初恋の代償

南 鴇也

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第4章

再会 02 03

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「結月様、会長がお呼びです。お話があると……」

扉の向こう側から神霜が声をかけた。俺は溜息を吐き自室から出る。
祖母の趣味であるビクトリア調の調度類が並ぶ廊下を歩き、部屋へと向かった。

「……結月です」
「入りなさい」

ノックをするといつもの重々しい声が聞こえた。俺は祖母と二人きりになることを未だ畏怖していた。

大きく深呼吸をし扉を開ける。
祖母はグレイヘアを綺麗に引っ詰めにして背筋をきっちりと伸ばし、こちらを見据えていた。
75歳という年齢を感じさせない居住まいは、一ノ瀬グループ代表取締役会長としての威厳を感じる。

「お祖母様、話というのは……」

「――宮白亜矢さん、だったかしら?」

少し間をおいて祖母の口から出たその名前に、ハッと目を見開いた。

「貴方、此処に戻ってきたということはあの子との関係も終わったのね」

いつもよりやたら柔らかい口調に慄然とする。

「それにしても、大切な人だと言って此処を飛び出したのに、あっさり独りで帰ってくるなんて……。やはりあの子じゃ具合が悪かったのかしら?」

卑しく口角が上がるのを見て、ギュッと拳を固く握り、足元に視線を落とした。

「顔の綺麗なコだったけれど、男の子だものねえ。貴方が正気に戻って良かったわ」

上から祖母の猫撫で声が降ってくる。

「約2年……お遊びにしては充分よね?」

その言葉に、思わず「遊びじゃない」と声を荒らげた。
そんな気持ちではなかった……。喚き散らしたいのを必死で堪え、ゆっくりと息を吐いた。

「まぁいいわ。どちらにしろ、貴方に愛する力が無かったということよ。だから言ったじゃない。あの女の子供が、人を幸せにすることなど出来るわけがない」

鼻で嗤ってそう言った祖母を睨みつけると、一変していつもの仮面のような顔を俺に向けた。

「貴方を外に出すことで、仕事上でのパフォーマンスが上がったことは嬉しい誤算だったわ。これまで以上の成果を出してくれるのなら、此処に留まらなくてもいい。しかし、再び変な虫が付くことだけは避けなければ」

祖母は威圧的な眼差しで見つめ、静かに口を開いた。

「私との約束は覚えておいででしょう?笠原家との結納の儀、1ヶ月後に設定します。いいですね」

いいですね、とは決して確認の意味ではなく強制的に決定したことを意味する。先に根回しして、反論の余地を与えないのが祖母のいつものやり方だった。

言い返す言葉が見つからず、部屋から飛び出した。
まるで嫌なことがあったら直ぐに逃げ出してしまう子供のような自分に、心底幻滅する。言いたいことはたくさんあるのに、それを伝えることが出来ない。

そもそも、この2年の間に、あの祖母との約束をどうにか破棄することだって、やろうと思えば出来たはずだ。
それをはなからせずに、目を逸し、忘れていた理由わけは、自分でも気づいていた。

これまでずっと、祖母に従ってきたのは、父の正妻――自分の母になるはずだった女性に対する後ろめたさが、いつも付き纏っていたから。
祖母を憎む気持ちに比例して、愛し合っていた父と産みの母のことをも、嫌いになりそうだった。父が抱いていた自責の念と似たようなものが、喉につかえた魚の小骨のように、ずっと心の中に在り続けた。


自室に戻り、扉を閉めて深く息をした。ふとデスクの上に置いた一枚のカードが目に入った。

『貴方に、これを渡したかった』

透き通るような声と同時に、ふわりと優しく笑いかける姿が、幻像のように脳裏に浮かぶ。



あれは今年の2月7日――俺の誕生日だった。

プレゼントに添えられた、名刺サイズの小さなカード。少し厚めの紙に、金文字で『Pour vous』――フランス語で『貴方のために』と印字されたそれには、青い小さな花の押し花が散りばめられていた。

「綺麗だな、何の花だ?」と訊ねると、亜矢は「勿忘草わすれなぐさです」と答えた。

「結月さんが生まれた日の誕生花なんです。……変ですよね、こんな、女の子っぽいことして」
「変?どうして? 君らしくて、俺は好きだよ」

今更何を言うのかと小さく笑って、「ありがとう」と、滑らかな髪をくしゃりと撫でた。

「ところで、亜矢の誕生日は何の花なんだ?」

亜矢は、はにかむように微笑んで言った。
「貴方と同じ花です」

その言葉に、もう一度カードに目を落とした。

「同じ……」
「実は昔、誕生日に母から同じような手作りのカードをもらったことがあるんです。母はよく、花言葉や誕生花に縁のある花を自分でアレンジして人に贈っていたので。
 僕、そのカードがすごく好きで、お守り代わりにずっと持っていたんです。それで、ふと結月さんの誕生花を調べてみたら、偶然……」

「結月さん。勿忘草の花言葉、知っていますか?」と亜矢が穏やかに訊いた。
宙を見つめて少し考え、文学などで一度は知るその言葉を思い出した。

「“私を忘れないで”、だったか」
「そうです。それと……“思い出”という意味もあるみたいです」
「“思い出”……」

ハッとして亜矢を見ると、大きな榛色の瞳が少しだけ揺れた。

「だから、貴方に、これを渡したかった。
 ――僕は、結月さんに出会って、貴方を好きになったこと、ずっと忘れません。たとえ、それが“思い出”になったとしても」


   * * *

どうしても、捨てられなかった。

窓の外を見る。
屋敷の門の向こう側に広がる雑然としていて自由な世界。

「亜矢……」

あの時は密命を終える前だった。
あんな非道なことをさせてもなお、そう言ってくれたのに、どうして、綺麗な別れをしてあげられなかったのか。

それでは駄目だった。忘れて欲しかった。
幸せな時間を惜しみながら離れるより、これで良かったのだ。
父が正妻と母にしたことと同じように、亜矢も詩織も、これ以上傷つけることはないのだから。

そう、知らず識らずのうちに自分自身を納得させてきた。
それでも、亜矢の存在を記憶から消そうとするたびに、一緒に過ごした日々の情景が思い出されてどうしようもない。

出会ってからあれほど泣き顔を見てきたというのに、いつまでも残り続ける亜矢の幻像は、まるで俺を責めるかのように、儚げな微笑みをたたえていた。

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