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第5章
真実 01 (追憶 5 and a half years ago)
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《perspective:千尋》
「一目惚れ」という感覚を覚えたのは、後にも先にもあの時だけだろう。
これまで数人の女と付き合ってきた。
それでも、人に見惚れたのは初めてだった。
まさかその対象が、“大の男”だなんて思いも寄らないことだったが。
今考えれば馬鹿げた話だと思う。しかし、笑えないくらい本気だった。
あれは5年半前の冬が終わる頃、静かな図書館でのこと。
その時はまだ、恋愛感情の伴わないものだったけれど――
* * *
2月。修士論文の提出に続いて、審査員との面接試験も終わり、周りの大学院生たちは存分に羽目を外している頃だというのに、俺は研究室と図書館に籠もっていた。
就職先である研究所から簡単な論文の課題を出されていたからだ。簡単といってもそれなりのレベルが求められる。一息つく間もなく、手当たり次第、館内の資料を読み漁っていた。
ふと顔を上げると、窓を囲むように書棚が置かれた、まるで小さな部屋のようになっているその空間に、一人の男が居た。
本も読まずに窓に向かい、伏し目がちでただそこに佇んでいる。射し込む陽光のせいか、ひどく眩しくて、人間ではない何かのように見えた。
長いこと見つめていたら、彼がこちらを向いた。
綺麗な青い瞳が俺を捉えた。瑠璃色というのだろうか。窓の外の晴れ渡る空の青、というよりも、夜明け前の空のような美しい紺青。
「何してんの?」
自分の口から唐突に出た言葉がそれだった。
話しかけるつもりは更々なく、自分自身に驚いた。
此処は、一般図書が置かれた本館とはやや離れた場所にある別館。専門書の中でも、発行年が古い書籍や持ち出し禁止の資料が配架されており、利用には届けを出さなければならず、いつも人はまばらだった。
そんな場所に、しかも平日の真っ昼間、まだハタチそこそこだろうと思われる彼が一人で居るのは、それだけで興味を惹かれるものだった。
「……知らない」
知らない、って何だよ。
その男の適当な返しに少し苛立ったが、口には出さなかった。
そんなことは、実際どうでもよかった。
聞きたいことは、たくさんあるような気がした。
しかし何を問い掛けるわけでもなく、俺は再び資料に目を落とした。
目は文字を追っていても、頭の中は近くに居る彼のことでいっぱいだった。
ちらりと姿を盗み見る。
男は書棚から本を取り出しては眺めていた。
背表紙をすらりと細い指がなぞる。
センターパートの長めの前髪が、端正な横顔を隠すように覆っている。下を向く度にさらりと揺れる、透き通るような栗色の髪を、俺はぼんやりと見つめていた。
彼が動いたのは、日が沈み始めた頃だった。
それを見て、咄嗟に自分も席を立つ。
「……何?」
その男は、立ちはだかるように近づいた俺を怪訝そうに見た。衝動に駆られたものだから、何の言葉も用意していなかった俺は、押し黙ってこの場を動けないようにする他なかった。
彼は暫くして「ああ」と理解したような声を漏らし、逸らしていた目を再び俺の方に向けた。射抜くような鋭い青だった。
「あんた、俺のこと見てたよね。……どうして?」
確信犯か?やられた、と思うより先に口が動く。
「綺麗だったから」
「何が」
「その瞳も、髪も……」
本当はすべてに、魅了されていたけれど。
男は小さく溜息を吐き、トンと俺の肩を押した。
「あんた、嫌いだ」
そう言い捨てて、風が過ぎ去ったかのように、ふわりと居なくなった。
もう二度と会えないと思っていた。
しかし、三流映画のようにごくあっさりと、俺たちは再会することになる。
あの日から一週間後、同じ場所にその男は居た。窓に近い席に座り、分厚い本を読んでいた。
俺は書架から引き抜いてきた資料を何冊か持ち、彼の近くに座った。
男は一瞬顔を上げたあと、何も言わずに再び本に目を落とした。
“嫌い”な筈の俺が傍に居るというのに、彼は別の場所に移動したりはせず、そこに留まった。無論、俺も席を移ることはない。何故か許された気分になり少し安堵した。
「一目惚れ」という感覚を覚えたのは、後にも先にもあの時だけだろう。
これまで数人の女と付き合ってきた。
それでも、人に見惚れたのは初めてだった。
まさかその対象が、“大の男”だなんて思いも寄らないことだったが。
今考えれば馬鹿げた話だと思う。しかし、笑えないくらい本気だった。
あれは5年半前の冬が終わる頃、静かな図書館でのこと。
その時はまだ、恋愛感情の伴わないものだったけれど――
* * *
2月。修士論文の提出に続いて、審査員との面接試験も終わり、周りの大学院生たちは存分に羽目を外している頃だというのに、俺は研究室と図書館に籠もっていた。
就職先である研究所から簡単な論文の課題を出されていたからだ。簡単といってもそれなりのレベルが求められる。一息つく間もなく、手当たり次第、館内の資料を読み漁っていた。
ふと顔を上げると、窓を囲むように書棚が置かれた、まるで小さな部屋のようになっているその空間に、一人の男が居た。
本も読まずに窓に向かい、伏し目がちでただそこに佇んでいる。射し込む陽光のせいか、ひどく眩しくて、人間ではない何かのように見えた。
長いこと見つめていたら、彼がこちらを向いた。
綺麗な青い瞳が俺を捉えた。瑠璃色というのだろうか。窓の外の晴れ渡る空の青、というよりも、夜明け前の空のような美しい紺青。
「何してんの?」
自分の口から唐突に出た言葉がそれだった。
話しかけるつもりは更々なく、自分自身に驚いた。
此処は、一般図書が置かれた本館とはやや離れた場所にある別館。専門書の中でも、発行年が古い書籍や持ち出し禁止の資料が配架されており、利用には届けを出さなければならず、いつも人はまばらだった。
そんな場所に、しかも平日の真っ昼間、まだハタチそこそこだろうと思われる彼が一人で居るのは、それだけで興味を惹かれるものだった。
「……知らない」
知らない、って何だよ。
その男の適当な返しに少し苛立ったが、口には出さなかった。
そんなことは、実際どうでもよかった。
聞きたいことは、たくさんあるような気がした。
しかし何を問い掛けるわけでもなく、俺は再び資料に目を落とした。
目は文字を追っていても、頭の中は近くに居る彼のことでいっぱいだった。
ちらりと姿を盗み見る。
男は書棚から本を取り出しては眺めていた。
背表紙をすらりと細い指がなぞる。
センターパートの長めの前髪が、端正な横顔を隠すように覆っている。下を向く度にさらりと揺れる、透き通るような栗色の髪を、俺はぼんやりと見つめていた。
彼が動いたのは、日が沈み始めた頃だった。
それを見て、咄嗟に自分も席を立つ。
「……何?」
その男は、立ちはだかるように近づいた俺を怪訝そうに見た。衝動に駆られたものだから、何の言葉も用意していなかった俺は、押し黙ってこの場を動けないようにする他なかった。
彼は暫くして「ああ」と理解したような声を漏らし、逸らしていた目を再び俺の方に向けた。射抜くような鋭い青だった。
「あんた、俺のこと見てたよね。……どうして?」
確信犯か?やられた、と思うより先に口が動く。
「綺麗だったから」
「何が」
「その瞳も、髪も……」
本当はすべてに、魅了されていたけれど。
男は小さく溜息を吐き、トンと俺の肩を押した。
「あんた、嫌いだ」
そう言い捨てて、風が過ぎ去ったかのように、ふわりと居なくなった。
もう二度と会えないと思っていた。
しかし、三流映画のようにごくあっさりと、俺たちは再会することになる。
あの日から一週間後、同じ場所にその男は居た。窓に近い席に座り、分厚い本を読んでいた。
俺は書架から引き抜いてきた資料を何冊か持ち、彼の近くに座った。
男は一瞬顔を上げたあと、何も言わずに再び本に目を落とした。
“嫌い”な筈の俺が傍に居るというのに、彼は別の場所に移動したりはせず、そこに留まった。無論、俺も席を移ることはない。何故か許された気分になり少し安堵した。
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