくのも悪かないだろう。たとえ幻でも、女も金も仕事もすべて好きなようにできる。永遠に、自分の欲しいものを手に入れて、思うままに。
 楽しいだろ? 楽しいはずだ。咎める者は誰もない。邪魔する者は誰もない。現実の世界では諦めてしまった女も、この世界でなら――。
「おっさんが望めば、こういうこともできるんだぜ」
 丈太郎の前に、女が現れる。
『丈太郎、愛してる』
 愛してる。愛してるわ。愛してるの。
 このまま丈太郎が望めば、何百回と女は言葉を紡ぐだろう。都合よく脚色された幻想の中で、永遠に繰り返される。
「ルイ、もういい。止めろ、分かったから」
 もう十分だった。
 丈太郎はルイの細い腕を取った。途端に女の姿は消えた。
「やだ。いやだっ! 放せっ!!」
 涙で顔中をべたべたにした少年はかぶりを振り、丈太郎につかまれた手を振り解こうと噛みついてくる。
「つっ――。な、なあ、ルイ。ちょっと教えてくれ。そのお前たちの力についてよ」
 痛みに耐えながら丈太郎は、そのまま小さなルイの体を抱きしめた。


「ルイ! 何をやっているんです。また要らないことを丈太郎さんに――」
「レンか。走って、体、いいのか?」
 走ってくるレンの姿を見とめた丈太郎は、思ったまま口にした。
「え、か、体?」
 澄ましたきれいなレンの顔が、さっと朱に染まった。やっぱり人の顔は、感情を心のままに浮かばせてしまうようだ。
「大丈夫です。激しかったけど、あなたは優しかったし」
「お前、それをここで言うかな?」
 話を振ったのは自分だったが、正直なレンの言葉に今度は丈太郎が赤面し、つい隣に立つルイに目が行く。
 ルイは面白くないと、ぷいと口を尖らせ横を向いた。
「ホントにお前ら、人間以上に人間臭いな。ったく」
 自分を棚に上げて、猫たちの反応に丈太郎は苦笑を浮かべる。
「それで、だな。さっきルイに聞いたんだが、タイムリミット、あとどれくらいだ?」
「……それほど時間はないです。東の空が白み始めました」
 余計なことを言って、とレンが睨んでもルイは変わらず面白くなさげに横を向いていた。
「そっか」
 ここは夜のままだった。見上げた丈太郎の目に映ったのは、真っ黒な空に皓々と輝きを放っている丸い月だけ。
「じゃあさ、まだ間に合うんだな」
「はい。今望みを言ってくれるのでしたら」
「分かった。俺の望みを言うよ。お前のおかげでさ、欲が出てきた。どうしようもなく生きたいって思っちまってさ」
「本当ですか? よかった」
 レンが嬉しそうに眼を細めた。
 まったく、この猫は何というお人好しだ。猫だから「お猫好し」か。望みを叶えるのには、自分の命を捧げなければならないというのに。そうまでして自分を助けようとするレンが愛しいと、丈太郎は思った。
「俺の望みはな、レン」
 心の底から、本心から。今、本当に叶えたい望み。
 それは――。


「丈太郎! 気がついたんだね! よかった!!」
「母ちゃん?」
 目を覚ました丈太郎の前に、安堵したと涙を浮かべた母の顔があった。
「俺、いったい? ここどこ?」
 見回せば、白い壁に囲まれていた。もちろん自分のむさ苦しいアパートではない。窓からは日の光が差し込んでいた。
「あれ?」
 腕を動かそうとして、抵抗を覚えた。見れば手首にビニールのチューブが刺さっていた。そのままチューブを目で追って行けば、液の入ったビニール製の袋に繋がっている。点滴だった。
「ここは病院。もう、あんたって子は。その年にもなって親に心配かけるんじゃないわよ。連絡もらってびっくりして駆けつけたら、本当にもう、もうもうもう。気が気じゃなかったよ」
「母ちゃん、泣くなよ」
 母に言われるまでもなく、この年にもなって、親を泣かせてしまうとはとんだ親不孝者だった。
「意識が戻ったらもう安心だわ。あ、そうだ。連絡しなくちゃ。そこのナースコールのボタン押しといて」
「え、これ? って母ちゃん、どこ行くんだ?」
 踵を返した母に、丈太郎は急いで問いかけた。てっきり押してくれると思ったのにそうではなかったようだ。
「だから連絡するの。あんた心配してずっとついててくれたのよ、彼女――あら」
 そう言っているそばから、しゅんとドアが開き、女が入ってきた。母親の声は病室の外まで届いたらしい。
「丈太郎!!」
「お! お前まで、何だあ?」
 女は丈太郎の首に取りついた。
「心配かけないでよ。何やってんのよ、本当に」
「……理代子りよこ。悪いな、またお前に心配かけちまったんだな」
「そうよ。このままあなたが目覚めなかったら、どうしようかって思ったわ」
 十年来の友人、その感覚は親友といえる女だ。
「島田、放っておいていいのかよ。こんなとこにいて」
和志かずしさんなら、会社行ったわ。さっきまでここにいたのよ、彼も。でもそばにいたって何もできないし、今日の商談、自分まで休んで棒に振ったら、推薦してくれたあなたに顔向けできないからって」
 その取引先には、自分も同行するはずだった。
「――あいつに任せておけば、俺も安心だな」
 そうだ、島田に任せておけば大丈夫。いい後輩だった。
「まったく理代子さんといい、島田さんといい。あんたは周りの人に恵まれてるねえ。あんたが病院に運び込まれたって聞いてこうやって駆けつけてくれたんだから」
 母親が、二人の遣り取りを見守りながら、横でほっと息をついていた。
「それに、どこの誰だか分からないけど、救急車呼んで病院までつき添ってくれた人もいたのよ」
「救急車? 母ちゃん、それ誰?」
「知らないよ。名前も言わずに立ち去った、っていうんだから。私がここについたときには、もういなかったし」
 親切な人がいてよかったと、母親と理代子が顔を見合わせた。
「だいたい、あんたって子はね。腕っぷしからきしなのに、酔っぱらいとケンカするなんて。絡まれてた人を助けようとしたって聞いたけど、世の中物騒なんだから気をつけなさいよ」
「絡まれてた人を助けた? 俺が?」
 言われた丈太郎は首を傾げる。
「何? 覚えてないの?」
「いやさ、俺も酒入ってたからなあ。よく覚えちゃねえんだわ」
 丈太郎は、はははと空笑いを浮かべた。
「呆れた。昔から粗忽ものだったけど、自分が何したのか覚えがないってね」
 それで死にかけたなんて、と開いた口が塞がらないと母親が嘆く。
「まあまあ、お母さん。その様子なら大丈夫そうだけど、丈太郎、もう少し寝たら? 私もこれから会社行くし、あなたの欠勤連絡やっといてあげるから。あ、有休あったわよね。だったらついでに三日ぐらい休んじゃいなさい」
 ずっと休みなく働いていたのだから、それくらい骨休めてもいいでしょう、と世話焼きな女友達は言った。
「おう、さすが理代子だ。頼んだ」
 いつもながら頼りになる。
「そうね、私も一度家に戻るわ。後でまた来るから。退院の精算もあるだろうし」
「母ちゃん、理代子、悪かったな。本当にご面倒をおかけしました」
 体を起こした丈太郎は、深々と頭を下げた。



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