62 / 111
第4章
再会 06
しおりを挟む千尋兄は、腕の中に僕を閉じ込めたまま、暫く黙って、僕の髪を梳くように撫でていた。
この感じ、すごく違和感がある。
それは、結月さんの時みたいに、しっくりとそこに収まるような、馴染むような、そんな物理的な違いとはまた別のものだ。
――この人に、こんなふうに抱き締められたこと、あったっけ……?
「風呂、入りたい」
彼は唐突にそう言ったかと思うと、徐に体を離した。
以前のように、強引にカラダを求められるのではと身構えていた僕は、不意を突かれて戸惑うと同時にホッとした。
「え、あ……お湯入れてくる」
直ぐに部屋から出て足早に風呂場に向かう。
給湯器のスイッチを押して、湯が噴射口から勢いよく流れ入るのを眺めながら、絵の具のように混ざり合う色々な感情を落ち着かせた。
4年……。
掻き上げてワックスで後ろに流した前髪。前は横に流していたような気がする。
首筋から微かにウッディ系の香水の薫りがしていた。それはたぶん、変わっていない。
あんなに体、大きかったかな。背は結月さんと同じくらいなのに、肩幅が広いからそう感じたのかもしれない。鎖骨と胸骨がゴツゴツして、それが当たって痛かった。胸板も腕も、結月さんより固くて。
頬に触れた指先は、少しカサカサしていた。ささくれなんて見たことがないくらい、いつも滑らかで綺麗だった結月さんの指とは全然違う。相変わらず、研究、忙しいのかな……。
そこまで考えて、パチンと両手で頬を叩いた。
「馬鹿、みたい……」
――結月さんとあの人を比べて、一体、どうしようというの。
「お前も一緒に入る?」
突然声をかけられて、ビクリとする。
気づけば、着替えを持った千尋兄が背後に立っていた。
「ひ、一人で、入るから……!」
焦って声を出したせいで裏返ってしまった。
恥ずかしくなって俯くと、「今更そんな反応することかよ」とせせら笑う声が聞こえた。
「まあ、どうせお前の裸、後からたっぷり見られるし」
顔を上げると、整った唇が僅かに歪んでいるのが見えた。
* * *
「これ、何?」
お風呂上がり、ペットボトルのミネラルウォーターを飲みながら冷蔵庫の中を見ていた千尋兄が僕に訊いた。
耐熱ガラスの容器を手に持っている。僕が答える間もなく、彼はその蓋をぱかりと開けた。
「ビーフシチューじゃん。これ、いつもの?」
小さく頷くと、「久しぶりに食いたい」と、先程までの妖しげな笑みとは対照的な、朗らかに緩めた表情を向けられて、またそれに面食らう。
鍋で温め直したビーフシチューに、軽くトーストしたバゲットと、生ハムのシーザーサラダを添えて、食卓に出す。
千尋兄は、「いただきます」と軽く手を合わせて、早速ビーフシチューをスプーンに掬って口に運んだ。
「美味いな」
独り言のように静かに発した言葉に、思わず彼を見る。目が合うなり今度は「美味しいよ」とはっきり聞こえる声で言った。
「数年経っても覚えているもんだな。ちゃんと、姉さんの味だ。
というか、こんな手間のかかるもん、何で作ってんの?一人なのに」
「え、……作りたくなったから。……ただそれだけ」
一瞬ドキリとして、直ぐに冷静を装って返すと、「ふぅん」とぼんやり呟いて、再びそれを口に含んだ。
「お前、昔から料理上手かったよな」
懐かしむような、柔らかな微笑み。
――この人、こんなふうに笑う人だったっけ……?
あの頃は違った。それは解っているのに、それよりももっと前の情景が透けて見える。その霞の中の彼は、とても優しい瞳をしていた。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
はじまりの朝
さくら乃
BL
子どもの頃は仲が良かった幼なじみ。
ある出来事をきっかけに離れてしまう。
中学は別の学校へ、そして、高校で再会するが、あの頃の彼とはいろいろ違いすぎて……。
これから始まる恋物語の、それは、“はじまりの朝”。
✳『番外編〜はじまりの裏側で』
『はじまりの朝』はナナ目線。しかし、その裏側では他キャラもいろいろ思っているはず。そんな彼ら目線のエピソード。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
番解除した僕等の末路【完結済・短編】
藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。
番になって数日後、「番解除」された事を悟った。
「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。
けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。
【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
全8話
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる